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9回目の告白(1/2)

「試験終わったんやったら、2人でどっか遊びにいってきたらええやんけ」

 私たちの前に焼きそばを並べながら、パパが言う。

「行かない」

 私はそう即答する。

 何で洸と遊びにいかなきゃならないのだ。


 洸も、私の答えに反論してこない。

 2人で出かけたりして、知り合いに会ったら困るとでも思っているのだろう。

 

 今日は中間テストの最終日だった。

 私たちは、パパが作った昼ごはんを、お母さんの事務所で食べようとしているところだ。


「すみません、毎日図々しく」

 洸が恐縮そうにお皿の前で手を合わせる。

「おう、遠慮せんで食え食え」

 お茶を置きながら、パパが機嫌良く焼きそばを勧める。

 テスト期間中、パパは毎日お昼を用意してくれた。遠慮する洸の分まで、半ば強引に。


「理乃、ーーー」

 流しでフライパンを洗いながら、パパが私に向かって何やら話しかけてくる。

 でも、水の音にかき消されてよく聞こえない。

「何ぃ?」

 イライラして訊きかえすと、私の向かいに座っている洸が、少し笑ったようだった。

 位置的に洸の方が近いから、パパが何を言ったのか聞き取れたのかもしれない。


「それや。それのことを言ってんねん」

 パパが声のトーンを上げる。

「お前、何でそんなに機嫌悪いんや」

 訊きかえすほどの話じゃなかった。


「別に。眠たいだけや」

「ああ、知慧(ちさと)、昨日の晩、ようけ泣いとったからなぁ」

 パパが、私の寝不足を弟の泣き声のせいだと決めつける。

「ちゃうわ。テスト勉強で遅くまで起きてたからやし」

 泣き声くらいなら、耳栓で何とかなる。

「そんな寝不足になるまで頑張ったらあかんやんか」

「無責任なこと言わんでよ」

「おお、怖ぁ」

 噛み付くように言い返したら、パパはそれ以上何も言ってこなかった。


 私の不機嫌には、明確な理由がある。

 それは、寝不足のせいだけではなかった。


 学校から帰ろうとしていた時のことだ。

 テストを終えて、多少の解放感を胸に昇降口で上靴を脱いでいた私は、洸が女の先輩たちに絡まれているのに遭遇した。


『やだ、髪ふわふわでかわいいー』

『男の子なのに、まつ毛長すぎー』


 先輩たちは、そんな感じのことを口々に言いながら、洸に触りまくっていた。

 洸は、『急いでるので』と口では返しながらも、その手を跳ね除けようとはしなかった。


 サアヤがいなくなって、良くも悪くも抑止力がなくなった。

 そのせいで、洸が女子たちに言い寄られているところを目にすることが増えた。

 そんな時、洸はヘラヘラしているだけで、決して拒絶しない。

 

