灰の壇と祈りの火
聖堂の尖塔は、昼でも冷たい。
祭礼当日。王都は浮かれていた。花輪、香の煙、歌声。人の波が聖堂へ吸い込まれていく。
その裏で――俺たちは逆に、聖堂の地下へ潜る。
「入口は二つ」
エリシアが人混みの端で囁いた。
「正規の階段と、監察局の通路。今日は監察局の通路も見張られてる。……だから三つ目を使う」
「三つ目?」
エリシアが目線で示したのは、聖堂の裏庭のさらに裏――石壁の陰にある、小さな排水口だった。
「祭礼の日は香油と洗い水が増える。排水路の蓋が甘くなる。……ここ」
彼女は指先で石をなぞり、隙間に銀の札を差し込んだ。
――カチ。
音もなく、石蓋がずれた。
「……ほんと、裏道好きだな」
「生きるためよ」
エリシアは淡々と答え、先に滑り込む。
俺は布包みを抱え、続いた。
地下の空気は“祈り”で重かった。
湿気に混ざって香が鼻を刺す。壁の文様が、ランタンの光じゃなくても微かに白い。
結界とは違う。眠らせる膜ではなく、熱を溜め込む“器”だ。
レグルスが、静かに脈打つ。
『……火』
視界に表示が浮かぶ。
――《必要素材:祈りの火種》
――《反応:強(近距離)》
――《警告:聖火封印》
「聖火は封印されてる」
エリシアが言う。
「灰の壇は、祈りを燃やす場所。勝手に触れれば異端扱い」
「異端にされる前に、救う」
俺は低く言った。
モグ。
脳裏に、あの槌が落ちていた床がよぎる。
エリシアは頷き、角を曲がった。
そして――広い空間に出る。
そこが灰の壇だった。
灰の壇は、炉だった。
だが鍛冶の炉じゃない。
白い石で囲まれた円形の祭壇。中央には、灰が積もっている。燃えた痕跡が、何層にも重なっている。
天井からは鎖が垂れ下がり、古い鉄の籠が吊られていた。
その籠の中――
「……モグ!」
老人が縛られていた。
口元が切れ、目は腫れている。それでも、俺を見て笑った。
「……来やがったか、若造」
「喋るな。今すぐ――」
「動くな」
冷たい声。
祭壇の向こうから、ローデン司祭が現れた。護衛が四。さらに――壁際に、ディランが立っている。
楽しそうに手を振った。
「やあ、レイン。来てくれて嬉しいよ」
胸の奥が燃える。
俺は布包みを抱えたまま、一歩前へ出た。
「モグを放せ」
「放すとも」
ローデンが薄く笑う。
「剣を渡せばな。聖遺物は神のもの。お前のような罪人が触れていいものではない」
「罪人にしたのはお前らだ」
ディランが肩をすくめる。
「言い方はやめてよ。僕は“整えただけ”だ。君が世間から消えるようにね」
――やっぱり。
冤罪は仕組まれていた。
ローデンが指を鳴らす。
護衛が籠の鎖を引いた。モグの身体が少し持ち上がる。籠の下に灰の山。
そこに、淡い白い火が灯っていた。
熱を感じないのに、目だけが焼けるように痛い火。
「聖火だ」
エリシアが小さく息を呑む。
「……触れれば魂が灼かれる」
ローデンが言う。
「剣か、老人か。選べ」
……選べ?
