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9回目の告白(2/2)

 目を覚ました時、頬に温かいものが触れている感覚があった。


 腕が少し重たくて、自分が何か大きなものを抱きかかえているらしいことに気づく。

 その大きなものは、規則正しく膨らんだり萎んだりしている。


 目を開けると、目の前に白いシャツが広がっていた。

 私の腕は、その白シャツの下に差し込まれている。

 クッションが差し込まれているおかげか、そこまで重さは感じない。


 けど。

 この匂い。

 まさか、私が抱きかかえているのはーー。


「起きた?」

 頭上で声がした。

 顔を上げると、すぐそこに洸の顔があった。

 やっぱり私は洸に抱きついて寝ていたようだ。


「な、何で……?」

 混乱しながら尋ねる。

 何がどうなったら、こないなことになってん。


「理乃ちゃんが、ギュッてしてって言ったんだよ」

「私が?」

 まあ、そうなんやろな。

 私が抱きついてるし。

 全然覚えてないけど。


「そうだよ」

 洸が強めに肯定してくる。

「理乃ちゃんが映画の途中で寝ちゃったから、僕は、横になる?って訊いただけで。断じて僕が襲ったわけではないです……」

 語尾が尻すぼみになっている。


「そんなん疑ってへんわ」

「す、少しは疑えよ」

 洸にしては乱暴な口調だったから、私は少し面食らった。


「ごめん」

 洸はすぐに謝った。

「でも、ダメだよ。こんな無防備に抱きついちゃ」

「先輩には抱きついてたくせに」

 洸から身を離して、ベッドの上で起き上がる。

 映画は終わっていた。


「あれは、そうしないと理乃ちゃんと同じ電車に乗れそうになかったから」

 そう言い訳しながら、洸も身を起こす。

「それが何?答えになってないわ」

「答え?」

 訊きかえされて、私は自分が何を知りたいのかを見失った。


「と、とにかく、洸くんは誰にでも抱きつけるんでしょ。こんなのどうってことないじゃん」

「どうってことあるよ」

 洸がムキになったように言い返してくる。

「僕がさっきからどれだけ……。どうってことないのは理乃ちゃんの方でしょ。理乃ちゃんはーー」

 そこで、洸は何かに気づいたように言葉を切った。


「もしかして理乃ちゃん、僕が先輩を抱きしめるの見て、嫌だったの?それで機嫌が悪かったの?」

 な……!

 いきなり図星をつかれた。


「ちゃ、ちゃうわ!洸くんがチャラいのは今に始まったことやないし、今さら誰と抱き合ってても何とも思わん。私は、洸くんが私のことを特別みたいに言うのが腹立ってんねん」


 違う。

 こんなことが言いたいわけじゃない。

 何とも思わないなんて、嘘だ。

 嫌でたまらなかったのに、つい意地を張ってしまった。

 洸が急に核心をついてくるから悪いのだ。


「まだ信じてくれてなかったの?」

 洸は驚いたようだった。

「特別じゃなかったら、こんなーー」

 そう言いかけて、洸は言葉を飲み込むような表情を見せた。


 何でや。

 今、好きって言う流れやったやんか。


 ここ最近、洸に好きだと言われていない。

 いや、好きだと言われたところで反応に困るのだけど、言われなかったら言われなかったで、何だか不安になる。


 洸は、続きを言わないまま、立ち上がって帰るような雰囲気を作った。

 それで、仕方なく私も黙って帰り支度を整えた。

 

 言いたい言葉はいつだって、宙ぶらりんなままだ。


***


 外はまだ暖かかった。

 時刻は午後3時になろうかというところだ。


「理乃ちゃんの七五三の写真、可愛かったなぁ」

 洸はすっかりいつも通りで、さっきまでのぎくしゃくした空気はすっかり消えている。


「そんな写真あったの?」

 パパと2人でゴソゴソしてた時に見たのだろう。

 何か盛り上がってると思ったら。

「うん。日記もあったよ。お姫様ごっこの話も聞いた」

 洸が楽しそうにそう答える。

 恥ずかしすぎる。


 あ、でもこれ、洸に好きって言わせるチャンスかもしれん。

 私は、どうしても洸に、好きだと言ってほしくなっていた。


「あの頃はまだ、父親のことが好きだったから」

 好き、という言葉を印象づけようと、敢えてそう言ってみた。

 この流れで、何とか洸に好きだと言わせられないだろうか。


「いつから好きじゃなくなっちゃったの?」

 洸にそう訊かれて、私の浅はかな目論見はあっけなく崩れ去った。

 父親の話になってしまったから、ここから洸に好きだと言わせる方向に軌道修正することは、私の腕ではできそうにない。

 

「いつって……」

 仕方なく洸からの問いに答えようとした私は、そこで言葉を詰まらせた。


 小学校を卒業するまでは、パパと一緒に暮らしていた。

 少なくともその頃までは、私はパパのことが好きだった。

 それに、別居してからも、パパが恋しくて、時々会いに行っていた。

 今日見た洋画は、そういう時にパパと一緒に見たもののひとつだった。


「じゃあ、」

 洸は、答えに困っている私を見て、質問を変えた。

「どうして、お父さんのことが好きじゃなくなっちゃったの?」


 私がパパを嫌いになった理由。

 それは、パパの薄っぺらさに気づいたからだ。

 気づいたというか、お母さんがそう言ったからだ。


 別居を始めてから、お母さんは私がパパに会うと嫌な顔をした。

 パパから得るものはすべて、私にとって悪影響だと決めつけた。


『パパは、馬鹿だから』

『あの人は女の子を喜ばせることしか考えてないから』

『パパは、私たちのことを大事に想ってないから』


 お母さんと2人きりの暮らしの中で、パパの悪口を聞いているうちに、私もパパのことが嫌いになっていった。

 そして次第に、パパに会いに行かなくなっていった。


 実際のところは、お母さんはパパとずっと仲が悪かったわけではなかった。

 私が小さい頃は、2人で仲良くしている時もあった。

 関西弁で喋る2人の中に入りたくて、私もわざと関西弁を使っていたくらいだ。

 

