証拠の火、宣告の鐘
聖樹の白い光が沈むと、庭の静けさが逆に怖くなった。
赤い火も、白い火も消えたわけじゃない。“収まった”だけだ。炉の中に入って、蓋をされた状態。蓋が外れれば、また暴れる。
エリシアはすぐ動いた。
銀の札を四方へ投げ、結界の裂け目を縫う。裂け目から逃げたローデンとディランの“痕跡”を塞ぐというより、これ以上の侵入と暴走を防ぐための縫合だ。
「ミレイ、聖樹の根元。触れるな。札だけ貼れ」
「はい……!」
ミレイは震えながらも走り、根元の祈り札の上から監察局の札を重ねていく。
ルシアンは息を整えつつ、庭の周囲を見回した。
「回収班の残党、二。逃走」
「追わない」
エリシアが即答する。
「追えば結界が乱れる。……今夜の目的は“追撃”じゃない。“固定”よ」
固定。
さっきまで保管庫でやっていたことを、今度は現場でやる。
俺は鞘に収まったレグルスを握り、息を吐いた。第二段階の反転の余熱が掌に残っている。熱いのに、痛くない。怖いのに、落ち着く。
ふと、視界の端に表示が浮かんだ。
――《権能:聖火反転・白》
――《副作用:誓約の拘束》
――《警告:破れば喪失》
誓約の拘束。
守るために打つ、と言った。
破れば失う。
……剣は約束に厳しい。
エリシアがこちらへ来る。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない。でも折れてない」
「それで十分」
彼女がそう言った直後――庭の外から、鐘が一段高く鳴った。
ゴォン。
聖堂の鐘だ。さっきまで群衆を煽っていた鐘と同じ音。だが今の鳴り方は違う。煽りではなく、宣告。
ルシアンが眉を動かした。
「……“宣告鐘”」
ミレイが息を呑む。
「裁判の鐘……」
エリシアの顔色が、ほんの少しだけ変わった。
「ローデンが、先に“裁き”を始めた」
俺の喉が乾く。
「裁き?」
エリシアが短く言う。
「異端審問。聖堂が“異端”と断じた者を、公衆の前で裁く儀式。……形だけでも始めれば、街は逆らえない」
俺は舌打ちしたくなった。
結界が乱れたのはここだけじゃない。街全体が乱れる。
ローデンは、聖樹の暴走が止まったのを見て、即座に次の土俵へ移った。
――群衆の土俵。
逃げたんじゃない。場所を変えただけだ。
「対象は誰だ」
俺が問うと、ルシアンが低く答えた。
「お前だ。……そして、エリシアだ」
ミレイが震える。
「そんな……監察局が“聖剣を確認した”のに……」
「確認したのは監察局内部」
エリシアが冷たく言う。
「街は知らない。聖堂が先に“異端”を叫べば、街の正義はそっちへ傾く」
ルシアンが顔を上げる。
「だからこそ証拠を“公表”する。審問台で昇格した正式審問――その権威で、聖堂の宣告を潰す」
エリシアが頷く。
「ヴァルターが動いているはず。私たちはそれまで――」
その瞬間、庭の外壁が震えた。
ゴン、と鈍い衝撃。石に何かが当たった音。
続いて、紙が裂ける音。札が剥がれる音。
――外から叩かれている。
ルシアンが走って壁の上へ上がり、覗き込んだ。
「……群衆だ。聖堂前の人間がこっちへ流れてきた。……誰かが誘導した」
誘導。
ディランだ。あいつは群衆の流れも“整える”。
エリシアが歯を噛む。
「ここが見つかれば、聖樹が危険。……守りながら撤退するしかない」
撤退。
また逃げるのか?
