第7話 ひと足先に祝う
「お母様」
「ミシェル、少しは落ち着け」
カトレアの言葉にミシェルは頷く。
このやり取りは何回目かとミシェルが思ったとき、目の前の扉が開いた。
「終わりましたよ」
戸口に立つ女医の顔がとても嬉しそうに見えるのは自分の願望だろうか。
ミシェルの手が宙を彷徨い、触れたカトレアの手をギュッと握る。
「アリシア様。ほら、お二人がお待ちですよ」
女医が朗らかにアリシアを促す。
その言葉に押されるようにアリシアが後ろから現れて、恥ずかしそうに口を開く。
「妊娠している可能性が高いそうです」
アリシアの言葉を「脈の音が」とか「血圧が」とか言って女医が補足説明をしようとしてくれたが、ミシェルの耳には一切入ってこなかった。
ミシェルはカトレアと共にアリシアを挟むように抱きしめる。
嬉しさのあまり言葉が出ないミシェルに代わってカトレアがアリシアを労わる。
「大丈夫か? 気分が悪いとかはないか?」
「少し気分がふわふわしていますが大丈夫です」
「ふわふわって、貧血か!? 貧血予防には肝臓が効いたよな。よし、狩ってこよう」
カトレアの言葉に「狩る!?」とアリシアは驚いた声をあげたが、ミシェルはカトレアの言動に慣れていた。
「お母様、ここは王都です。市場で買ってきてください」
「そ、そうか」
「アリシア様、立ちっ放しは体に障りますわ。このイスに座ってください」
「ミシェル様が座っていたイスではありませんか?」
「私は床に座りますから、さあさあ、どうぞ」
先に自分が動かなくてはアリシアが座れないだろう。
そう思いながらミシェルがその場に座ろうとしたとき、マリサに「お待ちください」と制されてしまった。
「今すぐイスをお持ちするので床に座るのはお止めください」
「そうね、どうもありがとう」
ミシェルがイスに座ると、アリシアも漸く安心できたのかイスに座ってくれた。
すぐに侍女がアリシアにひざ掛けを渡す。
「そんなに寒くは……」
「妊娠初期の無理は禁物ですよ?」
(妊娠初期! 姪! アリシア様によく似た姪!)
「無理といえば、明日は結婚式なのですが」
「式の内容を最低限にすればいいのではないか? 誓いの言葉だけとか」
カトレアの案は極端だが、式の短縮はミシェルも賛成だった。
「いいのではありませんか? 二回目なのですし」
「……いいのでしょうか」
アリシアは不安げだが、ミシェルはヒューバートの今回の目的が『ウエディングドレス姿のアリシアを見ること』だと分かっている。
神様の前での神聖なる近いなど二の次に違いないはずだ。
「しかし、遠方から来ている方もいらっしゃいますし」
「遠方のほとんどはうちの親戚だが、気になるなら式はこれから神官と相談してできるだけ簡略化しよう。宴はうちで開くから疲れたら直ぐに退場してしまえばいい」
神官と相談の上ならアリシアは納得するとミシェルは思った。
カトレアは大雑把な性格だがアリシアのことをよく理解している。
「お兄様はアリシア様を『嫁』として披露したいだけですものね」
「それに参加する人たちはそんなことに目くじら立てるタイプではないだろう。後日妊娠を発表すれば逆におめでとうの嵐だ」
王都はいまレイナードとティルズの影響でお祭り騒ぎだ。
レイナード商会の商売の幅は広く、庶民の食卓から貴族の夜会まであらゆるところで関わっている。
つまり王都の店という店はお祭り騒ぎ。
王都の経済は半年間以上うなぎ上りと目論まれている。
「旦那様がアリシア様を溺愛なさっているのは有名ですからね。宝飾店でもお菓子屋さんでもハートを象った商品が陳列された端から売り切れているそうですよ」
王都の賑わいについてマリスが補足説明をするとアリシアの顔が赤くなる。
「ほとんどの人間はこうして祝っているが、残念ながら全員が全員じゃない。特に招待されなかった客は式を省略したことを悪くあげつらねるだろう。その点の覚悟は?」
カトレアの言葉にアリシアはニコリと微笑んだ。
「名前も知らない有象無象など、私の家族と比べようもありませんわ」
(格好いい! 流石、私のお義姉様!)
