第60話:店長の人格崩壊と、崩壊するマート
1月某日。
その悲劇は、バックヤードでの在庫整理中に起きた。
「おいリリス、上の棚にある『鉄塊(1トン)』を取ってくれ」
「えー、重いですよぉ」
リリスが手を滑らせた。
「あっ」
ガゴォォォォン!!!!
鈍い音が響き、タナカが床に崩れ落ちた。脳天に直撃だ。
「て、店長ーーッ!! 死んだ!? 死んじゃいました!?」
「……う……うぅ……」
タナカがゆっくりと目を開けた。
リリスとグリムが心配そうに覗き込む。
「店長! わかりますか!? 私です、リリスです!」
『主よ、指が何本に見える?』
タナカは二人を見つめ……そして、「聖人のような慈愛に満ちた微笑み」を浮かべた。
「……ああ、もちろんです。私の大切な仲間の、リリスさんとグリムさんですね」
「「……はい?」」
タナカが立ち上がった。その瞳は、いつもの「死んだ魚のような目」ではなく、少女漫画のようにキラキラと輝いている。
「怪我はありませんか? ……リリスさん、君の細腕にこんな重労働を。……いつもごめんね」
「えっ、あ、はい。大丈夫ですけど……」
タナカはリリスの手を優しく包み込んだ。
「これからは、無理をしないでください。……そうだ、今すぐ『有給休暇』を取ってください」
「ゆ、有給!?」
「給料も倍にします。君たちの笑顔こそが、この店の宝なのですから」
リリスとグリムは顔を見合わせた。
そして同時に確信した。
「(壊れたァァァァァ!!!)」
【ホワイト経営、開始】
タナカの変貌は、従業員だけでなく、店全体に及んだ。
「いらっしゃいませ!」
タナカが店頭で、オークの客に深々と頭を下げた。
「おや、お客様。装備がボロボロですね。お金がない? ……それはいけません! 命に関わります!」
タナカは棚から最高級のエリクサーを取り出し、オークに握らせた。
「これをどうぞ。……お代は結構です」
「えっ!? マジで!?」
「困った時はお互い様です。どうか、生きて帰ってくださいね」
オークは涙を流して感謝し、帰っていった。
それを見ていたリリスが悲鳴を上げる。
「店長! エリクサーをタダであげちゃダメですよ! 大赤字です!」
「リリスさん。利益なんて、命に比べれば紙切れ同然ですよ」
タナカは爽やかに笑った。
「今日から当店は、『完全無料・奉仕ステーション』として生まれ変わります!」
それから3時間後。
ダンジョンマートはカオスと化していた。
「おい聞いたか! あのタナカがタダで商品を配ってるぞ!」
「マジか! 今のうちだ!」
噂を聞きつけた魔物たちが大挙して押し寄せた。
店内はバーゲンセール会場のような有様だ。
「お肉ください!」
「はい、どうぞ!」
「武器くれ!」
「はい、どうぞ!」
タナカはニコニコしながら、店の資産を次々と放出してゆく。
レジの売上はゼロ。
在庫は空っぽ。
「やばい……やばいよグリムさん……!」
リリスがバックヤードで震える。
「最初はラッキーって思ったけど、これじゃ店が潰れる! 店が潰れたら、私たちも路頭に迷う!」
『うむ……。無秩序な慈悲は、破滅を招くのみ……』
「なんとかして店長を元に戻さないと!」
二人はタナカの元へ走った。
「店長! もうやめてください! 私たち、普通のブラック企業に戻りたいです!」
しかし、タナカは聞く耳を持たない。
「ははは。何を言うんですか。私は皆の幸せを願う、ただのコンビニ店員ですよ」
ダメだ。言葉が通じない。
リリスは最後の手段に出た。
「店長……これを見てください」
リリスは震える手で、ここ数時間の『リアルタイム損益計算書』を突きつけた。
「……ん? なんですか、これは」
タナカが笑顔で紙を受け取る。
【売上:0円】
【原価損失:-6,000,000円】
「……」
タナカの笑顔が、スッと消えた。
「……あー……」
タナカは紙を見つめたまま、深く、重い溜息をついた。
それは怒りではない。
もっと根源的な、「面倒な仕事が増えたことへの絶望」だった。
