7回目の告白
「いい天気だね」
駅を出たところで、洸が空を見上げて言う。
台風が過ぎ去り、今日は夏みたいな陽気だ。
「理乃ちゃんのお父さんに貸してもらった服、たぶん今日中に乾くから、明日返すね」
昨日パパが押し付けた服を、洗濯してくれたのらしい。
「いつでも大丈夫だよ。ベルトは無事だった?」
前にベルトの替えがないと言っていたのを思い出して尋ねる。
「いや、さすがにびちょびちょすぎたから、父親の借りた。ほら、ベルトが緩ーー」
洸がそう説明している時だった。
「ーーっ」
後ろから歩いてくる男を見て、私は咄嗟に洸のベルトを横から両手で掴んだ。
「理乃ちゃん……?」
洸が、何事かというように立ち止まる。
「ごめん、ちょっとだけ、このままで」
洸の肩に顔をうずめて、やり過ごそうとした。
どうか、気づかれませんように……。
「あれ?」
私の願いも虚しく、すぐに見つかった。
「加瀬さんじゃん。久しぶり」
私の顔を覗きこむようにして、声をかけてくる。
「ひ、久しぶり」
観念して、挨拶を返す。
中学の卒業式以来だ。半年ぶりに会う渡邉くんは、少し背が伸びたようだった。
あかん、耳まで熱くなってまう。
「彼氏?」
渡邉くんにそう訊かれて、洸のベルトを握りしめたままなことに気づいた。
「ち、違うよ」
慌てて手を離す。
「隠さなくても、俺、言いふらしたりしないよ」
渡邉くんが笑って言うけど、そういう問題じゃない。
渡邉くんに勘違いされるのが嫌なのだ。
「違うってば。洸くんは……」
頭の中が真っ白になって、とにかく否定しなきゃと思った。
「お、弟。弟だよ」
テンパった私は、そんなことを口走った。
「弟って」
渡邉くんが、私の嘘を笑う。
「その制服、青風高校だよね?弟なのに加瀬さんと同級生ってこと?俺らまだ1年生じゃん」
洸のブレザーに縫い付けられた校章を指さして、簡単に論破してきた。
やっぱり、私とは頭の出来が違うのだ。
「そ、それは……」
反論を試みようとしたけど、何も思いつかなかった。
泣きそうになった時、洸がズイッと前に出た。
「再婚相手の連れ子……っていう可能性もあるよね」
私を庇ってくれるのかと思いきや、嘘に乗ってくれる気はないらしい。
というか、心なしか怒ってる気がする。
そりゃそうか。弟だなんて言われて、いい気はしないだろう。
兄にしとけば良かった。
「そんな少女漫画みたいなこと、あるわけないじゃん」
渡邉くんが、洸の言葉を鼻で笑う。
「へえ、君、少女漫画とか読むタイプなんだ。意外」
対する洸も、皮肉な口調でそう言い返した。
この2人がバチバチするとか、意味わからん。
「ごめん渡邉くん、嘘ついた。この人はただの友達」
私はそう白状した。
元はと言えば、私が嘘をついたのが悪い。
「ふうん。絶対に彼氏だと思われたくなかったんだね。大丈夫?もしかして付きまとわれてるの?」
渡邉くんは、そんな私を責めることなく、むしろ心配してくれた。
付きまとわれてない……こともないけど。
「理乃ちゃんが、僕に付きまとわれてるって言ったら、君はどうする気なの?」
私が答えるより先に、洸が絡む。
やめれ。
「そりゃ、君が近づかないように、何かしらの対策を講じるよ」
「何かしらって?」
「ひどいようだったら警察に相談するし」
「ふーん。ずいぶん他力本願なんだね」
「俺が家まで送り迎えしたっていいし」
「へえ。青風高校の制服も知ってたし、好きなの?理乃ちゃんのこと」
「アホなこと言わんどいて」
聞いていられなくて、洸の腕をはたいて止めた。
「渡邉くんは、お兄ちゃんが青風高校に通ってるからうちの制服を知ってるの」
渡邉くんが私のことを好きなわけがない。
「ああ、もしかして演劇部の……」
洸くんはそう言いかけて、慌てたように口を押さえた。
