逆転の火、修復の火
地下道を駆ける足音は、追手のそれじゃなかった。
追手の足音は焦る。乱れる。命令に従うだけの重さがある。
でも今、背後から聞こえるのは――怒りの整った足音だ。
「……まだ追ってる」
俺が息を吐くと、エリシアはランタンを揺らさずに言った。
「追うというより、“回収”に切り替えた。ローデンは面子を潰された。監察官クロードも、あなたを取り逃がした」
俺の肩に寄りかかるモグが、かすれた声で笑う。
「……人気者だな、若造……」
「笑うな。喋るな。死ぬぞ」
「死なねえよ……借りを返してねえ……」
借り。そうだ。
今日ここで終わったら、俺はまた“折れる”。
レグルスが布の中で静かに脈打つ。
『……炉へ』
視界の端に表示が浮かんだ。
――《推奨:安全圏》
――《導き:右(上流)》
「……右だ」
「勘?」
「剣の勘だ」
エリシアは短く頷き、分岐の先へ走った。
地上に出たのは、廃れた職人街のさらに外れ――崩れた石壁の陰だった。
風が冷たい。だが地下より息がしやすい。
俺たちは倒れ込むように、旧鍛冶場跡へ戻った。煤の匂いが鼻を刺す。
モグを藁の上に寝かせると、エリシアがすぐに傷を見た。
「肋、一本いってる。腕も打撲。……でも命は大丈夫」
「だろ?」
モグが勝ち誇ったみたいに笑う。
俺は目を逸らしながら、床に転がる鉄片を拾った。細い板、短い釘、錆びた鎖。
「固定する」
「鍛冶で治療?」
「骨折の固定は、鍛冶師の“道具の使い方”と同じだ」
俺は鎖を指でちぎり、短い留め具を作った。熱は出さない。形だけを整える。
カン、カン。
石に打ち付ける音が、鍛冶場の残骸に吸い込まれていく。
エリシアは布で傷口を拭き、薬草の匂いのする軟膏を塗った。
「あなた、手が早いのね」
「遅いと折れる」
モグが目を細めた。
「……言うようになったじゃねえか」
応急処置が終わった頃、外が妙に騒がしくなった。
遠くから鐘。号令。人の波。
祭礼の日は、街が騒ぐのは当たり前だ。だがこの音は、祭礼の浮かれ方じゃない。
――追い立てる音。
エリシアが耳を澄ませる。
「聖堂が“火の異常”を公表した」
「公表?」
「正確には、捏造混じりの布告よ。“異端が灰の壇を汚した。聖遺物が奪われた。協力者を匿う者も同罪”」
俺の胃が沈む。
「……俺を異端にしたいんだな」
「あなたを“個人”にしたくないの。敵を“概念”にする。そうすれば、誰でも殺せる」
モグが低く唸る。
「……汚ねえ連中だ」
俺は布包みを抱え直した。
中でレグルスが、いつもより落ち着いた鼓動を打っている。
そして、表示が浮かぶ。
――《素材三点:所持(微量)》
――《修復:可能(第一工程)》
――《権能:聖火反転(不安定)》
――《推奨:即時修復》
「……やる」
エリシアが俺を見る。
「今?」
「今しかない。追跡を切るには、“格”を上げる必要がある。剣が“剣の姿”に戻れば、俺が守れる」
「……守れるの?」
「守る」
言い切った自分の声が、少しだけ強くなっているのを感じた。
モグが藁の上で笑った。
「そうだ、それでいい……。折れそうなら、叩け……叩き直せ……」
俺は頷き、布を解いた。
錆びた刃――《レグルス》。
欠けと傷だらけのその姿を、俺は両手で持ち上げた。
あの日、廃材捨て場で拾った“ガラクタ”。
今はもう、ガラクタじゃない。
「……星屑銀」
俺は青白い欠片を取り出し、薄く伸ばした糸を刃の根元へ添える。
「聖樹芯」
白い木片の欠片を、粉にして混ぜる。木なのに金属みたいに澄んだ音が鳴る。
「祈りの火種」
灰の核。白い粒。触れた瞬間、魂が痛む“火”。
だが――今の俺には、権能がある。
レグルスの表示が瞬いた。
