最後の刻印、炉は守りのために
鍛冶師ギルド本部は、夜でも眩しかった。
昼の顔は堂々とした殿堂。だが今夜、灯りは“見張り”の色をしている。門番の数が多い。視線が硬い。鉄が緊張している。
門の前に立ったのは、ヴァルター大監察官だった。
銀十字の旗が風に鳴る。
「正式審問の執行だ」
短い声。だがそれだけで門の空気が割れる。
ルシアンが一歩前に出る。
「監察局規程、緊急封鎖・証拠保全条項に基づき、ギルド地下保管庫および記録室を押収する。抵抗は公務執行妨害」
ギルド側の男――バルドー長が現れた。
太い首。鍛冶師の体。だが目は鉄じゃなく計算で動く。
「監察局が、職人の殿堂へ土足で踏み込むのか」
「土足で踏み込ませたのは、お前だ」
ヴァルターが冷たく返す。
「除名記録の矛盾、司祭ローデンの承認印、回収班の鍵刻印。——すべて“ギルドの記録”に残っていた」
バルドーの喉が動く。
逃げ道を探している。
そのとき、門の陰から、あの声が落ちた。
「もう遅いよ、バルドー長」
ディラン。
笑みは薄い。逃げる笑みじゃない。最後に整える笑みだ。
「証拠は出た。ローデンは捕まった。……だから次は、僕が“物語を完成させる”」
エリシアが睨む。
「ディラン。あなたの物語はここで終わる」
「終わらないよ」
ディランが指輪を見せる。鍵刻印。
「僕は“守る人”を選ばせる。最後までね」
視界の端に表示が浮かんだ。
★目的:ディランの鍵刻印(回路の核)を無効化
★条件:刻印盤(本部炉室)の露出/二重印で固定
★リスク:回収派の強奪/ギルドの暴動(職人の反発)
失敗したら——ギルドが割れ、街が割れ、剣は再び“回収”の狩場になる。
だから、ここで終わらせる。
殴って倒すんじゃない。
“公に叩き直す”。
監察局がギルドへ踏み込むと、空気が一段冷えた。
炉の熱はあるのに、息が白い。これは火じゃない。人の敵意だ。
バルドーが吐き捨てる。
「職人に権威を押し付けるな!」
その背後で、職人たちがざわめく。
ディランが、ちょうどいい声量で言った。
「ほらね。監察局は敵だ。職人の誇りを潰しに来た」
——整える。
でも今夜は、こちらにも“像”がある。
檻の老人。施療院の寝台。停鐘。二重印。
モグは担架で運ばれ、門の外にいる。顔は青いが目は生きている。
彼がかすれ声で言った。
「……若造……言え……炉は誰のためだ……」
俺は鞘を握り、前に出た。
「炉は——守るためにある」
職人たちのざわめきが、一瞬だけ止まる。
鍛冶師にとって、炉は武器じゃない。
生活だ。
仕事だ。
誇りだ。
俺はバルドーを見る。
「俺を除名したのは、剣が折れたからじゃない。最初から決まってた。除名手続きの日付が、折れる前日だった。——証拠は監察局が押収した金属板に刻んである」
職人の一人が叫ぶ。
「金属板なんて偽造だ!」
俺は頷いた。
「そう言うと思った。だから“偽造できない癖”も残した。留め具の傷、酸化膜、筆圧、欠けた印。鑑定すれば逃げられない」
ミレイが一歩前に出て、封蝋された証拠片を掲げた。
「二重印です。監察局と鍛冶師刻印。星屑銀の波形も残してあります。改竄すれば崩れます」
“改竄できない”という言葉は、職人に刺さる。
鍛冶師は嘘を嫌う。
嘘を嫌うから、鉄を叩く。
ディランが肩をすくめた。
「なるほど。じゃあ次は“意味”だ。君が正しくても、君が危険なら排除される」
彼が指を弾いた。
ギルドの炉室の方から、低い振動。
ゴウン、と鉄が鳴く。
回路が動いた。
「……回収派の鍵刻印」
エリシアが低く言った。
「ギルドの本炉を使って、聖剣の“適合者拘束”をやるつもり」
ディランが笑う。
「そう。君が守る炉を使って、君を縛る。綺麗だろ?」
綺麗じゃない。
汚い。
炉は守るためのものだ。
だから——奪い返す。
俺たちは炉室へ走った。
ギルド本炉。巨大な炉。送風の鎖。火床の鉄格子。刻印盤。
床の中央に、鐘楼と同じ円盤がある。黒蝋の溝。鍵刻印。星屑銀粒。導線は炉の鉄骨へ伸び、建物全体へ回っている。
ディランはここで作った。
宗教の裁きじゃなく、職人の誇りを燃料にする回路を。
職人たちが集まり、ざわめく。
「何をしてるんだ!」
「炉に触るな!」
ディランが声を張る。
「見て。監察局と異端が、ギルドの炉を壊しに来た!」
——失敗したら、職人が敵になる。ギルドが暴れる。世論が逆転する。
俺は息を吐き、声を張らずに言った。
「壊さない。直す」
その一言が、空気を少しだけ変えた。
鍛冶師は“壊す”より“直す”を信じる。
俺は刻印盤の前に膝をついた。
