第15話:死神の冷気と、セールのおでん
深夜1時。 『ダンジョンマート』のレジ横から、湯気と共に芳醇な鰹出汁の香りが漂っていた。
冬の到来に合わせて、タナカはついに**「おでん」**の販売を開始したのだ。 四角いステンレスの鍋の中には、飴色に染みた大根、プルプルの玉子、そしてちくわ等が整然と並んでいる。
「店長ぉー、おでんのPOP貼っときましたよー。『全品70円セール』でーす」 リリスが高い位置にポスターを貼りながら言った。
「サンキュ。……やっぱ冬はこれがないとな」
タナカは満足げに鍋を覗き込んだ。 ちなみに具材は現地調達だ。 大根は**『マンドラゴラの根』、玉子は『バジリスクの有精卵』、ちくわは『クラーケンの足』**の加工品である。味は地上と変わらない……はずだ。
「よし、グリム。お前にこの鍋の管理を任せる」
タナカは、レジの端に直立不動で立っている新人バイト――死神グリムに声をかけた。
『承知した……』 グリムは深くフードを被り、大鎌を背負ったまま頷いた。
「仕事は簡単だ。出汁が減ったら足す。具が浮いてきたら沈める。あと、煮詰まらないように温度管理しろ。以上だ」
『温度管理か……。命の管理に比べれば、容易いことだ』
グリムは自信満々に鍋の前に立った。 その目は真剣そのものだ。
30分後。
「……おい、グリム」 タナカが異変に気づいた。
「なんだか、おでんから湯気が出てない気がするんだが」
『む? ……確かに。保温モードにはなっているはずだが』
タナカが鍋を覗き込む。 そして、絶句した。
「……凍ってる」
アツアツだったはずの黄金色の出汁が、カチンコチンに凍結していた。 大根は霜柱が立ってシャーベット状になり、玉子は冷凍保存されたかのように白くなっている。
「なんでだよ! コンセント抜けてんのか!?」
『い、いや……』 グリムが気まずそうに視線を逸らした。
『どうやら、我の放つ**「死の冷気」**が強すぎたようだ……。鍋の前に立っているだけで、周囲の熱を奪ってしまう……』
「歩く冷蔵庫かよお前! どいてくれ、売り物にならねぇ!」
タナカは慌ててグリムを引き剥がそうとしたが、グリムは首を振った。
『待て、タナカよ。失態は挽回する』 「は?」
『冷やしてしまったのなら、温め直せばいい。我の魔力でな』
グリムは骨だけの指先を鍋に向けた。 パチン、と指を鳴らす。
ボッ! 青白い炎が、鍋の底を包み込んだ。
『地獄の業火』。 魂さえも焼き尽くす、冥界の炎だ。
『火力調整……とろ火……』
「おい、なんか火の色がヤバくないか? 青いぞ?」 『安心しろ。熱効率はガスコンロの比ではない』
グリムの言葉通り、鍋の中身は一瞬で解凍された。 しかし、その代償は大きかった。
ボコッ……ボコボコッ……。
鍋から、地獄の釜のような不気味な泡が立ち上り始めた。 そして、透き通っていた黄金色の出汁が、見る見るうちにドス黒い紫色へと変色していく。
「色! 色がヤバいって!」 タナカが悲鳴を上げる。
「なんで紫色になんだよ! 茄子のお浸しじゃねぇんだぞ!」
『……地獄の炎には、対象を**「呪い状態」**にする付加効果があるのを忘れていた』 グリムが淡々と言った。
『だが、見ろ。芯までしっかり煮えているぞ』
鍋の中では、紫色に染まりきった大根と、ドス黒くなった玉子が、マグマのようにグツグツと煮えたぎっていた。 磯の香りだったはずの湯気は、鼻を突くような硫黄と瘴気の混ざった匂いに変わっている。
「これ絶対食えないだろ……。廃棄確定だ……」
タナカが頭を抱えた、その時。
チャララ・チャララ・チャラララ~♪
自動ドアが開き、常連客の魔王ヴェルザードが入店してきた。
「む? ……なんだこの香りは」
魔王は鼻をひくつかせた。 タナカは身構えた。クレームだ。異臭騒ぎで怒られる。
「すいません魔王さん! 今すぐ換気しますんで!」
「待て」 魔王が手を挙げて制止した。 彼は紫色に煮えたぎるおでん鍋の前まで歩み寄り、恍惚とした表情で中身を覗き込んだ。
「素晴らしい……。なんと芳醇で、禍々しい香りだ」
「……はい?」
「これぞ魔界の煮込み料理。故郷の実家の匂いがする」 魔王は目を輝かせた。
「店員。大根と玉子、あと、そのどす黒いちくわを所望する」
「え、食うんですか? 腹壊しますよ?」 「構わん。この誘惑には勝てぬ」
タナカは恐る恐る、紫色の液体が滴る大根をカップによそった。 カップが熱で少し溶けかけている。
魔王はイートインスペースに座り、フーフーと息を吹きかけてから、大根を一口かじった。
ジュワァ……。
「……ッ!!」 魔王がカッと目を見開く。
「美味い!!」
「マジで!?」
「中まで味が染み込み、噛むたびに**『死者の怨念』**のような深いコクが広がる! 素晴らしい! おかわりだ!」
『……フッ』 グリムがフードの下で小さくガッツポーズをした。
『隠し味に、我の魔力が少し漏れ出たのが功を奏したようだな』 「結果オーライかよ……」
その後。 「魔王様が絶賛した新作おでんがある」という噂は、瞬く間にダンジョン中に広まった。
『俺にもその「地獄おでん」くれ!』 『冷え切った死体に、呪いの出汁が沁みるぜぇ……!』
ゾンビ、ゴースト、スケルトンなど、アンデッド系の魔物たちが大挙して押し寄せ、おでん鍋の前には長蛇の列ができた。 見た目がグロテスクであればあるほど、彼らにとっては「食欲をそそる」らしい。
「はい、大根お待ちー。からし付けますかー?」 『いや、**「血のソース」**を頼む』
飛ぶようにおでんが売れていく。 深夜4時には、用意していた具材がすべて完売した。
「ふぅ……。完売御礼か」
タナカは空っぽになった鍋を見て、安堵の息をついた。 鍋底には、焦げ付いた呪いのカスがこびりついている。
『よくやった、グリム。お前の呪いのおかげだ』 『うむ。……だが、鍋が汚れてしまったな』
グリムは背中の巨大な大鎌を手に取った。
『こびりついた汚れは、この「魂狩りの鎌」で削ぎ落としておこう』 「やめろ! テフロン加工が剥げる!」
『安心しろ。魂だけを刈り取るように、汚れだけを……』 ガリガリガリッ!! 「あああ! 鍋底に傷がぁぁ!!」
ダンジョン地下99階。 今夜も利益は出たが、備品の寿命は確実に縮まったのだった。