 ただ、小さい頃から、お母さんが私に言うことは共通していた。


『パパみたいになっちゃダメ』

『パパみたいな人を好きになっちゃダメ』

『パパは薄っぺらくて、しょうもない人間だから、好きになったら不幸になる』


 そんなお母さんは、私の中にパパに似ている部分を見つけると、すごく嫌がった。

 そんな時、私は決まって、自分の中にパパの血が流れてることが惨めで悲しくて、消えてしまいたくなった。


「あの人は、言動の全部が軽いから」

 私は、嫌な記憶を振り払って、洸の質問にそう答えた。

「子供の頃には見えてなかった部分が、見えるようになっただけ」

 パパの性質が変化したのではなくて、私が大人になったというだけのことだ。


「理乃ちゃんは、僕のこともそうーー」

 洸が何やら呟いたけど、最後まで聞き取れなかった。

「え?」

「ううん。何でもない」

 ごまかされてしまった。

「理乃ちゃんは、洋画を見るのが好きなんだね」

 あからさまに話題を変えてくる。

 よく分からないけど、まあいいか。


「そういえば、さっきの映画、最後まで見れなかったよね?」

 自分が途中で寝てしまったのを思い出して言う。

「私は見たことあったんだけど。もし続きが気になってたら、貸そうか?」

 さっき、貸せばよかったのだけど、ギクシャクしていてそこまで気が回らなかった。


「ああ、うち、プレーヤーがなくてさ。ありがとうね」

「じゃあ、今度また一緒に見よう」

「続きは気になるけど、理乃ちゃん、途中で寝ちゃうからな……」

「なっ。寝えへんわ」

 自分で言ってて説得力がない。


「ボブが生き別れの弟に再会したところまでは見た?」

 仕方なく、あらすじを説明することにした。

「うん。ジュディが韓国マフィアに攫われたところまでは見た」

「なんか、洸くんに見せといてなんだけど、むちゃくちゃな話だね……」

「あはは」

 洸の屈託のない笑い声が、耳に心地よく感じる。

 私はたぶん、洸の声が好きだ。


「その韓国マフィアは、ボブの弟のことを狙っててねーー」

 私は映画の続きを話し始めた。


***


 あ、しもた。

 映画の話に夢中で、家に着いてもうた。


「洋画ってあんまり見たことなかったけど、僕も今度見てみようかな」

 洸が話を締めくくりにかかっている。

 待って。

 好きって言われてない。


「あのさ、」

 まだ日が高い。

「うち、今誰もいないからさ」

「えっ?」

 なぜか洸は少し慌てたようだった。

「あ、ああ、弟くんの1ヶ月検診だって言ってたよね」

 動揺まるだしの声で、そう返してくる。

 何をそんなに慌てているのだろう。

「そう。だから、せっかくだし洸くんの家の方まで付いてってもいい?」

 洸が私のことを好きだと言うまで。


「何だ、てっきり……」

 洸は心臓のあたりを抑えている。

「どうかした?」

「いや。いいけど、ここから1時間くらいかかるよ?電車で行く?」

「ううん。洸くんが毎日歩いてる景色を見てみたい」

「ぐっ、本当に可愛すぎて心臓に悪いな。す……」

 す? 

 今、好きって言いかけなかった?

