第35話:焼きたてパンと、地獄のモーニングコーヒー
早朝6時30分。
ダンジョンの朝は、地上よりも少し遅く、重たい空気と共にやってくる。
『ダンジョンマート』の店内には、香ばしいバターと小麦の香りが充満していた。
店内で焼き上げる『焼きたてクロワッサン』。
これと、マシンで淹れる『挽きたてコーヒー』のセット(税込350円)は、ダンジョンの労働者たちにとってのガソリンだ。
「……来るぞ。第一波だ」
レジカウンターの中で、店長のタナカが低く呟いた。
「はいっ! パンの補充完了です!」
リリスがトングをカチカチと鳴らして気合を入れる。
『……うむ。迎え撃とう』
死神グリムも、眠い目をこすりながらレジ前に立った。
自動ドアが開くと同時に、ドカドカと地響きが鳴り響く。
入ってきたのは、ツナギを着てヘルメットを被ったオークの集団だ。
ダンジョンの拡張工事現場へ向かう、現場作業員たちである。
「ういーっす……コーヒー……」
「眠ぃ……カフェインくれ……」
彼らの目は死んでいる。
夜通しの残業明けか、それとも早朝出勤のダルさか。とにかく全員がゾンビのようにコーヒーマシンへ群がった。
しかし、その時だった。
ブシュゥゥゥ……ガガガッ……プスン。
コーヒーマシンから、不吉な煙が上がった。
「あ」
タナカの声が凍りつく。
オークの一人がボタンを連打する。
「おい、出ねぇぞ。どうなってんだ」
「あー……お客様、申し訳ありません。故障のようです」
タナカが顔面蒼白で告げる。
その瞬間、オークたちの殺気が爆発した。
「はぁ!? ふざけんな!」
「コーヒー飲むために早起きしたんだぞ!」
「カフェイン無しで岩盤掘削ができるか! 暴れるぞコラァ!!」
店内が一気に険悪な空気になる。
朝の労働者にとって、コーヒーお預けは死刑宣告に等しい。
「ま、まずいですよ店長ぉ! このままだと店が破壊されます!」
「予備のマシンはない! だが、今すぐ提供しないと暴動が……」
タナカが冷や汗を流したその時、リリスが叫んだ。
「私がやります! 豆があればいいんですよね!?」
リリスはバックヤードから、補充用のコーヒー豆(1kg袋)を掴んで戻ってきた。
「フンッ!!」
バキベキボゴォッ!!
リリスは袋の上から、素手(握力500kg)で豆を握りつぶした。
凄まじい破壊音と共に、豆が一瞬で均一な「粉」へと粉砕される。
「ひぃっ!?」
オークたちが引いた。
「粉はできました! でも店長、お湯がありません!」
「給湯ポットじゃ間に合わないぞ!」
すると今度は、隣にいたグリムが一歩前に出た。
『……湯か。ならば我が沸かそう』
「お前、また凍らせる気か!?」
『侮るな。……地獄の業火』
グリムが水の入ったジャグに向かって、骨だけの指を鳴らす。
ボッ! と青白い炎が水を包み込んだ。
『温度調整……95度……抽出適温だ』
一瞬で熱湯が完成した。
リリスが粉砕した豆をドリッパーにセットし、グリムが地獄の湯を注ぐ。
ジュワァァァァ……!
立ち上る湯気は、芳醇なコーヒーの香り……に混じって、わずかに硫黄と焦熱の匂いがした。
「お待たせしました! 『特製・手もみ地獄ブレンド』です!」
リリスが満面の笑みでカップを差し出す。
オークの親方が、恐る恐るそのドス黒い液体を受け取った。
「……なんか、色が漆黒じゃねぇか?」
「い、いいから飲んでみろよ親方」
親方が一口、ズズッと啜る。
親方の豚鼻が大きく開き、目が血走った。
「ブヒィィィィィッ!!?」
「お、親方!?」
「に、苦げぇぇぇぇ!! なんだこれ! 舌が痺れる! 喉が焼ける!!」
しかし、次の瞬間。
親方はシャキッと背筋を伸ばし、自身の筋肉を誇示するポーズを取った。
「だが……目が覚めたァァァ!!」
「えっ」
「すげぇ! 徹夜の眠気が一瞬で吹き飛んだぞ! 身体の奥から力が湧いてくる!」
グリムの「呪いの炎」による覚醒効果と、リリスの「手もみ」による過剰な抽出。
それらが奇跡的に融合し、致死量スレスレの『超・覚醒コーヒー』が爆誕していた。
「俺にもくれ!」「俺もだ!」
オークたちが次々と注文する。
「はい、ただいま粉砕します! フンッ!」
『沸騰させる……燃えよ』
リリスが豆を握り潰し、グリムが炎で湯を沸かす。
その光景は、カフェというより「魔術の儀式」か「土木工事」に近かった。
「ふぅ……やっと引いたか」
朝8時。
オークたちが去った後の店内は、嵐が過ぎ去った後の静けさに包まれていた。
コーヒーマシンは壊れたままだが、売上は過去最高を記録していた。
「店長ぉ、手がコーヒー臭いです……」
リリスが自分の手をくんくん嗅いでいる。
『……我の炎も、使いようだな』
グリムは満足げに、空になったジャグを眺めていた。
「まあ、なんとかなったな。……あいつら、明日も来るって言ってたぞ」
タナカは遠い目をして、窓の外の朝日を見た。
どうやら明日からは、この「地獄のモーニングセット」が定番メニューになりそうだ。
ダンジョン地下99階。
ここでは、爽やかなコーヒーと共に、今日も過酷な労働が始まるのだ。
【あとがき:早朝の清掃中】
リリス「あ、店長! オークのお客さんたち、テーブルに何か置いていきましたよ」
タナカ「ゴミか? マナーの悪い……」
リリス「いえ、これ……『金色の鉱石』です! 工事現場で掘り出したやつでしょうか?」
タナカ「! これは『評価』の結晶だ。かなり純度が高いぞ」
リリス「へぇー! 『目が覚めた、いい仕事だった』ってことですね!」
タナカ「ああ。荒っぽい客だが、義理堅い連中だ。……リリス、明日も頼めるか」
リリス「はいっ! 私、握力鍛えておきますね!」




