アンケート用紙のカラクリ
僕も自然と蜜木から腕を離した。
そういう意味というのは、なんだ?
何か今、会話に大きなすれ違いがあったように感じたが、気のせいだろうか? もしかして、僕が蜜木を笑わせたのか?
直前の会話を思い返してあれこれと考えている僕を置き去りにして、蜜木は教室前方の出入り口の扉へ歩いていった。
僕の目は既にだいぶ暗闇に慣れていたので、蜜木が暗闇の中で何をしているのかはぼんやり見えている。
蜜木は扉の前へ行くと、そばに立てかけてあった額縁を手に取り、慣れた手つきで扉のすりガラスを被うように額縁を掛けた。その後、僕の横を通って後方の出入り口へ行き、また同じように扉のすりガラスの上に額縁を掛ける。
何をしているんだ?
疑問に思いつつも、僕はひとまず黙って蜜木の行動を観察する。
次に蜜木は窓側へ行き、白い遮光カーテンを開けた。
外の光が室内に降り注ぐ。外は曇りだったが、暗闇に慣れた僕の目には十分眩しかった。
目をしばたいた後、室内を見渡した。
話に聞いていた通り、第二美術室は物置だった。
木製の古い机や箱椅子、年季の入った書類が詰め込まれた古びた本棚などが廊下側の壁を避けるようにして教室の後方半分くらいに隙間なくギッチリと詰め込まれていた。手前には横断幕や紅白幕などの布が畳まれた状態で山になっていたり、何が入っているかわからない段ボールが僕の目線ほどの高さまで積み上げられている。
壁には昔の在校生の作品らしきものが数点飾られていて、床や壁にはアクリル絵の具の汚れが残っていた。黒板の前には畳一畳分くらいの大きな教卓。美術室としての名残はそれくらいで、石膏像も描きかけの絵も見当たらなかったことに僕はホッとした。
「発明部の部室へようこそ」
教卓に立った蜜木が、遊園地のキャストみたいな笑顔で言った。
僕はちらりと出入り口の扉を見る。なるほど。すりガラスの上に額縁を掛けたのは、室内の光が廊下に漏れないようにするためか。
「まだ発明部の部室になったわけじゃないだろう」
手際の良さに呆れながら教卓に近づく。教卓周辺の床には空っぽになったスナック菓子の袋や、保護者向けに配られたプリントが紙飛行機や折り紙のカエルになって点々と落ちていた。
この散らかり具合だと、蜜木がここへ不法侵入を始めてからかなり経つのだろう。大胆不敵な不良生徒である。
「少し片付けておけば良かったなぁ。お菓子も今切らしてて、なんにもないし……。用意が悪くてごめんね。自分の家だと思ってリラックスしてくれていいからね」
蜜木が恥ずかしそうに笑いながら頭をかいた。まるで家に急な客人を招いてしまった人のようなセリフである。とても教室を不法占拠している人間のセリフとは思えない。
ふと教卓の隅を見ると、小さな折り鶴が数羽身を寄せ合っていた。鶴はとても綺麗に折られていて、蜜木は手先が器用なのだなと密かに感心した。が、感心したのも束の間、これもよく見れば数学の小テストで折られているし、鶴は週間少年漫画雑誌の上に置かれていた。
「君……。生徒会長として指摘するべき風紀の乱れが多すぎて、どこから注意したらいいのかわからないのだが……」
次から次へ問題を起こす蜜木。僕は小さい頃に本土のショッピングモールで遊んだワニをハンマーで叩くゲームを思い出した。叩いても叩いても、また次の問題が僕に噛み付いてくるのである。
生徒会長としてやっていく自信がなくなりそうだ。頭が痛い。
うなだれた僕の視線が、ふと、足元に落ちていた折り紙のカエルに吸い寄せられた。
蜜木の気まぐれだろうか、そのカエルにだけは目が描かれていた。黒いペンで書かれたつぶらな瞳が、何かを訴えかけるように僕を見上げていたのである。
……かわいい。
厳格な生徒会長としてのイメージが崩れるといけないので人に言ったことはがないが、僕は小さくてかわいい生き物が大好きなのである。
僕はカエルをすくい上げて、教卓の上に乗せた。
懐かしい。僕も小さかった頃、御じい様に教わって折ったことがある。
カエルを弾く。カエルは思ったよりも大きく跳ねて、空中でアーチを描きながら教卓の向かい側に着地した。
カエルが着地したのは蜜木の手元。
その下には、白紙の入部届があった。
「あっ! 入部届!」
そうだ。いろいろなことがあったせいでうっかり忘れていたが、僕は自分が書いた覚えのない入部届が提出されていたことについて蜜木を問いただすためにここへ来たのだった。
冷水を浴びて夢から覚めたような気分で蜜木の顔を見上げると、蜜木はいつもの微笑み顔で頷いた。
「うん。じゃあ、さっそく『書いた覚えのない入部届の作り方』を教えてあげるね」
