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1回目の告白

 小さい頃から

 ママにずっと言われ続けてきた。


『いい?あなたを幸せにする王子様なんていないの』


『だから、ちゃんと勉強して

 自分の力で生きていけるようにならないとダメ』


 そんな時、私は決まって、

 自分の中にパパの血が流れてることが

 惨めで悲しくて、


 消えてしまいたくなった。

 何でやねん。


 自分の膝の上に置いた通学鞄をぼんやりと見ていた私は、黒いスラックスが目の前に現れた時、心の中でそうツッコんだ。


 時刻は、平日の午後3時すぎ。

 場所は、始発駅に停車中の電車の中。

 この車両に乗っているのは、せいぜい5、6人といったところだろうか。

 こんなガラガラな電車の中で、その男はわざわざ、私の座っている席の真ん前に立ったのだ。

 

 変な人なんか?

 そう思って恐々と見上げた私は、男の顔を見て驚いた。同じクラスの人だったからだ。

 向こうは私に気づいていないようで、吊り革を手に窓の外を眺めている。


 この人、こんな早い時間に帰るんだ。

 私はそれを少し意外に感じた。


 私の通う青風(せいふう)高校は、来週末に文化祭を控えている。

 陽キャのこの男のことだ。文化祭で何かしらの出し物をするに決まっていて、今頃はその準備に追われているはずだと思った。

 それが、こんな授業が終わってすぐの電車に乗ってくるなんて。


 しかし、私がこの男に対して抱いた本当の違和感は、そこではなかった。

 表情が、やけに真顔なのだ。

 いつもヘラヘラしているこの男が、こんな顔をしているのを初めて見た。


 この感じ、どこかでーー。

 デジャブを覚えて、記憶の糸を手繰る。


 薄暗い部屋の中で、私はその人のことを見上げている。

 その瞳には、何も映っていないみたいだった。

 ああ、そうだ。

 それは悲しみを堪えている人間の表情だ。

 