「……600万の赤字か。……これを本部へ報告するには、始末書が3枚、補填計画書が5枚……」
ブツブツと独り言を呟く。
「……しかも監査が入るな。……過去の帳簿も洗われる……。……面倒だ」
タナカの瞳から、キラキラした光が急速に失われていく。
そして、いつもの「死んだ魚のような濁った瞳」が戻ってきた。
「……面倒すぎる」
タナカは眼鏡の位置を中指で直し、顔を上げた。
そこにはもう、聖人の面影はない。
ただの「疲れ切ったバイトリーダー」がいるだけだ。
「……リリス」
「は、はい! 戻りましたか!?」
「電卓を持ってこい。……今日中に帳尻を合わせるぞ」
タナカは、電卓を片手に店内へと歩き出した。
そこには、タダで商品を貰って喜んでいるオークやゴブリンたちがいる。
「あ、店長さん! ありがとう! このエリクサー最高だよ!」
オークが笑顔で話しかける。
タナカは無表情のまま、オークの前に立った。
「お客様。少々、『事務的な訂正』がございます」
「え?」
「先ほどの無料配布ですが、こちらのレジシステムの不具合により、誤った処理が行われておりました」
「はあ?」
「つきましては、正規料金でのご精算をお願いいたします。……なお、既に開封済みの場合は、買取となります」
タナカの声は平坦だった。
怒鳴るわけでもなく、ただ淡々と事実を述べる。
「はぁ!? ふざけんな! タダって言っただろ!」
オークが激昂する。
タナカは「はぁ……」と気だるげに溜息をついた。
「お客様。揉めるのはお互いに時間の無駄です。私も早く帰りたいんです」
タナカは背後のグリムに目配せをした。
「未払いによる商品持ち出しは、当店では『万引き』扱いとなります。……警備員の出番になってしまいますが、よろしいですか?」
『……(無言で大鎌を構える)』
「ひぃッ!?」
「お支払いは現金ですか? それとも魔石ですか? ……はい、ありがとうございます。領収書は必要ですか?」
タナカは機械的に、次々と客から代金を回収していく。
「話が違う!」と騒ぐ客には、「システムエラーですので」の一点張り。
その姿は、感情を持たない集金マシーンのようだった。
1時間後。
騒動は収束し、赤字はなんとか回収された。
「……ふぅ。疲れた」
タナカはレジカウンターに突っ伏した。
記憶喪失中の記憶は曖昧らしいが、体にはドッと疲労が溜まっている。
「店長……おかえりなさい」
リリスが恐る恐る声をかける。
「ああ。……なんか知らんが、ひどく肩が凝る。それに、なんでこんなに在庫が減ってるんだ?」
「(全部あんたのせいだけど……)」
タナカはシフト表を確認した。
「リリス。さっき私が『有給』とか『給料倍増』とか口走っていた気がするが」
「は、はい! 言ってました! それは有効ですよね!?」
タナカは冷めた目でリリスを見た。
「夢でも見たんじゃないか? ……そんな予算、どこにもないぞ」
「ですよねー!!」
「さあ、仕事に戻れ。さっきの騒ぎで棚が乱れている。直さないと帰れんぞ」
リリスは泣きながら商品の陳列を直し始めた。
タナカは気だるげに欠伸をし、またいつものように週刊誌を読み始めた。
ダンジョンマートには、今日も平常通りの、夢も希望もない日常が戻ってきたのだった。
ダンジョン地下99階。ここでは、「優しさ」はシステムエラーとして修正される。
【あとがき:二匹目のどじょう】
リリス「あの……店長。相談なんですけど」
タナカ「なんだ。金なら貸さんぞ」
リリス「もう一回、その『鉄塊』を頭に落としてみませんか?」
タナカ「は? 殺す気か?」
リリス「いや、当たり所を調整すれば、『給料は倍にしてくれるけど、商品の無料配布はしない』という、都合のいい『ハイブリッド店長』が生まれるかもって……」
グリム『ふむ。計算上、その確率は0.002%だ。残りの99.998%は、単にタナカ殿が死ぬ』
タナカ「リリス。……来月のシフト、全部『深夜ワンオペ』にしておくな」
リリス「ひぃぃぃ! 冗談ですぅぅ!!」




