追手と借り
――ドン、ドン、ドン。
戸板が鳴るたび、倉庫の空気が縮む。
モグが俺を見た。口元だけ動く。
「息を殺せ。音を立てるな」
俺は布包み――レグルスを抱え、頷いた。
次の瞬間、戸の向こうの男が声を張った。
「モグ爺さんよぉ。最近、妙な若造が出入りしてないか? 鍛冶師ギルドの用件だ」
……やっぱり。
モグはわざと咳払いして、だるそうに返す。
「夜更けにギルドが何の用だい。鉄屑屋に威張りに来たのか?」
「威張ってるんじゃねえ。確認だ。開けろ」
鍵が乱暴に揺さぶられる。
モグは小さく舌打ちし、俺に顎で奥を示した。
鉄屑の棚――その裏。
「そこだ。入れ」
棚の隙間は狭い。だが、入り込むと壁に見える板があった。モグが外から押すと、板がすっとずれて暗い穴が口を開ける。
隠し戸だ。
俺は身体を滑り込ませ、布包みを抱えたまま、暗闇の中に身を沈めた。
最後にモグの顔が見えた。皺だらけの目が、妙に落ち着いている。
「……借りは増えるぞ、若造」
板が閉まり、世界が闇に変わる。
外の音は、壁越しでもはっきり聞こえた。
ガラガラと戸が開く音。重い靴が二、三人分。金具の擦れる音。
「夜中にすまんな、モグ」
聞き慣れない、硬い声。
ギルドの荒くれじゃない。人を裁くことに慣れた声だ。
「すまないと思うなら帰れ」
「そういうわけにはいかない。――鍛冶師ギルド監察官、クロードだ」
監察官。
ギルドにも“監察”がいるのか。教会だけじゃないらしい。
「最近、レイン・グラントという男が除名された。お前も知っているだろう」
俺は奥歯を噛んだ。
モグが鼻で笑う気配がした。
「王都の噂は早いね。で? 追放した若造を、今度は追い回すのかい」
「問題は追放ではない」
クロードの声が冷える。
「工房の刻印を使った偽装があった。さらに、錬金術師ギルドの市で“異常な共鳴”が起きたという報告もある。……その中心に、レインの影が見える」
心臓が嫌な跳ね方をした。
共鳴――俺のやったことか。
「知らねえね」
モグが淡々と答える。
「鉄屑屋に、ギルドの内部事情を聞きに来るな」
「なら、店を改めさせてもらう」
音が近づく。棚が動く。鉄屑が触れ合い、ざらりと鳴る。
この隠し戸に気づかれたら終わる。
俺は闇の中で息を整え、布包みを抱き直した。
レグルスが微かに脈打つ。
『……近い』
視界の端に、淡い表示が浮かんだ。
――《危険:探索接近》
――《対策:遮断印/囮/離脱》
遮断印。
エリシアが渡した封蝋の筒が、胸の内ポケットにある。
俺は躊躇せず、筒を割った。
ぱき、と小さな音。蝋が割れ、粉が指先につく。
祈りの文様が崩れ、淡い白光が散った。
俺はその粉を布包みの表面に擦り込む。レグルスの脈が一瞬止まり、それから深く沈むように静かになった。
――匂いが消える感覚。
直後、外から別の音がした。
「……犬かよ」
モグの声が嫌そうに低い。
犬の鼻息。爪が床を叩く音。
「嗅げ。あの若造の匂いを覚えてるだろう」
クロードが命じる。
犬が倉庫の中を歩き回る。棚の近く――俺の真上で、鼻を鳴らした。
俺は動けない。
次の瞬間、犬が「クゥン」と弱く鳴いた。
迷っている。匂いが途切れている。
遮断印、効いてる。
だが、永遠じゃない。
俺は、もう一手打つ必要があると悟った。
囮。
俺は闇の中で、星屑銀の欠片を指先で摘む。青白い冷たさが、皮膚の下へ染みる。
それに、ほんの一滴だけ魔力を流した。
欠片が、淡く震える。
レグルスとは違う、乾いた光。
俺はその欠片を、隠し戸の足元――床板の隙間へ滑らせた。
そして、共鳴を“外”へ逃がす。
金属が鳴く直前の、あの緊張だけを。
――カン。
店の表側のどこかで、金属がひとつ鳴った。
犬がぴくりと反応する。
――カン、カン。
今度は少し離れた場所。
クロードの声が苛ついた。
「……何だ?」
「共鳴だ。市でも起きたやつと同じだ」
別の男が言う。
犬が、音の方向へ走り出す。足音が遠ざかる。
今だ。
だが――隠し戸は外から開かない。モグが動かなければ、俺は出られない。
俺は闇の中で、モグの足音を待った。
「……おい」
モグがわざとらしく声を出した。
「倉庫の中で鉄を鳴らすな。俺の商売道具だ。壊したら弁償だよ」
「黙れ、モグ。協力すれば痛い目は見ない」
「協力? 鉄屑屋が何に協力する。若造の首狩りかい?」
モグが笑った。笑いながら、わざと棚を揺らした。
ガシャリ、と大きな音。
その瞬間、隠し戸がふっと開いた。
わずかな隙間。
モグが外から、低い声で囁く。
「今だ。右に行け。裏庭の板塀の下――穴がある」
俺は頷き、身体を滑り出した。
暗闇から倉庫へ。鉄屑の匂い。冷たい空気。
視線は表へ向いている。犬も男たちも、音を追って奥へ行った。
俺は音を立てないように走った。
裏庭へ出る。板塀の下に、確かに小さな穴が空いている。
這いつくばって潜ると、外の路地へ抜けた。
背後で、モグの声が聞こえた。
「……ああ、そうだ。レインならここにいるよ」
俺の背中が凍る。
――売られた?
