鍛冶師ギルド地下保管庫
モグを連れて動ける距離には限界があった。
肋にひびが入っている老人を、王都の中心――鍛冶師ギルド本部まで引きずっていくのは、救出じゃなくて処刑だ。
「モグはここに置く」
俺が言うと、モグは藁の上で顔をしかめた。
「……置くって言い方が雑だな、若造……」
「生きてろって意味だ」
ミレイが包帯を巻き終え、強く頷いた。
「私が看る。……それと、ここに“匂い消し”の札を貼っておく。追跡は多少遅らせられる」
エリシアが短く言う。
「あなた、手が震えてる。無理するな」
「震えてない」
「震えてる」
指摘されて初めて気づいた。怒りで熱くなってるだけだと思ってたのに、指が微かに跳ねていた。
俺は布包みを解き、レグルスを抱え直す。今はもう包みじゃない。剣として、ちゃんと重い。
ルシアンが扉の外を確認してから、こちらを振り返った。
「行くぞ。時間がない。“回収”が動いた以上、ギルドも今夜中に記録を処分する可能性がある」
「処分?」
「書き換え、燃却、移送。手段はいくらでもある」
モグがかすれ声で笑った。
「……燃やすなら、俺の炉でやれってんだ……汚ねえ火で燃やすんじゃねえ……」
「黙って寝ろ」
俺が言うと、モグは目を細めて、藁の上から親指だけ立てた。
「……行ってこい。若造……叩いてこい……」
それだけで、胸の奥が少しだけ落ち着いた。
俺たちは、闇へ出た。
鍛冶師ギルド本部は、昼も夜も眩しい。
石造りの正門、鉄の紋章、番犬みたいな門番。表の顔は立派な“職人の殿堂”だ。
でも俺が今、見ているのは裏側だった。
「ここだ」
ルシアンが、路地の行き止まりで足を止める。
壁には何もない。ただの石と苔。だが、俺の“導き”が反応した。
――鉄の流れ。
石壁の内側に、細い線が走って見える。蝶番。閂。隠し扉。
「監査用の出入口」
ルシアンが低く言った。
「ギルドが不正をやったとき、監察局が“証拠”を押さえるための口だ。……皮肉だろう」
「今夜は、こっちが証拠を押さえる」
エリシアが言い捨てる。
ルシアンが壁の継ぎ目に指をかけ、封蝋片を押し当てた。
銀十字――監察局の札。
カチ、と小さく鳴って、石がわずかに沈む。
だが完全には開かない。
「……鍵が追加されてる」
ルシアンの眉が動く。
「回収派が動いたあとだな」
俺は前に出た。
鍵の鉄の“舌”が見える。新しい噛み合わせ。硬い。
でも鉄は、嘘をつけない。
俺は指先に魔力を集め、“聖火反転”で熱を落とす。
赤くしない。音も立てない。
鍵の内部だけを一瞬だけ柔らかくして――
カチ。
噛み合わせがほどけた。
石壁が、観音開きに開く。
エリシアが小さく息を呑んだ。
「……ほんとに、鍵を“鍛える”のね」
「鍵も鉄だ」
俺たちは中へ滑り込んだ。
地下は、ギルドの匂いじゃなかった。
油と炭の匂いじゃない。香と、乾いた紙と、冷たい石の匂い。
――聖堂に似ている。
嫌な予感が背中を撫でる。
「結界の匂いがする」
エリシアが低く言った。
「ギルドの地下に?」
ルシアンの声が硬くなる。
「……あり得る。ローデンが絡んでるなら」
通路の先に、鉄格子がある。鍵は二重。さらに、床に細い溝――魔力の流れる“線”が刻まれている。
罠だ。
俺の視界の端で、導きが点滅した。
――《注意:封印線》
――《対象:聖性反応》
封印線が、レグルスに反応している。
「剣を抜くな」
エリシアが囁く。
「抜かない。……抜かなくても、こいつは“いる”」
俺は剣を鞘代わりの布で包み直し、星屑銀の糸を指に巻いた。
受け皿。道。抜け道。
封印線の上に、星屑銀の糸をそっと置く。
魔力を流す。
線が、ほんの少しだけ“迷う”のが分かった。
鉄は迷う。流れが変われば反応が鈍る。
「今だ。踏むな。溝の外だけを歩け」
俺は導きが示す“安全な石”だけを選び、足を置いた。
エリシアが続く。ルシアンも迷いなく続いた。
鉄格子の前。
鍵穴は細い。普通の工具じゃ無理だ。
俺は錆びた釘を一本取り出し、指で軽く折った。
折った断面に、聖火反転の熱を当てる。刃のように薄く伸ばす。
即席の“鍵針”。
差し込み、ひねり、噛み合わせを“読む”。
鍵が、カチカチと小さく鳴る。
最後に――
カチン。
開いた。
ルシアンが短く息を吐いた。
「……お前、本当に鍛冶師だな」
「鍛冶師以外になれなかっただけだ」
俺たちは格子の向こうへ入った。
保管庫は、冷蔵庫みたいに冷えた空間だった。
鉄の棚。鍵付きの箱。封印札が貼られた木箱。台帳の山。
……ここだ。
俺の胸の奥が熱くなる。
ルシアンが囁く。
「探すのは三つ。除名記録、刻印台帳、依頼原本。燃やされる前に写しを取る」
「写しなら任せろ」
俺は金属板を何枚か取り出した。薄い鉄板。モグの店から持ち出した端材だ。
