選ばせる罠、守る誓約
鐘楼からの停鐘が広場の熱を冷ました直後、街は静かに“割れ始めた”。
怒号が消えたわけじゃない。正義の行き場が、二つに分かれただけだ。
「監察局が嘘をついている!」
「いや、鐘が仕掛けだったのは本当だ!」
人が揉める。揉めるうちは、刃にならない。だが揉めた先に、また別の刃が生まれる。
ルシアンが、階下の動きを確認しながら息を吐いた。
「公示班が広場の中央を押さえた。今夜は持つ。……問題は“次”だ」
エリシアが頷く。
「ディランが言っていた。『守る相手を選ばせる』」
ミレイが不安そうに言う。
「……人質、ですか?」
「可能性が高い」
ルシアンは即答した。
「世論が揺れた今、次は“感情の一本化”が必要になる。一本化するなら、一番早いのは——」
「犠牲者」
俺が言った。
鞘の中でレグルスが静かに脈打つ。
『……守りは、試される』
視界に表示が浮かぶ。
★目的:選択強要(人質・火種)の回路を断つ
★条件:人質の確保/証拠の固定
★リスク:選べば誓約が歪む(剣の喪失)
失敗したら、“救えなかった”じゃ終わらない。誓約が折れて、剣が黙る。
ディランの狙いはそこだ。
剣を奪うんじゃない。剣が俺を捨てる状況を作る。
監察局の公示が広場を押さえた隙に、俺たちは鐘楼を降り、裏の通路へ滑り出た。
路地の角に、白ローブの使者が立っていた。
監察局の紋。
ルシアンが警戒しつつ近づく。
「第二班、ルシアン。用件は」
使者は紙片を差し出した。封蝋は赤い。銀十字。——だが角が欠けている。
欠け。
“急造”の命令だ。
ルシアンが紙片を読む。
顔色が変わるのが分かった。
「……聖堂が“慈善施療院”を封鎖した。『異端の影響が及んだ』と」
エリシアが目を細める。
「慈善施療院……」
ミレイが息を呑む。
「孤児と病人がいる所……!」
俺の胸の奥が冷えた。
そこは、モグが以前言っていた場所だ。“炉の外の生活線”が集まる所だと。
ルシアンが続ける。
「封鎖理由は“感染”と“異端審問の保全”。——要するに、誰も近づけない」
エリシアが低く言った。
「近づけない場所で、何かを起こす」
俺は鞘を握り、導きを読む。
敵意の線が一本、聖堂とは別方向へ伸びた。街の西、低い建物の密集する区域。
慈善施療院の方角。
「行く」
俺が言うと、ルシアンが頷いた。
「行く。ただし、突入は——」
「失敗したら何が起きるか、分かってる」
俺は先に言った。
「そこが燃えたら、街は一つになる。“異端は病人と子供を焼いた”ってな」
ミレイの顔が青くなる。
エリシアが歯を噛む。
「だから燃やさせない。焼かせない。……あなたの誓約の出番ね」
俺は短く頷いた。
慈善施療院は、街の西端にあった。
石造りの低い建物。窓は板で打ち付けられ、入口には聖堂の札が貼られている。
札の文言は“浄化”。
浄化は、火を意味する。
入口の前に、聖堂護衛が四人。だが顔が見えない。面。——回収班の動きだ。
「混ぜてる」
ルシアンが低く言う。
「聖堂の権威で封鎖し、実行は回収派。……証拠が欲しいほど露骨だ」
エリシアが囁く。
「中に人がいる。息の匂いがする。……生きてる」
ミレイが震える。
「助けないと……」
「助ける」
俺は鞘を握り直した。
だが“突入して剣を振る”のは、ディランの思う壺だ。
誓約で縛られた俺が、焦って抜けば折れる。
だから、鍛冶でほどく。
俺は足元の鉄釘を一本拾い、指で折って薄くした。削り針。
それを壁の端に差し入れる。木板の留め金具——鉄。
聖火反転の熱を一滴。温度だけ。
留め具の噛み合わせが緩む。
カチ。
板が、音なく外れる。
そこから、星屑銀の糸を通した。受け皿。魔力の直触れを薄める。
エリシアが札を添え、結界の“目”をずらす。
「今なら見えない」
ルシアンがミレイを促す。
「中へ。救護優先。騒がせるな」
ミレイが頷き、するりと中へ滑り込んだ。
俺とエリシア、ルシアンも続く。
中は暗い。
薬草の匂い。汗の匂い。恐怖の匂い。
寝台が並び、子供の小さな咳が聞こえた。
生きてる。
だが、中央の広間だけが異様に明るい。
白い火。
灰の壇と同じ匂い。裁きの火だ。
広間の床には、円形の溝。祈り灰。封蝋。鍵刻印。
そしてその中心に——鉄の檻。
檻の中に、人がいた。
モグ。
老人が、鎖で縛られ、座り込んでいた。
胸が鳴った。怒りじゃない。焦りだ。ディランが“選ばせる相手”を、俺の生活線から引き抜いた。
モグが顔を上げ、俺を見て笑った。
「……若造……来ると思った……」
「喋るな」
喋れば咳が出る。咳は火を煽る。
その檻の横に、ディランが立っていた。
白い手袋。鍵刻印の指輪。笑み。
「おかえり、レイン」
ローデンもいた。奥の影。祈りの姿勢。冷たい目。
ディランが穏やかに言う。
「選んで。君の誓約は『誰も焼かせない』。なら簡単だよね」
指が動く。
床の溝が光る。白い火が檻へ伸びる。
「モグを守るなら——聖樹の封印を解いて。君の剣でね」
息が止まった。
聖樹。
解けば暴走する。街が燃える。だがモグは助かる。
「聖樹を守るなら——モグは焼ける。裁きの火は群衆が支える。止められないよ?」
エリシアが怒鳴った。
「ディラン! 人質を——」
「シスター、叫ぶと火が強くなるよ」
ディランが優しく言う。
「ほら、君も“守りたい”でしょ?」
——選択強要。
誓約を歪ませる罠。
俺は鞘を握り、導きを読む。
火の線。
鍵刻印の増幅点。
そして檻の鎖の鉄。
守る相手を選べ?
