追放とガラクタ
第一話 追放とガラクタ
金床を叩く音が、今日に限ってやけに遠く聞こえた。
――カン、カン、カン。
鍛冶場の天井に立ちのぼる熱気。鉄の匂い。汗が首筋を伝い落ちる。いつもなら落ち着くはずのそれらが、胸の奥をざわつかせる。
背後で、靴音が止まった。
「……レイン」
呼ばれた名に、俺は槌を止めない。止めたら負けだと思った。いや、もう負けているのかもしれないが。
「ギルド長が呼んでいる。今すぐ来い」
伝令役の同僚は、目を合わせない。唇だけが申し訳なさそうに動いた。
「わかった」
槌を置き、火箸で赤熱した鋼を水へ沈める。じゅうっと白い蒸気が上がり、俺の視界を一瞬で曇らせた。
蒸気が晴れる前に、嫌な予感は確信へ変わっていた。
鍛冶師ギルド本部の会議室は、いつ来ても空気が冷たい。石造りの壁に掛けられた紋章旗が、やけに立派に見える。
中央の長机に、ギルド長バルドーが座っていた。太い指で顎髭を撫で、俺を見下ろす。
その左右には幹部たち。奥の席には、見慣れた顔があった。
俺の同期で、今は“天才鍛冶師”と持て囃されている男――ディラン。
彼は口元だけで笑った。
「レイン。君に話がある」
バルドーが低い声で言う。
「先月、伯爵家から依頼された《銀狼騎士団》用の剣だ。納品したものが折れた」
「……嘘だろ。俺が鍛えたのは――」
「嘘ではない。現物もある」
机の上に、折れた剣が投げ出された。確かに、刃の根元から無惨に割れている。
だが、俺は一目で分かった。これは俺の鍛え方じゃない。
刃紋が違う。焼き入れのムラもある。何より――芯材の合わせが雑すぎる。
「これは……俺のじゃない。刻印が違う」
「刻印?」
バルドーがわざとらしく眉をひそめる。
「お前の工房の刻印だ。伯爵家の印もある。言い逃れはできん」
俺は喉が詰まった。刻印――確かに、俺の工房のものに見える。だが……おかしい。線が微妙に太い。打刻の角度が――
目の端で、ディランが肩をすくめるのが見えた。
「レイン。君は昔から詰めが甘いんだよ。鍛冶は信用が命だ。伯爵家の信頼を傷つけた責任は重い」
「お前……!」
思わず睨むと、ディランは涼しい顔のまま。
「睨まれても困る。僕は事実を言ってるだけだ」
幹部の一人が咳払いをして言った。
「それだけではない。お前は最近、成果がない。魔剣の鍛造も、付与も、他の者より劣る。ギルドに置いておく理由が薄い」
別の幹部が続ける。
「現に、王都の冒険者からの指名依頼はディランに集中している。お前は……ただの“鉄を叩けるだけの職人”だ」
胸の奥が、冷たく沈んだ。
――違う。
俺は知っている。鉄の声が聞こえるようになったのは、子どもの頃からだ。
石の中の脈。砂鉄の混ざり方。炉の炎が“足りない”と囁く瞬間。鍛える前から、どこが弱点になるか分かる。
だけど、口に出すほどでもないと思ってきた。
鍛冶師は、結果で語ればいい。そう信じてきた。
……その結果が、今、偽造で塗りつぶされている。
「結論を言う」
バルドーが椅子にもたれ、冷たく告げた。
「レイン・グラント。お前を鍛冶師ギルドから除名する。工房の権利は没収。弟子契約も解除。道具の持ち出しは禁止。今日限りで、この建物に入るな」
一瞬、耳が遠くなる。
工房が、没収……?
