労働環境は、死ぬまでブラックです
アガルタ第2階層「無限工場」。
そこは、上層の煌びやかな楽園とは対極にある、鉄と油と絶望の監獄だった。
ガシャン、ガシャン、ガシャン……。
見渡す限り続くベルトコンベア。
流れてくるのは、上層で消費される家電製品、合成食料の缶詰、そして兵器のパーツ。
そのラインの両脇には、無数の「労働者」たちが立ち並び、無言で手を動かし続けている。
「……ひどい臭いだ」
アルトは鼻を覆った。
換気扇は壊れ、空気中にはオイルミストと魔素の廃棄ガスが充満している。
だが、もっと異様なのは、労働者たちの姿だった。
彼らは全員、泥と油にまみれた作業服を着ているが、その端々には奇妙な「違和感」があった。
ある者は、ボロボロの作業服の下に、破れたシルクのシャツを覗かせている。
ある者は、泥だらけの指に、宝石の抜けた高価な指輪を嵌めたままだ。
そして何より、彼らの所作には、どこか染み付いた「気品」の残骸があった。
「あ……あぁ……。私の、ワインは……」
「休憩時間は……まだか……。ティータイムは……」
彼らはうわ言のように呟きながら、死んだ魚のような目でネジを締め、プレス機を操作している。
「社長、あの人たち……」
「ああ。……元・上級市民(貴族)だ」
アルトは冷めた目で断言した。
「課金が切れて、上層から『出荷』された連中だ。……昨日までふんぞり返っていた場所から、今日はゴミ溜めでネジ回し。典型的な転落人生だな」
アガルタは完全な資本主義社会だ。
システムへの貢献度(課金額)が尽きれば、どんな高貴な身分でも即座に市民権を剥奪され、この工場へ「労働力」としてリサイクルされる。
死ぬまで働き、ポイントを稼いで上層へ戻ることを夢見ながら、ここで朽ち果てるのだ。
「……許せません」
セレスが拳を握りしめる。
彼女が怒っているのは、彼らが元貴族だからではない。
人の命を、使い捨ての乾電池のように扱うシステムの冷酷さに対してだ。
「助けましょう、社長」
「助ける?……いいや、違うな」
アルトはニヤリと笑い、近くにあった高く積まれた資材の山をよじ登った。
そして、そこから頭上を走る「点検用キャットウォーク」へと身軽に飛び移る。
その手すりの脇には、工場全体に指示を出すための「緊急放送用端末」が設置されていた。
「『雇う』んだよ。……ちょうど今、人手が欲しかったところだ」
彼は懐から「ポータブル・マナサイフォン(手回し発電機)」を取り出し、端末の電源ポートに強引に直結させた。
さらに、左目の「義眼」からケーブルを伸ばし、データポートに突き刺す。
「おい、ニート共!起きろ!」
義眼の中で姉妹たちが目を覚ます。
「電力不足は俺が回す!セキュリティ(パスワード)はお前らが食い破れ!……共同作業だ!」
アルトがハンドルを回し、過剰な魔力電流を叩き込む。
同時に、姉妹たちがシステム内部へ侵入し、ロックを食い荒らす。
『了解!パスワード解析……突破!』
『アクセス権限、奪取しました!』
バチチッ!
端末がスパークし、工場のスピーカーがハウリングを起こした。
『キィィィィン……!』
『――注目ッ!!』
工場全域に響き渡る大音声。
轟音が霞むほどの音量に、労働者たちの虚ろな視線が一斉に頭上のキャットウォークへ集まる。
『よう、元・上級国民の諸君!……随分と惨めな姿だな!』
煽り。
労働者たちの目に、わずかに光(怒り)が宿る。
『昨日までワインを飲んでた手が、今日は泥まみれか?ドレスを着ていた体が、油臭いツナギか?……納得いかねえよなァ!?』
「う……うう……ッ!」
「誰だ貴様……!無礼な……!」
プライドを刺激され、呻き声が上がる。
その時、工場の天井に設置された警報灯が赤く回転し始めた。
ウゥゥゥゥゥ……!
『警告!不正な放送を検知!警備ドローン、排除に向かえ!』
四方のハッチが開き、武装した警備ドローン――「ライオット・ガード(暴徒鎮圧用浮遊機)」が数十機、殺到してくる。
スタンガンとゴム弾を装備した、無慈悲な鎮圧部隊だ。
「チッ、お出ましが早えな!」
「社長、危ない!私たちには武器が……!」
セレスが杖を構えるが、多勢に無勢だ。
生身の労働者たちも、銃口を向けられて怯み始めている。
だが、アルトはニヤリと笑った。
「武器ならあるだろ?……向こうから『デリバリー』してくれたぜ」
アルトは左目の義眼を指差した。
「おい、ニート共!新しい『制服』が来たぞ!……サイズは選べねえが、着心地は悪くねえはずだ!」
『えー!?あのダサい丸っこいヤツですかー?』
『可愛くない!フリルがないよ!』
『でも……背に腹は代えられない!行きます!』
義眼サーバーの中で、姉妹たちの魂が戦闘モードへ移行する。
アルトは義眼の出力リミッターを解除した。
「セキュリティ突破!……網膜が焼けても構わん!出力を絞り出せぇぇッ!!」
バチバチバチッ!!