「あれ、加瀬さんって関西弁だったっけ?」
渡邉くんが意外そうに言う。
しまった。つい関西弁が出てた。
「理乃ちゃんは結構関西弁だよね」
洸が、当たり前のことのように答える。
そんなことないわ。
「いいから、帰るよ。じゃあね」
洸の腕を取って、とりあえず渡邉くんから引き離した。
考えてみたら渡邉くんも帰る方向が同じなのだけど、気づかなかったことにした。
***
「良かったの?」
お母さんの事務所の鍵を開けようとしていると、後ろで洸が言った。
振り向くと、洸は少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「何で?」
「え、いや、僕、やりすぎたかなって、反省して……」
それでずっと黙りこくっていたのか。
ここに来るまでの間、洸はひとことも喋らなかった。
「洸くん、渡邉くんにめっちゃ絡んでたもんね。洸くんらしくなかったよ」
「そうじゃなくて」
洸が、人差し指で頬をかく。
「さっきの、渡邉くん?帰る方向が同じだったみたいで、僕たちの後ろを歩いてたんだけど、理乃ちゃん、ずっと僕の腕組んでたし、名前の呼び方も、関西弁も……何ていうか僕、優越感が半端じゃなかったんだけど」
「嘘や。私、腕なんか組んでた?」
まったく身に覚えがない。
「く、組んでたよ、完全に。僕、ドキドキしすぎて、歩き方が分からなくなりそうだった」
洸がムキになったように答える。
それは、渡邉くんに見苦しいものを見せてしまった。
***
くしゅっ。
押し殺したようなくしゃみが聞こえて、私は古文の教科書から目を上げた。
「ごめん、うるさくして」
鼻をこすりながら、洸がくぐもった声で謝る。
時刻は5時になろうとしている。
今日もかなり捗った。
「風邪?」
洸の鼻が赤い気がして、そう尋ねる。
昨日は雨でずぶ濡れになっていたから、風邪を引いてもおかしくない。
でも、洸はそれを否定した。
「違うと思う。僕、風邪引いたことないし」
「そんな人間おるん?」
洸のおでこに手を当てて、自分のおでこと比べてみる。
……いや、分からんな、これ。
体温を比較するのを諦めて手を離すと、洸の顔が真っ赤になっていた。
「ええ、大丈夫?やっぱり熱があるんじゃ……」
「どんだけ天然なの。理乃ちゃんが急に触るからでしょ」
「ああ、それは、ごめん」
私が素直に謝ると、洸は複雑そうな顔をして、テーブルの上に突っ伏した。
「理乃ちゃんって、割とボディタッチ多いよね」
突っ伏した状態のまま、話を続けてくる。
「え、そう、なのかな。わざとじゃないんだけど」
「そりゃわざとじゃないだろうけどさ」
その呟きの後、少し間が空いた。
寝るのかと思って古文の教科書に目を落とした時、洸は再び口を開いた。
「さっきの人にも、触った?」
「え?」
訊きかえすと、洸は突っ伏した姿勢のまま、目だけを覗かせた。
「理乃ちゃん、さっきの、渡邉くんって人のこと、好きなの?」
「いや、好きとかじゃないけど?」
私が即答すると、洸は一瞬フリーズした。
身を起こして、ゆっくりと目を擦る。
そして、私をまじまじと見た。
「もう一回訊くけど、渡邉くんのこと、好きなわけじゃないの?」
「うん。どうして?」
なぜそんなことを訊かれるのか分からない。
「だって、顔真っ赤になってたし、僕のこと弟とかいうし、完全に好きな人に会った時の反応だったっていうか……」
洸がそう説明する。
それは確かに、誤解されても仕方ないかもしれない。
「さっきはちょっと、恥ずかしかっただけだよ」
私は古文の教科書を閉じながら言った。
「本当は私、渡邉くんが通ってる業平高校に行きたかったんだ」
業平高校は、この辺では有名な進学校だ。
私の家からも近い。