「いいよ。行こう」

 洸はふらりと歩き始めた。

 おい、さっきから何なんや。


「理乃ちゃん、やっぱりお留守番が苦手なんだね」

 洸がからかうように言ってくる。

 パパの言葉を思い出したのらしい。

「ちゃうわ。お留守番くらい何ともないねん」

 ずっとお母さんと二人暮らしだったのだ。

 家に1人でいることなど、日常茶飯事だった。


「そうなの?じゃあ何で……」

 洸は語尾をあいまいにぼやかした。

 けど、言いたいことは分かった。

 どうして付いてくるのかと訊きたいのだろう。


 そんなの、こっちが知りたい。

 洸の『好き』がこんなに聞きたい理由を。


「別に。何となく気が向いただけ」

 私はそうごまかした。

「小さい頃に父親とよく緑葉の公園まで遊びにいってたの。それで、久しぶりに行ってみたいなって思っただけ」

 もっともらしい口実を重ねる。

 まるっきり嘘というわけでもない。

「そっか。それで……」

 洸は、なぜかとても納得したようだった。何度も頷いている。

 どうなってんねん。


***


「そういえば、洸くんは何が好きなんよ」

 しばらく歩いたところで、私は何気なくそう尋ねた。

 私の好きなものを一方的に言わされたことに気づいたからだ。

 でも、口に出してから、最初からこう訊いておけばよかったのではないかと思った。

 洸の『好き』を引き出すのに、これ以上ない問いだ。


「それはもちろんアヤーー」

 洸は、食い気味に答えようとした。

 けど。

「危な」

 ボソッとそう呟いて、途中で言うのをやめた。

「……や、野球かな」

 一拍おいてそんな答えが返ってくる。

 何でやねん、も変か。

 前にも、野球が趣味やゆうてたもんな。


「中学は野球部だったの?」

 仕方ないので、私はそう返した。

 興味がないこともない。

「ううん。小学校の時だけ。今もたまに練習試合に呼んでもらうけど、やるよりも観る方が好きかな」

 洸はすらすらとそう喋った。

 それを聞いて私は、自分が洸のことをほとんど知らないことに気づいた。


「でも、嫌いじゃないんでしょ?何で野球部に入らなかったの?」

「それは……」

 洸は、言い淀むように少し間を空けた。

「演劇部に入りたかったし、野球部は朝から晩まで練習があるからノノの世話ができないし……」

 そう答える洸の声は、心なしか上ずっていた。

 何か言いたくない理由があるのかなと思ったから、私は話を変えた。


「じゃあ、中学は演劇部だったの?」

「うん」

 洸はホッとしたようだった。

「中学でもシンデレラの王子役をやったんだ。こないだの文化祭も合わせて、僕、もう4回もシンデレラの王子をやってる」

「ええ?幼稚園でも小学校でもやったってこと?」

「そう。幼稚園の年長さんでやった後、小学1年生の学芸会でもやった。同じ幼稚園だった子とかその親は、見飽きただろうね」

「洸くんの王子役がよっぽどハマってたってことじゃないの?」

「だったらいいんだけど」

 洸はそう言って、少し寂しそうに笑った。


「そんなにシンデレラばっかりやってたんだったらさ、今回演劇部で何の劇をするか決める時に、言えばよかったのに。僕はもう3回もやってるから、特に王子役は飽きてますって」

 洸になりきって手を挙げて言ったら、洸はおかしそうに笑った。

「そうだね。言えたら良かったね」

 笑みの残る顔で、洸は言った。

「飽きててもなんでも、与えられた台本をこなすことに意味があると思ったんだ。結局、誰も僕の演技なんか見てなかったけど」

 

 いつだったか、私が洸の演技を褒めた時、洸は嬉しそうにしていた。

「洸くんは、演じるのが好きなの?」

 そう尋ねると、洸はゆるりと微笑んだ。

「うん。でも、最近はあまり好きじゃないかな」

「ああ、演劇部サボってるくらいだもんね」

「あはは。それは理乃ちゃんと一緒にいたいからだけどさ」

 洸はサラッとそう言った。

 一緒にいたい、とかは普通に言うんよな。


「理乃ちゃんは、文化祭のシンデレラの劇、見にきてないよね?」

 洸が確認するように訊いてくる。

「うん。そもそも私、文化祭にすら行ってない」

 見に来いとか言われてないし。

 あの時は洸と絶交中だったし。


「あっはは。理乃ちゃんのそういうとこす……。まあいいけどさ」

 洸はまたしても明らかに言葉を飲み込んだ。

 こいつ、もしかしてわざとなんか?