蜜木は手前の引き出しを開けて、中から黒いバインダーを取り出した。昨日、僕が校内アンケートを記入した時に使ったバインダーである。どうやら白いバインダーを黒い油性ペンで塗りつぶしてあるらしい、あの奇妙なバインダーだ。
「はい。これは僕の作った発明品のバインダーです。じゃあまずは、用紙に予備があったからもう一度昨日と同じことをやってみようか。昨日のことを思い出して、同じようにアンケートに答えてみてほしいな」
「アンケート?」
なにやらゴソゴソと準備をしたのちに教卓越しに渡された(蜜木の自称)発明品のバインダーには、昨日と同じボールペンと、昨日と同じ『校内学力アンケート』と書かれたアンケート用紙が挟まれていた。
「このアンケートと入部届の謎がどう繋がるんだ?」
「それは書いてくれたらすぐにわかるよ」
「今度こそ、本当にわかるんだな?」
「うん」
「ね?」と蜜木に促されるまま、ボールペンを手に取りしぶしぶ名前を書き始める。
こんなものを書いて、なにがわかるというのか。半信半疑どころか、八割〝疑〟の心境でボールペンの筆先を用紙の上に軽く走らせる。
ところが、僕が氏名欄に『藤間』まで書いたところで、蜜木が「あっ、会長。ちょっとストップ」と僕を制止した。
「なんだ?」
「うーん。ちょっと昨日と違うんだよね。失敗するといけないから、昨日のこと思い出して、同じように書いてほしくて」
蜜木の言っていることはよくわからなかった。
僕は昨日と同じようにアンケートに答えようとしているのである。なにが違うというのか。
眉間に皺を寄せて首を傾げていた僕のそばに、蜜木が近寄ってくる。
そして、僕頭の上にポン、と手のひらを乗せた。
「そっかぁ、会長にはこの問題はちょっと難しすぎたかぁ。ごめんねぇ」
それは、まるで小さな子供と話しているかのような口調であった。直前に頭の上に乗せられた手のひらは、僕の頭を撫でている。
あの時の怒りが一瞬で蘇った。思い出したのである。あの屈辱的なやり取りを。
「こんな問題、すぐに解ける!」
僕は強い怒りを筆圧に乗せて、勢いよく氏名を記入した。そうしてそのままあっという間に全問解き終わると、昨日と同じように押し付けるようにバインダーを蜜木に返した。
「そうそう。これで大丈夫だよ。ありがとう」
蜜木は満足そうにバインダーに挟まれたアンケート用紙を見ている。
「で? これが入部届とどう繋がるんだ?」
苛立ちを隠さず刺々しい口調でそう尋ねたが、蜜木は気にした様子もなくバインダーを教卓の上に置いて笑顔で僕の方を見た。
「あのね、実はこれね、アンケート用紙の下にカーボン紙が挟まってるんだ」
「カーボン紙?」
蜜木はとっておきの玩具を自慢する子供みたいにそう言って、バインダーに挟まっているアンケート用紙をめくった。その下からアンケート用紙とピッタリ同じサイズのペラペラとした黒い紙が出てくる。
見覚えがある。これは確か、宅配便の手書き伝票に使われている紙だ。上に書いた文字を、そのまま下の紙に複写できるのである。
「で、その下にあるのがね」
蜜木がカーボン紙をめくる。その下には、アンケート用紙に書いた僕の字がそのまま複写された入部届があった。
部活動名の欄には『発明』と書かれている。アンケート用紙の一問目の答えが『発明』だったのだ。
氏名欄に書かれた名前も、(藤間だけ薄くなってはいたが)紛れもなく僕の字で書かれたものである。
「じゃーん。これが書いた覚えのない入部届の作り方でーす」
脳内に電撃が走ったような衝撃と共に、僕は全てを理解した。
蜜木はカーボン紙を仕込んだ自作の校内アンケート用紙で回答者の筆跡を盗み取り、下の入部届にそれを複写していたのだ。
白いバインダーを黒い油性ペンで塗りつぶしていたのは、校内アンケート用紙の下に挟んだカーボン紙に気づかれないようにするためだ。白いバインダーのままでは、カーボン紙の存在に気が付かれてしまう。
聞き耳調査中に『校内アンケートを断りきれなかった時は、筆ペンやマーカーペンで書けばいい』という話を聞いた。その時は意味がわからなかったが、今ならわかる。筆ペンやマーカーペンで書いた文字は、カーボン紙で複写されないのだ。
『校内アンケートに答えるととんでもないことになる』というのも、今なら意味がわかる。得体の知れない部活動に勝手に入部させられるのだ。厄介なことに瑠璃島村中学校は部活動の兼部が認められていないので、最悪の場合本人の知らない間に所属している部活動を退部させられることになる。
「これが僕の発明品〝入部届書かせるくん〟だよ。どう? 結構いい発明品だと思わない?」
蜜木の口元から八重歯が覗く。
まんまと蜜木の策略にはまってしまった悔しさに、僕は地団駄踏みたくなる気持ちを抑えながら、その代わりに教卓をバシバシと叩いた。
「認めないぞ! こんな騙し討ちみたいな部活勧誘!」