 先輩たちは結局、学校から駅までずっと洸にベタベタ触っていた。

 腕を組んでみたり、おんぶされてみたり、本当にやりたい放題だった。

 道幅いっぱいに広がって歩くから、私は追い抜かすこともできずに、それを見続けるハメになった。


 それだけじゃない。

 駅に着いて、彼らは改札の前で止まった。

 その横を何とかくぐり抜けた私は、ホームへの階段を降りる前にさりげなく彼らに目をやって、驚愕した。

 洸は、先輩の1人を抱きしめていた。

 何人か順番待ちをしているようだったから、その場にいる先輩全員にハグをしようとしてるっぽかった。


 誰彼構わずキスできるのだから、洸にとってハグなど、取るに足らないものなのだろう。

 そう、頭では分かっていても、何だかモヤモヤした。

 私にとって、洸に抱きしめられたことは、とても特別なことだったから。


 浮かれて、馬鹿みたい。

 そう思って、私は腹を立てているのだった。


「今日この後、知慧を1ヶ月検診に連れてくからな」

 苛立ちを再燃させる私に、洗い物を終えたパパが手を拭きながら言った。

「家に帰っても、俺たちおらんかもしれんで」

 そのことはお母さんからも聞いている。

「だから何?鍵持ってるし」

「お留守番、嫌いやったやんか」

「いつの話してんねん」

「平気になったんか?」

「何歳やと思ってるん」

「え?」

 パパが指を折って数えている。

 ほんま鬱陶しい。


「せやけど理乃、ここにおる時は子供に戻ったみたいやなぁ」

「はあ?何がやねん」

「だってお前、家おる時は関西弁使わんやろ。子供ん時はバリバリ関西弁やったのに」

 それは。

「お母さんが怒るから」

「ああ、昔は標準語使え言われてたな。今は怒らんやろ?あいつも関西弁やし」


 そうなのだ。

 パパと喋る時、お母さんは完全に関西弁に戻っている。

 私には厳しく関西弁を禁じてきたくせに。

 もしかしたら、私が標準語で喋るようになったから、安心しているのかもしれない。


「あと、眼鏡もや。家におる時は眼鏡やんか」

 パパが間違い探しをするみたいに、眼鏡を外している私の目元を指さして言う。

「別に。何だってええやろ」

 洸の前であんまりバラさないでほしい。


「ああ、洸くん、ええよ置いといて」

 洸がお皿を洗い出したのを見て、パパが声をかける。

「いえ、せめて洗わせてください。美味しかったです」

 私がパパと言い合っているうちに食べ終えたようだ。

 私のお皿にはまだ、焼きそばが半分以上残っている。


「ごめんなぁ、こんな気ぃ強くて。洸くんも大変やろ」

 パパが洸に謝る。

「関係ないやろ」

「そんなことないです」

 私と洸の声が重なった。

「小さい時は可愛かったんやで。あ、そうだ、写真見るぅ?」

「見たいです」

 見たいですやないわ。


「ちょ、本気で意味わからん。やめて。知慧を検診に連れてくんやろ。はよ帰らんとお母さんに怒られるで」

「まだ大丈夫やぁ」

 私が止めるのも聞かず、パパは寝室に行ってしまった。

 もう嫌や。


「家では標準語なんだね」

 父親相手に疲労困憊している私に、洸が話しかけてくる。

「理乃ちゃん、僕と喋る時も割と関西弁なのに、ちょっと意外」

 確かに。

 洸は標準語なのに、話しているとつい関西弁が出る。

「私、関西弁なんか、つこてへん」

 恥ずかしくなって、そうごまかした。

 洸に関西弁が可愛いと言われたのを、まるで意識してるみたいだ。

「つこてへんは、ちょっと無理があるかもね」

 洸が笑いを堪えるような顔をしている。

 分かってるわ。


「もしかして、僕のことをお父さんに似てるって言ってたのと関係ある?」

 お皿を洗い終わったらしく、手を拭きながらこちらに近づいてくる。


 そういえば、最初に喋った時、私は洸にそんなことを言った。

 あの時は本当にパパに似ていると思ったのだけど、今となってはどうしてそう思ったのか分からない。


 でも。

 今は似ていることにしておこう。

 だって、そうじゃなかったら、洸の前で関西弁を使ってしまう理由が説明できない。

 可愛いと思われたい以外に。


「……そうかもね」

「え、本当に?」