「理乃ちゃんには見られたくなかったから、安心した」

 洸は何事もなかったかのようにそう続けた。

 頑なに『好き』と言わない理由は気になるけど、今は聞き流すしかない。


「そんなにひどかったの?」

 私がそう訊くと、洸は苦笑いした。

「昔からだけど、高校に入ってからますます、演技を見てもらえなくなった。みんな、僕の上辺にしか興味がないんだ」

「そうなの?」

 意外だった。

 洸はいつも女子たちの注目の的だ。


「私は、洸くんの演技、上手だなって思ったけどな」

 それは、上辺だけじゃなかった。

「ほら、前にちらっと一節を聞かせてくれた時、衣装とか着てなかったけど、ちゃんと本物の王子様に見えたよ」


 洸のハリのある声も、すらっと伸びた背丈も、雰囲気も全部、舞台映えするだろうなと思った。

 本当は少しだけ、洸が演じる劇を見てみたかった。


 洸は黙ってしまった。

 仕方ないか。

 私みたいな素人に言われても、気休めにもならないだろう。


***


「あ」

 私は公園の入り口で足を止めた。

 金木犀の花の香りが辺りを包んでいる。


「ここでしょ?理乃ちゃんがお父さんと来てた公園って」

 洸が私の記憶を言い当てる。

「そう。よくここの滑り台に遊びに来てたの」

 パパが漕ぐ自転車の後ろに乗って、毎週のように来ていた。

 私が滑り台が好きだったからだ。


「僕、そこの小学校に通ってたんだ」

 洸は、公園のすぐ近くにある建物を指差して言った。

「そうなんだ。じゃあ、私たちすれ違ったことくらいはあったかもね」

「すれ違ったどころか」

 洸がボソリとそう呟いたから、校舎から洸に目を移す。

 洸は、公園の中に足を踏み入れて、入り口に一番近いベンチに腰を下ろした。


「理乃ちゃんは、前にも僕に言ってくれたんだ」

 隣に座った私に、洸は言った。

「本物の王子様みたいだって」

「……え?」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。


「えっと、もしかして私たち、前に会ったことある?」

「1回だけね。理乃ちゃんは忘れちゃったかもしれないけど」

「え、何で黙ってたの?」

「僕も、さっき気づいたんだ。理乃ちゃんの絵と、お父さんの話で」

 それであの絵をやけに長いこと眺めていたのか。

「にしても、すぐに言ってくれたらいいのに」

 ここに来なかったら、知らないままだった。


「理乃ちゃんに押し付けたくなかったんだよ」

 洸はそう言った。

「押し付けるって、何を?」

 私の問いに、洸はすぐには答えなかった。

 私の肩に落ちた赤い葉を取って、陽に透かすように空を見上げた。


「理乃ちゃんは、本当は他に行きたい高校があって、青風高校に入るつもりはなかったんでしょ?」

「え、うん」

 話が見えないけど頷く。

 秋の風が洸の髪を靡かせた。


「それなら、僕たちが再会したのは、全くの偶然だ」

 落ち葉が、洸の手を離れて、風に乗って飛んでいく。

 再び私の方を向いた洸は、寂しげな表情を浮かべていた。


「僕はそれを、運命だと思ってしまったから」

 そう言った洸の左目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


 子供たちが目の前を騒がしく通り抜けていくけれど。

 まるで洸と世界に2人きりになったみたいで。


「洸くん……」

 その涙が綺麗で、私は見惚れている。


「ごめんね、理乃ちゃん」

「え、こっちこそごめん、覚えてなくて」

「そうじゃなくて」

 涙が、洸のシャツを濡らす。

 洸は手の甲で涙を乱暴に拭った。


「理乃ちゃんに会わせる前に、ノノを死なせちゃって」

「あ、ノノちゃんのことを思い出したの?」

 何で急に泣き出したのかと思った。

 ノノをここに連れてきたことがあったのだろう。

 もしかしたら、散歩の通り道だったのかもしれない。

 そう自分を納得させた私だったけど。


「僕は、ここで理乃ちゃんからノノを託されたんだよ」

「え?」

 洸からの衝撃の告白に、言葉を失った。


***


「あの日は、小学校の学芸会だった。僕はシンデレラの王子役で」

 涙が引いた頃、洸は淡々と話し始めた。


「1年前に幼稚園でも演じてたけど、僕はその時よりも演技が上手になっている自信があった。たくさん練習したし、シンデレラのアニメを見てセリフを勉強したから」

 洸は昔から努力家なんだな。

 そう思った。


「けど、劇が終わって母親のところに行ったら、僕の友達の母親たちに囲まれてて。相変わらず洸くんは可愛いわねって。1年前よりも可愛くなってるとか、かっこよくなってるとか、そんな見かけの話ばかりで」

 洸の声が、失意に沈む。

「挙げ句の果てに母親から、こういうのは可愛くてなんぼなのにうまく演じようとしてる感じが鼻についたわ、とか言われちゃってさ」

 そう言って、洸は片頬を歪ませた。


 みんな、僕の上辺にしか興味がないんだ。

 先ほどの洸の言葉を思い出して、胸が痛くなった。

 誰も、洸の努力を見ていない。


「それで、嫌になっちゃってね。王子の衣装のままここに来て、このベンチに座ってた。理乃ちゃんが公園にやって来たのは、そんな時だったんだ」


 足元でカラカラと落ち葉が躍る。

 さっき洸が見ていた絵を思い出す。

 男の子が着ていた白いスーツのようなものは、王子の衣装だったのだろうか。

 日付は、9年前の10月だった。

 私たちが小学1年生の秋。


「僕もちょっとは泣いてたかもしれないけど、理乃ちゃんの方は大泣きで。当時まだ子犬だったノノを抱き抱えて、トボトボとそこを歩いてた。今考えたら危ないね。1人でこんなとこまで泣きながら来て」

 洸は、回想するように遠い目をした。


「自分より悲しそうな子が来たもんだからさ、放っておけなくて声をかけた。理乃ちゃんは、お母さんに犬を飼うのを許してもらえなくて、拾ったところに戻しにいくところなんだって言った」


 洸と目が合う。

 思い出せないでいる私を見て、洸はふんわりと微笑んだ。

 

「それで僕、自分が飼うよって言ったんだ。そしたら理乃ちゃん、僕のことを本物の王子様みたいだって言って、犬を託してくれた。ノノっていうの、可愛がってあげてねって」


「……ノノって、私がつけた名前だったの?」

 驚いて、そう訊きかえした。

「そうだよ。さっきお父さんも言ってた。僕はそれを聞いて、あの女の子は理乃ちゃんだったんだって確信したんだ」

 洸の口調が熱を帯びる。

 けれど、私はまだピンと来ないでいる。


 それでも、洸がその犬を大事に育てたことは、紛れもない事実だと思った。

 さっき見せてくれた写真からは、たくさんの愛情を注いでいたことが伝わってきたから。

 死なせてしまってごめんと言うけれど。


「ノノちゃんは、洸くんのそばにいられて、きっと幸せだったね」

 それこそが、運命だったのだろうと思った。


「ありがとう。日中はひとりぼっちにしちゃってたけど、そうだといいな」

 洸はそう言って、寂しそうに微笑んだ。

 

