175 戸次川の戦い 後編 ~大将同士の戦い~
「皆さん、撤退してください!ここは私が残ります。」
「孫四郎様だけ残すわけにはいきません。私も―」
「駄目だ。弥三郎、君はまだ若い。…若者はこんな戦で死んじゃ駄目だ。君には輝かしい未来があるのだから。」
何を言っているんだ、僕。これじゃ、自分が死ぬみたいだ。
「ですが!」
「これは、命令だよ。…元親殿と一緒に、四国の民が笑って暮らせる世を作ってね。」
「…!…ごめんなさい、孫四郎様。この恩は一生忘れません…。」
そう言って、弥三郎は後ろにいる元親殿の軍と合流するため、撤退を開始した。
「十河殿も、撤退して大丈夫ですよ。」
「いえ…。昨日、止められなかった私にも責任があります。」
「ですが…。」
「孫四郎殿こそ、先ほどの話を使わせてもらうと若いのですから撤退した方が―」
「それは出来ません。…大将は退けぬのです。今は亡き信長様だったら、何も考えずに退くと思います。ですが、今、退いたら長宗我部隊の撤退に影響が出ます。…大将が仲間を守るって当然でしょ?」
気付いたらそう口走っていた。…言ってしまった以上、残るしかないか。
「…でしたらやはり私も残りましょう。何、足手まといにはなりませんよ。ただ、何もせずに退くのは癪なんでね。」
「…わかりました。…松右衛門さんたちはどうします?」
「勿論、貴方様を守ります。」
「…いいんですよ?私を見捨てて逃げても。」
「そんなことできるわけないですよ。…あれだけの俸禄、そして幸せな生活を送らせてくれた孫四郎様を見捨てるなんて…。」
「でも、ここに残ると決めたのは僕の勝手ですよ?」
「大将、俺たちは死ぬ覚悟で大将に仕えてきたんだ。…ここが、恩返しに丁度いい舞台ってわけだ。最後はあんたを守って死んだという名誉な死に方がしたい!」
「そんな死に方は駄目です!…戦うなら、生きて、帰ること。勿論、僕もですが。」
「当たり前です。…さあ、行きましょう。」
こうして、絶望的な状況の下、合戦は再開された。
「…また突っ込んできたぞ!鉄砲隊かま―」
「鉄砲隊、構え!…撃て!」
ダダダダダダダダン!
連射式銃の威力は激しい。あっという間に、正面にいた敵は倒れていく。
「な、何だと…。」
「あの旗印、前田孫四郎のやつじゃないか⁉」
「そ、そんなの勝てるわけ…。」
「狼狽えるな!…弓隊、構え!」
弓か。…避けられるかな。
「放て!」
あれ?どこに飛ばしている…真上⁉まずい、これは逃げられない。
『弓が真上から降ってこない限り負ける相手はいませんね。』
昔、松右衛門さんが言っていた言葉だ。…可能な限り、逃げ―
「危ない!」
次の瞬間、僕は誰かに守られた。…!
「さ、才蔵さん…。」
「痛た。…大丈夫ですか?」
「そ、それはこっちの台詞です。…何で、僕を?」
「松右衛門が言ってたじゃないですか。私たちは殿のことが好きだって。」
「だからって、そんな…。」
「ああ…楽しかった、な。」
そう言って、才蔵さんは目を閉じた。
「そんな、嘘だ。これは夢―」
「放て!」
次の矢が飛んでくる。…これ、天王寺の時みたいに無理するしかないのか?
「家久様!鉄砲隊、第二陣準備完了しました。」
「よし、鉄砲隊、構え!」
これは、圧倒的不利。…鉄砲の弾は避けやすいけど、この状況じゃ、後ろの皆が当たってしまう。そんなこと、出来な―
「孫四郎様を守る壁となれ!…退いてください、孫四郎様。私たちが食い止めますから!」
「な、何でですか⁉生きるって約束したじゃないですか!」
「貴方が死んだら、誰がこの国を幸せに出来るのですか!」
「…!」
「撃て!」
「ぐっ…。」
「茶吉さん、山武さん!」
「早く、逃げて…。」
「生きている限り、全ての鉛玉を喰らい続けますから…。」
「すぐに戻ってください!まだ、間に合う―」
「弓隊、構え!…放て!」
こんなの戦じゃないよ。かつての姉川、長篠よりも酷い。
「殿を守れ!…大将、退きな。」
「六兵衛さん、もういいです…。一緒に帰りましょうよ…。」
「それを言ったら大将だって…。」
「…どんどん撃て!どんどん放て!」
ドン!