 私の向かいに腰を下ろした洸が確認してくる。その口角が上がっている。

 あんなちゃらんぽらんな人に似てる言われて、何が嬉しいねん。


「喜ぶようなことじゃないよ。あの人、若い時ホストだったの。女の子を喜ばせることしか考えてない軽いところが、似てるなって思っただけ」

 ちょっと言いすぎたかも。

 そう思って少し後悔したけど、今さら取り消せない。


「やっぱり、」

 洸は、頬杖を低くついて、私の顔を覗き込むように言った。

「理乃ちゃんを怒らせてるの、僕だよね?」

「ーー!」

 自覚あったんかい。


「何やおもろそうなもん見つけたわ」

 私たちの間に一瞬流れた気まずい空気は、パパの呑気な声によって打ち破られた。

 見ると、蓋の開いた段ボール箱を、重たそうに抱えている。


「な、何を持ってきてんねん。そんなん見せんでよ」

「ええから、理乃はさっさと食べ。洸くんおいで」

 窓際のソファに座って、洸を手招きしている。

「ちょ、洸くん、行かなくていい」

「ごめん、理乃ちゃん」

 私の制止を振り切って、洸はパパのもとに向かった。

 謝るくらいなら行くなや。


「か、可愛い……」

「なぁ?やばいよなぁ」

 残りの焼きそばをやっつける私の背後で、2人でゴソゴソしている。

 もぉ無視や。無視無視。


「これは……、夏休みの日記やな。ああ、俺が金平糖を植えたら木になるゆうたん信じてもて、観察しててんな。あん時、お母さんどえらい怒ってたなぁ?」

 やめろゆうてんのに、私に話を振んなや。


「お姫様ごっこのことまで書いてるやん。恥ずぅ」

「お姫様ごっこ?」

 洸が訊きかえす。

「俺が理乃を笑わせたり楽しませたりしたら、お礼にチュウしてもらえる遊びや」

「どんな遊びやねん」

 思わずツッコミを入れてしまった。

 完全にホストクラブやないか。


「せやけど、お前好きやったでぇ?」

「覚えてないわ」

 焼きそばを食べ終えて、お皿を手に立ち上がった。

 まったく、聞いてられん。


「あ?ネクタイ入ってるやん」

 パパの声に振り向くと、紺色のネクタイを手にしていた。

 見るからに大人用だ。

「誰のや?」

「知らんよ。パパのちゃうん」

「俺、ネクタイなんか買うたことないで。……あ」

 手にしている画用紙を見て、何かを思い出したらしい。

 アホらしい。取り合うだけ無駄や。


 流しでお皿を洗い始めたら、水の音にかき消されて、パパたちの声はほとんど聞こえなくなった。

 なんか、犬がどうとかで盛り上がっているようだけど、どうせ大した話じゃない。

 洸が画用紙を食い入るように見ているのが、少し気になるけど。


「はいはい」

 電話がかかってきたのか、私が水を止めたのとほぼ同時に、パパが携帯電話を耳に当てた。

「んあ、分かった。すぐ戻るわ」

 お母さんからだろう。

 たぶん、早く帰ってこいの電話だ。言わんこっちゃない。

 パパは慌てたように立ち上がった。


「ほんなら俺行くわ。それ、適当に置いといて。理乃、晩までには帰ってくるからな」

 パパが洸と私にそれぞれ言う。

「はい」

「はいはい」

 はいが多い私に、パパが自分の頬を差し出してくる。

「行ってらっしゃいのチュウしてもええんやで」

「するわけないやろ。何考えてるん」

「はは。ほんならね」

 パパは慌ただしく事務所を出て行った。

 ほんま、余計なことしかせんな。


***


 嵐の後のような静寂の中で、洸はまだ画用紙を食い入るように見ている。

「いつまで見てるの?」

 そばに行って、洸の手元を覗き込んだ。


 それは、何の変哲もない絵だった。

 おそらく私が子供の頃にクレヨンで描いたのだろう。

 描かれているのは、白いスーツみたいなものを着ている男の子と、茶色い塊だ。

 右下には、パパの字で9年前の日付が書き込まれている。パパは、私の作るもの全てを、記念品のように扱う人だった。


「理乃ちゃんは、」

 洸は、画用紙に目を落としたまま呟いた。

「やっぱり、理乃ちゃんは、僕の……」

 その横顔は、どこか寂しそうに見えた。

「洸くん?」

 私が声をかけると、洸はハッとしたようだった。

 私を見上げて、取り繕うように笑った。

 