***


 空が夕焼けに染まり始めて、私たちは帰ることにした。

 帰りは電車を使うことにして、駅に向かう。


 私を家まで送ってくれようとする洸に、駅までで十分だと訴えていると、「洸」と後ろから呼ぶ声があった。

 洸と一緒に振り向くと、スーツ姿の中年男性が立っていた。


 あれ、この人。


「父さん。早いね」

 洸が驚いたように言う。

 そうだこの人、さっきの写真に映ってた人だ。

 こうして対面してみると、雰囲気が何となく洸に似ているかもしれない。


「母さんからの連絡見てないのか?」

「あ、機内モードのままだった。母さんが何?」

「いや、いいけど。お友達?」

 洸のお父さんが、私を見て尋ねる。

「うん、同じクラスの友達。え、もしかして母さん、帰ってきてるの?」

 洸は少し嫌そうに顔をしかめている。

「そのはずだよ。サヨもいるんじゃないか?」

 お父さんの返しに、洸はピタッと足を止めた。


「理乃ちゃん、あっちから行こう。僕の家、すぐそこなんだ。母さんたちに見つかったら面倒だ」

「ああ、うん……」


「洸、残念だけどもう遅いよ」

 お父さんが冷静にそう宣告した。

 その言葉の通り、前方から洸のお母さんらしき女性が、鬼気迫った様子でこちらに向かってくる。


「洸!」

 その女性は、洸に掴みかからんばかりに言った。

「どうして電話に出ないの。ずっと待ってたのよ。ほら、早くこっちに来なさい!」


「か、母さん、機内モードにしてて、何事、待っ、ちょっと待ってよ、母さん」

 お母さんに腕を引かれて、洸は少し抵抗したけど、最後には私に「ごめん理乃ちゃん、ちょっとだけ父さんと待ってて!」と叫びながら連行されていった。


 洸のお父さんとともに、その場に取り残される。

 どうしよう……。


「理乃さん、だよね?」

 洸のお父さんが声をかけてくる。

「長くなりそうだから、洸を待たずに帰っても良いよ。道は分かる?」

 そう私に言ってくれた。

 けど。


「鞄を持って行かれてしまって……」

 洸はいつものように私の鞄を持っていた。それをそのまま持って行かれてしまったのだ。

 恥ずかしすぎる。

 まるで私が、洸に荷物運びをさせてたみたいだ。


「そうか。では、私が取ってくるから、ここで少し待っていて」

 洸のお父さんはそう言って、少し行ったところにある一軒家に入っていった。

 でも、2、3分後に手ぶらで戻ってきた。


「すまない。洸が5分以内に必ず戻ると言って鞄を渡そうとしないんだ。本当に申し訳ない」

 平身低頭謝ってくる洸のお父さんに、私の方が恐縮して頭を下げる。

「だ、大丈夫です。私はここで待ってますので、お構いなく……」

 手の平を見せて、洸のお父さんを家に帰そうとした。

 洸のお父さんと2人きりとか、気まずい以外の何物でもない。


「いや、あの様子はおそらく5分では終わらないだろう。そこの喫茶店に入ろう。私が払うから」

「いえ、本当に、本当に、お構いなくで」

「遠慮しないで。もし良かったら、学校での洸のことを教えてもらえると嬉しい」

 洸のお父さんに、そう言って押し切られた。

 

***


「洸には連絡を入れたからね」

 喫茶店の中で洸のお父さんはスマホをスーツの内ポケットにしまいながら言った。

 さっき、私の分のアイスティを頼んでくれた。


「しばらく待っても来なかったら、私がもう一度行って、今度こそ鞄を取ってくるからね」

「本当にすみません」

 洸のアホ。

 お父さんにこんなに気を遣わせて、生きた心地がせえへんやんか。


「それで、理乃さん、だったね」

「は、はい」

 名前を呼ばれてますます緊張する。

「洸は、迷惑をかけてないかな」

 今。たった今、迷惑をかけられ中です。

「いえ……。か、鞄とか持ってくれるし、優しいです」

「鞄を持ってあげるのはいいけど、返さないんじゃ意味がないねえ」

 その通りです。

 なんて、言えるか。

「いえいえ、そんな……」

 どんな顔をして良いかわからなくて、私はひたすら頭を下げている。


「本当にすまないね、鞄を取ってこれなくて。父親として情けないのだけど、あんなに意地を通そうとする息子は久しぶりで。昔、犬を飼うと言い張ったとき以来か」

 洸のお父さんは、そんなことを言った。


「洸は、母親がアレで、姉が2人、これも母親に似て気が強くてね。処世術とでも言うのかね。女性には逆らわない方がいいと学んでしまったんだ」


 アイスティがふたつ運ばれてきて、お父さんはいったん言葉を切った。

 ストローを挿して再開する。


「加えて、父親の私が言うのも何だが、洸はアイドルみたいな顔立ちをしているだろう。周りからも過度な期待をかけられるうちに、すっかり自分というのものを主張しなくなってね」

 洸のお父さんの言葉に、これまでの洸の行動が腑に落ちた気がした。

 洸は、断らない。

 どんな無理難題も受け入れる。

 私はそれを、チャラいからかと思っていたけど。


「野球だってそうだ。あいつは野球が好きだったのに、周りからアイドル扱いされるものだから、他の子に悪いと言って辞めてしまった。洸が小学生の頃はまだ、そんなことじゃいかんと言ってやれたのだが、私も仕事が忙しくなってしまってね」

 洸のお父さんはそう言って、下がり眉をさらに下げた。

 洸はさっき、野球を辞めた理由を教えてくれなかった。

 言いたくなかったのだろう。


「それでね、心配していたんだ。学校でうまくやれているのだろうかと。夜も遅くまでオンライン通話に付き合わされている様子だったし。でも、」

 洸のお父さんは逆接の言葉で切って、アイスティを一口飲んだ。


「一度だけ、あいつが嬉しそうに理乃さんの名前を出したことがあった。頑張って勉強している様子だったから、珍しいなと言ったら、理乃ちゃんと勝負してるんだって。他の子のことは頑なに友達だなんて言わないのに、理乃さんのことは友達だと言っていた。

それで、私はいつか理乃さんに会ったらお礼を言いたかったんだ。洸と仲良くしてやってくれて、ありがとう」

 そう言って、洸のお父さんは私に深々と頭を下げてきた。


「そんな、仲良くしてもらってるのは私の方でーー」

「理乃ちゃん!」

 頭を下げられて恐縮しているところに、洸が飛び込んできた。


「ごめんね、待たせて。何してるの父さん」

 頭を下げたままの父親に向かって、何してるのは随分だ。

「洸くんが悪いんだよ」

 洸が来たことで緊張感から解放されて、私は思わず甘えたような声を出してしまった。


「洸くんが鞄を返してくれないから。アイスティも奢ってもらってしまって。あ、私お金出します」

 そう言って私が財布を取り出すと、

「「いい、大丈夫」」

と、洸とお父さんがハモった。

 親子だな。


「僕、理乃ちゃんのこと送ってくるから」

 洸がお父さんにそう告げる。

「ああ。母さんの言うことは気にしなくて良いからな」

「そういうわけにはいかないけどさ」

 洸は、困ったような顔を父親に向けた後、私に「帰ろう」と言った。


***


「お母さん、大丈夫だったの?」

 駅へと向かいながら、洸にそう尋ねた。

 辺りは薄暗くなってきている。


「ん?うん。あの人はいつもあんな感じだし。それよりごめんね。僕の父親、口数が少ないから会話にならなかったでしょ?」


 いや……?

