3回目の告白
「今日も、放課後の練習は無理そう?」
ざわざわと騒がしい教室の中で、後ろの方からサアヤの声が聞こえてきた。
洸が仲良くしている女子の1人だ。いつものように洸の席に群がっているのだろう。
洸の席は私の斜め後ろだから、見えないけど声はよく聞こえる。
「うん、難しいかも。ごめんね」
洸がそう答えると、口々に残念そうな声が漏れる。
「じゃあ、今日も8時からオンラインでね」
サアヤが、そんな約束を取り付けている。
今まであまり気にしていなかったけど、洸はいつもサアヤを筆頭とした女子4人組に囲まれている。
洸の一挙一動に、女子たちが黄色い声をあげている。まるでファンみたいに。
まあ、女子が好きそうな顔だし、女子が喜ぶことを自然にやってのける男ではある。
ますます不思議だ。
そんな人間が、なぜ私に絡んでくるのか。
私はあの子たちみたいにキャーキャー言わないし、喋っててもつまらないだけだろうのに。
1限目が始まるまでの数分間、机に頬杖をついて、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
***
洸は、今日も改札を出たところにいた。
私に気づいて小さく手をあげてくる。
今日は1本遅い電車に乗ったから、たぶん30分くらい待っていたのだろう。
売店で文房具を買っていたら、ギリギリの時間になってしまった。
急げばいつもの電車に間に合ったのだけど、洸が一緒に帰るのを諦めてくれるのではないかという淡い期待もあって、1本遅い電車で帰ってきたのだ。
「あの、売店で買い物してたから……」
遅くなった理由を、私は言い訳がましく説明した。
一緒に帰る約束はしていないので、謝るのは違うと思いながらも、何となく罪悪感を覚えてしまった。
「僕が勝手に待ってただけだから、気にしなくていいよ」
洸は爽やかスマイルでそう返してきた。
待たんでええねん。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「そういえば、」
歩き出しながら、私は疑問を口にする。
「教室で、放課後の練習が何とか言……」
途中で慌てて言葉を切った。
今朝のサアヤとの会話について訊きたかったのだけど、これではまるで私が聞き耳を立てていたみたいだ。
「ああ、聞こえてた?」
洸には、私の言いたいことが分かってしまったようだ。
「違、たまたま、ホントたまたま聞こえて、練習に出たらいいじゃんって思ったから」
聞き耳を立てていたわけではないのに、私はなぜか弁解に必死になっている。
「あはは。サボっちゃった。あの子たちには内緒ね」
洸が口に人差し指を当ててウィンクしてくる。
その姿は、悔しいくらい絵になる。
「言わないよ。何の練習かも知らないのに」
髪をかきあげて、無駄にドキドキさせられたのをごまかす。
「シンデレラだよ」
「え?」
思わず訊きかえすと、私が興味を持ったと思ったのか、洸はにっこりした。
「僕たち、文化祭でシンデレラの劇をするんだ。その練習に出なきゃいけなかったんだけど、サボっちゃった」
道幅が狭くなって、私の後ろに移動しながら、洸はそう説明した。
やっぱりこの人は、文化祭にちゃんと参加するんだな。
そう思った。
部活にも入らず、文化祭に行く気もない私とは、住む世界が違う人間だ。
そんなこと、最初から分かってた。
「まあ、毎晩オンラインで練習してるし、シンデレラの王子役は初めてじゃないから、サボっても問題ないよ」
テンションが下がった私をよそに、洸は饒舌に言葉を続けた。
「あ、そうだ。理乃ちゃんも出る?それだったら僕も放課後ーー」
「で、出ないよ、こんな直前に。シンデレラのストーリーも知らないのに」
勝手に話を進められては困るので、慌てて断った。
文化祭は今週末だ。
「そっか。僕は学芸会とかで何回もシンデレラをやったんだけど、理乃ちゃんの学校ではやらなかったんだね」
洸は、シンデレラを知らない私を馬鹿にしなかった。
さすがの私も、シンデレラが有名なことくらいは知っているけど。
「シンデレラはディズニーの映画でーー、」
どうやら私にシンデレラのストーリーを教えてくれる気らしい。
興味ないけど、黙って聞き流すことにした。
お母さんは、ディズニーの映画はくだらないから見てはいけない、と言った。
白馬に乗った王子様と結婚して幸せに暮らしました、という結末を嫌悪していた。
幸せは男から与えられるものではなくて、自分で掴み取るものだと、繰り返し私に言い聞かせてきた。
だから、私はディズニーから距離を置いてきた。
それでシンデレラのストーリーを知らないのだ。
「シンデレラって名前の女の子が主人公なんだけど、お父さんが再婚して、継母とその連れ子の継姉たちと一緒に暮らすことになるんだ」
洸は、そんな風に説明し始めた。
話のあらましは次のようなものだった。
シンデレラは継母たちにこき使われるが、めげずに過ごす。
そんなある日、お城でパーティーが開かれることになって、継母たちは着飾って出かけていく。シンデレラは着ていくドレスがなくて、ひとり家に残されて悲しむ。
そこに魔法使いが現れて、綺麗なドレスとガラスの靴と、かぼちゃの馬車を出してくれる。