「でも、落ちて。第二志望も落ちて。自分が青風高校に通うことになるなんて、思ってなかった」
渡邉くんは、青風高校に通う自分の兄を馬鹿にしていた。両親は兄を既に見放しているのだと言っていた。
渡邉くんにとって青風高校は、馬鹿が行く学校だ。
「渡邉くんに青風高校の制服を着てるのを見られるのも、恋愛にうつつを抜かしてるように見られるのも、恥ずかしかったの」
中学では、渡邉くんと同じくらいの成績だったからなおさら。
「僕と一緒にいるのが恥ずかしかったの?」
洸が肘杖をついて訊いてくる。
「僕の頭が悪いから、同類だと思われたくなかった?」
「そこまで言ってないよ」
否定しながら、100パーセント違うとも言い切れないと思った。
私は渡邉くんに、青風高校の人と付き合っていると思われたくなかったのだ。
洸は、私の顔をじっと見ると、再び口を開いた。
「もしも、僕が中間テストで理乃ちゃんよりも良い点数を取ったら、僕のこと好きになってくれる?」
真面目な口調で、そんなことを言ってきた。
「な、何ゆうてるん」
こんなの絶対、タチの悪い冗談だ。
そう思うのに、顔が熱くなる。
洸は今まで、一方的に好きだと言うばかりで、私からの好意を欲しがるそぶりは見せなかった。
だから私は、洸の言葉を深く受け止めなくていいと思っていた。
いや、考えないようにしていたのだ。
それなのに、今、急にリアルな温度をのせて、洸の『好き』が私に迫ってくる。
「昨日、あれからずっと考えてた」
動揺する私をよそに、洸が真剣な声で言う。
「何で理乃ちゃんにキスできなかったんだろうって。キスしたかったのに」
私の横に座る洸は、膝を揃えて、前を向いて座り直した。
「気づいたんだ。キスできなかったのは、理乃ちゃんが僕のことを好きじゃないからだって。そんな乾いたキスをしたって、虚しいだけだから」
その横顔に、さらりと髪が流れる。
「それで僕は、理乃ちゃんに好きになってもらいたくなった。理乃ちゃんが渡邉くんのことを好きかもしれないって思ったら、居ても立っても居られなくなりそうだった。だから、理乃ちゃんーー」
「わ、悪いけど、」
私はそこで口を挟んだ。
このままじゃ流される。そう思って。
「私が洸くんのことを好きになることは、ないから。絶対ないから」
しつこいくらいに否定する。
だって、怖い。
好きになったら最後、抜け出せなくなりそうで。
後悔する未来しか見えない。
「分かった」
洸は、知ってたと言わんばかりに頷く。
「急にごめん」
しおらしく謝ってくる。
気まずくなった。
「私は、こんなことにうつつを抜かしてる場合じゃないの」
言い訳をするみたいに、私は洸に言った。
「言ったでしょ。私、高校受験で失敗したの。この失敗を取り返すためには、人一倍勉強しないといけないの。ただでさえ私は本番に弱いんだから」
私は、業平高校に余裕で合格するはずだった。
受験の日の朝にお母さんのお腹に赤ちゃんがいることを知ってしまったせいで、動揺して力を発揮できなかったのだ。
それは、パパのせいだった。
お母さんは、私が受験に集中できるように、赤ちゃんのことを黙っているつもりだったのに、パパが口を滑らせた。
だけど、パパを恨んでも仕方がない。
私がそれまでだっただけのことだ。
多少コンディションが悪くても合格できるくらい、しっかり勉強しておくべきだったのだ。
渡邉くんと再会して、私は改めてそう思った。
「理乃ちゃんは、がんばりやさんだよね」
決意を新たにする私に、洸は静かに言った。
「何のために、そんなにがんばるの?」
そんなことを訊いてきた。
そんなの、決まってる。
「いい大学に行くためだよ」
「どうしていい大学に行きたいの?」
「どの大学に行くかで、人生が決まるから」
「じゃあ、大学に入った後は、何も決めないで生きていくの?」
