第45話:トイレの擬音装置と、オーク族の「プライドを懸けた咆哮」
「……店長。トイレに妙な機械がつきましたね」
開店前の清掃中、リリスが男子トイレの個室を覗き込んで言った。
壁には、白いプラスチックの小さな箱が設置されている。
「ああ、『擬音装置(通称:音姫)』だ」
タナカはモップがけの手を止めずに答えた。
「最近、水道代の高騰が激しい。客が『音消し』のために無駄に水を流すのを防ぐための設備投資だ」
「へぇー。音消しですか」
「手をかざすと、優雅な流水音が流れて、恥ずかしい音を掻き消してくれる。これで水道代を30%削減できる計算だ」
タナカの狙いは、あくまで経費削減だった。
しかし、この装置が魔物たちの「戦士としてのプライド」を逆撫ですることになろうとは、計算外だった。
「ウオオオッ! 漏れるッ! 道を開けろォォ!!」
昼のピーク時。
ドスドスと地響きを立てて、一人のオーク・ウォリアーがトイレに駆け込んだ。
彼は歴戦の猛者であり、その巨体には無数の傷が刻まれている。
バンッ!!
個室のドアが閉まり、鍵がかかる。
「……ふぅ」
オークは便座に腰を下ろし、一息ついた。
そして、ズボンを下ろし、いざ野生を解き放とうとしたその時。
彼の手が、偶然センサーの前を横切った。
『ジャーーーーーーーーー♪』
「!?」
個室内に、清らかな小川のせせらぎのような音が響き渡った。
オークは驚いて周囲を見回した。
「な、なんだ!? 水漏れか!? ……いや、違う」
彼は壁の白い箱を睨みつけた。音はそこから出ている。
オークの眉間に皺が寄った。
『……貴様、まさか俺を「憐れんでいる」のか?』
オークは、この優雅な流水音を「挑発」と受け取った。
『俺の排泄音は、こんな軟弱な音で隠さねばならぬほど、貧弱だとでも言うのか!?』
戦士にとって、己が出す音は力の証明。
それを「恥ずかしいもの」として、人工的な音で上書きしようとする行為は、彼の野生に対する侮辱に他ならなかった。
「……舐めるなよ、白い箱め」
オークの瞳に炎が宿った。
「俺の轟音で、貴様のそのすました音を……ねじ伏せてやる!!」
『ジャーーーーーーーーー♪』
「ヌンッ!! フンッ!! ウオオオオオオオッ!!!」
トイレの外まで、異様な騒音が漏れ聞こえてきた。
レジにいたリリスがビクッと肩を震わせる。
「て、店長! トイレからすごい音が! 誰か襲われてますか!?」
「……いや、あれは……」
タナカが耳を澄ませる。
聞こえるのは、優雅な「音姫」のサウンドと、それに競り勝とうとするオークの「絶叫」と「壁を叩く音」、そして「全力のきばり声」だ。
『ジャーーーーーーー♪(チャラララ~♪)』
「ガアアアアアッ!! まだだ! まだ俺は負けん!! 出ろォォォ俺の魂よォォォ!!」
ドンドンドン!!
個室の中から、激しい打撃音が響く。
音姫の音量に負けじと、オークが自らの喉と括約筋、そして壁を叩く音で対抗しているのだ。
「……チッ。うるさいな」
タナカは舌打ちした。
他のお客様が、不快そうに耳を塞いでいる。
営業妨害だ。
「リリス、レジを頼む。少し『調整』してくる」
タナカはリモコンを片手に、トイレへと向かった。
「ハァ……ハァ……! どうだ! 俺の声の方がデカいだろう……!」
個室の中、オークは汗だくになっていた。
喉は枯れ、体力は限界に近い。
だが、壁の白い箱は、涼しい顔で『ジャーーーーー♪』と鳴り続けている。
無尽蔵のスタミナ。底知れぬ肺活量。
「くっ……強敵だ……。だが、俺にも戦士の意地が……!」
オークが最後の力を振り絞り、渾身の雄叫びを上げようとした、その時。
外にいるタナカが、リモコンの【音量:最大】ボタンを押した。
『ゴオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
「なっ!?」
それはもはや「せせらぎ」ではなかった。
「ダムの決壊」あるいは「大瀑布の轟き」のごとき爆音が、個室内の空気を振動させた。
オークの鼓膜がビリビリと震える。
「ぐ、ぐわあああああ!!!」
自身の絶叫など、かき消されるほどの圧倒的音圧。
大自然の暴力が、オークのプライドを粉々に打ち砕いた。
「ま、負けた……。俺の負けだ……!」
オークは便座の上で力尽き、ガクリと項垂れた。
数分後。
個室から出てきたオークは、憑き物が落ちたような清々しい顔をしていた。
「……いい勝負だった」
彼は洗面台で顔を洗うと、タナカに向かって親指を立てた。
「店主。あの個室には、とんでもない『水の精霊』が住んでいるな」
「はあ。まあ、機械ですけど」
「いや、あれは精霊だ。俺の魂の叫びを、全て受け止め、飲み込んでくれた……」
オークは満足げに店を去っていった。
だが、悲劇はそこで終わらない。
その噂は、瞬く間に脳筋モンスターたちの間に広まったのだ。
『おい聞いたか! 99階のトイレには、「歌声で戦士をねじ伏せる最強の精霊」がいるらしいぞ!』
『なんだと!? 俺の声量とどちらが上か、勝負してやる!』
その日の午後。
トイレの前には、用を足したいわけでもないのに、「発声練習」をするために並ぶミノタウロスやサイクロプスの列ができた。
「店長……トイレが『カラオケボックス』みたいになってます……」
リリスが遠い目で言う。
「……転んでもタダでは起きん」
タナカは即座に、トイレのドアに張り紙をした。
【個室利用料:1曲(1回) 100円】
【防音設備完備・採点機能(音姫)あり】
「これでトイレの維持費は稼げるな」
タナカは、トイレから聞こえる野太い絶叫と流水音のハーモニーをBGMに、冷徹に売上を計算した。
ダンジョン地下99階。ここでは、生理現象すらもエンターテインメントとなり、店主の小銭稼ぎに利用される。
【あとがき:トイレ掃除の憂鬱】
リリス「店長、今日のトイレ掃除、誰がやるんですか?」
タナカ「お前だ」
リリス「えー!? 嫌ですよ! 皆さん、興奮して暴れるから、壁とか凹んでるし!」
タナカ「安心しろ。壁の修理代として、利用料を高めに設定してある。」




