第39話:金欠勇者と、屈辱の「温めますか?」
「……くっ。足りない……!」
朝9時。
勇者アレンは、レジの前でがま口財布を逆さまに振っていた。
チャリン……と悲しい音を立てて出てきたのは、1円玉が3枚と、5円玉が1枚だけ。
合計8円。
「ポーション代はおろか、一番安い『スライムまん(110円)』すら買えん……! これでは魔王城にたどり着く前に、俺が餓死してしまう……!」
アレンが絶望に打ちひしがれていると、レジの中からタナカが声をかけた。
「お客様。買わないなら帰ってください。営業妨害です」
「た、タナカ! 頼む、ツケにしてくれ! 世界を救ったら倍にして返す!」
「うちは現金のみです。……金がないなら、稼げばいいじゃないですか」
タナカは、レジ横の張り紙を指差した。
【急募:短期アルバイト】
【時給:980円(深夜割増あり・まかない付き)】
【業務内容:レジ打ち、品出し、その他雑務】
【資格:心身ともに健康な方(種族問わず)】
アレンの目が点になった。
「なっ……勇者であるこの俺に、コンビニ店員をやれというのか!? しかも時給980円だと!? 剣を一振りすれば億を稼ぐこの俺が!?」
「嫌ならいいですけど。今日のまかない、『厚切りロースカツ弁当(598円)』ですよ」
「…………」
アレンの腹が、グゥゥゥ……と盛大に鳴った。
プライドか、598円の弁当か。
数秒の葛藤の末、勇者は膝をついた。
「……やらせてください」
「いいですか、アレン君。君の武器は聖剣じゃありません。『笑顔』です」
バックヤードで、タナカが制服を渡しながら言った。
アレンは聖なる鎧の上から無理やり制服を着込む。
ガチャガチャと金属音がうるさい。
「わ、わかっている! 俺は順応性の高い男だ!」
「じゃあ、挨拶の練習から。『いらっしゃいませ』」
「いらっしゃいませェェェッ!!!」
「声がデカい。お客様が鼓膜破れるだろ」
そこへ、先輩店員のリリスがやってきた。
「あはは! アレン君、なんか新入りの警備員さんみたい! よろしくね!」
「ぐぬぬ……魔族の下で働くなど……!」
アレンは屈辱に震えながら、レジカウンターに立った。
ウィィィン……。
自動ドアが開き、最初の客が入ってきた。
小汚いゴブリンだ。手には泥だらけの100円玉と、10円玉数枚を握りしめている。
アレンの身体が反射的に動いた。
彼はバーコードスキャナーを、まるで剣の柄のように握りしめ、構えた。
「貴様ァァァ!!」
「ひいっ!?」
ゴブリンが悲鳴を上げて腰を抜かす。
タナカがすかさずアレンの後頭部を(マニュアルで)叩いた。
「違う。『お客様』だ」
「はっ!? ……し、失礼した! ……お、お客様ァァ!!(殺気満々)」
「だから威嚇するな」
ゴブリンは震えながら、レジに『唐揚げ棒』を置いた。
「……こ、これ……くれ……」
「……チッ。唐揚げ棒だな?」
「『唐揚げ棒ですね』だ」タナカが訂正する。
アレンは引きつった笑顔を作った。
目の前にいるのは、普段なら経験値の養分にする雑魚モンスターだ。
それに頭を下げ、たかだか100円ちょっとの商品を売る。
プライドが軋む音がする。
「……ご一緒に、ポテトはいかがですか?(殺気)」
「い、いらねぇよ!」
「そうか。……温めますか?」
「唐揚げは温めねぇよ!」
「……チッ。138円だ」
「お釣りを早くくれよぉ!」
アレンはお釣りをトレーに叩きつけるように置いた。
ゴブリンはひったくるように受け取り、逃げ出してしまった。
「……はぁ……はぁ……」
アレンは肩で息をしていた。
「たった138円稼ぐのに、これほどの精神力を……!?」
「全然ダメですね」リリスが呆れる。
「しかし! 敵に塩を送るような真似は……!」
「アレン君」
タナカが静かに言った。
「あのゴブリン、10円玉が泥だらけだっただろ」
「え?」
「たぶん、採掘現場で朝から働いてきたんだよ。日当なんて数百円の世界だ。そのなけなしの金で、唯一の楽しみである唐揚げを買いに来たんだ」
アレンはハッとする。
ただの怪物だと思っていた。
だが、この店の中では、彼らもまた「社会の底辺で必死に生きる労働者」なのだ。
自分と同じように。
「……君が守りたい『世界』には、彼らの生活は含まれていないのか?」
タナカの言葉が、アレンの胸に突き刺さった。
勇者とは何か。経済とは何か。
次の客が来た。
子連れのオークの母親だ。
「あら、新しい店員さん? ……これ、お願いします」
差し出されたのは、子供用のミルクとお菓子。
子供のオークが、アレンの銀色の鎧を見て目を輝かせている。
「わぁ、ピカピカだぁ……」
アレンは、スキャナーを握り直した。
今度は、剣としてではなく、仕事道具として。
「……はい。……ミルクとお菓子ですね」
声のトーンが、少しだけ柔らかくなった。
「……僕、かっこいい鎧だね」
アレンは子供に微笑みかけ、商品を袋に入れた。
「ありがとう。……また来てくれよな」
「うん! バイバイ、店員のお兄ちゃん!」
親子は笑顔で帰っていった。
アレンの中に、魔物を斬った時とは違う、温かい達成感が広がった。
夕方5時。
退勤の時間。
「お疲れ様でした。はい、これ給料」
タナカから手渡されたのは、茶封筒に入った現金。
6時間労働で、5,880円。
「……重いな」
アレンは千円札の薄さと、その価値の重みを感じた。
ダンジョンで宝箱から拾う金とは違う。自分の頭を下げ、神経をすり減らして稼いだ5,880円だ。
スライムまんが50個も買える大金だ。
「これで装備を整えられる。……タナカ、世話になったな」
「ええ。いつでもシフト入ってくださいよ」
アレンは店を出た。
夕日に向かって歩き出す勇者の背中は、朝よりも少し大きく、そして社会人らしく見えた。
「よし! この金で……!!」
アレンは店の外にある『伝説の装備ガチャ(1回5,000円)』の筐体に、稼いだばかりの千円札を5枚投入した。
「今度こそSSRを出す! 俺の汗と涙の結晶よ、奇跡を起こせぇぇぇ!!」
ガシャコン。
出てきたカプセルの中身は――
『ひのきの棒(中古・定価50円)』だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! 俺の労働があぁぁぁ!! 時給980円があぁぁぁ!!」
勇者の絶叫が、夕暮れのダンジョンに響き渡った。
店内からそれを見ていたタナカが、静かに呟いた。
「……ま、金銭感覚はすぐには治らないか」
ダンジョン地下99階。ここでは、労働の尊さと、ガチャの無慈悲さを学ぶことができる。
【あとがき:バックヤードにて】
リリス「アレン君、最後叫んでましたけど……」
タナカ「放っておけ。社会勉強代だ」
リリス「でも、意外と接客向いてましたよね? オークの子供に手振ってましたし」
タナカ「ああ。根が真面目だからな。……ただ」
リリス「ただ?」
タナカ「レジの『温めボタン』を強く押しすぎて、ボタンが陥没してる。……あいつの給料から引いておくの忘れてたな」
リリス「あちゃー……。またバイトしに来なきゃですね、」




