第1話:人類最終決戦と、時給980円の深夜バイト
「ハァ……ハァ……。ここが、世界の最果て……」
勇者アレンは、血と泥にまみれた手で、重たい扉に手をかけた。 地上から地下99階まで、足掛け3年の歳月を費やした。 幾千の魔物を斬り伏せ、仲間を失い、それでも彼は進んできた。
この扉の向こうに、人類の仇敵・魔王ヴェルザードがいる。 世界を闇に包む、絶望の王が。
「覚悟しろ、魔王……!!」
アレンは残った全魔力を聖剣に込め、勢いよく突入した。
チャララ・チャララ・チャラララ~♪
「……は?」
間の抜けた入店音が、鼓膜を震わせた。 アレンの目の前に広がっていたのは、禍々しい玉座の間――ではなく。
白く清潔な蛍光灯。 整然と並ぶ陳列棚。 そして、揚げ物のジャンクな匂い。
そこは、コンビニエンスストアだった。
「いらっしゃいませー」
レジカウンターの中から、死んだ魚のような目をした男が声を上げた。 黒髪の平凡な青年。名札には『タナカ』とある。
そして、そのタナカの目の前で、雑誌コーナーに立ち尽くす巨漢が一人。 漆黒の肌、天を衝くような二本の角。 間違いなく、魔王ヴェルザードだ。
ただし、黒いジャージ姿で、サンダルを履き、『週刊少年マカイ』を立ち読みしている点を除けば。
「き、貴様ァァァ!! 魔王ヴェルザードォォ!!」
アレンは反射的に聖剣を構えた。 魔王がビクリと肩を震わせ、面倒くさそうに顔を上げる。
「あ? ……なんだ、人間か。騒々しいな、今『いいところ』なのだ」 「ふざけるな! 世界を滅ぼそうとする悪が、何を呑気に……!」
「お客さーん」
タナカの低い声が、勇者の激昂を遮った。
「店内での抜刀は禁止っす。あと、大声出すなら外でやってもらえます? 今、店内BGMで今月の推し曲流してるんで、聞こえなくなるんすよね」
アレンは呆然とタナカを見た。 「え、あ、いや……しかし、こいつは魔王で……」 「魔王だろうが何だろうが、お客様は神様なんで。今はただの立ち読み客です」
タナカはため息をつき、魔王の方を向く。 「で、魔王さんも。それ買うんですか? 買わないなら戻してください。指紋でベタベタになるんで」
魔王はバツが悪そうに雑誌を棚に戻した。 「……む。買うつもりだったわ。財布を……あ、忘れた」 「じゃあ帰ってください。100階すぐそこでしょ」
「ぬぅ……。貴様、バイトの分際で余に指図するのか……!」 魔王のこめかみに青筋が浮かび、店内がビリビリと暗黒闘気で震え始める。
勇者アレンは戦慄した。これが魔王の覇気……! 「まずい! 店員、逃げろ! ここが消し飛ぶぞ!!」
だが、タナカは動じない。 むしろ、さらに不機嫌そうに腰のホルスターから**『値引きシール貼り機』**を抜き放った。
「チッ……。めんどくせぇな。お前ら、腹減って気が立ってるだけじゃないんすか?」
タナカはレジ横のホットスナックケースを指差した。 そこには、売れ残って少し時間の経った、真っ赤なチキンが鎮座している。
「これ、廃棄まであと10分なんで半額にします。『地獄の激辛デビルチキン』。食ってさっさと帰ってくれません?」
カシャッ。 タナカは流れるような手つきで【50%OFF】のシールを貼り、トングでチキンを掴み出した。
その瞬間、店内に暴力的な香りが爆発した。
ニンニク、ショウガ、そして大量のスパイス。 高温の油で揚げられた衣の香ばしさが、勇者と魔王の鼻腔を直撃する。 高貴な料理にはない、脳髄を直接揺さぶるような「脂と塩」の誘惑。
「……ッ!?」 魔王の喉がゴクリと鳴った。 「なんだ、その毒々しい赤色は……。しかし、この香りは……我の空腹中枢を破壊しに来ている……!」
タナカは紙袋にチキンを放り込み、無造作に差し出した。
「衣はサクサク、中は肉汁たっぷりっす。ちょっと味が濃いんで、炭酸飲料に合うんすよね。……ほら、食わないんすか?」
魔王は震える手で紙袋を受け取った。 勇者も、剣を下ろしてその様子を凝視している。
魔王が大きく口を開け、チキンにかぶりつく。
ザクゥッ!!
静まり返ったダンジョン最下層に、小気味よい音が響いた。 続いて、**ジュワワァ……**という音が聞こえてきそうなほど、赤い脂が魔王の口元から溢れ出す。
「!!!!」
魔王がカッと目を見開いた。
「辛い! ……が、旨い!! なんだこれは!? 焼いた肉とは違う、この『衣』という鎧! それが肉の旨味を完全に閉じ込め、噛んだ瞬間に爆発する!」
「はぐ、むぐ……! このジャンクな塩気……! 破壊の衝動が……満たされていく……!」
魔王は夢中でチキンを貪り食っている。その顔は、世界を呪う王ではなく、ただの食いしん坊なオッサンだった。
「……ず、ずるいぞ魔王!」 勇者アレンが耐えきれずに叫んだ。 「俺だって、3日間ボソボソの携帯食料しか食ってないんだ! 半分よこせ!」
「断る! 貴様はそこの『肉まん』でも食っていろ!」 「なんだとぉ!?」
再び一触即発の空気になる二人。 タナカはレジカウンターに肘をつき、気だるげに言った。
「あー、肉まんなら今セールで100円っすよ。……つーかお客さんたち、仲いいっすね」
結局、勇者と魔王は並んでイートインスペースに座り、チキンと肉まんを分け合った。 世界の命運を懸けた戦いは、揚げ油のカロリーによって有耶無耶になったのだった。
「ありがとうございましたー(棒)」
タナカの声に見送られ、二人は店を出て行く。 自動ドアが閉まると、タナカは大きく伸びをした。
「ふぁ~……。やっと帰れる。……」
ダンジョン地下99階。 今日もここは、通常営業である。