 結構、というかほとんど、洸のお父さんが喋ってたけどな。

 私のためにがんばってくれていたのだろうか。

 違うな。私のためじゃなくて、洸のためだ。


「洸くんの話、たくさんしてくれたよ」

「ええ?つまんなかったでしょ」

「ううん。犬を飼う時、お母さんと戦ったんだってね」

「ああ。そりゃあ、理乃ちゃんに託されたからね。って、そんな話したの?他にも変なこと言ってなかった?」

 恥ずかしそうだ。

 そんな洸が新鮮で、もっといじめたくなった。


「えっとね、あ、私のこと友達って言ってたって。他の子のことは友達だなんて言わないのにって……あれ?」

 私は、洸に友達だと言われて、喜んでよいのだろうか。


「私たちって、友達……なんだっけ?」

 意を決して、私はそんな質問をしてみた。

 だって、洸に『好き』と言わせるミッションを、まだコンプリートできてない。


 駅の入り口で立ち止まりかけた私を、洸はさりげなく改札口へと誘導した。

 駅まででいいと言っているのに、何としても家まで送ってくれる気らしい。


「理乃ちゃんにとって僕は、今もまだ、ただのクラスメイトなの?」

 改札を抜けて、洸が質問に質問で返してくる。

 ブーメランが戻ってきて、私は咄嗟に答えることができない。


「理乃ちゃんは、ただのクラスメイトに、ギュッてしてって言うの?」

 言葉に詰まる私に、洸はさらに質問を重ねてくる。


「お、覚えてないし、寝ぼけてたら言うかもしれん」

「だとしたら、危機感がなさすぎだよ」

 洸は少し怒ったようだった。


 ちょうど電車が来て、2人で乗り込んだ。

 電車の中は混んでいて、入り口付近の場所を陣取ったせいで、洸と密着するはめになった。


「お、怒ってるん?」

 洸を見上げてそう尋ねる。

 洸は、私と目を合わせようとしない。


「今はそれどころじゃない」

 私に壁ドンをしているような体勢で、洸がうめくようにそう答える。

「もしかして、私を潰さんように守ってくれてるん?無理せんでええよ」

「無理はしてない。理乃ちゃんが近すぎて、ドキドキしてるだけ」

「今さら?ギュッてしたやんか」

「ごめん、ちょっと黙ってて」


 洸が黙れって言うなんて、相当やな。

 やっぱり怒ってるんか。


***


 電車を降りると、辺りはかなり暗くなっていた。


「私、ひとりで帰れるよ」

 反対方面の電車が来たのを見て、鞄を返してもらおうと手を差し出す。


「こんな暗いのに、ひとりで帰すわけにはいかないよ」

 洸はそう言って、さっさと階段を上がり始めてしまった。

 仕方ないので、その後を追う。


「なあ、洸くん」

 洸の気持ちがわからなくて、私は根負けした。

「洸くん、あのな……」

 何で好きって言うのやめたん?

 そう訊きたいのに、勇気が出ない。


 私が言い淀んでいると、洸はパッと振り向いた。

「怒ってないよ。黙っててなんて言ってごめんね。さっきは本当にドキドキしてやばかっただけ。足元見ないと転ぶよ」

 そう言って、私の手を繋いでくる。

 過保護やな、この人。


「そうやないねん。そうやなくてな」

 言われた通りに足元を見ながら、必死に勇気をかき集める。

「あんな、洸くん最近、私のこと好きって言わんな」


 うわ。

 口に出してから、自分の発言にドン引きした。

 直球すぎた。恥ず。

 でも、こんくらい言わんと、洸には伝わらんか。

 変なところで鈍いもんな。


 その時、洸がガクッとつんのめった。

 手を繋がれている私は、つられてよろける。

「洸くん?」

「ごめん」

 私の手を離して、洸が小さく手をあげる。

 そして、階段の残り数段を上り切った。


「好きだよ。言わなくても知ってるでしょ」

 改札を抜けたところで、洸はようやく口を開いた。


 あれ。

 すごいあっさり言った。


「何か、わざと言わんようにしてなかった?」

 私の気のせいだろうか。

「してた」

 洸がすぐに白状する。

 やっぱりか。


「涼香ちゃんに、試しに好きって言うのやめてみたらって言われて」

 道幅が狭くなって、洸は私の後ろについた。

「僕が理乃ちゃんのこと好きなの、バレちゃっててさ。涼香ちゃんなら、理乃ちゃんを危ない目に遭わせる心配もないかって思ったから、いちいち訂正もしてなくて。それで、涼香ちゃんに……」

 後ろでボソボソと言い訳がましく喋る洸の声が、耳を通り抜けていく。


 なんか、ムカついた。

 2人して私のことを騙してたんだと思って。

 毎日のように好きだと言ってきていた洸が、急に好きだと言わなくなって、私はひとりでずっとモヤモヤしてたのに。

 洸は学校で絶対に私と喋らないのに、涼香とは話していたという事実にも。


 ムカついて、ムカついて、そして悲しくなった。

 洸は、やっぱり私のことを、からかっていただけなのだろう。


「理乃ちゃんは、僕が好きって言わなくなったの、気になってた?」

 洸が私の横に来て、そう尋ねてくる。

「ギュッてしてとか言うし、理乃ちゃんって、もしかして僕のことーー」

「そんなわけないでしょ」

 続く言葉を遮った。

 私が、洸のことを好き、なんて。

 絶対に言わない。

 

 だって、私は今、疑い始めてしまったから。

 洸にとってこれは遊びだったのではないかと。

 私に、好きだと言わせるための。

 