違う。
守り方を選ぶ。
俺は静かに息を吐いた。
「……選ばない」
ディランの眉がわずかに動く。
「選ばない?」
「両方守る」
俺は鞘の銀線に触れ、聖火反転の熱を“白”へ合わせた。
抜かない。
抜かなくても、鞘は蓋だ。
鞘先を床の白い火の線へ当てる。
白が橙へ落ち、橙が温度へ沈む。
火の勢いが、一瞬弱まった。
ディランが舌打ちする。
「それ、間に合わないよ。回路が複数だ」
「知ってる」
俺は床の溝の“鍵刻印”部分へ目を向けた。
鐘楼と同じだ。増幅点だけ潰せば、火は生きても“伸びない”。
俺は折った釘の削り針を取り出し、溝の鍵刻印に当てた。
聖火反転の熱を一滴。蝋を溶かす温度だけ。
カリ。
溝が浅くなる。増幅点が崩れる。
白い火が檻へ届きかけて、途切れた。
モグが咳き込み、笑った。
「……へへ……若造……“ほどく”ってやつか……」
「黙ってろ」
ディランの声が低くなる。
「君さ、ほんとに僕のシナリオを壊すね」
ローデンが杖を上げる。
「異端! 裁きは——」
エリシアが札を叩きつけた。
「監察局正式審問の名の下に拘束! ローデン、あなたは——」
「名など!」
ローデンが叫び、白い火を直接飛ばした。
俺は鞘で受ける。痛みを温度へ落とす。だが連続はきつい。掌が痺れる。
失敗したら、モグが焼ける。街が燃える。誓約が折れる。
——だから、ここで決める。
ルシアンがディランへ飛びかかろうとした瞬間、床が沈んだ。
重り。
ディランが仕込んだ“付与”だ。
「規程で殴る人、止まって」
ディランが笑う。
「ここは僕の工房だよ」
俺は歯を食いしばり、最後の増幅点を削った。
カリ、カリ。
白い火が、檻の周りで迷い、伸びなくなる。
エリシアが叫ぶ。
「今! ミレイ!」
暗がりからミレイが飛び出し、檻の錠へ札を貼った。
「解除!」
カチン。
檻が開く。
ミレイがモグを支え、後ろへ引く。
ディランが目を細める。
「……いい。じゃあ次の選択」
彼が指を弾いた瞬間、床の溝が一斉に光った。
増幅点だけじゃない。溝全体が“回収派の鍵”で繋がる。
——暴走じゃない。
閉じ込め。
建物を“炉”にするつもりだ。
ローデンが低く祈る。
「この場を浄化する」
白い火が、天井へ伸びる。
木の梁が鳴く。子供の咳が止まる。静かすぎる。
——息が奪われる前兆。
視界の端に表示が弾けた。
★目的:施療院全体の“炉化”を阻止
★条件:鍵回路の“中枢”を断つ(盤)
★リスク:建物ごと焼却/群衆が「浄化」を正義化
失敗したら、ここは焼ける。子供が死ぬ。街はそれを正義として飲み込む。
ディランが笑った。
「さあ、レイン。守りたい人、増えたね」
俺は鞘を握り、低く言った。
「増えてない。……最初から全部だ」
そして、決める。
次の二話で終わらせるための“台”を作る。
「ルシアン、エリシア」
俺は叫んだ。
「ここを“公の場”にする。扉を開けろ。外に見せる。——浄化のふりをした人質と火だって」
エリシアが一瞬だけ目を見開き、すぐ理解して頷いた。
「世論の土俵を、ここに引きずり出す」
ルシアンが歯を噛む。
「……規程で殴れる形にする。やる」
ディランの笑みが、初めて揺らいだ。
「外に……見せる?」
ローデンが叫ぶ。
「見せるな!」
でも遅い。
エリシアの札が入口の封鎖札を剥がし、ルシアンが扉の閂へ手をかける。
外の夜気が、広間へ流れ込んだ。
同時に——外の松明の光と、人の声が、ここへ届いた。
広場の迷った正義が、次の“像”を求めている。
そこへ、この光景が差し出される。
白い火。
檻。
老人。
子供の寝台。
ディランの“型”よりも強い像だ。
——真実の像。
レグルスが鞘の中で静かに脈打った。
『……次で、裁け』
最終決戦の舞台が、今ここに整った。




