03
川原の端─川沿いに突き出た土手の上─にある、人が住んでいるとは思えないような古びた船着き小屋。かつては多くの川船で賑わっていたであろう迷路のように入り組んだ桟橋は、足を踏み出す事をためらうほどに朽ち果てている。
小屋も桟橋の現状と同様にかろうじて雨風を耐えしのげるというだけで、扉も明り取りや空気の入れ替えの為の窓もガタついていてきっちりと閉じることは出来ない。
今は開け放たれた窓の木枠には使い鳥たちのうち2-3羽が止まり、興味深げに室内の様子を覗き込んでいる。
その室内は湿った生の土の匂いがなんだか陰鬱な気持ちにさせ、僕が覚えている限りでも随分と昔に打ち捨てられた小屋である。
寝台代わりの古いベンチに座り、木箱をテーブル代わりに欠けた木のコップを置く。コップに入っている水は勿論、川から汲んて来た水だ。
破れた布の上に、とっておきの─エニにとっては─干した果物の皮が乗せられている。イチジクの皮かナツメヤシの皮といった所だろうか。
人間の暮らしとはこのようなものだっただろうか?しばらく…少なくとも数十年は碌に関わりあったことがなかったなあ、と僕は軽くつぶやきながら、きしむベンチに腰を掛けて話を始めた。
「小屋に入れてくれてありがとうエニ。僕は人間ではなく河川の神…ポタモイさ。この地域一帯の河川を担当しているんだ。それでこの青い鳥は瑠璃千鳥…ルリチドリといって、僕の眷属たる使い鳥の一族で僕が頼んだ伝達とか調べものといった仕事をしてくれているのさ。」
「ポタモイ…さま?」
「そう、数ある河川の神の中の一柱さ。」
「河川の神様のひとり…」
エニはきょとんとした顔で僕の言葉を繰り返した。あまり理解できていない様子だ、もう少しかみ砕いた説明をしたほうが良いだろうな。
「うーん、わかりやすく言うと僕たちは河川を司る群体神…つまり兄弟神なのさ。それで兄弟たちの中でこの地域一帯の河川の守護…いや管理…そうだなあ、平穏無事に何事もなく水が流れるように治めている…つまり面倒をみているのが僕ってことさ。」
「この川のほかにも面倒を見ている川があるの?」
「ああ、そうだとも。この場所から見て北西にあるセヴェリャーネやメシチェーラ近くの高原から南東のアゾフの海に流れる河川が僕の司る地域だよ。」
一度に説明し過ぎたからか、きょとんとしているエニに判りやすいようにと僕は重ねて説明した
「まあその、この辺り一帯の…つまりここから南にあるアゾフ海につながる河川は全て僕が守護する河川って事だよ、大小あわせて数十…両手両足の指をすべて使っても数え切れないほどさ。」
と、自慢しながら胸を張っていった僕にエニは気になっただろう事を聞いてきた。
「じゃあ東の地の事も知っていたりするの?あなたが守護する川は東にもあるの?」
「東? 東と言えばユージュヌイ山の事か。そっちは僕の兄たちの管轄だなあ。」
「…そうなんだ。」
エニはしょんぼりといった
「どうしたんだい?」
僕はしょんぼりとしたエニに、なぜ悲しそうな顔をするのかと尋ねた。恐らくその理由は僕も何となく知っているけれど…。
「お父さんとお母さんが帰って来ないの。」
僕はエニが話し出すのをじっと待った。
「…えっと、わたしのお父さんとお母さんは荷馬車を引いて行商人をしているの。幌のついた立派な馬車よ。しばらく前に、この近くの村へ商売に…売りたいものがあるからって呼ばれてやって来たんだ。」
「……」
「それで村の人…村長のマノリスさんたちと一緒に売り物の確認をするために少し遠い東の地へ向かう事になって、わたしはまだ小さいから村で留守番だって言われてマノリスさんの家に預けられて。だからマノリスさんの家で待っていたんだけど…そうしたら次の日の朝に、『お前の両親はもう戻ってこない』って言われて、この小屋に置いてけぼりにされたの。」
「……」
「お父さんとお母さんは『すぐに戻って来るからいい子にしてるんだよ』、って言っていたの!なのに、馬と荷馬車は村の人と一緒に村に戻ってきて…。お父さんの荷物もお母さんの荷物もマノリスさんや村の人たちが持って行っちゃって。」
「……」
「わたしの服も荷物も全部、マノリスさんの娘のクセニアさんが着ていて、そしてわたしのお母さんの肩掛け布を持って喜んでいたの。その肩掛け布は、お母さんが10才の誕生日にわたしにあげるねと言ってくれてたもので…。」
「両親は戻って来ず…?」
「…うん。それからずっとこの小屋にいるの…。それで、小屋の近くで過ごしている小鳥さんたちを見つけて、羨ましかったの。羨ましくて、わたしも仲間になれないかなって、だから小鳥たちが集めている小石を集めてたの。」
