第36話:雪女と、絶対零度の冷やし中華
地上では猛暑が続いており、その熱気は換気ダクトを通じて地下99階まで降りてきていた。
『ダンジョンマート』の店内も、エアコンをフル稼働させているが、なかなかに蒸し暑い。
タナカは店の入り口に、涼しげな青いのぼり旗を設置した。
『冷やし中華、始めました』
「店長ぉ~、アイスの補充終わりました~。……あ~涼し~」
リリスが冷凍ケースに顔を突っ込んで涼んでいる。
「こら、商品が溶けるだろ。……ん?」
その時、タナカは肌にピリッとした冷気を感じた。
自動ドアが開く。
ヒュゥゥゥゥ……。
熱気がこもっていた店内の空気が、一瞬にして凍りついた。
床のアスファルトに、白い霜が走る。
入ってきたのは、透き通るように白い着物を着た、長い黒髪の女性だった。
彼女の周りだけ、季節が真冬になっている。
**雪女**だ。
彼女は震えるような儚げな声で言った。
「……表の旗を……見たの……」
「……冷やし中華……くださいな……」
「い、いらっしゃいませー」
タナカは寒さに身震いしながらレジに立った。
「冷やし中華ですね。550円になります」
雪女は、凍って霜が降りた硬貨をトレーに置いた。
そして、商品を宝物のように抱きしめ、イートインスペースの席に着いた。
彼女はフタを開け、中身を食い入るように見つめた。
ピンク色のハム、黄色い錦糸卵、緑色のきゅうり、そして赤い紅生姜。
「……綺麗……」
彼女がポツリと漏らした。
彼女の住む世界は氷の白一色なのだろう。その瞳には、コンビニ弁当の派手な色彩が宝石のように映っているようだった。
「……いただきます……」
雪女は震える手で、別添えの「醤油ダレ」を開けた。
サラサラ……とかかるはずだった。
パリパリパリ……。
「……あら?」
タレが空中で凍結し、**茶色い氷柱**となって麺の上に突き刺さった。
「……凍っちゃった……」
彼女が箸で麺を持ち上げようとするが、麺も既にカチカチに凍りついており、塊のまま持ち上がった。
まるで食品サンプルだ。
「……食べられない……」
彼女は悲しげに、凍った麺の塊を箸で突いた。カツン、カツンと硬い音がする。
いくら冷たい麺が好きでも、氷の塊を齧るわけにはいかない。
「店長ぉ! お客さんが困ってます! なんとかしてくださいよぉ!」
リリスがタナカの背中を叩く。
「……参ったな。体温が低すぎるんだよ」
タナカはため息をつき、イートインへ向かった。
「お客さん、ちょっと貸してください」
タナカは凍った冷やし中華を没収した。
「……温めて……くれるの……?」
「ええ、まあ。最新の技術で」
タナカはレジ裏の**「業務用電子レンジ」**に麺を入れた。
本来、冷やし中華をレンチンするなど狂気の沙汰だが、今は解凍が先決だ。
『温め・500W・1分』
ブォォォォン……ピーッ!
「よし、解凍完了。適度に温まったぞ」
タナカは湯気の立つ容器を返した。
「どうぞ。急いで食べてください」
「……ありがとう……」
雪女は嬉しそうに器を受け取った。
その瞬間。
バキバキバキッ!!
彼女の指先が触れたところから、猛烈な勢いで霜が広がる。
温まったはずの麺とタレが、一瞬にして再びダイヤモンドダストのように凍結した。
「……あ」
レンジのマイクロ波も、彼女の冷気には勝てなかった。
「……うぅ……。やっぱりダメなのね……」
「……私には、色鮮やかな食事なんて無理なのね……」
雪女がうつむく。その目から落ちた涙が、床で氷の粒になって弾けた。
「店長ぉ! なんかいい方法ないんですか!? コンビニの知恵で!」
タナカは腕組みをして考えた。
(冷やし中華を食いたい雪女。しかし触れると凍る。レンジでも追いつかない……。ならば、食べる直前に**「強烈な熱源」**に通すしかない)
タナカの視線が、レジ横のある什器に止まった。
夏場だが、一部のマニア向けに稼働させているアレだ。
「……お客さん、こっち来てください」
タナカは雪女をレジ前まで誘導した。
そして、**「おでん鍋」**の蓋を開けた。
モワァ……と湯気が立ち上る。
「……熱そう……。私……溶けちゃう……」
雪女が後ずさりする。
「大丈夫です。鍋に入るわけじゃないんで」
タナカは新しい冷やし中華(常温)を開け、雪女に箸を持たせた。
「いいですか。麺を箸で取ったら、一回この**『おでんの出汁』**にくぐらせてください。しゃぶしゃぶみたいに」
「……え?」
「**『つけ麺スタイル』**です。おでんの熱湯に一瞬通せば、あなたの冷気で凍る前に、ちょうどいい温度になるはずです」
雪女は恐る恐る、麺を箸で掴み、熱々のおでん鍋にチャポンと浸した。
ジュワッ! と音がする。
そして、引き上げる。
麺は……凍っていない!
おでんの熱と雪女の冷気が中和され、奇跡的に**「キンキンに冷えた麺」**の状態を保っている!
雪女は急いでそれを口に運んだ。
「……ん!」
彼女の目が大きく見開かれた。
「……冷たい……! でも、凍ってない……!」
「……おでんの出汁の香りと、酸っぱいタレが絡み合って……美味しい……!」
何より、具材の色が凍って白く濁ることなく、鮮やかなまま口の中に入ってくる。
「……ふふ……。美味しい……」
雪女は夢中で麺をおでん鍋にくぐらせ、次々と平らげていった。
リリスも拍手する。
「すごーい! 『ひやあつ』ですね!」
結局、雪女は冷やし中華を3つも完食した。
おでんの汁は温度が下がってぬるくなったが、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「……ありがとう……。こんなにカラフルな食事、初めて……」
彼女は会計を済ませると、深々と頭を下げた。
「……お礼に……涼しくしてあげる……」
雪女はふわりと微笑み、店内に「猛吹雪のブレス」を吐いて帰っていった。
それは彼女なりの、最高の「涼」のプレゼントだった。
ゴオオオオオッ!!
「うわぁぁぁぁ! 寒いぃぃぃ!」
「冷凍庫だろぉぉ!」
店内温度はマイナス20度。
すべての商品がカチカチに凍りついた。
ダンジョン地下99階。
お客様の厚意が、必ずしもありがたいとは限らない…