「あっ」

 私がデジャブの正体に気づいたのと、男が私に気づいたのは、同時だった。


「パパに似とるんや」


 家を出ていく日の朝、パパはそんな表情で私の寝顔を見ていた。

 いつもと変わらない朝を演出しておいて、私が学校から帰ってきた時には、もういなくなっていた。


 男が、驚いた顔でこちらを見てくる。

 自分が声を出していたことを自覚して、私は慌てて口を押さえた。

 今日は朝から調子が出ない。

 寝不足なのと、眼鏡を家に忘れてきたせいだ。


「それって、」

 吊り革を握ったまま、男はいつものヘラヘラ顔で屈みこんできた。

「僕のことが好きってこと?」


「な、何でやねん」

 思わず関西弁でツッコんでしまった。

 この男が変なことを言うから悪いのだ。

 いや、私もじゅうぶん変だったか。

 パパに似てる、だなんて。


 気まずくなって俯くと、笑い声が降ってきた。


「面白いね、理乃(あやの)ちゃんって」

 男はそう言って、私の隣に腰を下ろした。

 さっきまで顔に浮かんでいた悲しみの色は、すっかり消えている。


「私の名前、アヤノって……」

 アヤノと呼ばれたのが意外で、私はそう呟いた。


 私のことを名前で呼ぶ人はみな、リノちゃんと呼んでくる。

 私の名前は、『理乃』と書いて『アヤノ』と読むのだけど、誰かがリノと読み間違えて、それを訂正しないでいたら、そうなった。

 だから、ろくに話したことがないこの男が、私の名前の正しい読み方を知っていることに驚いたのだ。


「リノちゃんって呼ばれる方が好き?」


「いや……」

 そうじゃない。


「気安く名前で呼ばないでって思ってる?」

 それも違う。


「いいよ、アヤノで」

 驚いた理由を説明するのも面倒で、私はそのひと言で片付けた。


「それよりーー」


 あれ。この人の名前、何だったっけ。

 周りから『(こう)くん』と呼ばれているのは知ってるけど、名字をド忘れした。

 まあ、名前呼びでいいか。


「洸くんは、文化祭で何かやらないの?」

 この男に興味があるわけではなかった。

 ただ、間を埋めるためだけの質問だった。


「僕はーー」

 洸が話し始める。

 自分のことを僕と呼ぶタイプの人間なんだな。

 そんなことを思ったのを最後に、私の意識は急速に遠のいていった。


***


「ーーちゃん」


 耳元で男の声がした。


「理乃ちゃん」


 呼ばれているのは自分の名前だ。

 そう認識すると同時に、私はバッと身を起こした。

 隣の人に全体重をかけて眠りこけていた。


「ごめんね、驚かせちゃって」

 その声に、洸の存在を思い出す。

「こっちこそごめん。思いっきり寄りかかっちゃってて。重たかったでしょ」

「そこ?」

 笑われた。

 そういえば、こっちから話を振っておいて、途中で寝てしまったかもしれない。


「疲れてたんだね」

 謝ろうとしたけど、それより先に洸は許すように言った。

 電車が駅に滑り込む。


「理乃ちゃん、ここで降りるんじゃない?」

 洸の言葉に、車内アナウンスに耳を傾けてみれば、確かに私の降りる駅の名前を告げている。


 慌てて立ち上がると、膝に乗せていた鞄が床に落ちた。

 洸がすぐに拾ってくれる。

 返してもらおうと、手を差し出した。

 けど。


「持つよ」

 洸はそう言って、私の背中に軽く手を当てた。

 戸惑う私を誘導するようにして、そのまま電車を降りた。

 

「何で私が降りる駅知ってるの?」

 左肩に2つの鞄をかける洸に、そう尋ねる。

 ほとんど喋ったことはないし、ましてや一緒に帰ったことなどない。

「定期券に書いてあったから」

 洸が、私の手に握られているパスケースを指さしてそう答えた。

 ……ほんまや。


「理乃ちゃんの鞄、重たいね」

 改札に向かう階段を並んで降りながら、洸が話しかけてくる。

「ああ、参考書が入ってて」

 だから持ってくれなくていいよーーそう言って手を伸ばそうとしたけど、軽く制された。


「今から塾?」

「ううん。自習用」


 私はいつも、学校が終わった後、高校の図書室で勉強してから家に帰っている。図書室の方が、家よりも集中できるからだ。

 今日もそうするつもりだった。それで自習用の参考書を鞄にぎっしり詰め込んできたのだ。


 だけど、帰る時になって気が変わった。

 文化祭の準備で忙しそうな同級生たちの目が気になり出したのもあるけど、一番の理由は、調子が出なかったせいた。

 寝不足で、眼鏡も家に忘れるし、最悪だ。


「ああ、文化祭終わったら、中間テストだもんね」

 私の答えに、洸が納得したように呟く。

 中間テストの勉強ではないのだけど、特に反論はしなかった。

 大学受験に向けて勉強しているのだと訂正したところで、シラケさせるのがオチだ。


 改札を抜けると、ツクツクボウシが鳴いていた。

 日中はまだまだ暑いけど、夏ももう終わる。

 刻一刻と大学受験の日が近づいている。


 本当は、青風高校みたいな偏差値の低い学校に入る予定ではなかった。

 もっとレベルが高くて家からも近い、業平高校に行くつもりだった。

 私は高校受験に失敗したのだ。

 

 だから、大学受験で挽回できるように、高1の今のうちからしっかり勉強しておく必要がある。

 青風高校の連中に関わっている場合ではない。

 

「洸くんも、家こっちなの?」

 狭い歩道で、後ろを歩く洸にそう問いかけた。

 さっさと鞄を取り返して、ひとりになりたかった。

 洸は、それには答えずに私の手を引き寄せた。


「危ないよ」

 その言葉の通り、私たちのすぐ横を車が猛スピードで通り抜けていった。

 私は人と歩くのに慣れていない。


「えっと……」

 手を離してほしい。

「理乃ちゃん、危なっかしいから」

 洸は、私の手をギュッと握ってそう言うと、車道側を歩き出した。

 いつも女子とつるんでるだけあって、こういうことを自然にできてしまう人なのだ。


 でも、私は違う。

 人と手を繋ぐなんて、並んで歩く以上に慣れてない。

 どうしても歩き方ががギクシャクしてしまう。

 絶対、手汗がヤバい。

 好きだと勘違いされる前に、離れなければ。


「洸くんの家はどの辺なの?」

 先ほどの問いを改めて投げかけた。

 洸の目的地が分かれば、別の道を行ける。そう思ったのだ。

 けど。


「家まで送るよ」

 さらりとそう返されては、もう逃げ場がない。

 