「待て! 工房は俺の――俺が借金して建てたんだぞ! 何の権利があって!」
「ギルドの名を使って商売した以上、信用を毀損した者に資産を預けるわけにはいかん。規約だ」
規約。
都合のいい言葉だ。
ディランが、立ち上がって俺の前に来た。わざとらしく、哀れむような声で。
「レイン。君は田舎者のままなんだ。王都では、力もコネもない者が踏まれる。……せめて、これ以上恥を晒さないで出ていくといい」
拳が震えた。今ここで殴れば、完全に終わる。
だから俺は、奥歯を噛みしめて言う。
「……分かった」
立ち去るとき、背中に笑い声が刺さった。
「やっと静かになるな」
「彼がいなくなれば、注文が回る」
「伯爵家への詫びもこれで済む」
そして最後に、ディランの囁きが聞こえた気がした。
「さよなら、凡才」
夕暮れの王都は美しかった。
石畳が橙に染まり、塔の影が伸び、貴族の馬車が音もなく走り去る。
だけど、俺にとって王都は――冷たい。
工房へ戻ると、門前に鍵が掛け替えられていた。自分の手で選んだ道具、金床、炉、積み上げた素材。全部、向こう側だ。
手元に残ったのは、着替え一式と、腰の小袋に入る程度の金。
……笑える。
鍛冶師として生きてきたはずなのに、鍛冶師としての俺を証明するものが、一つもない。
「……くそ」
吐き捨てた言葉は、冷たい空気に吸い込まれた。
行く当てもなく歩き、気づけば城壁沿いの外れへ出ていた。貴族街から遠いこのあたりは、煤けた家と崩れかけた塀が並ぶ。
そして、鼻を突く匂い。
油と錆と、捨てられた鉄。
――廃材捨て場。
鍛冶師や工房が出した失敗作、折れた武具、壊れた鎧、使い物にならない金属屑が積み上がる場所だ。ここなら、誰も俺を気にしない。
俺は山のような鉄屑の前に立った。
……不思議と、落ち着いた。
火もない。槌もない。だが、ここには“素材”がある。
俺は屑山に手を突っ込み、一本一本、触れていく。
冷たい鉄は、たいてい黙っている。錆びた鎖は、ただ重いだけだ。折れた槍の穂先は、折れた理由を恨むように尖っている。
その中で。
――微かに、呼ばれた気がした。
「……?」
足を止める。
屑山の奥。泥と灰に埋もれた、細長い何か。
俺は膝をつき、手で掘り起こした。
出てきたのは、柄も鍔もない、ただの“刃”だった。
表面は黒く錆び、欠けがいくつもあり、刃先は丸まっている。どう見てもガラクタ。どこの工房も金に換えられないから捨てたのだろう。
……なのに。
指先が触れた瞬間、胸の奥がじわりと熱くなった。
まるで、炉の火がまだ生きているみたいに。
「おい……お前、まだ……?」
俺は息を呑んだ。
鉄は死ぬ。使い捨てられ、錆びれば、もう戻らない。普通は。
だがこの刃は、“芯”が生きている。
俺の内側で、ずっと抑えてきた感覚が跳ね上がった。
――この鉄は、折れていない。
折れたふりをしているだけだ。
俺は、ゆっくりと刃を持ち上げた。
重い。
錆びた鉄にしては、妙に重い。密度が違う。中に――何か、混ざっている。
月明かりが雲間から差し、刃の根元に一瞬だけ、薄い刻みが見えた。
錆に埋もれた、古い紋様。
見覚えがないのに、なぜか読める気がする。
――“聖”。
「……冗談だろ」
喉が鳴った。
伝説の武具には、古代文字が刻まれる。聖剣、魔剣、神具……そんな話は酒場で何度も聞いた。
でも、それが廃材捨て場にある?
あり得ない。あり得るはずがない。
俺は刃を抱え、立ち上がった。
「……よし」
腹の底に、久しぶりに“鍛冶師”の火が灯る。
工房も炉も槌も奪われた。なら――奪い返すだけだ。
そして、その最初の一歩が、たった一本のガラクタだとしても。
俺は暗い路地へ歩き出した。
錆びた刃が、なぜか手の中で温かかった。
まるで――生きているみたいに。