違う。守りながら移動する。炉を守る移動だ。
俺は鞘を握り、言った。
「証拠を残す。ここで起きたことを、残せばいい」
エリシアが眉を上げる。
「どうやって?」
俺は庭の灰の溝へ目を向けた。
祈りの灰。火の線。結界の裂け目。ディランの付与が混じった歪み。
全部、“痕”だ。
鍛冶師のやり方は一つ。
形にして残す。
「ミレイ。封蝋、ある?」
「……あります。札の予備と、封蝋棒も」
「それを貸せ」
俺は封蝋棒を受け取り、聖火反転の熱を指先に落とす。火を出すんじゃない。蝋を溶かす温度だけを作る。
溶けた封蝋を、灰の溝の節目に落とす。
火の線が通っていた場所。
結界が歪んでいた対角。
白い光が噴き出した幹の傷。
そこへ、監察局の刻印を押す。
銀十字の印。
さらに、俺は鞘の銀線を指でなぞり、星屑銀の粉をほんの少しだけ封蝋に混ぜた。
封蝋が、淡く光る。
「……これが何になるの?」
ミレイが小さく問う。
「“現場封印記録”だ」
ルシアンが理解したように言う。
「封蝋は改竄に弱いが、星屑銀が混じっていれば――魔力の波形が残る。偽造が難しい」
「そういうこと」
俺は頷き、最後に封蝋の上へ、もう一つ刻印を押した。
鍛冶師ギルドの刻印――俺の古い刻印。
今は除名者だ。だが刻印は消えない。
「……二重印」
エリシアが息を呑む。
「監察局と鍛冶師の共同記録。……これは強い」
俺は言った。
「俺がここにいた証明。ローデンがここで何をしたかの証明。ディランの付与が混じってた証明。全部、燃やせない形で残す」
それは、証拠の火だ。
火で焼くんじゃない。
火で刻む。
外壁の衝撃が増えた。
石が割れる音。叫び声。松明が投げ込まれ、札の膜に弾かれて燃え落ちる。
「異端を出せ!」
「聖剣を返せ!」
エリシアが冷たく言った。
「……来たわね」
ルシアンが短く命じる。
「撤退。聖樹を守る札は残す。……レイン、鞘を抜くな」
「抜かない」
俺は頷き、鞘を抱え直した。
だが、外壁が次の衝撃で大きく割れた。
石が崩れ、人影が雪崩れ込んできた。
信徒。市民。怒りの正義。
その先頭に――白い法衣の影が一つ。
ローデンではない。
別の司祭。
声が響く。
「異端はここにいる! 聖樹を汚した者を捕らえよ!」
エリシアが叫ぶ。
「監察局だ! 下がりなさい!」
だが群衆は止まらない。止めるのは難しい。正義は耳を塞ぐ。
ルシアンが歯を噛む。
「……強行突破だ」
ミレイが震える。
「人を傷つけたくない……!」
「傷つけなければ、殺される」
エリシアの声は冷たい。だが、それが現実だ。
俺は鞘を握り、決めた。
誓約――誰も焼かせない。
焼かない。
でも、止める。
俺は聖火反転の熱を極小で流し、鞘の銀線を温めた。
鞘が淡く光り、空気が“静か”になる。
火ではなく、温度の揺らぎ。
それは、人の怒りを焼かない。だが――足元の鉄を“揺らす”には十分だ。
床の釘、崩れた壁の金具、松明を持つ手の腕輪――小さな鉄が一斉に震えた。
不快な振動。
群衆が足を止める。怖さではない。身体が勝手に止まる不具合。
「……何だ?」
「手が……痺れる……!」
その隙に、ルシアンが声を張った。
「監察局正式審問が開始された! 聖堂の宣告は手続き違反だ! 下がれ!」
エリシアが札を掲げる。
「今この場は封鎖する! 踏み込めば公務執行妨害!」
言葉が届いたのは、半分だけ。
でも半分でいい。
半分が止まれば、通れる道ができる。
俺たちはその道を抜け、裏門へ走った。
背後で、司祭が叫ぶ。
「逃がすな! 異端を逃がすな!」
宣告の鐘が、もう一度鳴った。
ゴォン。
ゴォン。
聖堂の前で、異端審問が始まる合図だ。
ローデンは姿を見せていない。だが鐘は鳴っている。
誰かが代理で裁きを進めている。
――つまり、ローデンは別の場所で動いている。
俺の背中が冷えた。
「……ディランだ」
俺が呟くと、エリシアが頷いた。
「司祭を動かして鐘を鳴らさせてる。ローデンは“本命”へ行く」
「本命?」
ルシアンが低く言った。
「灰の壇。……祈りの火の管理庫だ」
俺の胸の奥で、火が鳴った。
奪った火種を取り返しに来る。
そして今度は――街全体の“裁き”を燃料にして。
レグルスが鞘の中で静かに脈打った。
『……炉を守れ』
俺は鞘を握り締め、走り出した。
次の場所は、灰の壇。
証拠の火を、宣告の鐘が消す前に――真実の火で叩き直すために。




