審問台の鉄音
第二班の隠し保管庫は、派手さがなかった。
豪奢な聖堂の地下でも、権威の匂いがする監察局本部でもない。古い石倉。湿気。乾いた紙の匂い。扉の鍵は三重で、札は五枚。……誰かを守るための場所というより、“記録を守るための場所”だった。
「ここで固定する」
ルシアンが言い、金属板の束を石机に置いた。
ミレイがすぐに封蝋を溶かし、札を貼り、板を一枚ずつ封じていく。封じるというより“刻む”作業だ。何がどこから来た証拠か、誰が扱ったか、改竄がないか――全部を記録に残す。
エリシアが俺を見る。
「これで“消されない”」
「消させない、だろ」
俺は鞘を撫でた。レグルスは静かだ。けれど芯は燃えている。鞘が聖気を沈めている分、逆に“研ぎ澄まされた”感じがする。
モグがいないだけで、空気が少し軽い。軽いのが、むしろ怖い。
「次はどうする」
俺が問うと、ルシアンが即答した。
「本部の審問台に行く」
エリシアが眉を上げる。
「正面から?」
「正面から」
ミレイが封蝋を押しながら、小さく震える声で言った。
「……でも本部は今、“回収”が動いてる。レインもエリシアも、連れて行かれたら終わり」
「だから、こちらから“審問を開かせる”」
ルシアンの言い方は相変わらず硬い。
「開かせる?」
俺が聞き返すと、ルシアンは封じ終えた金属板の束を一度だけ指で叩いた。
コン。
乾いた音。
「証拠があるからだ。監察局の規程では、上層部の封蝋命令に矛盾が出た場合――現場監察官は“緊急審問”を要求できる」
エリシアが息を吐く。
「要求はできる。でも通るとは限らない」
「通す」
ルシアンが言い切った。
「通さなければ、監察局の“形”が崩れる。……今夜、狙撃が来た。内部の命令に外部の刃が混ざった。その時点で、監察局は“汚れた”」
鍛冶みたいな言い方だ。
汚れたなら、叩き直す。
俺は鞘を握り直した。
「審問台ってのは、どんな場所だ」
「石の広間。記録の台。裁くための壇」
ルシアンが淡々と言った。
「そして、嘘を吐くと札が鳴る」
エリシアが補足する。
「“真偽札”。監察局の最奥の道具。完璧じゃないけど、発言の意図が濁っていると反応する」
俺は小さく笑った。
「都合の悪い嘘には反応しないんじゃないか」
「だから“証拠”が要る」
ルシアンが短く返す。
「札は補助。証拠が本体だ」
ミレイが封蝋の最後の一押しを終えた。
「……固定完了」
ルシアンが頷く。
「行くぞ。夜が明ける前に」
監察局本部は、白い石の塊だった。
聖堂とは違う。祈りより規律。香より紙。信仰より命令。
正門の前に立つと、門番の視線が刺さる。俺の服は煤けている。剣は鞘に収まっているが、気配は消せない。
ルシアンが前へ出た。
「第二班監察官ルシアン。緊急審問を要求する」
門番が眉をひそめる。
「命令書は」
ルシアンは封書を出した。
赤い封蝋の上に、黒い封蝋――鍵の刻印。
門番の顔色が変わった。
「……回収の二重印」
「この命令に矛盾がある。さらに外部狙撃を受けた。規程に従い、緊急審問を要求する」
門番は迷った。だが迷いは短かった。背後の扉がすでに“誰か”に見張られている気配がある。門番はただの門番じゃない。命令の流れを読む人間だ。
「……通れ。ただし武器は」
「武器ではない」
俺は鞘を軽く撫でた。
「仕事道具だ」
門番が目を細めたが、ルシアンが先に歩き出したため、俺は通された。
審問台は、広かった。
円形の石壇。段差。中央に長い石机。周囲に白ローブが並び、上段には重い椅子が三つ――上層の席だ。
そこに座っていた男が、ヴァルター大監察官だった。
白髪、彫りの深い顔、目が冷たい。年老いているのに、威圧がある。
「第二班、ルシアン」
ヴァルターが言う。
「命令違反の言い訳をしに来たか」
「言い訳ではありません。緊急審問の要求です」
ルシアンは一歩も引かずに言った。
「二重封蝋命令に矛盾。外部狙撃。さらに――鍛冶師ギルドと聖堂の司祭ローデンの不正の疑い」
ざわめきが広がる。
ヴァルターの目が細くなる。
「ローデン?」
「現場確認済みです。聖堂の庭で聖樹芯の無許可抜き取り、灰の壇での人質行為。さらにギルドの除名記録に、ローデンの承認印がありました」
ヴァルターが手を上げ、ざわめきを止めた。
「証拠を」
ルシアンが頷き、ミレイが封蝋済みの金属板を机に置いた。
コン、と音。
石の上で鉄が鳴る音が、やけに大きく響いた。
俺はその音を聞いて、胸の奥が燃えた。
――ここが、俺の“台”だ。
ヴァルターが板を読み、隣の上層二人が覗き込む。
しばらく、沈黙。
そしてヴァルターが言った。
「……確かに、除名記録の日付が不自然だ。承認印も、監察局の手順を踏んでいない」
エリシアが一歩前へ。
「大監察官。私は“使う派”の動きを止めるために動きました。ですが本部命令は回収派の黒蝋が重ねられていた。……内部に侵入があります」
ヴァルターの目が、エリシアに向く。
「シスター・エリシア。お前の独断が状況を悪化させた可能性は?」