その魔法使いは、午前0時に魔法が解けるから、それまでに帰ってくるようにシンデレラに告げる。
お城に行ったシンデレラは、パーティーに参加していた王子に見初められる。そこで王子と楽しい時を過ごすけど、午前0時の鐘が鳴って、シンデレラは慌てて駆け戻る。その時に、城の階段にガラスの靴を落としてきてしまう。
「そして王子は、そのガラスの靴を手がかりにシンデレラを見つけ出す。町じゅうを捜して、その靴が合うのは、シンデレラひとりだけだったんだ。それから2人は、幸せに暮らしましたとさ。そんなお話だよ」
洸はそう結んで、シンデレラの説明を終えた。
まったく興味がなかったはずなのに、洸の説明が上手すぎて、ストーリーがすんなり頭に入った。
「話は理解できたけど、」
洸のことを少し見直したのを悟られたくなくて、私は否定的になる。
「着飾ったり、王子に出会ったり、結婚したり、そういうのが女の幸せだって決めつけてる感じが、私はあんまり好きじゃない」
私はつまらない人間なのだ。
だから私に絡むのをやめてほしい。
言外に、そんな願いを込めた。
「そうだろうね」
洸は、気を悪くした様子もなく、私の否定的な発言に理解を示した。
「僕も、理乃ちゃんはそういうの好きじゃないだろうなって思う」
普通に受け止められて、拍子抜けした。
女の子にちやほやされたいだけの男かと思っていた。
「確かに、キラキラのドレスとかガラスの靴に惹かれて、シンデレラが好きって子も多いけど、僕は、シンデレラって別に女の子じゃなくてもいいと思うんだ」
秋めく風がザワザワと木々の葉を揺らしている。
風が収まるのを待つように少し間を空けて、洸はさらに続けた。
「不利な状況に置かれても、挫けずに頑張ってたら、信じられないくらいラッキーなことがあるかもよって、そういうお話だと思ってる」
少し癪だけど、納得させられてしまった。
シンデレラもだけど、洸の人気の理由も。
この人は、他人を否定したり、馬鹿にしたりしない。
「そういえば、理乃ちゃんはどういうのが好きーーいたっ」
強い風が吹き抜けた時、洸が急に痛そうな声を出した。
「どうしたの?」
「何かが目の中に入った」
見ると、目を擦ろうとしている。
「ダメ」
擦ろうとしている手を取って止めた。
パパの目に枝の切れ端が入った時、擦ったせいで角膜が剥がれて大変なことになった。
「我慢して、何回かまばたきしてみて」
眼科の先生から教えてもらった対処法を伝えながら、鞄から目薬を取り出す。
「これ、良かったら。人の目薬なんて使いたくないかもしれないけど、開けたばかりだから」
そう言って、洸に差し出した。
「ありがとう……取れたかも。でも、目薬使わせてもらってもいい?」
洸は私から目薬を受け取ると、目に差した。
再び何度か瞬きをしている。
右目から目薬があふれて、頬を伝い落ちた。
「取れた?見せて」
「うん。痛くなくなったから取れたと思う」
そう答える洸の右目を覗き込んだ。
よく見えなくて、眼鏡を外してさらに覗き込む。
下まぶたの淵に、細かい木片のようなものが引っかかっているのが見えた。
「動かないで」
慎重にそれを取り除いた。
白目が少し充血しているけど、もう大丈夫だろう。
「あの、理乃ちゃん……」
洸に名前を呼ばれて、自分が無意識に洸の頬を押さえていたことに気づいた。
「あ、ごめん、つい」
手を離して、一歩後ずさる。
洸は、目だけじゃなくて、顔全体が赤くなっていた。
「やっぱり、理乃ちゃんは演劇に出なくていいや」
「え?」
眼鏡をかけながら訊きかえす。
その話はとっくに終わったと思っていた。
まだ諦めてなかったんか。
「劇なんか出たら、可愛いのがみんなにバレちゃう」
「なっ」
なんやそれ。
そんなチャラいこと言われるん、いっちゃん嫌いやのに。
何で心臓がドクドクうるさくなるん。
どうせからかわれてるだけや。
「ちゃんと見えてる?もっと目薬差した方がいいんじゃない?」
動揺を押し隠して、冗談で返す。
「あはは。目薬を使わせてもらったおかげで、はっきり見えてるよ」
はっきり見えてるよ、やないわ。
何なん、こいつ。
「父親が、目を擦って大変なことになったことがあるから、ちょっと心配しただけ。ホント、それだけだから」
自分の心臓を落ち着けたくて、くどくど言う。
自分が何に動揺しているのかも分からずに。
「うん。ありがとう」
洸はすっかり平常運転だ。
なんか、ムカつく。
気づけば、お母さんの事務所のマンションの前まで来ていた。
「参ったな」
逃げるように別れを告げようとした私に、洸は言った。
「理乃ちゃんのことが、どんどん好きになる」
「ちょ、ホントに、冗談やめてよ」
「冗談でこんなこと言わないよ」
絶対。
絶対絶対絶対。
この人は私のことをからかって、面白がってるだけだ。
だから、騙されるな、私。
「じゃあ、また明日ね」
洸は、にっこりとそう言って、そのまま歩いて行った。
本当に、意味不明だ。
少し見つめ合っただけで赤くなるくせに、可愛いとか好きとかはサラッと言う。
女子に慣れてるんだか慣れてないんだか分からない。
いや、それはどうでもいい。
とにかく、洸の『好き』を真に受けてはいけない。
だから、いちいちドキドキするな、私の心臓。