回収班の牙
戦時の鐘は、耳じゃなく骨に響いた。
審問台の広間が静まり返った直後――外の廊下で、走る足音が増えた。命令を伝える足音。扉を閉める音。札を貼る音。監察局という“機械”が、一斉に回り始める音だった。
ヴァルター大監察官が、俺とエリシアを見下ろす。
「レイン・グラント。聖剣の適合者であることは認める。――だが、自由を保証するとは言っていない」
予想はしていた。こいつは味方でも救世主でもない。監察官は監察官だ。
俺は鞘に収まったレグルスを握り、言葉を選んだ。
「剣は渡さない」
「渡せと言っていない」
ヴァルターの声は冷たいまま、妙に正確だった。
「預かると言う。お前が持っている限り、街が燃える。回収班と“使う派”は、必ずもう一手打つ」
エリシアが口を挟む。
「大監察官。彼を拘束すれば、剣は暴れる。……今夜、それを見たはずです」
「見た」
ヴァルターが頷き、視線だけでエリシアを黙らせた。
「だから“条件付きで保護”する。レインは第二班の監察対象として動く。護衛を付ける。行動は監察官の指示下。……剣はお前の手に置く。ただし、監察局の管理下だ」
俺は鼻で笑いそうになった。
「管理」
ディランと同じ言葉。
その瞬間、鞘の中でレグルスが小さく脈打った。
『……言葉の罠』
分かってる。管理という言葉は便利だ。誰かの自由を奪うときに。
だが、今の俺に必要なのは“勝てる形”だ。ここで突っぱねて孤立したら、次に死ぬのは俺じゃない。モグだ。エリシアだ。
俺は一度、息を吐いた。
「……条件を追加する」
ざわり、と周囲が動く。監察官たちの視線が俺に刺さる。
ヴァルターが言った。
「言え」
「モグを保護しろ。回収派と使う派の手が届かない場所に」
「老人か」
ヴァルターの眉が、ほんの少しだけ動いた。
「可能だ」
「もう一つ。俺の冤罪――ギルド除名の再調査を“公に”やれ。裏で揉み消すな」
「公にすれば、街が割れる」
「割れたほうがいい」
俺は言い切った。
「歪んだまま固めるより、割って叩き直すほうがマシだ」
ヴァルターの目が細くなる。
そして、短く笑った。笑いというより、理解の吐息だ。
「……鍛冶師の言い方だな。いい。条件は呑む。代わりに、お前は逃げるな」
「逃げない」
俺は即答した。
エリシアが小さく息を吐く。ルシアンが一歩前に出た。
「大監察官。すでに回収派の伝令は拘束しました。だが――外の動きが速すぎます。内部の手がまだ残っている」
「分かっている」
ヴァルターが低く言う。
「だから今夜中に、残っている牙を抜く。……第二班、動け」
その瞬間――審問台の奥の扉が、爆ぜた。
バン、と乾いた破裂音。石扉じゃない。札が破られる音。空気が裂け、白い膜が剥がれる音。
「伏せろ!」
ルシアンが叫ぶより早く、俺の“導き”が線を弾いた。
敵意の線が、三本。
入口からじゃない。上段の梁。壁の影。床下。
監察局の中に、最初から“刺さっていた”刃。
黒いローブの影が落ちてきた。白ローブじゃない。監察局の紋もない。顔には薄い面。動きが静かすぎる。
――回収班。
「対象、回収」
声は男か女かも分からない。命令だけがある。
次の瞬間、光の縄が走った。
縄じゃない。封印線だ。空中に描かれた“鍵”の紋――鞘へ、剣へ。
鞘の中でレグルスが脈打つ。
『……来る』
俺は剣を抜かない。
抜けば、火が上がる。ここは監察局の本丸だ。燃やしていい場所じゃない。
だから、鍛冶で折る。
俺は鞘の銀線に触れ、“聖火反転”の熱を一滴だけ通した。
熱は刃じゃない。噛み合わせを変えるための“柔らかさ”だ。
同時に、床の鉄――審問台の石机の留め具、灯具の鎖、札を留める釘――その全部に熱を散らした。
カチ、カチ、と微細な音が連続する。
封印線が、俺へ届く寸前で“ズレた”。
狙いは鞘。
でも鉄の流れが変わり、封印線が鎖へ吸われる。灯具の鎖が白く光って震え、空中で縄みたいに絡まった。
「……っ!」
回収班の影が一瞬だけ動揺する。
その一瞬に、エリシアが札を投げた。
「――拘束!」
白い膜が影の足首に絡み、床へ引き倒す。
同時に別の影が、ヴァルターへ向けて短剣を投げた。
俺の視界が弾ける。
敵意の線――一直線。
俺は迷わず、石机の端を蹴った。
机の留め具が外れる。ほんの数ミリ、石がズレる。その“数ミリ”で、短剣の軌道が変わった。
カン!