 私の家までは、ここから20分以上かかる。

 その間ずっと手を繋いで歩くとか、普通に無理だ。

 何とか撒けないかと、寝不足の脳みそをフル回転させても、この田舎町では、口実になりそうなものは何も思いつかなかった。


 あ。そうだ。

 お母さんの事務所があった。

 ここ何年かはパパが住んでいたのだけど、今は家に戻ってきているから、誰も使っていない。

 それで、勉強に集中したい時は自由に使っていいよと、鍵をもらったのだった。

 あそこなら、ここから歩いて5分くらいだ。

 そのくらいなら耐えられる。


「何かあった?」

 気持ちに余裕ができた私は、洸にそう尋ねた。

 先ほどの真顔が、目の奥に焼きついていた。

「ん?」

 洸が、何の話?というように訊きかえしてくる。


「洸くん、さっきちょっと落ち込んでるように見えたから。あ、でも、私の気のせいかも……」

 言いながら、自信がなくなってきた。

 いつもひとりでいる私が、人の感情を見抜くことに優れているはずもない。


「ああ。あはは」

 変なことを言ってしまったと後悔する私の耳に、屈託のない笑い声が聞こえてきた。

「気を抜いてるとこ見られちゃったね」

 洸は、笑みの残る顔でそう言った。

 

 やっぱり落ち込んでたのか。

 自分が間違っていたわけではないと分かって、少し安心した。

 でも、洸はそれ以上、何も話さなかった。

 

 黙ってしまったのは、この話を続けたくないからだろうか。

 そりゃそうだ。洸が私に個人的なことを喋る筋合いはない。

 私がずけずけと立ち入ったことを訊いたから、呆れられたのかもしれない。

 そんなことをぐるぐると考えて、私も何も言えなくなってしまった。


 再び沈黙が落ちる。

 思考がどんどんネガティブな方に落ちていく。

 こんなにコミュニケーション能力が高そうな人を黙らせるなんて、私はよっぽどつまらない人間なのだろう。

 教室では、洸の周りには常に女子が群がっていて、うるさいくらいに盛り上がっているのに。

 

***


 結局お互いにひと言も喋ることなく、お母さんの事務所があるマンションに着いた。


「家、ここだから」

 私がそう言うと、洸は鞄を返してくれた。

 でも、手を離してくれない。


「あのーー」

「どうしよう」

 言葉がぶつかって、洸に譲った。


「どうしよう。離したくない」

「え?」

 ふざけてるのかと思って洸の顔を見るけど、冗談を言っているようには見えない。


 いやいや。

 洸の言葉を一瞬信じかけた自分に、心の中でツッコミを入れる。

 離したないくらいやったら、もぉちょい饒舌に喋るやろ。

 

「洸くん?」

 名前を呼んだら、洸は伏せていた目をあげて、こちらを見た。

 やっぱり、どことなくパパに似てるな。

 じゃなくて。


「私、冗談とか通じないから……」

 だから、からかわないで。

 そんな思いを言葉に込めた。


「僕もだよ」

 洸は同意して言った。

「僕、やっぱり、理乃ちゃんのことが好きみたいだ」

 

 好きってーー。

 あの好きか?

 いやいやいや、そんなわけあるかい。

 ほとんど喋ったことないやんか。

 

 私の心の中が関西弁の嵐になっている間にも、洸は言葉を続ける。

「理乃ちゃんの隣は何か温かくて、ノノと一緒にいる時以外にこんな気持ちになるの、初めてだ」


 ノノって誰やねん。

 彼女か?

 何でもええわ。こんなん関わってられん。

 どうせ私のことをからかって、面白がってるだけや。


「えっと……」

 何と返したら良いものかと困っていると、洸はやっと私から手を離した。


「ごめんね、いきなり」

 そう謝って、自分の鞄を肩にかけ直している。

「じゃあね」

 私に別れを告げて、来たのと反対の方向へ歩いていった。


 その場に取り残された私は、しばらく関西弁の独り言が止まらなかった。

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