停止鐘、公開の刻印
扉が外から叩かれた。
ドン、ドン。
木が鳴く音じゃない。札が裂ける音だ。こじ開ける気で来ている。
ルシアンが階段の上を見た。
「上からも来る。……挟まれるぞ」
エリシアが即答する。
「だから先に“固定”する。証拠を失えば、ここで捕まった瞬間に物語が整えられる」
ディランの声が、暗がりから笑う。
「そうそう。“異端が鐘楼で儀式を壊して捕まった”ってね」
俺は盤を見下ろした。黒蝋の溝。鍵刻印。星屑銀の粒。——全部、形にして残せる。
視界に表示が浮かぶ。
★目的:封蝋回路の“鍵刻印”を記録し、改竄不能にする
★条件:二重印(監察局+鍛冶師)+星屑銀の波形保持
★リスク:拘束されれば「異端の証拠」に反転される
――失敗したら、鐘を止めても“正義”に殺される。
だから、今ここで“逃げられない証拠”にする。
「ミレイ」
俺は短く言った。
「封蝋。札。記録札も」
「はい!」
ミレイが小袋を開き、封蝋棒と刻印を出す。手は震えているが、動きは早い。役割がもう体に入っている。
エリシアが扉へ向けて札を投げた。
「――遅延」
白い膜が扉の隙間を塞ぎ、衝撃の音が半拍鈍る。壊れなくなるわけじゃない。時間を買うだけ。
ルシアンが階段へ向けて構えた。
「来たら、拘束優先。致命傷は避ける」
「分かってる」
俺は盤の溝の一部に、星屑銀の糸を軽く当てた。さっき抜いた粒が、糸にまだ残っている。そこへ封蝋を垂らす。
聖火反転の熱を“蝋が溶ける温度だけ”落とす。
じわ、と黒蝋が柔らかくなる。
ミレイが監察局の銀十字刻印を押した。
コツ。
次に俺が、鍛冶師の刻印を重ねる。
コツ。
二重印。
そして最後に、溝の中の“鍵刻印”が削られている部分へ、星屑銀の粉をほんの一息混ぜて押さえる。
これで、魔力の波形が封蝋に残る。偽造するなら同じ波形が必要になる。
ディランが小さく息を吐いた。
「……その手、ほんと嫌い」
「効くからだろ」
俺は溝の別箇所にも同じ処理を施す。盤全体を封印するんじゃない。“増幅点”だけを証拠に固定する。
エリシアが低く言った。
「回収派の鍵刻印がある。これが出れば、聖堂は言い逃れできない」
「ギルドもな」
ルシアンが短く返す。
ディランが笑い声を落とす。
「言い逃れ? 誰に? 群衆に? 群衆は“理解”じゃなく“型”で動くんだよ」
扉がまた叩かれる。
ドンッ!
膜が裂ける音がした。
「時間がない」
ミレイが震える声で言う。
「固定、あと一箇所……!」
「やる」
俺は最後の封蝋を、鐘へ伸びる導線の根元に垂らし、二重印を押した。
コツ。
これで、盤と鐘が“つながっていた”証明になる。
扉が破れた。
外気と一緒に、松明の匂いが流れ込む。
聖堂護衛が二人、そして黒い影が一つ――回収班。
「異端! 鐘を止めたのは貴様らか!」
護衛の声は怒りで割れている。
ディランが、ちょうどいい声量で言った。
「そう見えるよね」
——整える。
こいつは、敵の台詞すら整える。
ルシアンが一歩前へ。
「監察局第二班。正式審問の現場検証だ。貴様らの突入は公務執行妨害——」
「監察局が聖剣を奪ったと聞いた!」
護衛が叫ぶ。背後の廊下から、さらに足音。群衆の気配が近い。
エリシアが札を掲げる。
「撤退命令は出ていない。ここは封鎖対象——」
「封鎖? 異端が封鎖だと?」
言葉が通らない。正義が耳を塞ぐ。
失敗したら、この場で“異端”が完成する。
俺は鞘を握った。抜かない。抜けば相手の物語に入る。
代わりに——鐘楼そのものを、こちらの拡声器にする。
「ルシアン、エリシア、ミレイ」