「紙より金属のほうが残る。燃えても刻みは残る」
エリシアが頷く。
「鍛冶師らしい」
俺は“導き”を使う。
敵意じゃない。鉄の流れ。
ここで最も“触られている鉄”はどこか――最近開け閉めされた鍵、最近運ばれた箱、最近触られた台帳の留め具。
流れが生きている場所。
視界に、一本の線が伸びた。
棚の奥。黒い箱。封印札付き。十字と――鍵。
黒蝋の刻印と同じ“鍵”。
「……回収派の箱だ」
エリシアが息を呑む。
「そこにある」
俺が言うと、ルシアンが頷いた。
「開けるな。まずは台帳だ。回収派の箱に手を出した瞬間、警報が鳴る可能性がある」
分かってる。だが――あの箱の“気配”が、嫌になるほど濃い。
レグルスが布の中で、微かに脈打った。
『……近い』
剣が、箱を見ている。
俺は歯を食いしばり、まず台帳へ向かった。
刻印台帳。
背表紙に、ギルド紋章。留め具は鉄。
留め具に触れた瞬間、指が冷えた。
……魔力が入っている。偽造防止だ。
「触るな」
エリシアが低く言う。
「罠?」
「罠じゃない。検知。あなたの魔力が触れた瞬間、記録される」
なら――触れない方法で読む。
俺は星屑銀の糸を指先に巻き、留め具の“外側”にだけ触れた。
星屑銀は受け皿。俺の魔力の“直接”を薄める。
糸を介して、噛み合わせをほどく。
留め具が外れる。
台帳が開いた。
「……これで、偽造の証明ができる」
俺はページをめくり、刻印の写しを金属板へ移し取る。
やり方は簡単だ。
紙に残る圧痕と、インクの滲み。刻印の“癖”。それを金属へ打ち写す。
カン、カン。
小さな音だけで、証拠が形になる。
ルシアンが横で目を細めた。
「……これなら、燃やされても残るな」
「燃えない証拠にする」
俺は続けて除名記録を探す。
箱の中の束に、俺の名前があった。
レイン・グラント。
除名理由――“伯爵家依頼剣の破損”“刻印不一致”“技術不良”。
嘘だらけだ。
だが、その紙の端に――日付があった。
依頼剣が折れた“前日”。
俺の背中に、ぞくりと寒気が走る。
「……除名手続きが、先に作られてる」
エリシアが息を止めた。
「最初から決まってた……」
ルシアンの声が低くなる。
「これだけで十分に不正だ。だが――決定打が欲しい。“誰が”動かしたか」
俺は紙束の裏をめくった。
署名欄。
ギルド長――バルドー。
そして、その隣に、見慣れない紋章。
銀の十字。教会。
承認者――ローデン。
「……ギルドの除名に、教会が承認?」
俺の声が震えた。
怒りで、熱で。
エリシアが歯を噛む。
「やっぱり繋がってる……。しかも、ここまで露骨に」
ルシアンが短く言った。
「写しを取れ。今すぐ」
俺は金属板へ刻む。
バルドーの署名。
ローデンの承認印。
日付の矛盾。
逃げ道を塞ぐ証拠。
――これで、叩ける。
その瞬間だった。
保管庫の奥で、カチ、と小さな音が鳴った。
回収派の黒い箱の方。
誰も触れていないのに、封印札が微かに浮き上がった。
そして、冷たい声が背後から落ちた。
「……すごいね。君、まだそんな遊びをしてるんだ」
俺は、息が止まった。
振り向かなくても分かる。
その整った声。
「ディラン……」
彼は、保管庫の入口に立っていた。
いつもの余裕の笑み。
でも目だけが笑っていない。
その手には、黒い封蝋の欠片――“鍵”の刻印。
「回収派の箱、気になるでしょ? 君の剣の“元の鞘”が入ってる。……ほら、教会とギルドって仲良しなんだ」
エリシアが一歩前に出る。
「ディラン。あなた、ここはギルドの地下よ。監察局の捜査を妨害するなら――」
「監察局?」
ディランが小さく笑った。
「誰が許可したの? ああ、許可なんてないよね。だって今、監察局は“回収”の味方だから」
ルシアンの目が氷みたいに冷える。
「……どこまで知っている」
「知ってるよ。僕は“整える側”だから」
ディランが指先を立てた。
空気が粘る。
重りが落ちる。
足が石に吸い付く感覚が、じわりと広がる。
「さあ、返して」
ディランが言った。
「剣と、その証拠。君が持つには危険だ。……僕が代わりに“管理”してあげる」
俺は剣を握り直した。
抜かない。
でも――抜かなくても、レグルスはそこにある。
布の中で、鼓動が強くなる。
『……打て』
俺は笑えないまま、笑った。
「いいや。今日は俺の土俵だ」
床の鉄片が、微かに震えた。
次の瞬間、保管庫の奥で黒い箱が――ひとりでに開きかけた。
中から漏れる、古い光。
そして、レグルスが震える。
『……鞘……!』
――来る。
ここで決着を付けないと、全部が奪われる。
俺は息を吐き、聖火反転の熱を掌に集めた。
「……鍛冶師の“炉”を見せてやるよ、ディラン」