短剣が机の角に弾かれ、床へ刺さる。
ヴァルターは動かない。動かずに命じる。
「上段二人、回収班を撃て。真偽札、封鎖。全扉閉鎖」
監察局が“機械”として動く。
白ローブの列が一斉に札を投げ、光が空間を区切る。逃げ道が消える。
回収班の影が舌打ちし、床の溝へ滑った。
――床下へ逃げる気だ。
俺は床の釘を一本、指で折った。折った断面を“聖火反転”で薄くし、針にする。
床の溝――空気の流れの出口へ、その針を差し込んだ。
熱は使わない。固着だ。
溝の縁の金属粉を“噛ませて”固める。
コツ、と小さな音。
影が滑り込もうとした瞬間、溝が“閉じた”。
「――!」
影が半歩つんのめり、そこへルシアンの拳が入る。
乾いた音。面が割れ、顔が見えた。
若い。女。瞳が冷たい。笑わない。
「回収班、第三小隊」
ルシアンが吐き捨てる。
「内部から出てきたか」
女は血の混じった唾を吐き、笑わずに言った。
「遅い。もう“外”は動いてる」
その言葉が落ちた瞬間、外の鐘がもう一度鳴った。
今度は近い。
監察局の敷地外――門の方から、怒号と金属音。誰かが突っ込んできた音だ。
ヴァルターが眉を動かす。
「……聖堂か」
エリシアが歯を噛む。
「ローデンが、“監察局が聖剣を奪った”と騒ぎ立てた。信徒を煽れば、ここを包囲できる」
ルシアンが低く言う。
「包囲の混乱に紛れて、回収班が剣を抜く。……二段構えだ」
俺の腹の底で、火が鳴った。
――敵は外から殴ってくるだけじゃない。
――中の鍵で、内側から開ける。
レグルスが鞘の中で静かに脈打った。
『……導け』
視界の端に表示が浮かぶ。
――《導き:敵意/逃走路》
――《推奨:先手》
先手。
逃げるな、とヴァルターは言った。
なら、逃げない形で動く。
俺はヴァルターを見た。
「外が騒いでるなら、ローデンは動く。今夜、聖堂の“庭”か“灰の壇”を動かす」
ヴァルターの目が細くなる。
「根拠は」
「やつらは“使う”ために動いてる。使うには材料が要る。聖樹芯と祈りの火。……俺が一度触った。あいつらは必ず取り返しに来る」
エリシアが頷く。
「ローデンは証拠を消すか、聖剣を“暴走扱い”にして処分名目を作る。どちらにしても、今夜動く」
ヴァルターが一瞬だけ黙り、そして命じた。
「第二班、聖堂へ。俺は本部の封鎖と回収班の粛清を優先する。……レイン」
視線が俺へ刺さる。
「剣を抜くな。抜くなら、証拠と目撃のある場所で抜け。勝てる場所で抜け」
俺は頷いた。
「俺の土俵で抜く」
ヴァルターが短く言った。
「行け」
監察局の裏門から出た瞬間、王都の空気が燃えていた。
遠くの聖堂の前に、人の塊。松明。十字の旗。怒号が夜を撫でる。
「異端を出せ!」
「聖剣を返せ!」
誰が煽ったか分かりきっている。ローデンだ。
ルシアンが歯を噛む。
「……群衆を盾にするのか」
「盾にするし、刃にもする」
エリシアが冷たく言う。
「彼らは“正義”だと思ってる。だから止まらない」
ミレイが小さく震える声で言った。
「……聖堂へ正面から行くの?」
「行かない」
俺は鞘を握り、導きを読む。
敵意の線が街の中心に集まっている。だが“別の線”が一本、外れへ伸びている。
静かな線。人が少ない場所へ向かう線。
――裏。
俺は言った。
「聖堂の裏庭。排水路。……また下水だ」
エリシアが一瞬だけ口元を歪める。
「文句は後で。今は走れ」
俺たちは人波を避け、灯の届かない路地を駆けた。
鞘の中で、レグルスが静かに脈打つ。
聖気遮断のせいで、剣の存在が沈んでいる。だが導きは、逆に鋭い。
――狩る側の線が見える。
そして、その先にある“黒い点”が見える。
聖堂の裏庭へ近づいた瞬間、鼻を刺す匂いが変わった。
香じゃない。
焦げた木と、甘い血の匂い。
「……燃えてる」
ミレイが息を呑む。
壁の向こうから、淡い光が漏れていた。白い火じゃない。赤い火でもない。
“整えられた火”が、庭の中心で踊っている光。
エリシアが低く言う。
「……ローデン、結界を逆に使った。聖樹を――」
その言葉を遮るように、壁の向こうで、あの声がした。
「間に合ったね、レイン」
ディランの声。
楽しそうで、冷たくて、嫌になるほど近い声。
鞘の中でレグルスが一度だけ強く脈打った。
『……奪還』
俺は息を吐き、壁の継ぎ目に手を当てた。
石の向こうが熱い。
鉄の流れが、叫んでいる。
「……行くぞ」
今夜は、審問台の鉄音じゃ終わらない。
聖堂の庭で――本当の炉が鳴る。