俺は低く言った。
「上へ。鐘の横に出る。群衆に“見せる”」
「正面に出れば囲まれる」
「囲まれる前に、型をひっくり返す」
ディランが笑った。
「やってみてよ。群衆の前で」
俺は鞘の銀線に、ほんの一滴だけ熱を通した。
聖火反転。白にも届く温度。
——火じゃない。音の“痛み”を温度に落とす。
鐘楼の中の鉄が、微かに共鳴した。
カン、と鳴らさない。鳴る手前の震えだけを作る。
すると、階下の護衛の足が一瞬止まった。
「……なに?」
不快な痺れ。耳鳴り。怖さじゃなく“体が止まる”違和感。
その半拍で、俺たちは階段を駆け上がった。
鐘の横、外のバルコニーに出た瞬間、冷たい夜風が頬を叩いた。
眼下——広場は人で埋まっている。松明の海。十字の旗。怒号のうねり。
だが、鐘が止まっているせいで、その怒りは“揃っていない”。
ざわざわしている。迷っている。
エリシアが前へ出て、声を張った。
「監察局だ! 宣告鐘は“仕掛け”だった! 今から証拠を示す!」
罵声が返る。
「嘘だ!」
「異端の仲間が何を言う!」
ルシアンが一歩前に出る。声は大きくないのに、通る声。
「正式審問が開始された。聖堂の宣告は手続き違反。——今、鐘楼内部から“鍵刻印”の回路を押収した」
ディランが階下から、わざと聞こえるように言った。
「見せてみなよ。君たちの証拠を」
——見せる。
俺は盤から切り取らずに固定した封蝋を、薄い鉄板ごと外して持ってきていた。星屑銀の波形を残した“証拠片”。
ミレイがそれを掲げる。二重印が月明かりを反射した。
「監察局印と、鍛冶師刻印の二重。改竄すれば波形が崩れます!」
群衆が、少しだけ静かになる。
だが決定打が足りない。
“型”を変えるには、もう一つ——この場で分かるものが要る。
俺は鞘を握り、鐘の縁に手を当てた。
鳴らさない。
鳴らすなら、裁きの鐘じゃなく、停止の鐘として。
監察局には、災害や暴動を止めるための“停鐘”の打ち方がある。ルシアンが、前に言っていた。
俺はルシアンを見る。
「停鐘の型、教えろ」
ルシアンが一瞬目を見開き、すぐ頷いた。
「三短、二長。——“停止命令”だ」
俺は鞘の銀線に熱を一滴だけ通し、鐘の振動を“痛みから温度へ”落とした。
叩く。
鳴らす。
でも、焼かない。煽らない。
コン、コン、コン。
ゴォン、ゴォン。
宣告の鐘じゃない。
停止の鐘。
広場のざわめきが、目に見えて落ちる。
人の怒りが、揃う前にほどける。——温度に落ちた。
ディランの声が、初めて苛立ちを帯びた。
「……その使い方、ほんと最悪」
その瞬間、広場の端から白い一団が入ってきた。
監察局の公示班。銀十字の旗。巻物。
先頭の男が、声を張る。
「正式審問の布告! 聖堂の宣告は停止! 鐘楼の回路は押収対象!」
群衆が揺れる。
正義の矛先が、迷い始める。
——土俵が動いた。
ルシアンが低く息を吐いた。
「……間に合った」
エリシアが群衆を見下ろし、冷たく言った。
「これで“異端”の型は崩せる。あとは——ローデンとディランの型を崩す」
階下で、回収班の影が後退した。護衛も、監察局の旗を見て動きが鈍る。
そしてディランは、笑って言った。
「いいね。今日は君たちの勝ちにしてあげる」
いつもの言い方。次の罠の予告。
「でも——レイン。君は“守る”を選んだ。なら次は、“守る相手”を選ばせるよ」
その言葉だけ残して、影が引いた。
逃げた。追えば乱れる。今夜は追わない。
俺は鞘を握り、息を吐いた。
鐘楼の風が冷たい。
でも、街の温度は少し下がった。