「もう、1ヶ月経つんだね」

「ん?」

「弟くんが生まれてから」

「ああ、うん。明日でちょうど1ヶ月」

 脈絡は分からなかったけど、そう肯定した。

「早いな……」

 声の響きが切ない。


 その時、気づいた。

 画用紙に描かれている茶色の塊が、子犬の絵であることに。

 よく見ると耳と尻尾がある。


 それで、分かった。

 洸はノノのことを思い出したのだと。

 弟が生まれた日の前の晩に、ノノは死んだと聞いた。

 それなら今日は、月命日だ。


 洸の手から画用紙を取った。

「ノノちゃんは、どんな犬だったの?」

 訊きながら、画用紙を段ボール箱の中にしまって、洸の隣に並んで座った。

 電車の中で初めて話した時のことを思い出す。

 その時もこうやって、私たちは並んで座っていた。


「写真見る?」

「うん。見せて」

 洸が、鞄に入っているスマホを取りに行って、再びソファーに腰を下ろす。

 私の目の前でスマホを操作して、写真を表示させた。

 機内モードを解除し忘れているみたいだけど、敢えて指摘しなかった。女の子から連絡が来たら嫌だし。


「ノノちゃんって、こんな大きかったの?!」

 最初に抱いた感想はそれだった。

 ベッドの上に寝そべっているその犬は、ほぼ人間サイズだ。

 ノノという名前から、勝手に小型犬をイメージしていた。


「うん。ゴールデンレトリバーなんだけど、同じ犬種の中でもだいぶ大きい子だった。走るのがすごく早くて、散歩が大変だったよ」

 愛おしそうな口ぶりで、洸はそう言った。

 スマホには延々と犬の写真が表示されていて、洸がどれだけ可愛がっていたかが伝わってくる。


「あ、今の洸くんのお父さん?」

 スクロールした時に、チラッと大人の男性が映った気がして、思わず確認した。

「うん。ノノが父さんの膝に乗ってるのが珍しくて、思わず撮ったんだ。この時、父さんが母さんに怒られてしょんぼりしてたから、励まそうとしたのかも」

 その写真について、洸はそう説明した。

 洸はあまり自分から家族の話をしないから、何だか新鮮な気がした。

 

 私は、スマホの画面を覗きこんで、写真に映っている男性の中に洸の面影を探そうとした。

 でも、どんなに目を凝らしても、洸に似ている部分は見つからなかった。


「洸くんはお母さん似なの?」

 そう尋ねながら振り向いたら、洸の顔が思ったよりも近くにあって、びっくりした。

 私が、無意識のうちに洸の方に身を乗り出していたみたいだ。

「ご、ごめん」

 慌てて身を引く。

 洸は耳まで真っ赤になっている。

 なんか、洸が赤くなっているのを、久しぶりに見た気がする。


 部屋の中がシンとして、心臓だけがうるさい。


「理乃ちゃん、あのさ……」

 洸が、ボソボソと言う。

「テストの勝負のことなんだけど」

「ああ、うん」

 急に現実に引き戻された。

 勝負のことは忘れたことにしてたのに。

 洸が負けたら私に近づかない、なんて、受け入れたくなくて。


「僕が負けた時の条件、あれ、無しにしてくれない?」

「……ええ?」

 拍子抜けしすぎて、思わず声が出た。

 まさか、洸の方から撤回してくるとは思わなかった。


「や、都合が良すぎるのは分かってるんだけど……」

 洸が気まずそうに頭を掻く。

「僕、勝つか引き分けのつもりだったのに、いっこ間違えちゃって。負ける可能性がある今、あんな条件を出したことを、すごく後悔してる」


 ……ん?

 いっこ間違えちゃって?