「か、関係ないでしょ」
洸に悪意はなく、純粋な問いだと分かっていた。
けれど、私は痛いところを突かれたみたいに、ムキになってしまった。
私だって、どこかでは分かっていた。
私が必死に勉強してきたのは、お母さんを失望させないためだったのだと。
私がテストでいい点を取ると、お母さんは喜んだ。
パパと違ってあなたは頭がいいのね、と褒めてくれた。
お母さんは、私の中に流れるパパの血を憎んで、私が少しでもパパみたいなことをすると、すごく嫌がった。
だから私は、パパに似ている目を眼鏡で隠して、関西弁を押しこめて、お母さんを怒らせないように生きてきた。
それだけなら、まだ良かった。
私はただ、お母さんに引かれたレールに乗って、何も考えずに突き進んでいれば良かったから。
だけど、レールは音もなく途中で切れた。
弟が生まれたことによって、状況が変わったのだ。
弟が生まれてから、お母さんはパパに笑顔を見せるようになった。
私が関西弁を使うと怒ったくせに、パパと話す時は関西弁に戻るようになった。
パパと一緒に赤ちゃんに話しかけている時のお母さんは、とても幸せそうで、それを見ると私は、消えてしまいたくなる。
何のために必死に勉強してきたのか、何のために生まれてきたのかすら、分からなくなる。
「ごめん」
洸が謝ってきた。
私が怒ったと思ったのだろう。
「僕はただ、理乃ちゃんのことが知りたかっただけなんだ」
落ち込んだみたいに、うなだれている。
その横顔に、つい見惚れてしまう。
「こっちこそごめん。ちょっと八つ当たりした」
古文の教科書をカバンにしまいながら、私も謝った。
洸に悪気がないのは分かっていた。
「そろそろ帰ろっか」
「僕に八つ当たりしたの?」
洸と声が被った。
何でちょっと嬉しそうなんだ。
何だか、力が抜けてしまった。
「最近、何のためにがんばってるのか、分かんなくなっちゃって」
気づけば私は、洸に弱音を吐いていた。
「いい大学に入るためとかじゃなくてさ、勉強してないと不安なの。自分が必要ない人間みたいに思えて」
勉強しかしてこなかった私は、それ以外に何も持ってないから。
「必要ないって、そんなーー」
洸がそう言い返しかけた時だった。
急にバイブ音が鳴り響いた。
その音は、静かな部屋の中に響き渡って、2人で肩をびくつかせる。
それは、テーブルの上に置かれた洸のスマホからだった。
画面に『吉永涼香』と表示されている。
吉永さんは、洸の取り巻きの女子の1人だ。
洸が、出るか迷っているような空気を醸し出す。
「出なよ。私に聞かれたくなかったら、外で話してきたらいいし」
私がそう言うと、洸は座ったまま電話に出た。
「もしもし」
さっきまでよりも少し低い声だ。
女子相手にカッコつけているのだろうか。
「……うん。……そうなんだ」
洸は3、4回相槌を打った。
そして、
「今立て込んでるんだけど、急ぎ?」
と、尋ねた。
正直、少し驚いた。
来るものは拒まない人かと思っていたから。
特に女子には。
「そう。……うん。……分かった。また明日ね」
洸は、冷たさすら感じさせるくらいの早口で別れを告げると、あっさりと通話を終わらせた。
「大丈夫だったの?」
思わずそう尋ねた。
「ん?何が?」
「だって、吉永さんは洸くんと話したかったんじゃない?」
「……ああ」
自嘲じみた笑いが返ってくる。
「でも、僕は理乃ちゃんと話したかったから」
洸はそう答えると、スマホを鞄の中に放り込んだ。
***
「確かに、さっきの電話の切り方は僕らしくなかったな」
家に向かう途中で、洸が思い出したように呟く。
その肩には2つの鞄がかけられている。
私の鞄を持つと言って聞かない。
「女の子を無碍にしちゃいけないって、骨の髄まで刷り込まれてるのに」
骨の髄まで?