視界の表示。
★目的:本炉刻印盤の鍵刻印を無効化し、回路を“生活用”へ戻す
★条件:増幅点のみ潰す/二重印で固定(公的証明)
★リスク:炉の暴走(火災)/剣の誓約逸脱
誓約は焼かせない。
つまり、暴走もさせない。
俺は鞘の銀線に指を滑らせ、聖火反転の熱を“温度だけ”流した。
炉の火は消さない。生活の火は残す。
黒蝋の溝の増幅点——鍵刻印の段差だけを、削り針で浅く削る。
カリ。
カリ。
ディランが、すぐ後ろで囁く。
「君はいつもそうだ。壊さない。だから負ける」
「負けない」
俺は答えた。
「壊さないから、逃げられない証拠が残る」
最後の増幅点を削った瞬間、回路の振動が弱まった。
だがディランが指を弾く。
重り。
炉の鉄格子が軋み、火が一瞬だけ強くなる。
職人たちがどよめく。
「危ない!」
「火が跳ねた!」
ディランが声を張る。
「ほら! 異端が炉を暴走させた!」
——整えようとしている。
俺は焦らない。
焦った瞬間、誓約が歪む。
俺はレグルスを抜いた。
攻撃のためじゃない。
“芯”にして収めるため。
刃を床に突き立てる。
白い光は出ない。熱も出ない。
ただ、空気が落ち着く。
炉の跳ねた火が、刃に触れて温度へ沈む。
暴走が止まる。
職人たちのざわめきが、恐怖から驚きへ変わる。
「……止めた?」
「火が……落ち着いた……」
ディランの笑みが消える。
エリシアが叫ぶ。
「見たでしょう! 彼は炉を守った! 暴走させたのは回路の付与よ!」
ルシアンがバルドーへ向けて命じた。
「ギルド長バルドー。炉室刻印盤の監察局押収に協力しろ。拒否すれば——回収派と同罪だ」
バルドーが歯を噛む。
逃げ道がない。
職人たちの視線が、バルドーへ向く。
誇りの矛先が、ようやく“本当の歪み”へ向かう。
ディランが静かに拍手した。
「綺麗だね。君は正義になった」
彼は指輪を外し、床へ落とした。
カラン、と小さな音。
鍵刻印の指輪。
「でも、正義になった瞬間、君は選ばれる側になる」
ディランが指を立てる。
最後の重り。
狙いは——俺じゃない。
職人たちの足元。
炉の近くにいる者たちを倒し、混乱を作り、剣を奪うための混沌。
俺は息を吸い、誓約を思い出した。
誰も焼かせない。
誰も潰させない。
俺は刃を引き抜き、床を斬らずに“空気”を払った。
火じゃない。
温度の波。
重りの圧を、横へ逃がす。
職人たちの膝が沈むのが止まり、倒れない。
ディランの目が見開かれる。
「……それも、できるの?」
「できる。守るって決めたからだ」
ルシアンが飛び込み、ディランの腕を捻る。
「拘束!」
札が貼られる。銀十字。
ディランが一瞬だけ笑った。
「やっと捕まえた?」
だが、その笑みはすぐ消えた。
真偽札がない場所でも、今は“目撃”と“証拠”が揃っている。
逃げ道が、ない。
ヴァルターがディランを見下ろす。
「ディラン。回収班との共謀、封蝋回路の設置、世論煽動による暴動誘発。——正式審問にかける」
ディランが肩をすくめた。
「審問? いいよ。僕は整えるのが好きだから。審問の場も、整えてあげる」
俺は言った。
「整えられない。もう刻んだ」
俺は床の刻印盤に、最後の封蝋を落とした。
監察局の印。
鍛冶師の印。
二重印。
そして星屑銀の波形。
逃げられない刻印。
モグのかすれ声が、入口の方から聞こえた。
「……若造……最後の刻印……押せたか……」
「押した」
俺は答えた。
「炉は守りのためにあるって、刻んだ」
エリシアが静かに言う。
「レイン・グラントの除名は無効。——正式審問の結論として、公に撤回される」
ルシアンが短く続ける。
「ギルドと聖堂の癒着、回収派の侵入は、監察局が公開する。……闇のまま固めない。割って叩き直す」
ヴァルターが頷いた。
「記録は残る。誰も消せない形で」
ミレイが封蝋を抱え、笑いながら泣いていた。
「……残せました。燃やせない、形で……!」
ディランが、初めて小さく息を吐いた。
悔しさじゃない。
どこか、諦めに似た吐息。
「……君は、僕と違うね」
「違う」
俺は鞘に手を置いた。
「俺は“使う”ために打たない。——守るために打つ」
レグルスが、静かに脈打った。
『……適合者、確定』
夜が明ける前、ギルドの炉はいつもの音に戻った。
油の匂い。鉄の匂い。生活の匂い。
裁きの鐘も、浄化の火も、もう道具にはならない。
最後に残ったのは、二重印の刻印と、守りの誓約。
そして、俺の手にある——静かな炉。
物語はここで終わる。
けれど、鍛冶は明日も続く。