「……そうだよね。調子に乗ってごめん」

 洸がわざとらしく落ち込む。

 それももう、ただの演技にしか思えない。

「さすが演劇部だね。洸くんも、涼香ちゃんも」

 何もかもが嘘に思えてきた。

「すっかり騙された。さっきのも嘘泣きだったの?ノノのことも?」

 だとしたら、大した役者だ。

 友達が少ない私なんかは、ひとたまりもない。


「理乃ちゃん?」

 洸が、何のことか分からないとばかりに、戸惑った声を出す。

 私は、もう騙されない。

 傷つきたくない。

 これ以上、洸を好きになる前に。


「私に好きって言わせたいだけなら、私の負けでいいから。だから、もう掻き乱さないで」

 嫌なのだ。

 洸が、自分以外の女の子と仲良くするのが。

 私は日ごとに欲張りになる。

 洸の全部が欲しくなる。

 他の子に優しくしないで、なんて、そんな心が狭いことは言いたくないのに。


「僕は、理乃ちゃんを傷つけた?」

 洸が静かな声で言う。

「僕のこと、絶対好きにならないって言ってたのに、しつこいから?だとしたら、ごめん」

 てんで見当違いなことを謝ってくる。


 もう、心が信じたくなっている。

 洸の好きを。

 洸の想いを。

 

「理乃ちゃんに、好きにならなくていいって言ったのに、どんどん欲張りになる。ダメだね、僕は。忍耐が足りない」

 声が掠れている。


 洸も、私と同じ気持ちなのだろうか。

 好きを自覚したら、どんどん加速して、制御できない。


 嫌われるのが怖い。

 誰かに取られるのが怖い。

 それなら最初から、手に入れたくない。

 

「安心して。もう二度と好きになってほしいなんて望まない。理乃ちゃんを困らせたりしないって誓うよ」

 洸が、ゆらりと私から遠ざかる。

 手が触れそうな距離から、鞄を右肩に持ち替えて、鞄一個分の距離へと。


『すっかり、自分というものを主張しなくなってね』

 洸のお父さんは、洸のことをそう言っていた。


 私と一緒に帰りたいと言った時、洸も怖かっただろうか。

 頑なに私の鞄を持とうとするのは、私と一緒に過ごすことに対する見返り。


 きっと、私の方が、洸のことを傷つけていた。


「洸くんーー」

 ごめん、ずっと見ようとしなくて。

 洸のことを、もっと教えてほしい。


「理乃!」

 私の続く言葉は、尖った声に遮られた。

 見ると、お母さんが前から歩いてくるところだった。

 暗いけど、分かる。ものすごい怒ってる。


「こんな時間まで何してたの?!事務所を使っていいとは言ったけど、男の子を連れ込むなんて、お母さん許してないわよ!」

 こっちの言い分も聞かずに、一方的に捲し立ててくる。

 たぶん、パパが洸のことを話してしまったのだろう。

 こうなった時のお母さんには、何を言っても無駄だ。


「あなたね、どこの誰か知らないけど、理乃をその辺の女の子と一緒にしないでちょうだい」

 お母さんは洸のことまで攻撃し始めた。

「この子は、あなたと付き合うような子じゃないの。チャラチャラした付き合いがしたいんだったら、他にいくらでもいるでしょう。二度と理乃に近づかないで!」

 

「お母さん」

 いつもだったら絶対に口答えしないけど、聞き捨てならなかった。

 洸をチャラチャラしてるなんて決めつけて。


「洸くんはーー」

「すみません」

 私が反論しようとした時、隣で洸が深々と頭を下げた。

「おっしゃる通りです。本当に申し訳ありませんでした」

 一切の申開きもなく、罪を全部背負って、洸はただ謝った。

 遅くなったのは、私が家に着いて行きたいと言ったからなのに。

 事務所にいたのだって、パパ公認だったのに。


 洸は私に鞄を返すと、私たちの横をすり抜けていった。

「洸くん」

 呼び止めたけど、立ち止まらずに歩き去っていく。


「理乃、家に入りなさい」

 お母さんが私に冷酷に命じる。

 洸の後ろ姿を見送ることすらできなかった。

 

***


「イケメンやったやろ?」

 家の中で、知慧を抱き抱えたパパが、呑気に言った。

「あんなのに理乃が目をつけられたかと思うと、ゾッとするわ」

 お母さんが吐き捨てるように言い返した。


「何でえな。絶対モテるで、あの兄ちゃん」

「モテるとか、そういうのがくだらないって言ってるのよ!」

 お母さんのヒステリックな声に、知慧がぐずりだす。

 お母さんは、パパから奪い取るように知慧を抱きとった。


「真面目な子ならまだいいわよ。一緒に勉強してたのねって思えるから。でも、見るからに軽そうな子じゃない。あんな子と付き合ったら、理乃のレベルが下がるわ」

 声を落として、そんなことをまくしたてた。


「勝手なこと言わないでよ」

 私は鞄も下ろさずに、お母さんに立ち向かった。

「洸くんは、チャラそうに見えるけど、本当は真面目で、努力家で、優しい人だよ。何も知らないくせにあんなこと言ったら失礼じゃん」

「あなた騙されてるのよ」

「騙されてない!」

「目を覚ましなさい。あんな子を好きになったって、しんどいだけなのよ」


 ……しんどいだけ?