選ばない。
俺は布包みの上からレグルスを握った。
脈が、強く返る。
『……奪え』
表示が浮かぶ。
――《条件:火種取得》
――《推奨:聖火の“灰”》
――《注意:直触れ不可》
灰。
祈りの火種は、炎そのものじゃない。燃え残った“核”だ。
なら、鍛冶と同じだ。
火から“芯”だけを取る。
俺は深呼吸した。
火を扱うなら、炉を作れ。
炉がないなら――この場を炉にする。
「エリシア」
俺は囁く。
「時間、三秒くれ」
「……三秒で何を?」
「炉を組む」
エリシアの瞳が一瞬だけ揺れ――頷いた。
彼女は一歩前へ出て、監察局の札を掲げる。
「ローデン司祭。監察局の命令よ。この場を――」
「黙れ、監察風情が!」
ローデンが声を荒げた、その瞬間。
エリシアは札を地面へ叩きつけた。
白い光が走り、空気が“張る”。
護衛の動きが、半拍遅れる。
――一秒。
俺は足元の鉄屑――鎖、釘、短い板――モグからもらった束を一気に投げた。
石の床に散らばる鉄。
――二秒。
俺は星屑銀の糸を伸ばし、鉄片同士を結ぶ。蜘蛛の巣みたいに。
魔力を通す導線。
――三秒。
俺はその導線に、レグルスの脈を“合わせた”。
カン。
音は鳴らない。だが、空気の中に鍛冶場の緊張が立つ。
灰の壇全体が――炉になった。
「……何をした!」
ローデンが叫ぶ。
遅い。
俺は導線を通して、聖火の“熱の道”を読んだ。
直接触れれば灼かれる。
でも、灰は残る。
俺は灰の山の縁に落ちている、白く硬い粒――聖火の核を“導線”で吸い上げた。
星屑銀が受け皿になる。
鉄片が、箸になる。
魔力の流れで、灰の核がふわりと浮く。
掌に来た瞬間、熱じゃない痛みが走った。
「……っ!」
魂を刺す痛み。だが、導線がある。直触れじゃない。耐えられる。
表示が弾けた。
――《祈りの火種:取得(微量)》
――《修復進行:可能(高)》
――《権能解放条件:素材三点(達成)》
達成。
これで――三つ揃った。
「やった……!」
エリシアが息を呑む。
ローデンの顔色が変わった。
「奪っただと……聖火を……!」
ディランだけが、楽しそうに拍手した。
「すごいよ、レイン。君、本当に“炉”を作った」
次の瞬間、護衛が一斉に動いた。槍先が俺へ向く。
俺は聖火の核を星屑銀の環に封じ、布包みに滑らせた。
――次はモグ。
「モグ!」
俺が叫ぶと、老人が笑った。
「……気にすんな。俺のことより――」
言葉の途中で、籠の鎖が引かれた。
モグが灰の上へ落ちる。
「――モグ!!」
俺は走った。
だが、ローデンが叫ぶ。
「聖火で焼けろ、罪人め!」
灰の白い火が、籠の周囲で踊る。
エリシアが飛び出し、銀の札を投げた。光が籠を包む。だが完全には止められない。
「間に合わない……!」
俺は歯を食いしばった。
火を奪ったなら、火を使う。
鍛冶師の火を。
俺はレグルスに魔力を流した。
素材は揃った。今なら――応える。
布包みが内側から光った。
『……解放』
視界が白くなる。
――《権能:解放(第一段階)》
――《権能名:聖火反転》
聖火反転。
意味が理解できないまま、俺は“火”へ手を伸ばした。
白い火が、俺に牙をむく。
その瞬間――火が、反転した。
白が、黒になるのではない。
白が、温かい赤になる。
魂を刺す痛みが消え、熱が“手の中に収まる”。
俺はその熱を、籠の下へ流した。
火を“整える”。
灰の壇にある火を、鍛冶の火に戻す。
モグの周囲の白い火が薄れ、籠が熱だけを残して沈む。
俺は鎖を掴み、引き上げた。
籠の中でモグが咳き込みながら笑う。
「……若造……やりやがったな……」
「生きてろ。借りを返す」
その瞬間、ディランの声が近づいた。
「いいね。最高だ」
彼は手を翳し、空気に“重り”を落とした。足が石に吸い付く。
「でもさ、君が権能を解放した瞬間――僕にも見えたんだ。君の剣の“呼吸”が」
ローデンが叫ぶ。
「奪え! 殺せ!」
エリシアが歯を噛む。
「撤退! 今は――」
俺はモグを支え、導線を蹴り飛ばした。星屑銀の糸が切れ、鉄片が散る。
炉が崩れる。
同時に、聖火反転の残り熱で、灰の壇の床が一瞬だけ熱を持った。
護衛の足が滑る。槍が乱れる。
俺たちは走った。
排水路へ。地下道へ。
背後でディランが笑う声。
「逃げていいよ、レイン。次はもっと面白くなる」
ローデンの怒声。
「追え! 追えぇぇ!」
地下道の暗闇へ飛び込んだ瞬間、レグルスが静かに脈打った。
『……火は、手に入れた』
俺は息を吐いた。
モグは生きている。
素材は揃った。
権能は、解放された。
でも――戦いは、これからだ。




