第33話:地獄のワンオペとゾーンのタナカ
深夜0時。
ダンジョンマートの自動ドアが、不気味な軋みを上げて開いた。
この日、ダンジョン地下99階は、年に一度の『百鬼夜行』の日であった。
魔物たちが列をなし、欲望のままに練り歩く、魔界のお祭り騒ぎ。
しかし、今日の『ダンジョンマート』には、絶望的な問題があった。
「……最悪だ」
レジカウンターに立つ店長、タナカは一人だった。
リリスは熱が出てフェロモンが抑えられない為欠勤。
グリムは契約上の公休。
つまり、この地獄のような繁忙期を、「ワンオペ」で乗り切らなければならない。
ヒュードロドロ……。
店内に、無数の怪異が雪崩れ込んできた。
一つ目小僧、ろくろ首、牛鬼、アシュラ、ドラゴン……。
彼らは一様にカゴを持ち、棚の商品を根こそぎ詰め込んでいく。
「おい人間、レジだ! 早くしろ!」
「我の番だ! 貴様の魂ごと買い占めてやる!」
瞬く間に、レジ前には長蛇の列ができた。その最後尾は、もはや店内に収まりきらず店の外まで続いている。
罵声と妖気が渦巻く店内。普通の人間なら、発狂して死ぬレベルのプレッシャーだ。
だが、タナカは静かに眼鏡の位置を直した。
「……騒ぐな。順次案内する」
タナカは深く息を吐き、意識のスイッチを切り替えた。
思考から「感情」を排除する。
残すのは「効率」と「マニュアル」のみ。
タナカの死んだ魚のような目に、鋭い光が宿った。
「お次のお客様。どうぞ」
ピピッ。
最初のスキャン音が鳴った瞬間、世界が変わった。
「なっ……!?」
先頭にいた『六腕のアシュラ』が目を見開いた。
彼は6本の腕で同時に6つの商品を差し出したのだが――タナカの両手は残像となり、一瞬ですべての商品をスキャナーに通していたのだ。
ピピピピピピピッ!
音が重なり、一つの高い電子音に聞こえる。
「ポイントカード有無。袋不要。お箸3膳。お会計3,250円。お支払い方法は。はい決済完了。レシート。次!」
「は、早……ッ!?」
アシュラが財布をしまう暇もなく、次の客の会計が始まっていた。
タナカの動きは、もはや人間のそれではない。
左手で商品を掴み、バーコードの位置を目視せず指先の感覚だけで特定し、右手でスキャン。
同時に、口では「唐揚げ棒一本入りましたー」と厨房へのオーダーを通し、視線は次の客のカゴの中身を把握して袋のサイズを瞬時に選定する。
ピィーーーーーーーーーッ!!
スキャン音が途切れない。
それはまるで、レーザービームのような連続音となって店内に響き渡る。
「お、おい! 俺はタバコだ! 番号は……」
「148番とライターですね。年齢確認ボタン、はいどうぞ。次!」
「ぐぬぬ、なぜ我の銘柄を……!?」
「常連の顔と銘柄は全部頭に入ってます。次!」
タナカは「ゾーン」に入っていた。
客がカウンターに商品を置くコンマ1秒前に手を伸ばし、商品が空中に浮いている間にスキャンを済ませ、重力に従って袋の中に落下させる。
『空・中・重・力・詰・め』。
ベテラン店員のみが許された、禁断の奥義だ。
「ば、バカな……! 人間風情が、我ら百鬼夜行の速度を上回っているだと……!?」
列に並ぶ魔物たちがざわめき始めた。
彼らは恐怖した。
この男は、魔法を使っているわけではない。
ただ純粋に、業務遂行能力」という一点において、魔界の理を凌駕しているのだ。
「お次! 肉まん5個、からし多め、承知しました。温めのお弁当、レンジ設定500W・1分20秒、その間に公共料金の支払いを処理、受領印バンッ、控えをどうぞ、弁当温め完了、割り箸どうぞ、ありがとうございました次!!」
無駄がない。一切の無駄がない。
タナカの周囲だけ、時間が加速しているかのようだ。
深夜2時。ピークタイム。
列は減るどころか増えていくが、タナカの速度はさらに上がっていく。
「店長……!」
「人間……恐ろしい……!」
いつしか、魔物たちは買い物を忘れ、その神業に見入っていた。
正確無比なレジ打ちのリズムは、一種のトランス音楽のように魔物たちの魂を震わせる。
誰からともなく、拍手が起こった。
パチ……パチパチ……ドッ……ドッ……!
レジを通るたびに、魔物たちは敬意を表してタナカに一礼し、静かに帰っていく。
暴れる者は一人もいない。
この「聖域」を荒らしてはならないという、奇妙な連帯感が生まれていた。
朝6時。
朝日が差し込む頃、最後の客である『ぬらりひょん』が店を出て行った。
店内は空っぽだ。
商品は一つ残らず売り切れ、棚は綺麗サッパリ無くなっている。
「……ふぅ」
タナカは、熱を持って煙を上げているスキャナーを、そっと置いた。
指先が微かに震えている。腱鞘炎の一歩手前だ。
「……終わったか」
彼は湿布を取り出し、手首に貼り付けた。
達成感はない。あるのは「今日も業務を遂行した」という事実だけ。
タナカはバックヤードへ向かい、自分用の缶コーヒーを開けた。
そこへ、シフト通りの時間に出勤してきたグリムが現れた。
彼は店内の惨状を見て、フードの下の目を見開いた。
『……何があった? 襲撃か? だが、邪悪な気配は感じない……』
「ああ、おはようグリム。……ただの繁忙期だ」
タナカは淡々と言った。
「品出しが追いついてない。悪いが、至急補充を頼む」
『……承知した』
グリムは、タナカの背中を見た。
何の魔力も感じない、ただの丸まった人間の背中。
だが、その背中には、百体の魔物を単騎で屠った英雄よりも重厚な、「プロの覇気」が漂っていた。
『(……やはり、この男には勝てぬかもしれん)』
死神は敬意を込め、深く一礼してから品出しに向かった。
ダンジョン地下99階。ここでは、魔法よりも剣技よりも、「レジ打ちスキル」が最強の武力となる夜がある。
【あとがき:早朝の引き継ぎ】
グリム「……タナカ、レジのスキャナーが溶けて変形しているが」
タナカ「ああ、酷使しすぎたな。経費で新しいのを頼む」
グリム「……人間とは、これほど速く動けるものなのか」
タナカ「動くさ。『帰りたい』という一心があればな。定時退社への執念は、魔力をも凌駕するんだよ」
グリム「……定時退社。それは新たな魔術の体系か……メモしておこう……」
タナカ「さて、俺は帰って泥のように眠る。あとは任せたぞ」
グリム「承知した。……ゆっくり休むがいい。」




