富裕層エリアは、思考停止した家畜小屋です
第2階層の「鉄と油の地獄」を抜け、アルトたちが辿り着いたのは、目が眩むような「光の楽園」だった。
アガルタ第3階層・無限享楽都市。
そこは、永遠に夜が来ない「白夜」の街。
空には人工のオーロラが揺らめき、クリスタルで作られた高層ビル群が、宝石のように輝いている。
街中に甘い香水が漂い、どこからともなく優雅なワルツが流れている。
「……綺麗ですね、社長。さっきの工場とは大違いです」
セレスがドレスの裾を直しながら呟く。
その横には、工場で新調したばかりの「新型ボディ」に換装したSDシスターズたちが、フリル付きのスカートを翻して整列している。
『空気清浄度、AAランク!』
『でも、なんか変な匂いがしまーす』
アルトの表情は険しかった。
義眼のサーマルセンサーで周囲を警戒しているが、返ってくる反応がおかしい。
「綺麗すぎるな。……生活感がなさすぎる」
彼らが歩いているのは、都市の中央広場。
そこでは、煌びやかな衣装を纏った「貴族」たちが、数百人規模で舞踏会を開いていた。
男はタキシード、女はドレス。そして全員が、精巧な細工が施された「仮面」をつけている。
「オホホホ!素晴らしい夜ですわ!」
「ええ、ええ!最高ですとも!」
笑い声。グラスを合わせる音。
一見、優雅な社交界だ。
だが、アルトは決定的な違和感に気づいていた。
「(……誰も、料理に手をつけていねえ)」
テーブルには山海珍味が並んでいるが、誰も食べていない。
グラスの中身も減っていない。
彼らはただ、音楽に合わせて機械のように体を揺らし、定型文のような会話を繰り返しているだけだ。
まるで、プログラムされたNPCのように。
「……おい、アンタ。ちょっといいか?」
アルトは、近くにいた貴族の男の肩を掴んだ。
男は振り返る。美しい陶器の仮面が、アルトを見据える。
「おや?珍しいお客様ですね。……『幸せ』ですか?」
「あ?いや、道を聞きたいんだが……」
「そうですか!それは『幸せ』ですね!オホホホ!」
会話が成立しない。
壊れたレコードのように、肯定の言葉だけを垂れ流す。
「……チッ。ラチが明かねえ」
アルトは苛立ち、男の胸倉を掴んだ。
「仮面を取れ。……その裏でどんな顔をしてやがる?」
彼は強引に、男の顔から仮面を引き剥がした。
バリッ。
仮面が外れる。
その下に現れた素顔を見て、セレスが悲鳴を上げた。
「ひっ……!?」
そこには――「顔」が無かった。
目も、鼻も、口もない。
傷跡すらない、つるりとした肌色の曲面。
まるで、作りかけのマネキンのような「未実装」の顔。
唯一存在するのは、後頭部に深く突き刺さった、太い「供給チューブ」だけ。
そのチューブを通して、ピンク色の蛍光液が、脳髄へと直接送り込まれていた。
「……なっ!?」
アルトが絶句する。
男は顔がないまま、痙攣するように笑い声を上げ続けている。
いや、その声は口から出ているのではない。
『オホ……オホホ……』
『幸セ……幸セ……』
喉元に埋め込まれた小さなスピーカーから、ノイズ混じりの電子音声が再生されているのだ。
感情すらも、システムによって出力された「録音データ」。
視覚も、味覚も、言葉すらも奪われ。
ただ脳に直接「快楽物質」を流し込まれ、強制的に幸福を感じさせられているだけの肉塊。
「これが……貴族?」
アルトは周囲を見回した。
ここにいる全員が、仮面の下は同じなのか?
踊っているのは人間じゃない。
チューブで繋がれ、快楽漬けにされた「家畜」だ。
ザザッ……ザザザッ……!