怪訝に思って洸を見上げると、笑いかけられた。
それだけのことでドキドキしてしてしまう。
「それだけ、僕にとって理乃ちゃんが特別なんだ。理乃ちゃんは、必要ない人間なんかじゃないよ」
さっきの話を蒸し返してきた。
「何ゆうてんの」
恥ずかしくて、洸の視線から逃げる。
ほんま調子狂う。その目で見られると。
「僕、理乃ちゃんの目が好き。時々出る関西弁が好き。それ以上に、理乃ちゃんっていう存在が好き」
「へ、変なこと言わんでよ。アホちゃう」
自分の目も関西弁も嫌いだ。
だから、洸の言葉をやっぱり、素直に受け取ることができない。
「僕ね、自分はただ笑ってればいいんだと思ってた。何も感じずに。何も求めずに」
やめろと言っているのに、洸は言葉を続けた。
沿道を歩く私たちのもとに、金木犀の花の香りが漂ってくる。
洸が珍しく自分の話を始めたから、私は思わず耳を傾けた。
「そしたらいつの間にか、ノノといる時以外、何も感じないようになってた」
その淡々とした口調に、洸の闇が垣間見えた。
あるいは、病みなのかもしれなかった。
「それがあの日、初めて理乃ちゃんと手を繋いだ瞬間から、僕の世界が変わった。
理乃ちゃんと一緒にいる時だけは、ものを感じることができる。温かいも冷たいも。痛いも苦しいも。嬉しいも寂しいも。幸せも。自分がここにいる実感も」
洸の声が少しだけ熱を帯びる。
秋の風が私たちの間を吹き抜けていった。
「だから、僕は理乃ちゃんと一緒にいられるだけでいいんだ。好きになってほしいなんて、もう言わない」
車の音が近づいてきて、洸がさりげなく私の腕を引く。
「危ないものから理乃ちゃんを守るよ。重たい荷物を持つし、勉強で分からないところがあったら一緒に考える。弱音を吐きたい時はいつだって聞くし、雨の日は僕が傘になる。理乃ちゃんは僕を、便利に使ってくれればいい。だから、学校終わりのこの時間だけは、一緒にいさせてほしい」
「何やねん、それ」
まるで奴隷だ。
私は、洸とそんな関係になることを、望んでない。
「テストで私より良い点取ったら、ゆうの、撤回するんか」
「だって、僕のこと好きになることはないって……」
「ないよ。ないけど、あんたが私より良い点取れる思てるんが腹立つねん。取ってから言ってや」
私の啖呵に、洸は一瞬、あっけに取られた顔をした。
そして、ひとつ喉仏を上下させる。
「僕に負けても、理乃ちゃん、泣かない?」
「泣かんわ。言うとくけど、全科目の合計点やからね」
「うん」
「万が一洸くんが勝っても、私があんたのこと好きになるとかは別の話やから」
「うん、分かってる」
ほんまに分かってるんか。
ほな何のために勝負すんねん。
「じゃあ、僕が勝ったら、」
案の定、洸は勝った時の条件を付けてきた。
「理乃ちゃんの好きなものを教えて」
「はあ?何それ」
何でそんなもんが知りたいねん。
だいたい私、好きなもんなんかあったっけ。
まあ、私が負けることはないから、気にしなくていいか。
「ほな、あんたが負けたらどうするん?」
とりあえずその条件を飲んで、私はそう尋ねた。
「僕が負けたら、理乃ちゃんにもう付きまとわない」
洸は、さらりとそう答えた。
「え、ええんか?そんなん……」
思わず確認した。
今、私と一緒にいたいと言ったばかりやないか。
「うん。そのくらいの条件じゃないと、釣り合い取れないし」
洸はそう言って、私に鞄を返してきた。
いつのまにか家に着いていた。
「私の好きなものくらいで?」
私はなおも確認する。
明らかに釣り合いが取れてないと思うけど。
「大丈夫だよ。僕、一生懸命勉強するから」
洸はにっこりしてそう言うと、小さく手を振って帰っていった。
「べ、別に心配してるわけちゃうねん……」
そう呟いた私の独り言は、夕焼けの中に、溶けて消えた。