――《権能:聖火反転》
――《用途:聖火の温度変換/痛覚軽減》
「……頼むぞ」
『……打て』
レグルスが脈打つ。
俺は魔力を流した。
いつもの“炉のない鍛冶”とは違う。
火が、反転する。
魂を刺す痛みが、熱へ変わる。
熱は暴れない。手の中で収まる。まるで炉の中の“ちょうどいい赤”だけを抜き取ったみたいに。
俺はその熱を、星屑銀へ通す。
星屑銀が受け皿になり、聖樹芯の粉が接着剤みたいに馴染む。
最後に祈りの灰が――核として沈む。
カン。
槌がない。
でも、石が槌になる。
俺の掌が槌になる。
カン、カン、カン。
音が変わった。
鈍い鉄の音じゃない。鈴の音でもない。
“芯が通る音”だ。
錆が、内側から剥がれ落ちた。
灰が光を帯び、刃の欠けを埋めるように流れていく。
星屑銀が縫い糸になり、聖樹芯が骨格になり、祈りの火が熱になって形を整える。
レグルスが、はっきり脈打った。
『……戻る』
視界に表示が弾ける。
――《聖剣修復:第一工程 完了》
――《形状復元:部分(刃身安定)》
――《聖気漏出:低》
――《権能:聖火反転(安定)》
――《次工程:柄・鍔の再構築(追加素材:凡鉄 可)》
「……追加素材?」
俺が呟くと、エリシアが目を見開いた。
「“凡鉄でいい”って……どういうこと」
「たぶん、核が戻った。あとは普通の素材で形を作れる」
俺は周囲の鉄屑を見た。錆びた鎖、折れた釘、使い物にならないガラクタ。
――十分だ。
俺はレグルスの柄になる部分へ、凡鉄を当てた。
聖火反転の熱で、凡鉄が柔らかくなる。
聖樹芯の粉を少しだけ混ぜ、密度を上げる。
星屑銀で縛る。
カン、カン。
形が生まれる。
簡素な鍔。
握れるだけの柄。
見た目は派手じゃない。装飾もない。
でも――剣だ。
錆びた刃ではなく、“立つ剣”になった。
レグルスが、静かに光った。
エリシアが息を呑む。
「……本当に、鍛え直した」
モグが藁の上で、目を細める。
「……見たかったな……その顔……」
「寝ろ。死ぬぞ」
「死なねえ……」
そう言いながら、モグの呼吸が少し穏やかになる。
俺は剣を布で包まず、そのまま膝に置いた。
重みが違う。
“戻ってきた重み”だ。
その瞬間、外の空気が変わった。
風が止まり、煤の匂いが薄れ、代わりに――冷たい祈りの匂いが刺さる。
エリシアが顔を上げた。
「……来る」
俺も分かった。
足音。複数。揃っている。
ギルドの荒くれじゃない。教会の護衛でもない。
祈りの歩幅。
「監察局?」
俺が言うと、エリシアの目が一瞬だけ揺れた。
「……私の同僚。多分、“私を連れ戻しに”来た」
扉の向こうで、静かな声が響いた。
「シスター・エリシア。命令です。扉を開けなさい」
エリシアが、ほんの少しだけ唇を噛む。
「……見つかった」
俺はレグルスを握った。
脈が落ち着いている。怖くない。むしろ、静かに燃えている。
視界の端に表示が浮かんだ。
――《微弱権能:導き(仮)》
――《更新:導き(確定)》
――《対象:敵意/鉄の流れ》
導きが“確定”した。
俺は息を吐き、立ち上がる。
「エリシア。選べ」
「……何を」
「戻るか、ここに残るか」
エリシアは、扉のほうを見て、次に俺を見た。
そして――いつもの冷たい顔のまま、言った。
「……私は監察局。止めるべきものを止める。それだけ」
扉の向こうの声がもう一度。
「開けなさい。抵抗は処分対象です」
俺は剣を構えない。
構えなくても、剣がここにあるだけで、炉の空気が変わる。
「……なら」
俺は小さく笑った。
「俺の炉で、話をしようか」
次の瞬間、扉が――静かに開いた。
白いローブの影が、月光を背に立っていた。