「えっと、それはつまり」

 昨日までのテストの答案は、すべて返ってきている。

「ほとんど満点だったってこと?」

「英語で一問間違えて。でも、理乃ちゃんと一緒にいれなくなるのは嫌だ」

 いやいやいや。


「ちょっと答案用紙見せて」

「いいけど、僕が負けた時の条件は……」

「無しでいいから。そもそも洸くんが勝手に言い出したことだし」

 それに、本当に一問しか間違えてないなら、たぶん私に勝ち目はない。

「それなら……」

 洸は、渋々といった様子で、鞄に答案用紙を取りに行った。


 私に、6科目分の答案用紙を手渡してくる。


 現代文 100点

 歴史 100点

 化学 100点

 英語 95点

 地理 100点

 数A 100点


 数学とか現代文って満点取れるんだ、と思った。

 英語で確かに一個だけ間違えているけど、それも『How long have you been』のlongを書き忘れただけのケアレスミスのようだ。


「理乃ちゃんに、丸覚えすればいいなんて偉そうに言っといて、恥ずかしい……」

 洸が、本当に恥ずかしそうに顔を覆っている。


 私の方こそ恥ずかしい。

 洸よりも勉強をがんばってる感を出しておいて、私はひとつも満点が取れなかった。


「そういえば前に、授業聞いただけでそこそこできちゃうって言ってたけど、こんなに解けるものなの?」

 洸の言葉を思い出してそう尋ねた。

 もしそうなのだとしたら、随分と不公平だ。

 

「まさか」

 洸はそれを否定した。

「勉強しなくても90点近くは取れるけど、満点は無理だよ。ここ最近は人生で一番勉強した」

 そう言って、恥ずかしそうに私の手から答案用紙を回収した。


 洸が私と同じ土俵に立とうとしてくれたのを感じて、少しくすぐったいような気持ちになる。

 学校の成績にそこまで価値を感じていなさそうなのに、必死に勉強して私と勝負してくれたのが。


 ただ、いくら勉強しても、ここまで満点を取るのは無理だ。

 少なくとも私は。


「洸くんって、普通に渡邉くんより頭いいかも」

 私は何気なくそう呟いた。

 渡邉くんに洸のことを『渡邉くんほど勉強はできないかもしれない』と言ってしまった。

 あれは撤回しよう。

 

「その名前は出さないで」

 洸が嫌そうに顔をしかめる。

「え、そんな嫌いだった?」

 1回しか会ってないのに。

「一瞬でも、理乃ちゃんが渡邉くんのこと好きかもって思ったせいで、その名前を聞くと何か、魂がヒュンってなる」

「何やねん、それ」

 とても現代文100点の語彙力とは思えない。


「理乃ちゃんも、テストが全部返ってきたら見せてね」

「え、やだよ」

 普通に、負けるし。

 頭が悪いのバレるし。

 私の返しに、洸はひどいことを言われたみたいな顔をした。


「だ、だって、理乃ちゃん、僕が勝ったら好きなものを教えてくれるって約束……」

「それは無効でしょ。負けた時のが無しなんだから」

「僕は、勝った時のを無しとは言ってない」

 洸が屁理屈をこねる。

「そんなのズルい。じゃあ、無し。今私が言った」

「ダメだよ。僕は答案を見せる前に言ったけど、理乃ちゃんはもう僕の答案見たから」

「そんなルール知らないもん。そっちが勝手に答案用紙を見せてきたんじゃん」

「理乃ちゃんが見たいって言ったんだよ」

「満点だなんて言われたら、そりゃ見たくなるし」


 言い返しながら、分かっていた。

 明らかにこちらの分が悪いと。


「僕は満点とは言ってなーー理乃ちゃん?」

 私が立ち上がったのを見て、洸はすぐに不安そうな声になった。

「ごめん、僕、からかいすぎーーん?」

 私が鞄から自分の答案用紙を取り出して突きつけると、洸は静かになった。


「……見ていいの?」

 おずおずとそう尋ねてくる。

「いいけど、私、洸くんが思うほど、頭良くないよ」

 私はそう予告して、押し付けるようにそれを渡した。


 洸の反応を見るのが怖い。

 きっと、私のことを頭が悪い人間だと思うだろう。

 あんなに勉強してたくせに、ポロポロと間違えてて。


 いたたまれなくて、パパが持ってきた段ボール箱を寝室に戻しに行こうと思った。

 とにかくこの場から離れたかったのだ。


 床に置かれた段ボール箱に手をかける。

 信じられないくらい重たい。

 洸の様子を窺うと、答案用紙を真剣に見ていて、私が苦戦していることに気づく様子もない。

 人の答案なんか見て、何が面白いのだろう。

 