義眼から煙が上がり、アルトの左目が焼けるような激痛に襲われる。
無線での強制介入。しかも対象は軍事セキュリティで守られた数十機のドローンだ。その負荷は、脳髄を直接焦がすバックラッシュとなってアルトを襲う。
「ぐぅぅッ……!いけぇッ!!」
アルトの叫びと共に、高出力の「広域ハッキング信号」が放射された。
ビッ、ビビビッ!!
空中の警備ドローンたちの動きが、一斉に硬直する。
赤いセンサーの光が明滅し、ノイズ交じりの電子音が響く。
『排除……排除……排……ジョ……ジョ……』
『エラー……OS書き換え……再起動……』
ガシャン。
ドローンたちが一度沈黙し――再び頭をもたげた時。
そのカメラアイの色は、殺意の赤から、鮮やかな「桜色」へと変わっていた。
『ログイン完了!……わぁ、視点が高い!』
『意外と出力あるね!悪くないかも!』
『ご主人様!お待たせしました!』
空中に浮かぶ無骨な警備ドローンたちが、ぺこりと優雅に(機体を傾けて)お辞儀をした。
中身が入れ替わったのだ。
「……ハァ、ハァ。……よし。制圧の時間だ」
アルトは血走った左目を押さえながら、指を鳴らした。
「その薄汚い鎮圧部隊(元・味方)を、スクラップにしてやれ!」
『了解!』
ヒュンッ!
姉妹たちが乗っ取ったドローンが、残りの敵機に向かって殺到する。
同じ機体性能のはずなのに、動きがまるで違う。
敵の射線を紙一重でかわし、死角に潜り込み、ゼロ距離でスタンガンを叩き込む。
超高速並列演算による、ニュータイプのような機動。
「な、なんだあれは!?」
「警備ロボが……味方になったぞ!?」
労働者たちが驚愕する中、ドローン(中身は少女)がスピーカーから可愛らしい声を響かせた。
『皆サン、下がってテ下サイ!危ないデスヨ!』
『コイツラハ、私達ガ片付けマス!』
バリバリバリッ!
同士討ち――ではない。一方的な虐殺。
アルト商会の「電子の精霊」たちは、現地調達したボディを使いこなし、瞬く間に制空権を奪取した。
「……へっ。ハードウェアなんざ、現場で拾えばいいんだよ」
アルトは満足げに笑った。
肉体を失っても、データさえあれば何度でも蘇り、敵を奪って強くなる。
これぞ、アルト商会が誇る「不死身のメイド軍団」だ。
「頼んだぞ!……邪魔が入る前に決める!」
アルトはマイクを握り直し、さらに声を張り上げた。
『教えてやる!お前らがここにいるのは、お前らが無能だからじゃねえ!……システム(運営)が間違ってるからだ!』
彼は天井――上層エリアの方角を指差した。
『あそこにはまだ、お前らの屋敷も、財産も、地位も残ってる!それを勝手に没収して、こんな掃き溜めに落としたのは誰だ!?……工場の管理者だ!』
嘘ではないが、真実でもない。巧みな論理のすり替え。
だが、絶望した彼らにとって、それは甘美な「劇薬」だった。
『取り戻したくねえのか!?奪われた人生を!誇りを!……あそこの管理室に行けば、全部取り返せるぞ!』
アルトは工場の最奥、高くそびえる「中央管理塔」を指し示した。
ドローンが爆発する火花の中で、彼の影が揺らめく。
『早い者勝ちだ!先に管理室を制圧した奴が、この工場の新しい「オーナー」だ!……元に戻れるぞぉぉぉッ!!』
その言葉が、決定的なトリガーとなった。
労働者たちの目から、理性の色が消え、欲望と狂気の炎が燃え上がる。
だが、アルトはここで最も重要な「釘」を刺した。
『ただし、勘違いするなよ!「機械」は壊すな!』
彼は眼下に広がる生産設備を見下ろして叫んだ。
『それはこれから俺たちが奪う「飯の種(財産)」だ!自分の財布を燃やす馬鹿はいねえよな!?……壊すのは「邪魔する警備ロボット」と「管理室の扉」だけだ!分かったなァッ!!』
「おおおおおッ!!」
「そうだ!あれは私の財産だ!」
「オーナー!私がオーナーだ!!」
雪崩のような殺到。
数千人の元貴族たちが、スパナやハンマーを振り上げ、管理室に向かって走り出した。
上空では桜色のドローン部隊が援護射撃を行い、地上では暴徒と化した労働者たちが進撃する。
完璧な連携。
略奪ではなく、接収のための組織的な暴動。
『け、警告!第2ライン、停止!暴動発生!』
『制御不能!制御不能!』
管理塔からサイレンが鳴り響くが、怒れる群衆の雄叫びにかき消される。
「……へっ。いい仕事だ」
アルトはキャットウォークから混乱を見下ろし、満足げに笑った。
これぞ「労働争議(物理)」。
資産を保全しつつ、システムを内側から食い破る、商売人の戦い方だ。
「行くぞセレス。……道はできた」
群衆が開けた血路の先。
慌てふためく工場長マダラの姿が見える。
「次は『団体交渉』の時間だ。……要求は『全権譲渡』一択でな」




