炉のない鍛冶
第二話 炉のない鍛冶
王都の夜は、暖かい場所と冷たい場所がはっきり分かれている。
灯りが溢れる大通りの裏側――城壁沿いの薄暗い路地には、炊き出しの煙と、湿った布の匂いと、人の諦めが漂っていた。
俺はその中を、錆びた刃を布で包んで抱えながら歩く。
誰にも見せたくなかった。奪われたのは工房だけじゃない。鍛冶師としての“誇り”も、薄皮一枚で繋がっている。
「……まずは寝床、だな」
腹も減っている。だが今は、食い物より火が欲しい。
鍛冶師にとって火は命だ。
工房を没収された俺に残っている火は――胸の奥の、消えかけのやつだけ。
路地の奥、錆びた看板を掲げた店があった。
《モグ鉄屑商会》
鉄屑の山のような店先で、痩せた老人が帳簿をめくっている。目は鋭い。指は鉄粉で黒い。鍛冶に関わってきた人間の手だ。
「……客かい? 夜中に変わってるね」
「寝床を探してる。あと……道具。小さい金床と、槌が欲しい」
老人は俺を上から下まで見て、鼻で笑った。
「寝床はわからんが、道具ならある。だが金は?」
俺は小袋を握った。中身は、情けないほど軽い。
「……あるだけでいい」
「なら、裏に来な」
店の裏は、まるで鍛冶師の墓場だった。折れた剣、曲がった槍、穴の空いた鎧、欠けた金床。どれも“終わった物”のはずなのに、俺には声が聞こえる。
――まだ使える。
――ここが弱い。
――叩けば応える。
老人は小ぶりの金床を足で転がし、槌を二本投げてよこした。
「この金床は欠けてる。槌も柄が割れかけだ。素人には売れん」
「俺は素人じゃない」
言った瞬間、自分の言葉に少しだけ救われた。
老人が目を細めた。
「……ほう。鍛冶師か」
「元、な」
老人は肩をすくめ、値段を言った。ぼったくりじゃない。むしろ安い。
「運が良かったな。俺は“火が好きな顔”を見逃さない。代わりに――」
老人が、俺の抱えている布包みを顎で示す。
「それは何だ? 剣か?」
一瞬迷った。だが、隠しても始まらない。
「……廃材捨て場で拾った。ガラクタだ」
老人の目が、ほんのわずかに光った。
「見せろ」
布を解いた瞬間、老人の鼻がぴくりと動く。
「……錆の匂いじゃないな。これ、何か混ざってる」
俺も同じことを感じていた。
重さ。密度。鉄なのに鉄じゃない“響き”。
「買い取る気か?」
「いや。売るな。こんなもんは、売った瞬間に後悔する」
そう言い切った老人は、棚の奥から古い石炭袋を引っ張り出して投げてよこした。
「少しだけ分けてやる。代わりに、今夜は倉庫の端を貸す。雨はしのげる」
「……助かる」
「礼はいい。俺は“面白い火”に餌をやるのが好きなだけだ」
老人――モグはそう言って、店の奥へ戻った。
倉庫の端は、確かに寝床にはなる。だが俺は寝なかった。
敷き藁もない床に金床を置き、槌を握る。
火はない。炉もない。鞴もない。
それでも、俺の中の鍛冶師が言う。
――やれ。
「……まずは、錆を落とす」
刃を膝に乗せ、砥石代わりの荒い金属片で擦る。
ギリ、ギリ、と嫌な音。錆が粉になって落ちる。手が黒くなる。指の皮が擦り切れる。
だが、刃の“芯”は嫌がらない。むしろ、擦るたびに何かが目を覚ますように、微かに温度が上がる。
おかしい。
金属は、擦れば熱を持つ。けどこれは――擦った場所だけじゃなく、全体が均一に温まる。
「……生きてる、ってことかよ」
鍛冶師の迷信みたいな言葉が、現実味を持ってしまう。
さらに錆を削ると、根元に刻まれた古い文様が姿を現した。
複雑な線。だが、どこか“整いすぎている”。
――人工物というより、祈りの形。
そして、その中心に。
「……やっぱり、“聖”か」
昨日見えた一文字だけじゃない。続きがある。
錆で読めない部分も多いが、確かに刻まれている。
この刃は、ただの鉄屑じゃない。
俺は息を吐き、槌を置いた。
次は火だ。
火がないなら、作る。
……いや。
鍛冶師なら、火を“呼ぶ”。
俺は刃を両手で挟み、目を閉じた。
子どもの頃から、鉄の声が聞こえていた。
熱が足りないときは、炎が「薄い」と囁く。
叩きすぎると、鉄が「痛い」と鳴く。
なら――この刃は、今、何と言っている?