 何とか段ボール箱を持ち上げて、よたよたと寝室まで持っていく。

 あと一息だ。そう思った時、寝室のドアが閉まっているのに気づいた。


 詰んだ。

 やっとのことでこの段ボール箱を持ち上げたのだ。

 下ろしたら最後、二度と持ち上げられない。


 私は、段ボール箱の下に腕をくぐらせて、ドアを開けることができないか試みた。

 段ボール箱の重さが腕に乗っかって、すごい痛い。


 奮闘すること数十秒。

 やっとドアノブに手が届いて、私はそれを押し開けようとした。

 でも、次の瞬間。

 段ボール箱の底が抜けて、豪快な音とともに中身がぜんぶ落ちた。


「理乃ちゃん!」

 洸がすっ飛んできた。

「ごめん、気づかなくて。怪我しなかった?」

 情けなくて目が合わせられない。

「どこか痛い?大丈夫?」

 私が答えないから、洸がますます心配する。


「私のこと、馬鹿なんだって思ったでしょ」

 洸の質問には答えずに、私は卑屈に言った。

 胸が痛くてたまらない。

「ごめんね?洸くんの頑張りを無駄にするような点数で。私の点数ぐらいだったら、洸くんそんなに必死に勉強しなくても良かったのにね」


 私は満点をサラッと取れるような人間じゃない。

 そのくせ、非力で、知恵も回らなくて、段ボール箱を寝室に運ぶことすらできない。

 泣きたくなってきた。


「理乃ちゃんが間違えてるところってさ、」

 洸は、俯く私を覗き込むように言った。

「多分だけど、まだ習ってないところまで勉強してたからじゃない?他の人よりも選択肢が多くて間違えちゃったんじゃないの?」

 それは、そうかもしれないけど。

 間違いを許容する理由にはならない。


 洸は、私が納得していないのが分かったのか、言葉を続けた。

「それにさ、理乃ちゃんが馬鹿なんてこと、絶対ないよ。2年も先の受験のこと考えて準備してるんだから。僕なんて、明日のことも分からないのに」


 こんな私のことを、洸は必死に励まそうとしてくれる。

 洸はいつも、私の嫌いな自分を褒めてくれる。


「……明日のことも分からんのかい」

 何だか力が抜けてしまった。

「そんな人間、人のこと励ましてる場合とちゃうやろ」

 私のツッコミに、洸が嬉しそうな顔をする。

 何でやねん。


「甘すぎるわ、洸くん」

 そう呟きながら、しゃがんで段ボール箱を組み立て直す。

 底が抜けたのは、壊れたのではなく、底がガムテープなどで補強されていなかったせいだった。


「理乃ちゃんにはどうしたって甘くなるよ」

 洸はそう言って、落ちたものを段ボール箱に入れてくれた。

 そして、全部入れると、それを軽々と持ち上げた。


***


 洸は、寝室の床に段ボール箱を下ろすと、すぐに部屋を出て行こうとした。

「待って」

 私はそれを、ブレザーの裾を掴んで引き止めた。


「私の好きなもんなんか、本気で知りたいん?」

 知りたいというなら、教えてもいいかという気になった。

 必死に勉強した見返りとしてふさわしいのかは、甚だ疑問だけど。


「うん。知りたい」

 洸は振り向かずにそう答えた。

 何でこっち見いひんねん。

「じゃあ、教えるからこっち来て」

「えっ」

 掴んでいたブレザーの裾を引っ張ると、洸は慌てた顔で振り向いた。

「あの、えっと、僕ーー」

 何をそんな動揺してるんや。


「私な、洋画見るん好きやねん。ここにも何本かある思うわ。せっかくやし、一緒に見る?」

 ベッドの脇のテレビ台の前にかがみ込んで、洸に向かってそう尋ねる。

 何だか気恥ずかしくて、コテコテの関西弁になってしまった。


「み、見る」

 洸が、覚悟を決めたように宣言する。

 なぜか拳を固めている。

「その前に、一回自分を殴らせて」

「何でやねん。変なことせんどいて」

「へ、変なことなんかしないよ」

 心外だというように言い返してくる。

 しそうやったやんか、今。

 