その時、広場の上空から、耳障りなノイズが降ってきた。
スポットライトが明滅し、一人の怪人が現れる。
派手な道化師の衣装。手にはジャグリングの玉。
だが、その顔は「巨大なスピーカー」になっていた。
【エリア管理者:享楽の道化師『ジョーカー』】
【業務内容:ドーパミン管理・廃棄処分】
『ヨウコソ、ザザッ、アルト商会!ココハ……憂いモ……苦シミモナイ、完全ナル……ザザッ、消費ノ楽園サ!』
ジョーカーの声は、複数の音声ファイルが不快に重なり合い、時折バグったように音飛びしている。
その動きも異様だった。
フレームレートが欠けたように、カクカクと不自然な挙動で空中を移動し、着地する。
『彼ラハ選バレタエリート!労働カラ解放サレ、思考スル必要モナク、タダ死ヌマデ「気持チイイ」ダケヲ感ジ続ケル!……ドウダイ?羨マシイダロウ?』
スピーカーの顔面が、ハウリング音と共に激しく振動する。
それはまるで、壊れかけた遊園地のアトラクションのような、生理的な不気味さを放っていた。
「……思考を奪って、薬漬けか」
アルトは、足元ののっぺらぼうを見下ろし、吐き捨てるように言った。
「羨ましくねえな。……こいつらは『消費者』じゃねえ」
彼は背中の鉄パイプ――いや、武器庫から奪った電磁警棒を改造した「魔改造スタン・ロッド」を構えた。
「消費ってのはな、自分の意志で選んで、自分の舌で味わうから価値があるんだ。……チューブで餌を流し込まれるだけの肉に、商売の相手は務まらねえ!」
アルトにとって、これは顧客への冒涜だ。
思考停止した人間は、金を払わない。文句も言わない。
それは市場にとって「死んだ在庫」と同じだ。
『オヤオヤ?ザザッ……分カラナイカナァ?』
ジョーカーが首をかしげる。その首が、あり得ない角度までギギギと回転した。
『思考ナンテ、不幸ノ元ダヨ?アナタ達モ、コノ「ハッピー・ジュース」ヲ飲メバ分カルサ!』
彼が指を鳴らすと、貴族たちの後頭部のチューブから、ピンク色の霧が噴き出した。
猛烈な甘い香り。
吸い込めば一瞬で理性が飛び、脳が溶けるような多幸感に包まれる、高濃度の神経ガス。
「社長!毒ガスです!」
「構うな!……シスターズ、換気だ!」
アルトは広場を取り囲むクリスタルのビル群を指差した。
「あのビルはただの飾りだ!内部構造図によれば、中身は巨大な『環境制御用エア・ダクト』だぞ!……ぶち壊して『強制排気』させろ!!」
『『『了解!ダクト開放、全力吸引!』』』
シスターズが飛翔する。
新品の「Ver.2.0」ボディに換装された彼女たちの出力は、以前とは桁違いだ。
スカートの中からマイクロミサイルを展開し、クリスタルの外壁に向かって一斉射撃を行う。
ガシャアアアアン!!
美しい外装が砕け散り、剥き出しになった巨大なファンが暴走を始める。
ゴオオオオオオオオッ!!
強烈な吸引力が生まれ、広場に充満していたピンク色のガスが、一瞬で上空へと吸い出されていく。
『ザザッ……小賢シイ!ナラバ、彼ラト踊リナサイ!』
ジョーカーが怪しい電波を放つと、ガスが晴れたはずの広場で、貴族たちがガクガクと不自然な動きを始めた。
操り人形のように手足を突っ張らせ、一斉にアルトたちへ襲いかかってくる。
「《オ……オホホ……殺シテ……殺シテ……》」
口では笑いながら、体は殺意を持って迫る。システムに強制操作された、哀れな肉壁。
「くっ、一般人を盾にかよ!」
「社長、彼らを傷つけるわけには……!」
「分かってる!……シスターズ!『非殺傷モード』だ!気絶させろ!」
『了解!スタン・バトン、展開!』
シスターズが、武装を切り替える。
彼女たちの新しい腕部ユニットから、高電圧を帯びた「制圧用ロッド」が展開された。
『痛くないデスヨ!』
『ちょっとビリっとしマス!』
バチッ!バチチッ!
シスターズは、襲い来る貴族たちの懐に飛び込み、的確に急所へ電流を流し込む。
最小限の出力。後遺症を残さず、意識だけを刈り取る神業(職人芸)。
「《ア……アァ……》」
糸が切れたように、貴族たちが次々と崩れ落ちていく。
道を塞ぐ肉壁が、優しく排除されていく。
その隙間から、無防備になったジョーカーの姿が見えた。
「今だセレス!本丸はお前がやれ!」
「はいっ!」
セレスが駆け出す。
シスターズが切り開いた道を、純白のドレスを翻して疾走する。
「宴は終わりだ、ポンコツピエロ。……俺たちが『現実』を届けてやる!」
アルトの叫びと共に、セレスの拳が光を帯びる。
第3階層攻略戦。
それは、洗脳された家畜たちを「人間(客)」に戻すための、荒療治の始まりだった。