すごい、重い音がした。
「松右衛門さん…?」
「全く、貴方は退けと言われても退かなくて…後は頼みましたよ。」
その体には何発もの鉛玉と矢が突き刺さっていた。…帰れるわけ、ないだろ。そう思いながら、僕は…俺は敵陣に突撃を始める。
「孫四郎殿!無茶だ!」
「この状況を止めるにはこれしかないでしょ。」
「…付いて行きます。」
そう言って十河殿も俺に付いてくる。
「…馬鹿な、何でそんなに避けられる!」
「昔から、父上にしばかれてきたからな。…あとちょっとで、お前の首に辿り着くぞ。」
「させない!喰らえ!」
次の瞬間、横槍が入る。咄嗟に避けたけど、頬に傷を負ってしまった。
「…痛ってぇ。やったな?」
次の瞬間、その槍で俺に傷つけた兵の首は吹っ飛んでいた。後ろを見ると十河殿が私が切ったみたいな表情で俺を見ている。
「…御助力、感謝する。」
「何のこれしき。」
「…本当に来たか。」
「前田孫四郎利長、お前に一騎打ちを申し込む!」
「…!島津家久、その申し出に乗ってやる!」
お互いに刀を抜く。…一騎打ちならまだ勝てるかもしれない。その僅かな希望に俺はかけた。
「…行くぞ!」
「いつでも来い!」
すぐに走り始める。…隙がない。流石は島津。家康に『島津の千は上方の一万』と言わせる実力がある。
「そんなに走り回ってたら、お前の体力無くなるぞ?」
「…挑発か?」
そう言って、一気に距離を詰める。家久も動揺したのか、一歩だけ退く。だけど、そこに隙はやはりなかった。
「…なるほどな。流石は槍の又左の子。油断も隙もないじゃないか。」
「お前こそ、島津四兄弟の四男坊の癖に、中々やるじゃないか。」
「私で太刀打ちできないなら、義弘兄には到底及ばないぞ?」
「…!隙やり!」
「…危ねえ。」
躱されたか。…強い。これが、島津。…でも、絶対に負けられないんだ!死んだ皆のためにも!
「…さっきからお前の仲間は幸せな国を作れと言っていた。それは、どういう意味だ?」
「皆が幸せに暮らせる世のことか?…この国の民はな、毎日、多くの皆が餓死したり、普通なら治せる病に倒れて死んでいる。それでは幸せな人生を送れたとは到底言えないだろう?だから…だから、俺が、この国を変えて見せる!そう決めたんだ!」
「…!まずい!」
俺はまず、家久の手足…それも血管の辺りを狙い、切った。あまりの痛さに耐えられなかったのか家久は少し、動揺している。このまま出血させたままでも死ぬ。だけど、そんなに待つことは出来ない。そのまま、俺は飛び、家久の腰のあたりから横一文字に切る!
「…見事だった。」
「島津家久、討ち取ったり!」
「「「ウオーッ!」」」
十河隊の皆も、まさか討つとは思っていなかったのか驚いていた。しかし…戦はそれで終わらなかった。
「家久様が…この野郎!家久様の仇じゃ!」
そう、家久の家臣たちは、最後まで抵抗することを選んだのだ。
「孫四郎殿、退け!もう、十分だ!後は私が!」
「…十河殿ももう、疲れているでしょう…?だから―」
「馬に乗って。」
「…?」
「…息子を守ってやってください。行け!」
そう言って、十河殿は馬の腰のあたりを思いっきり引っ叩いた。
「ヒヒーン!」
馬は勝手に走り出す。…そんな、俺を…僕を守ってくれたのに…。
「島津の兵どもよ!この鬼十河が最後まで相手になってやろう!かかれかかれ!」
…生き延びよう。生きて、自分の罪を償うしかない…。
書いていて、孫四郎、ここで死ぬんじゃないかって思いましたが、何とか生き残ることが出来ました。
次回は損害のまとめと孫四郎のその後についてです。