「否定しません」
エリシアは冷たい声で言った。
「ですが、独断でなければ止められなかった。監察局の“動き”が鈍すぎた」
空気が張る。上層の椅子の上の男たちが目配せをする。
そのとき、石壇の端から声が落ちた。
「……その証拠、偽造の可能性は?」
白ローブの一人――ガルドだ。
生きていた。しかもここにいる。
俺の中の火が跳ねた。だが出ない。ここは殴る場所じゃない。叩く場所だ。
ルシアンが冷たく言う。
「ガルド。お前は現場から離脱した。弁明は」
「私は命令に従っただけです。現場は危険だった。……それに、レイン・グラントは鍛冶師です。金属板の証拠など、好きに刻める」
ざわめきが再び広がる。
確かに。鍛冶師なら“刻み”は作れる。
でも――作れないものもある。
俺は一歩前へ出た。
「俺が刻んだ証拠が偽造だと言うなら、偽造できない“癖”まで揃えているか見ればいい」
ヴァルターの目が俺に向く。
「名乗れ」
「レイン・グラント。鍛冶師ギルド除名者」
「……この場で発言する資格は?」
冷たい言葉。
俺は鞘を机の横に置いた。
抜かない。見せびらかさない。だが、そこに“剣”があるだけで空気が変わる。
エリシアが言う。
「彼は私の保護対象です」
ヴァルターが短く頷く。
「発言を許可する。だが一言でも虚偽があれば、札が鳴る」
壇の中央に置かれた真偽札が、淡く光った。
俺は息を吸い、吐いた。
「俺が出した証拠は、俺の刻みだけじゃない。ギルド長バルドーの署名の“筆圧”。ローデンの承認印の“欠け”。そして、刻印台帳の留め具に残っていた“最近触れた傷”――全部、第三者が確認できる」
ミレイが補足する。
「留め具の傷は、監察局の鑑定で確認可能です。金属の酸化膜の割れ方で“いつ触ったか”も推定できます」
ざわめきが変わる。疑うざわめきから、測るざわめきに。
ガルドが言い返そうとした瞬間――真偽札が、チリ、と小さく鳴った。
ガルドの言葉が止まる。
ヴァルターの目が、刃になる。
「ガルド。お前、何を隠している」
「……ッ」
ガルドが口を噛む。
そのとき、壇の奥の扉が開き、白ローブが一人入ってきた。
「大監察官。回収班より伝令。――対象の回収命令を“即時執行”せよ、と」
その言葉に、審問台の空気が割れた。
回収班が、ここで押し切りに来た。
ヴァルターが立ち上がる。
「……回収班の権限は、監察局上層の承認が必要だ。誰が承認した」
伝令が言い淀む。
「それは……」
真偽札が、チリ、と鳴った。
嘘だ。
ヴァルターは冷たく命じた。
「伝令を拘束。ガルドも拘束。……そして、緊急審問を“正式審問”へ昇格する」
空気が変わる。
刃が、こちらへ向いていたのが、内部へ向く。
エリシアが息を吐いた。
「……通った」
ルシアンは表情を変えずに言った。
「まだだ。ここからが本番だ」
ヴァルターが俺を見る。
「レイン・グラント。お前の除名案件、監察局で再調査する。……だが」
彼の目が、鞘へ落ちた。
「その剣は何だ」
レグルスが、鞘の中で静かに脈打った。
視界の端に表示が浮かぶ。
――《次工程:真名開示》
――《条件:公的場での提示》
公的場での提示。
つまり、ここだ。
俺は息を吸い、言った。
「……ただの剣じゃない。俺が拾って、叩き直した“聖剣”だ」
審問台が、一瞬で静まった。
ヴァルターの声が低い。
「証明できるか」
俺は鞘の口に手をかけた。
抜く。
ここで抜けば、全員に“見える”。
狩られる危険も増える。
でも、出さなければ消される。
俺は鞘の銀線に触れ、聖火反転の熱を一滴だけ落とした。
鞘が静かに応える。
『……真名を』
レグルスの声が、はっきり聞こえた。
俺は――抜いた。
刃が月光を受けた瞬間、白い光が走った。
眩しくない。熱くない。
ただ、“正しい重さ”だけが空間に落ちる。
真偽札が、鳴らなかった。
代わりに、壇の空気が震えた。
――誰もが、理解した顔をした。
これは偽物じゃない。
ヴァルターが静かに言った。
「……聖剣だ」
そしてその瞬間、レグルスの表示が、審問台の空気の中へ浮かんだ。
――《真名:レグルス》
――《適合者:レイン・グラント》
全員に見える文字。
証明の刻印。
俺は息を吐いた。
鉄音がした。
石壇の上で、誰かが膝をついた音だった。
次の瞬間、外から鐘が鳴った。
聖堂の鐘でも、ギルドの鐘でもない。
――戦時の鐘。
ヴァルターが立ち上がり、命じる。
「全班、配置につけ。回収班と聖堂の動きを封じろ。……聖剣を狙う者は、監察局の敵だ」
ルシアンが短く頷く。
エリシアが俺を見る。
「……もう隠せないわ」
「隠す気はない」
俺は剣を鞘に戻した。
カチン、と正しく収まる音。
「叩く番だ。俺が」
審問台の石机に置かれた金属板が、灯りを反射していた。
そこに刻まれた名前――バルドー、ローデン、ディラン。
そして今、監察局が動く。
俺の炉は、街全体へ広がる。
次は逃げない。
次は――折らせない。




