第5話 敵と会う
クラウスは緊張しながら『ミセス・クロース』の扉を開け、入口から一歩も入らず中にいた従業員と思わしき女性に声をかけた。
「デイム・アリシアにお会いしたいのですが」
そう言うが早いか、クラウスは緊迫感に包まれる。
自分に注がれる視線は目の前の女性だけでなく周りの数店舗からもいくつか感じて、クラウスはアリシアが『侯爵様』に深く愛されていることを理解した。
「お約束は?」
「ありません」
目の前の女性の言葉からは警戒心が透けて見える。
(それはそうだろう)
若い女性を四十代後半の男が訪ねてくるだけでも不審なのに、その女性はこの国ではいろいろ有名人だ。
クラウスは自分の置かれた状況を理解して、努めて笑顔を浮かべる。
綺麗に整えた身なりと母親似の柔らかな目元のおかげで相手の緊張感が緩むのが感じた。
「少しお待ちください」
そう言うと女性は手をあげた。
それが合図だったのだろう。
一分も経たないうちに屈強な体格の男が店に入ってきた。
「お名前と、どこからいらしたかお聞きしても?」
「クラウス・パリトンと申します……コールドウェルから来ました」
『コールドウェル』に男の顔が険しいものになる。
人好きされる顔立ちの効果もここまでだとクラウスは内心ため息を吐く。
クラウスも『コールドウェル』がここで警戒されることは想像できていた。
その警戒が想像以上で、クラウスはこれが『コールドウェル』がアリシアに与えた痛みなのだと痛感した。
(慶事の前に、招かれざる客の自分が来るものではなかった)
クラウスは左胸をジャケットの上から押さえた。
そして謝罪して立ち去ろうと思ったとき、奥から出てきた女性に「待ってください」と声を掛けられた。
「コールドウェルのパリトンさんと仰いましたか?」
「……はい」
クラウスの言葉に頷いた女性は、自分たちを守るようにして立つ男に顔を向けた。
「デイムの知人だと聞いています。ただ、彼がデイムに会われるときは、レイナード侯爵閣下が同席なさったほうがよいと思います」
女性の言葉に男は戸惑いを隠さなかったが、有難いことに女性の意見が通った。
「コールドウェルのパリトン様ですね」
案内され、身体検査を受けたあとに応接室で待っていたところに現れた男をクラウスは覚えていた。
「アラン・カルーセル様、お初にお目にかかります」
「初ではありません、お父上の後ろに立つあなたを私はよく覚えています。でも、こうしてお話しするのは初めてですね。早速ですがヒューバート様のところに案内します」
「何も聞かないのですか?」
クラウスの質問は苦笑で返された。
「あなたはもう我々の敵ではないでしょう?」
アランに『敵』と言われてクラウスは咄嗟に反応できなかった。
(もう『敵』ではないが、だからと言って『味方』というのも……)
「レイナード商会には苦しい思いをさせられました」
悩んだ末にクラウスの口から出てきたのは過去の話だった。
「私共も同じですよ。あなたとアリシア様には辛酸をなめさせられました。眠る時間もなく、最高何日徹夜したのだったか」
お道化た口調ではあるが、アランの言葉から彼らが全て知っていることを理解した。
「頑張った甲斐がありました」
「その狡猾な表情。穏やかな見た目に騙されてしまいそうですが、中身はお父上とそっくりですね。そのお父上はご一緒ではないのんですか?」
「父は三カ月前に亡くなりました」
クラウスの返事にアランは何も言わなかったが、その目で哀悼を告げられた。
「あなたが、クラウス?」
クラウスがアリシアと顔を合わせるのは初めてだった。
いつも手紙のやりとりだけで、美しいご令嬢だとは聞いていたが目の前の本物にクラウスは必死に緊張を押さえる。
「はい、クラウスです。こうしてお会いいするのは初めてですね、アリシアお嬢様」
緊張のあまりつい『お嬢様』と呼んでしまった失敗にクラウスはハッとする。
自力で叙爵したアリシアを貶める行為だからだ。
「お嬢様と呼ぶ声はクロードそっくりですね」
クラウスの父クロードは領官たちの代表で、時折王都のタウンハウスに領の報告書を届けていた。
『とても貴族らしい美しいお嬢様』と言っていたのはクロードだ。
(貴族らしいというのは容姿だけでなく、その姿勢のことだろう)
「国から認められるほど有能な方を『お嬢様』と呼ぶのは失礼極まりありませんが、どうかこのときだけはお許しください」
突然の口上に戸惑うアリシアに、その場から動かずクラウスは内ポケットからベルベットの細長い箱を出した。
アリシアの隣にいるヒューバート、こちらもクラウスは数回見たことだけはある美丈夫が警戒と嫉妬の混じる顔を向けたのがクラウスは面白かった。
(こんなオッサンにこの方は何を警戒していらっしゃるのか)
「ご結婚おめでとうございます、アリシアお嬢様」
アリシアを、そしてついでに隣のヒューバートを警戒させないようにクラウドは箱のふたを開けてみせる。
中には金でできた繊細な鎖に親指の爪ほどのペリドットが一つだけ付いた首飾り。
怪訝な顔をするアリシアの首で輝くルビーの首飾りと比べて笑ってしまうほど粗末な品だが、クロードの最期の頼みと思って差し出し続ける。
「私には少し……もっと若い女性向けではありませんか?」
返ってきたアリシアの言葉にクラウスは力が抜ける思いがする。
「気にするのはそこか」とか「まだ十分お若いです」とか言うべきだが、首飾りの経緯をきちんと言わねばとクラウスは口を開く。
「十年以上前、父がお嬢様の一回目の結婚式のために用意した『結婚祝いの品』です」
(一回目なんていう必要があったか?)