『……返せ』
幻聴じゃない。確かに、胸の奥で言葉になった。
同時に、指先が痺れる。
刃の内部から、何かが“振動”している。
俺は理解した。
これは魔力だ。
鍛冶師が使う付与魔術のそれじゃない。もっと原始的で、もっと純度の高い――“聖”の魔力。
「……俺に、何をさせたい」
『……火を、戻せ』
刃が、そう求めている。
俺は、歯を食いしばった。
炉がない。だが、俺には魔力がある。
鍛冶師の魔力は、本来、火に乗せて使う。付与も焼き入れも、魔力は“炎の媒介”があって初めて安定する。
でも。
俺は昔、一度だけやったことがある。
炉の火が消えた夜、納期が迫っていて、どうしても温度が要った。
俺は鉄に直接、魔力を流し込んだ。
結果は――成功。
ただし、ギルドの幹部に見つかって叱られた。
「邪道だ」「事故る」「鍛冶師の仕事じゃない」
……今思えば、あいつらは怖かったんだろうな。
俺が“炉の外”で火を扱えることが。
「……やってやるよ」
俺は刃へ、魔力を流した。
最初はじわり、と。
次に、ぶわっと。
冷たい錆の刃が、ゆっくりと、確かに温かくなる。
赤くはならない。煙も出ない。だが、内部から熱が生まれている。
まるで、刃自身が炉になったみたいに。
俺は震える手で槌を握り、金床に刃を置いた。
「――起きろ」
カン。
最初の一撃は、普通の音だった。
だが二撃目。
カン――ン、と音が伸びた。
金属音なのに、鈴のように澄んでいる。
そして三撃目。
倉庫の空気が、一瞬、張り詰める。
刃から淡い光が漏れた。
錆の下に眠っていた文様が、線そのものから淡く輝き始める。
モグが奥から飛び出してきて、目を剥いた。
「お、おい! 何を――」
その言葉が途中で止まった。
彼の視線が、刃の光に釘付けになっている。
俺も同じだった。
光は強くない。だが、見た者の心臓を掴んで離さない“格”がある。
刃の根元に刻まれた古代文字が、錆の膜を内側から押し退けるように浮かび上がった。
読める。
今度は、はっきり読める。
『聖剣――レグルス』
名前だ。
……聖剣の、名前。
モグが、かすれた声を出した。
「……嘘だろ。聖剣なんて……教会の宝物庫か、英雄の墓にしか――」
「廃材捨て場に落ちてた」
「……あり得ん」
だが、目の前で光っている。
あり得ないのは、現実のほうだ。
その瞬間。
刃が、俺の掌の中で“脈打った”。
熱が、魔力が、まるで血液みたいに巡る。
頭の奥に、言葉にならない圧が流れ込む。
そして――聞こえた。
『鍛冶師よ』
俺は息を呑む。
『選べ。折れて終わるか。鍛え直して、立ち上がるか』
そんなの、選ぶまでもない。
「……立ち上がる」
答えた瞬間、刃の光が一段強くなった。
次いで、俺の視界の端に、あり得ないものが浮かぶ。
文字だ。
透明な板に刻まれたみたいな、淡い表示。
――《聖剣修復(未完)》
――《適合者:レイン・グラント》
――《権能:封印中》
「……なんだ、これ」
モグが唾を飲む音が聞こえた。
「おい、若造……今、何か見えたか」
「……見えた」
俺は刃を見つめたまま、ゆっくり頷く。
ガラクタじゃない。
これは、俺を選んだ。
そして――俺に“鍛え直せ”と言っている。
工房を奪われた鍛冶師に。
炉を奪われた鍛冶師に。
それでも火を捨てない鍛冶師に。
俺は槌を握り直した。
「モグ。もう少しだけ、場所を貸してくれ」
「……何をする気だ」
俺は笑った。久しぶりに、ちゃんと笑えた気がした。
「聖剣を、鍛え直す」
そして、その先にあるものを思う。
――ディラン。
――バルドー。
――俺から全部奪った奴ら。
まずは、この刃を“剣”に戻す。
話はそれからだ。




