第38話:死神の成仏未遂と、現世に繋ぎ止める「未払い給料」
深夜3時。
客足が完全に途絶えた『ダンジョンマート』。
「……おい、リリス。照明のスイッチ触ったか?」
「いえ? 触ってないですよ」
バックヤードで作業していたタナカとリリスは、レジの方を見て足を止めた。
レジカウンターの中に立つ死神グリム。
彼の全身から、いつもの不気味な青いオーラではなく、蛍光灯よりも眩しい「柔らかな金色の光」が漏れ出しているのだ。
「……なんだあれ。新手の発光現象か?」
「なんか……すごく神々しいですけど……?」
その時、自動ドアが開き、一人の客が入ってきた。
ボロボロの服を着たゾンビだ。
「……あ、うぅ……肉まん……肉まんくれぇ……」
ゾンビはカウンターに小銭をジャラジャラとこぼしながら、掠れた声で注文した。
普段のグリムなら、『チッ、小銭をばら撒くな。拾うのが面倒だ』と舌打ちし、大鎌で威嚇しながら対応するところだ。
しかし。
今のグリムは違った。
「おや……。お腹が空いているのですね、迷える旅人よ」
グリムは愛用の大鎌ではなく、トングを優雅に構えた。
その声は、聖歌隊のように澄んでいる。
「さあ、この温かい肉まんをお持ちなさい。あなたの空虚な胃袋だけでなく、凍えた心まで満たされますように……」
グリムは慈愛に満ちた手つきで、一番温かい肉まんを包み、ゾンビの両手にそっと添えた。
「……え?」
ゾンビの濁った瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「あ、あったかい……。ありがとう……なんだか俺、満たされたよ……。もう、思い残すことはないな……」
パァァァァァ……!
ゾンビの体が光の粒子となり、天井へと消えていった。
「……成仏した!?」
リリスが驚愕する。
「ああ……聞こえます……」
グリムは穏やかな微笑みを浮かべ、レジの宙空を見つめていた。
「天界からの調べが聞こえます。……タナカ店長、リリスさん」
グリムの足が、フワリと床から離れた。
天井が開き、まばゆい『天使の梯子』が降り注ぐ。
「今まで、『私』のような骨だけの存在を雇ってくださり、ありがとうございました。シフト表という名の鎖から解き放たれ、私は永遠の安息へと旅立ちます……」
「ま、待てぇぇぇぇ!!」
タナカが鬼の形相でダッシュし、浮き上がるグリムの足首をガシッと掴んだ。
「行くな! 戻れ! 明後日のシフトに穴が開くだろうが!!」
グリムは宙に浮いたまま、悲しげに首を振った。
「ふふ……そんなに悲しまないでください、店長。別れは新たな出会いの始まりなのです」
「悲しんでない! 困るんだよ!」
「店長も、金銭という物質的な執着を捨てれば、きっと楽になれますよ……。さあ、手を離して。光が呼んでいるのです」
グリムの浮力が強まる。
タナカの腕が悲鳴を上げる。このままでは死神ごと天井へ持っていかれる。
説得は無理だ。ならば――!
「いいのか!? 来週入荷の『栗きんとん大福』、お前の分も発注済みだぞ! 一個300円の高級なやつだ!」
ピクリ。
グリムの上昇がわずかに止まった。
「……栗、きんとん……? 甘美な響きです……。ですが」
グリムは天を仰いだ。
「天上のネクタルに比べれば、そのような地上の甘味など……些細なこと」
「くっ、食欲の執着も消えかけているだと!?」
光が強くなる。タナカの指が滑りかける。
もうダメか。
いや、この男には、まだ最大の「煩悩」が残っているはずだ。
タナカは腹の底から叫んだ。
「それに!! 今ここで成仏したら! 『今月分の給料』は未払い扱いになるぞ!!」
「……え?」
「本人が消滅したら振込先がないからな! 銀行口座は凍結! 給料は全額、本部の雑収入として没収だぁぁぁ!!」
その瞬間。
カッ!!!!
グリムの眼窩から慈愛の光が消え、どす黒い青白い炎が燃え上がった。
ドスゥゥゥン!!
凄まじい重力と共に、グリムが床に落下した。
『……なっ!? 未払いだと!?』
グリムは床に膝をついたまま、タナカの胸倉を掴み上げた。
『ふざけるなタナカ! 我は先週、残業までして棚卸しを手伝ったのだぞ!
その正当な対価を払わずに昇天させるなど、労働基準法が許しても、この大鎌が許さん!!』
グリムの背後に、巨大な死神の鎌が具現化する。
その姿は、いつもの強欲で陰気な死神そのものだった。
「……ふぅ。よし、戻ったな」
タナカは乱れた襟を直し、冷や汗を拭った。
「さっさとレジに戻れ。あと、一人称は『私』じゃなくて『我』だろ」
『……ハッ! 我は何を……? なんだか急に、すべてを許したいような……吐き気がするほど気持ち悪い気分だった……』
グリムはブルブルと骨を震わせ、忌々しそうに舌打ちをした。
『危ないところだった……。タナカよ、栗きんとん大福はちゃんと発注したのだろうな?』
「したよ。給料から引いておくからな」
『チッ。抜け目のない男め』
グリムはいつもの猫背に戻り、ブツブツと文句を言いながらレジへ戻っていった。
「はぁ……よかったぁ」
リリスがへなへなと座り込む。
「でも店長、私『栗きんとん大福』食べたかったですぅ」
「安心しろ。グリムが成仏しかけた隙に、あいつの分も全部リリスの予約に変えておいた」
ダンジョン地下99階。ここでは、どんな高尚な悟りも、「未払い給料」という現世の鎖には勝てない。
【あとがき:成仏の代償】
グリム「……待て、タナカ」
タナカ「なんだ」
グリム「先ほど成仏したゾンビの客だが……『肉まん代』を受け取った記憶がないのだが」
タナカ「ああ。お前が『お持ちなさい』ってタダであげたからな。代金120円、お前の給料から引いておくぞ」
グリム「貴様ァァァ!! あの時の我はどうかしていたのだ! ノーカンにしろ! ノーカンに!!」
タナカ「無理だ。在庫は嘘をつかない」




