商談は、安全圏から行うものです
アルト商会の「救助(有料)」提案に対し、神殿船ネフィリムの回答は「逃走」だった。
『ふざけるな!異端の業者の助けなど借りん!……急速潜航!深海へ逃げろ!』
通信機から枢機卿の怒号が響く。
ネフィリム号は船体からバラスト(重り)を吐き出し、クラーケンの触手を振りほどくと、そのまま垂直に海中へと没していった。
目指すは深度3000メートルの深海。水圧という天然の防壁で、追手と怪物を圧殺するつもりだ。
「チッ、交渉決裂か。……素直に金を払えばいいものを」
アルトは呆れたように肩をすくめると、操縦桿を押し込んだ。
「追うぞ。逃げ得は許さん」
「えっ!?潜るんですか!?深海ですよ!?」
セレスが青ざめる。
深海の水圧は、鉄の塊さえも飴細工のように押し潰す。いかに魔王城の装甲とはいえ、潜水艦として設計されていないこの要塞が耐えられる保証はない。
「安心しろ。……物理法則なら、もうねじ伏せた」
アルトはコンソールの「重力制御(G-コントロール)」の出力を最大に上げた。
「水圧ってのは、要するに『全方位から掛かる重力』だ。……なら、こっちから外向きに『反重力』を掛けて押し返せばいい。プラスマイナス・ゼロだ」
ブォォォン……!
要塞を包む重力結界が唸りを上げ、周囲の海水を目に見えない力で押し戻す。
理論上、この結界が稼働している限り、要塞にかかる水圧はゼロだ。
「潜航開始!……地獄の底まで集金に行くぞ!」
ズボォッ!!
アルト・ワークスは、泡の衣を纏ったまま、ネフィリムの後を追って垂直に潜り始めた。
深度1000……2000……。
光の届かない暗黒の世界。
だが、要塞の内部は、地上の王宮よりも快適だった。
『室温24度、湿度50%に固定しまーす!』
『照明、リラックスモードに切り替え!』
『BGM、優雅なクラシックを流すね!』
義眼サーバーの中の姉妹たちが、艦内環境を完璧に制御しているのだ。
スピーカーから流れる優雅なワルツ。淹れたてのコーヒーの香り。
窓の外では深海魚が泳ぎ、敵艦が必死に逃げているが、こちら側はまるで高級ホテルのラウンジだ。
「……なんというか、緊張感がありませんね」
「商談に緊張感なんざ不要だ。常にリラックスして、相手を見下ろす。それが鉄則だ」
アルトはソファに深く腰掛け、足を組んだ。
そして、モニターに映るネフィリム号――水圧にきしむ敵艦の姿を見据えた。
「追いついたぞ。……『営業担当』、射出」
アルトがボタンを押すと、要塞のハッチから一つの「物体」が吐き出された。
それは、ブースターを取り付けたドラム缶に、液晶モニターとマイクをガムテープで貼り付けたような、あまりにも粗末な「ロボット」だった。
その尻からは、要塞へと繋がる一本の「通信ケーブル」が伸びている。
「あれは……?」
「『交渉代理ロボ・初号機』だ。深海じゃ電波も届かねえし、俺がわざわざ危険な敵艦に乗り込む必要もねえ。……有線リモートで十分だ」
ドラム缶ロボは、ケーブルを曳きながら海中をふらふらと進み、ネフィリム号の艦橋の窓に接近した。
ベコンッ!
ロボットの腹についた「工業用・強力吸盤」が、艦橋の強化ガラスに無様に吸い付く。
そして、窓越しにモニターを光らせる。
・ ・ ・
一方、ネフィリム号の艦橋はパニックに陥っていた。
「水圧上昇!結界強度、限界です!」
「振り切れません!謎の熱源、真後ろに吸い付かれています!」
「ええい、何なのだあの鉄塊は!なぜ潰れん!」
指揮官である枢機卿が、脂汗を流して叫ぶ。
その時だった。
艦橋のメインウィンドウに、突然「ドラム缶」がへばり付いた。
その胴体に貼り付けられたモニターが発光し、アルトの不敵な顔が映し出された。
『――よう。逃げ足だけは速いな、神殿さんよ』
「なっ、貴様!?無礼な!」
窓の外から吸盤で張り付くドラム缶。そのシュールさと、そこから響く傲慢な声に、枢機卿は絶句する。
アルトは要塞のソファでコーヒーを啜りながら、有線モニター越しに語りかけた。
『単刀直入に言おう。……その船、もう助からんぞ』
アルトは、ソナーが捉えた映像を別ウィンドウで表示した。
ネフィリム号の背後、暗闇の奥から、クラーケンの触手が執拗に迫ってきている。深海に適応した怪物は、水圧などものともせず追ってきているのだ。
『我々の調査では、お宅の船の結界発生装置、もう焼き切れる寸前だろ?クラーケンに捕まるか、水圧でペシャンコか。……残された時間はあと10分ってところか』
『ぐぬぅ……!』
図星だった。
ネフィリム号は限界だ。
『そこで提案だ。……我々がクラーケンを排除し、安全を保証する。その代わり――』
アルトは、悪魔の条件を提示した。
『その船の「乗船権」および「航行データの全閲覧権限」を寄越せ。……要するに、船を明け渡せ』
「ふ、ふざけるなァッ!!」
枢機卿が激昂し、唾を飛ばした。
「この船は神の聖域!貴様のような薄汚い商人に渡せるか!これは神への冒涜だ!」
『冒涜?……ハッ、命よりプライドが大事か。結構な信仰心だな』
アルトは冷たく笑い、通信を切ろうとした。
『交渉決裂だ。……じゃあな、海の底で神に祈ってろ』
「待て!……撃て!そのふざけたドラム缶を撃ち落とせ!」
枢機卿の命令で、船外の銃座が火を噴く。
バシュッ!
ドラム缶ロボはあっけなく撃ち抜かれ、爆発四散した。
繋がっていたケーブルが切れ、海中を漂う。
――プツン。
要塞内のモニターが砂嵐に変わる。
それを見たアルトは、怒るどころか、満足げに頷いた。
「……よし。向こうから手を出したな?」
「しゃ、社長?ロボットが……」
「あれはただの『平和的解決のポーズ』だ。……これで名実ともに、向こうが『交渉を拒否し、攻撃してきた』という既成事実ができた」
アルトは空になったコーヒーカップを置き、操縦桿を握り直した。
その瞳から、商人の色が消え、冷徹な略奪者の色が宿る。
「正当防衛の成立だ。……総員、突撃!力ずくで『資産』を回収するぞ!」
要塞が唸りを上げる。
安全圏からの交渉は終わった。ここからは、物理による強制執行の時間だ。
※20251130全体の整合性を踏まえて修正しました。
交渉(という名の挑発)からの、強制突入!
次回、船内制圧戦!
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