 パパがこないだまで使っていたこの寝室は、本当に寝るためだけの部屋で、ベッドが大部分を占めている。

 テレビは、そのベッドの脇に設置されている。

 つまり。


「ごめん、ベッドに座って見るしかないかも」

 そこまで考えてなかった。

「うん……」

 洸が歯切れ悪く頷く。

「あ、でも、シーツはさすがに変えてるはずだよ。私にも使っていいよって言ってたし、石鹸の匂いするし」

「そこじゃない……」

 洸はボソリとそう呟いたけど、続きを促す私の視線から逃れるように、おずおずとベッドに腰を下ろした。


 適当な洋画のDVDをプレーヤーにセットして、リモコンを操作する。

 振り向いた時、洸がベッドの縁に浅く腰掛けているのに気づいた。

 すぐ目の前がテレビだ。

「そんなとこ座ったらテレビが近すぎるでしょ?あっちの壁にもたれていいよ」

 壁を指さしてそう言った。


 ベッドは、テレビと反対側の長辺を壁にくっつける形で設置されている。

 私は見本を見せるみたいに、ベッドの上に足を投げ出して、壁に背中をつけた。

 少し居心地が悪いなと思った時、おあつらえ向きにクッションが2つあるのを見つけて、自分の背中に挟むとともに、隣にも並べる。

「ほら、おいで」

 ベッドをポンポン叩いて洸を呼び寄せる。

 早くしないと、映画が始まってしまう。


「……くっ」

 洸は、何かに耐えるように目をギュッとつぶったかと思うと、私の隣に来て、同じように足を投げ出した。

 なんか、初めて洸の足の甲を見た気がする。


「洸くんのつま先、外側に倒れるんやな」

 テレビが鑑賞上の注意を流している間、私は何となくそう呟いた。

「私なんて、すごい内股や」

 つま先をパタパタしてみせる。

 私も、やろうと思えばつま先を外側に向けることはできるけど、力を抜くとすぐに内側に倒れてしまう。


 そんなことをしていると、洸のつま先が急にまっすぐになった。

「あ、別にお行儀悪いってゆうたわけちゃうよ?」

「うん。知ってる」

 なぜか、声が固い。

 どうしたん、と訊こうとしたけど、映画が始まってしまってうやむやになった。


***


 ああ、あかん。

 眠たすぎる。


 主人公のジュディは怖いもの知らずで、単身、敵のアジトに乗り込もうとしている。

 私は知っている。ジュディはこの後、我々視聴者の予想を裏切らずに窮地に陥り、ボブが助けに来て、2人は恋仲になる。そこにボブの生き別れの弟が現れて、ジュディは2人の仲を取り持つために再びピンチに陥るのだ。

 

 開始3分で見たことがある映画だと気づいたものの、横で洸が真剣に見ているから、途中で変えるわけにもいかなくなった。

 

 満腹なのと、寝不足なのと、暖かいののトリプルパンチだ。この状況で、眠くならない方がおかしい。

 もうすぐ11月とはいえ、今日は小春日和で、日の当たるこの部屋は、容赦なく私の意識を刈り取ってくる。

 加えて、網戸にしている窓からは、時折心地よい風が吹き込んでくる。


 まどろむ私の瞳に、ジュディとボブが抱き合う姿が映る。

 そういえば、洸が駅で先輩を抱きしめてたの、嫌だったなーー。


 そんなことを思ったのを最後に、私の意識は完全に途切れた。

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