「……」
「………お母さん、お父さん、会いたいよ…。いつ迎えに来てくれるの?わたし、泣かずにいい子にして待ってるよ…。」
「……そっか、それで使い鳥たちが不思議に思ってたんだ、『ねえねえ、人間が私たちの巣作りの手伝いをしているよ!どうしてだろう?』って。」
「迷惑だったかなあ?」
「大丈夫だよ、ただ驚いて不思議に思っていただけだから。」
「そっか、良かった。迷惑じゃなくて。」
エニはホッとした様子で胸元に手をやり撫でおろした。その手はあかぎれだらけだ。
僕は流石に彼女に何か慈悲たるものが与えられても良いんじゃないかと思い始め、何かいい方法が無いだろうかと考えて…僕の視線の先には窓枠にちゃっかり止まって興味深そうに部屋の中を覗き込んでいる青い羽の彼らが居た。
「そうだ。僕の使い鳥たちの巣を作ってくれたんだ、ひとまずのお礼に君の住んでいるところを整えよう。」
「住むところ?」
エニは粗末な小屋の中を見渡した。
「そう、この小屋だと不便だろう?もっと住みやすい場所にしてあげるよ。」
「えっ?…あ、それよりもまた会える?」
僕の事を見上げながらエニは戸惑いつつも即座に答えた。
あれ、喜ばれるかと思ったのに、どうやらあてが外れてしまったみたいだ。エニが嬉しいと思うことって何だろう?
「うーん、また来るとは思うけど…。」
使い鳥たちでは意思疎通が難しいだろうし、僕が出来る事で何があるか知る為にも。
「住むところよりも、友達がいい。友達になって、こんなふうにずっとお話がしたい。一緒にいてくれる人が欲しい。」
そういってエニは両手を胸の前で組んで俯いた。
「………」
「お母さんもお父さんもみんないなくなった…。この村に来るずっとずっと前にお爺ちゃんが死んじゃったの…。お父さんもお母さんもお爺ちゃんの所にいるのかな…?」
僕は顎に手をやりながら考えを巡らせた。恐らくエニにも両親に何が起こったかは何となく察してはいるのだろう
答えをどうしようか迷って黙っていたからか、不安を感じたのかエニは焦ったようさらに続ける。
「だめなら、わたしをお母さんやお父さんやお爺ちゃんの所へ連れてってほしいの!貴方が神様だったら私をそこへ連れてって欲しい、どうかお願い。」
「……ごめん、それは出来ない…。」
がっかりしたエニの瞳には涙が浮かんでいた。
「でも、なるべく毎日来るよ。」
「本当?じゃあお話したい。会いたいってお願いしたら、お祈りしたら来てくれる?」
「ああ、使い鳥たちの世話もあるしね。」
ピルル、ピルルピー
世話をしているのはこちらだと言いたげに、使い鳥たちが強く声を上げてきた。まあ、確かにそういう部分も無いことも無い。
「嬉しい!ありがとう、えっと…川の神様、あなたの名前はなんていうの?」
「僕の名前?あ、個人名の事か。僕はポタモイの中の一柱だからポタモイとしか呼ばれた事しかない。うーん、強いて言えばアゾフのポタモイ…アゾフ海近辺の河川神になるのかな。」
「でもアゾフの海近くに関わる河川の河川神は僕だけでは無いから、アゾフのポタモイも僕個人の名称とは言えないだろうし。僕だけを表す名前かあ。」
僕は腕を組みなおして、“僕個人の名称”について考えてみた。
「えっ、名前はないの?」
「僕は数ある河川神の一柱だし、祈られるときは大抵兄弟全員揃ってだし、個体名が必要だと思った事はないなあ。」
「そんな…じゃあもしあなたとお話したいと思ってお祈りしても、別の知らないポタモイさんがやって来ることもある?」
「僕が忙しかったら、もしかしたらそういう事があるかもしれないな。」
僕に何かあっても他の兄たちがフォローしてくれるし、兄たちに何かあったら僕がフォローに向かう。そういったお互いの繋がりが群体神という存在だからでもある。
「わたしは、あなたに来て欲しいな…。あなたをちゃんと呼ぶ呼び方を教えて欲しい。わたしだってお母さんやお父さんに『エニ』って呼ばれたら嬉しいもの!だから…。」
「そうだなあ、じゃあ、エニが呼びやすい呼び方で僕の事を呼んでくれればいいよ、これでも神の一柱だし。呼ばれた事はすぐにわかるから。」
「わかった!えっと…じゃあ…うーん、…そうだ!わたしがお祈りしたら来てくれるんでしょ?だから、祈り…願い…そうだ!祈り…ヴィスルって呼んでいい?」
エニはそういうと、僕に向かって手を組んで祈った。
「あなたが明日も来てくれますように。」
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