だが次の瞬間、モグは続けた。
「……俺の心の中にな」
「ふざけるな!」
男の怒声。何かが倒れる音。殴る音。
俺は歯を食いしばった。
モグが、俺を逃がすために殴られている。
借りが、増えたどころじゃない。
俺は立ち止まりかけ――拳を握って、無理やり足を動かした。
今戻れば、二人とも終わる。
モグの言葉を思い出す。
信じるな。使え。生き残れ。
俺は闇の路地を走った。
しばらくして、城壁沿いのさらに外れ――古い水路の上に出た。
ここは昔、職人街だったらしい。崩れたレンガ壁と、黒ずんだ煙突の残骸。今は人が寄りつかない。
俺は息を整え、ひび割れた壁の陰に身を滑り込ませた。
布包みを開き、レグルスを確認する。
錆はまだ濃い。欠けも残っている。だが――脈は静かで、安定していた。
遮断印が、聖気を沈めている。
視界に表示が浮かぶ。
――《修復進行:可能(低)》
――《星屑銀:欠片(微量)》
――《応急処置:封印縫合(可)》
――《次工程:芯材補填》
――《必要素材:聖樹芯》
応急処置。
今の俺にできるのは、それだけだ。
「……やるか」
俺は星屑銀の欠片を金床代わりの石に置き、魔力を流した。
欠片がじわりと温まる。煙は出ない。赤熱もしない。
だが金属が“柔らかくなる瞬間”が、指先に伝わる。
炉のない鍛冶。
俺は欠片を薄く伸ばす。針金のように。糸のように。
そしてレグルスの根元――古代文字の周囲に、縫うように巻き付けた。
カン、と軽く叩く。
カン、カン。
音が、鈴みたいに澄む。
巻き付いた星屑銀が、文様の欠けをなぞるように光った。
レグルスが脈打つ。
『……少し、戻った』
淡い光が、刃の内側に沈む。
表示が更新された。
――《封印縫合:完了(暫定)》
――《聖気漏出:低下》
――《微弱権能:導き(仮)》
「導き……?」
次の瞬間、胸の奥が“引かれた”。
方角。
遠く――王都の中心、聖堂の方向へ。
聖樹芯は、あっちにある。
エリシアが言った通りだ。
「……教会の庭、かよ」
笑えない。
しかも、追手はギルドだけじゃない。教会も動いている。
モグも、殴られた。
俺はレグルスを布で包み直し、立ち上がった。
――まずは、モグを助ける道を作る。
――そして、聖樹芯を手に入れる。
そのために、俺はここを拠点にする。誰にも見つからない“炉”を作る。
そう決めた瞬間。
背後から、拍手が一つ。
ぱち、ぱち。
あり得ない場所から、あり得ない音。
「さすがだね、レイン」
聞きたくない声。
振り返ると、崩れたレンガ壁の上に、細い影が立っていた。
月明かりが、その顔を照らす。
整った笑み。
俺の同期。
「……ディラン」
彼は楽しそうに首を傾げた。
「探すの、大変だったよ。君、思ったよりしぶといんだね」
俺の掌の中で、レグルスが静かに脈打った。
『……敵』
ディランは、ゆっくりと手を広げた。
「さあ、返して。君には重すぎる“剣”だ」