「アリシア様、カトレア様に似てきましたねえ」
マリサの小さな独り言は感動するミシェルの耳には届かなかった。
「さて、肝心の父親はどうした?」
「内緒でここまで来たんですよね?」
ヒューバート言ったら大騒ぎになりそうで黙っていることにしたアリシアだったが、妊娠の可能性がある以上は他の人の口から聞くよりヒューバートとパーシヴァルには自分で伝えるべきだと思った。
ただ微妙にタイミングが悪い。
「パーシヴァルはいまウォルトン伯爵家のタウンハウスで『男子会』なるものに参加しておりますので明日の結婚式前に言うことにします」
離縁した前妻が使っていたウォルトン伯爵家のタウンハウスはヒューバートが伯爵のためにリフォームし、『男の隠れ家風』になっていることはアリシアもパーシヴァルから聞いている。
弟妹ができたらいいなと言っていたパーシヴァルに妊娠のことを早く伝えたい気持ちもあるが、今夜はウォルトン伯爵家の三兄弟と一緒に過ごすのをパーシヴァルがずっと楽しみにしていたことも知っているのでアリシアは明日でもいいと思った。
「ヒューバート様には直ぐにでもお知らせしたいのですが、どこにいらっしゃるのか分からなくて」
結果論だが、こうなるとヒューバートと一緒に来ればよかったとアリシアは思ってしまう。
「仕事だと偽った私に気を使ってご自分も出掛けると仰ってしましたが……夜にはステファン様が『独身最後の会』を開いてくださるそうなのでそちらに行くと聞いています。ただ場所は秘密で、明日はそこから直接神殿に向かうと」
世の花婿には酒と花街の女性が用意された『独身最後の会』で最後の自由を満喫する者が少なからずいる。
アリシアもそれを知っていたため「ステファンから『独身最後の会』に招待された」とヒューバートに言われたときは返事に戸惑った。
アリシアのそんな戸惑いを察したのがカトレア。
ヒューバートはカトレアから「断首と去勢のどちらがいい?」と問われて「去勢」と即答したという一幕があった。
ちなみにヒューバートが去勢を選んだのは「この年齢で異母弟妹が増えても」だった。
つまり去勢対象はオリバーで、よもや自分が対象とは思っていなかった。
「アリシア、ミロは場所を知っているのではないか? ヒューバートに監視役をつけることが参加条件だったではないか」
カトレアの言葉に「そうでしたね」とアリシアは思い出し、顔を赤くした。
「嫉妬深くて、ヒューバート様を信じていないようですね」
「いいではありませんか。アリシア様の嫉妬だと理解してデレるお兄様は気持ち悪かったですけれど」
「あいつのことだ。その後は『自分をよそ見させないように』みたいなことを言ってアリシアを甘ったるく口説いたに違いない。ああいうところだけは父親似だな」
カトレアの言葉に『その通りです』という文字を顔に浮かべながら、腹の子はそのとき宿ったかもしれないとアリシアは思った。
「とにかくミロを呼んでこよう。しかし、慌ただしくあるがウキウキもするな」
「お祭り気分でいいではありませんか」
ミシェルの言葉に頷くカトレアを見ながら、アリシアは肩の力を抜いた。
アリシアとヒューバートはステファンによく「二人に会うとタイムスリップした気になる」と言われる。
一回目の結婚式のような初々しさもあれば、「いつの間に結婚したんだ?」と思わせる成熟した夫婦の感じもあるとか。
結婚式への招待状への返信も『そう言えばまだご夫婦ではありませんでしたね』と苦笑する顔が見えるような内容が多いのだった。
「まさかヒューバートがミロを呼び出しているとは」
カトレアの困った声に侍女数人が「まあ」と喜色の声を上げたが、アリシアは気にしないことにした。
ヒューバートとミロが絡み合う妄想が一部の侍女に人気なことは知っているし、他人の趣味をとやかく言うほど無粋なものはないとアリシアは思っている。
「仕方がない。手の空いている者を街に行かせてヒューバートを探させよう。王都からは出ていないだろうし」
「大雑把過ぎますわ、お母様。ここは領都ではないのですよ?」
レイナードの領都ならば、市場で誰かに「お屋敷の人が領主様を探しています」と言えば伝言ゲームであっさり見つかる。
しかし貴族を含めて出ている人が多い今日の王都でまずそれは不可能である。
「『見つかれば幸運』でいいではありませんか。明日になれば会えるのですし。いっそのことヒューバート様を見つけてお屋敷に連れてきた人には金一封……は芸がないので、『ルージュナード』で作ったものを贈ります。ハンカチやスカーフ、男性の場合はネクタイを。そうだわ、刺繍付きで」
アリシアの言葉にカトレアとミシェル、そして使用人たちは一斉に立ち上がった。
「え?」