アリシアの再婚が同じ花婿だからできることだな、とそんなことをクラウスはつい思ってしまった。
「コールドウェルを救ってくださったお嬢様に感謝の気持ちをどうしても伝えたくて、今さらながら持参しました」
クラウスの言葉にアリシアは目を見開き、次に瞬間その萌黄色の瞳は申しわけなさそうに翳る。
「いえ、私にできたことなど些細なこと。領を救ったのは、実際に手と足を使った皆様です」
「いいえ、レイナード商会の執拗で意地の悪い攻勢を退けられたのもお嬢様のおかげです」
(つい勢いで言ってしまったが……)
その執拗で意地の悪い攻撃をした人物が隣にいるのに、つい口を滑らせた自分をクラウスは反省した。
このウッカリは母親から遺伝したものらしい。
(父にはよく……)
「クロードがよく言っていたわ。クラウスに『うっかり癖』がなければとっとと引退してのんびり日向ぼっこをするのにって」
うっかり癖。
クロードが口ぐせのように言っていたそれを言うアリシアに、今更ながらこの女性が本当にアリシアなのだと実感した。
「のんびりなど父が一番嫌うものです。王領になった後は王室属領の領官になりましたが毎日暇だとぼやいて、『張り合いがない』とか『レイナードが攻めてこないかな』とか言っていましたよ」
「御尊父はこう……脳筋な見た目の割に緻密なことをする、腹の黒い方でしたな」
ヒューバートの的確な表現にクラウスは笑う。
「レイナード侯爵閣下にそう褒められたら、天にいる父も喜びます」
「天に……」
アリシアの瞳が哀しみに翳る。
「クロードは優しくって、文面はぶっきらぼうなのに言葉の端々に私への気遣いがあって……最後に会ったとき『レイナード小侯爵との結婚が嫌なら領地まで逃げてきてください』と言ってくれたのよ」
「そんなことを言っていたのか、あの親爺は」
苦虫を噛み潰したようなヒューバートの表情に、アリシアは笑いかける。
その仲睦まじい様子にクロードもこれで心配ないだろうとクラウスは思った。
「そんなことを言っていたとは。お嬢様がコールドウェルにいたと新聞で知った父が大笑いしていた理由がやっと分かりました」
(父がお嬢様を探し出して、私の妻にしようとしていたことは一生言うまい)
アリシアの肩を優しく抱き寄せるヒューバートの姿に、クラウスはその秘密は責任もって墓場まで持っていくことを決めた。
ちなみにこの話は妻も娘たちも知らない。
「もう二度と姿を消したりしないでくださいね。まあ、お隣にいらっしゃる方がそんなことを決して許さないでしょうが、万が一のときは逃げてきてください」
「不吉なことを言うな!」
本気で怒るヒューバートにクラウスは笑う。
「レイナード侯爵、こちらの首飾りはあなたに受け取って頂きたいのですが」
「……俺にそんな趣味はないが?」
なぜそういう解釈に、とクラウスは内心首を傾げたが、レイナードの愉快な使用人たちの話を聞きかじったことがあるので女装好きもいるのだろうと理解した。
「ぜひお嬢様に渡してください」
「? 目の前にいるだろう?」
ヒューバートとアリシアの間にいつか生まれる『お嬢様』へと思ったのだが、通じていないようだとクラウスは小さく笑う。
「いろいろ学びが足りていないようですね」
(お嬢様と末永くお幸せに)
クラウスの言葉にヒューバートが顔を見開く。
うっかり癖がここに来て出てしまい、本音と建前が逆になってしまった。
「クラウス殿」
どうしようかと思っている空気をアランが破ってくれた。
気まずかったクラウスはアランと神に感謝した。
「いまお仕事は何を? よかったらご家族とこちらにきませんか?」
「アラン?」
突然勧誘を始められて戸惑ったのはクラウスだけじゃなかったようで、アリシアとヒューバートも目を丸くしている。
「とても頼りになる方だと思いまして」
「建前はな。本音は?」
「一緒にヒューバート様を揶揄ったら楽しいかな、と」
「アラン!」
諍いはじめた二人の傍で笑うアリシアを見て、クラウスは「それも楽しそうだ」と思った。