 それは何だかよく分からない言い分で、私は少し呆気に取られた。


「いい?ああいう外面がいい男には、女が寄ってくるの」

 お母さんは、知慧の背中を叩きながら、くどくどと言う。

「そんな男に目をつけられたら、たまったもんじゃないわよ。いつ取られるかって心配ばかりしてなきゃいけなくて、気の休まる時がないの。それよりは、少しぐらい見た目が悪くても、自分だけを大事にしてくれる人の方が、ずっといいわ」

  

 何の話だ。

 今は、洸のことが気に入らないという話ではないのか。

 お母さんが何を言っているのか分からなくて面食らった。


「それは、俺のことか?」

 私が何も言い返せないでいると、パパが横から口を挟んできた。

 お母さんがギロリと睨む。

「理乃には、私と同じ思いをさせたくないのよ」


 それって……。

「ほんなん、俺とお前の問題やんか」

 私の代わりにパパがそう指摘する。

「理乃は賢い子やで、自分でちゃんと考えて、自分にとって一番良いもん選ぶわ。信じてやらな。なあ」

 パパは私に同意を求めてきた。

 パパにしては正論だけど、お母さんの神経を逆撫でするようなことはしないでほしい。


「あんたに言われたないわ」

 お母さんが尖った声で言い返す。

 でも、関西弁になってる。

 お母さんがもうそんなに怒っていない証拠だ。


「理乃があんたみたいなん好きになってもて、せっかく離れて暮らしてたのに意味ないやん。どうしてくれんの」

 お母さんが恨みがましく言う。

 わはは、とパパが声をあげて笑った。


 ……ん?


「え、私が洸くんのこと好きって言ってる?ないから。変なこと言わないでよ」

 親にバレるとか、死ねる。

「何や、赤なってるで」

「なってへんわ!」


 あ。

 思わず関西弁になってしまった。


 でも、お母さんは怒るかと思いきや、やれやれといった表情だった。


「事務所に連れ込むのだけはあかん。一緒に勉強するんやったら、(うち)でしぃ」

 お母さんはそう言って、盛大なため息をついた。


***


「悪かったなぁ、洸くんのことお母さんに言ってまって」

 お母さんが知慧をお風呂に入れにいった後、パパは私の部屋に来て謝った。

「まあでも、結果オーライやろ」

 勝手に自己完結してくる。

 そういうとこやで。

 

「言っとくけど、ずっと事務所にいたわけちゃうから」

 変な勘違いをされたくなくて、そう訂正した。


「何や、やっぱり遊びにいっとったんか」

「遊びにゆうか、緑葉の方に散歩に行っててん」

「ああ、兄ちゃん緑葉に住んでるゆうてたな。理乃が小さい頃、緑葉の公園によう連れてったなぁ」

 パパが懐かしそうに言う。

 そうだ。犬のことを訊いてみよう。


「あのさ、私、緑葉で犬拾ったことある?」

 私は単刀直入にそう尋ねた。

「あるよ?さっきの絵ぇがそうやん」

 パパが即答する。

 そして言った。

「お母さんに見つかって、そんなもん飼えん、元いたとこに返してきぃ言われて、理乃がひとりで返しにいったんやんか。俺そん時おらんくてなぁ」


 話しながら、パパは私のベッドの上に腰を下ろした。

 気安く座らんでよ、と怒りかけたけど、よく考えたら私も事務所のパパのベッドに座ったからおあいこか。


 というか、よう考えたら私、洸と添い寝したんやな。

 今頃になってドキドキしてきた。


「私、その犬に名前つけてた?」

 洸は、私のことを運命だと言った。

 その言葉を、私は深く受け止めなかったけど。

 もう、逃げたくない。

 逃げ場もないくらい、運命だと思い知りたい。


 私の問いに、パパは答えた。

「ノノて呼んでたやんか」

 その答えは、決定的だった。

「ほんなら、洸くんが言ってたん、ほんまのことだったんや」

 娘の呟きに、パパは「何の話や?」と訊きかえしてきた。


「あんな、その犬引き取ってくれたんは、洸くんやってん」

 私もパパの隣に並んで座った。

「1ヶ月前に死んでまったらしいけど、大事に育ててくれててん」

「ほうやったんか」

 パパは驚いた声で言った。

「ほな、あのネクタイ、洸くんのかいな」

「ネクタイ?……ああ、あの段ボール箱に入ってたのん?」

 さっきパパが手にしていた、紺色のネクタイのことだろう。

 でも、あれは明らかに大人もので、小学生がつけるようなものではなかったけど。


「そうや」

 パパが断言する。

「覚えてないんか?理乃、男の子に犬引き取ってもらったぁゆうて。ほんで、その男の子がネクタイ落としてったゆうて、持って帰ってきたんや」


 階下でお母さんが知慧のお風呂を終えたらしい音がしている。

 それを聞いて、パパはベッドから立ち上がった。

 部屋を出る時に、思い出したように付け足した。


「理乃な、そん時、本物の王子様がおったんやぁゆうてたで。ほんでお母さんはカンカンや。王子様なんかおらんちゅうてな。思えば、あん時からやわ。お母さんが理乃に厳しゅうなったんは」


***


 パパが出て行った後、私はベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。


 今日はいろんなことがありすぎて疲れた。

 テストを受けたのが、遠い昔のことのように思える。


 大の字の体勢で目を瞑る。

 犬のことは思い出せないけど、確かに緑葉までひとりで歩いていった記憶がある。

 遠くて、重たくて、私は途中から泣き出した。


 ああ、そうか。

 私はあの時、王子様に会ったのかもしれない。

 朧げに、白くてキラキラした服を着た男の子が、私に向かって手を振りはじめた。


 洸に会ったら、言おう。

 疑ってごめんと。

 私はずっと傷つくのを怖がっていただけだったと。

 

 そして、好きだと伝えよう。

 もう見返りは要らない。

 私も一緒にいたいと伝えよう。

 それから、洸の主張を聞こう。

 

 次に会えるのは、土日を挟んで月曜日。

 こんなに何かを待ち遠しく思うのは、初めてだ。


***


 けれど、翌週、洸が高校に来ることはなかった。

 ネクタイは返せないまま、日ごとに私の鞄を重くする。

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