第2話 紅色で復讐する
「おはようございます、ヒューバート様。紅茶、お飲みになりますか?」
「ありがとう。でも、それより先に…………おはよう、アリシア」
頬に口付けるヒューバートの朝の挨拶はいつも通りだが、抱きしめる腕にいつも以上に力が入っていることにアリシアは苦笑する。
ヒューバートはアリシアとパーシヴァルには異様に過保護だ。
「あのときの君の気持ちを少しだけ味わった気がする」
そして初夜のベッドにアリシアを一人残してしまったことはヒューバートの古傷になっているらしい。
レイナードの領都から戻って二人は時折ベッドを共にするようになったが、ヒューバートが一言もなくアリシアを残して部屋を出たことはない。
「今日はレイナードから『ルージュナード』が届くと言ったではありませんか」
「分かっているさ。それが理由で昨夜は拒まれたのだから」
不貞腐れるヒューバートは子どもようだとアリシアは思った。
(寂しかったのかしら)
「ヒューバート様、今度はもっと強く揺さぶって起こしますから。ベッドから落ちても恨まないでくださいね」
アリシアの言葉にヒューバートは目をパチパチと瞬いたあと、嬉しそうに破顔する。
「それならいいんだ。紅茶は俺が淹れるから、君は仕事を続けてくれ」
瞬く間に機嫌がよくなったヒューバートの姿がアリシアには微笑ましくて堪らなかった。
「アリシア、あのドレスだが」
紅茶の香りと共に戻ってきたヒューバートの声にアリシアが顔を向けると、彼は工房の入口で顔をしかめていた。
工房にはいくつも仕掛中のドレスがあるが、ヒューバートの言う『あのドレス』がどれかはアリシアにはすぐに分かる。
「俺の気の所為かもしれないが、全く進んでいないように見える」
「……そうですね」
「完成するのだろうか?」
「まあ……いつかは?」
一歩進んでは三歩下がっているような現場を思い出したアリシアは曖昧に笑う。
「やはり結婚式は後日にして、先に婚姻宣言書を神殿に提出しないか? 君のウエディングドレスの完成前に俺が寿命を迎えそうだ」
「それでしたら式をしなくてもいいではありませんか」
貴族では花婿と花嫁のどちらかが再婚の場合は結婚式を挙げないことが多いし、アリシアたちの場合は花婿も花嫁も一回目と変わらない再婚なのだ。
「いや、待つから。待つから、結婚式は挙げよう」
アリシアが「結婚式はしなくてもいい」と言ったとき、ヒューバートを筆頭に全員に猛反対された。
その後も状況や話の流れからアリシアが何度か結婚式をしない案を出したが、ことごとく反対されている。
いつもヒューバートはアリシアの希望や願いは叶えようとするが、これだけは別らしい。
「ウルミレースも仕入れたし、ハリエットもウルミの女性たちが完成を楽しみにしていると言っていただろう?」
「そうですね」
アリシアが結婚を了承すると、ヒューバートは帝国の皇弟たちにいまだに命を狙われているというのに自らウルミ湖畔に行ってウルミレースを大量に注文してきた。
あとからハリエットに聞いた話では、ドレスが余裕で三着はできそうな量をヒューバートは注文したらしい。
もちろんそんなに要らないので一着分に減らそうとしたが、「侯爵様が相場の三倍の価格で注文したからみんな喜んでいる」と言われて減らすのをやめた。
「早く結婚したいな」
そう言うとヒューバートはアリシアの左手の薬指に嵌まった婚約指輪に優しく口づけた。
***
(これも受けとってもらうのが大変だったな)
アリシアの指に嵌っている指輪を撫でながら、ヒューバートは婚約指輪をあげたい自分と別に要らないアリシアの攻防戦を思い出す。
指輪を贈りかつ着けてほしい派の意図は『異性避け』なのだが、「このあと結婚指輪をつけるのに」と言われてしまうと『気持ちに余裕がない』、下手をすると『婚約者を信じていない』と思われそうでごり押しがしにくかった。
この問題を解決したのはカトレアだった。
カトレアはヒューバートの苦労が嘘のようにアリシアにあっさり婚約指輪を身につけさせた。
(パーシヴァルのお披露目で母親にも箔がいるし、俺に寄ってくる毒蛾を手っ取り早く追い払えるって……それも確かに『異性避け』ではあるけれど)
見た目に反して勝ち気で好戦的なアリシア。
どちらにせよヒューバートが感じるのは「可愛い」、それだけだ。
そのパーシヴァルのお披露目は、王都に戻ってくる前にレイナードで開いた。
場所は領主の屋敷、招待客はレイナードの一門。
主催は前侯爵夫人のカトレアとなっているが、テーブルクロスに『ルージュナード』が使われていたので、会場のセッティングはアリシアがしたのだと客全員がすぐに理解した。
アリシアの立場を『後継者の母であるだけ』だと侮り、娘や姪をそれとなくカトレアに紹介しようとしていた夫人たちは、アリシアの装いに驚いたという。
首飾りや指輪、ドレスの飾りや髪飾り、いたるところにヒューバートを連想させる赤い石を付けたアリシアの姿に、参加者には『自分にはこの女性だけ』というヒューバートの独占欲が見つけられて何も言えなくなっていたという(ミシェル談)。
「どうしました?」
指を絡めている時間が長かったのか。
不思議そうにアリシアが首を傾げていた。
「ん? 皆がこれをルビーだと思い込んだのが傑作でな」
ヒューバートの言葉にアリシアはキョトンとし、そして楽しそうに口元を綻ばせる。
「国一番の資産家が婚約者に贈った婚約指輪、先入観とは恐いですね」
家族と仲間しか知らないことだが、あの茶会でアリシアが身に着けていた大量の赤い石のほとんどはガーネットという石で、ルビーはアリシアの首飾りに使われているものだけだった。
ガーネットはレイナードに限らずどこでも採れる安い石だ。
床や壁の研磨剤として使われているので、王都にもどこの街にもゴロゴロ転がっている。
色の綺麗なものは装飾品にも使われるが平民向け。
形を整えるのに意外と手間がかかることから丸い形のものが少ないため、『ルビー紛いの半宝石』や『手間だけかかるハズレ石』といわれるガーネットが貴族の装飾品に使われることはなかった。
「『半分』に『ハズレ』。俺たちのような石だな」
「以前でしたら自虐が過ぎて笑い話にもなりませんでしたね」
水を守るレイナードでは、水をろ過するのに使うガーネットは身近な石だ。
ヒューバートがそのために大量のガーネットを他の領地からも購入していることは有名である。
それをよく知っているレイナードの貴族たちも、アリシアが身に着けている石がルビーではなくガーネットだと気づかなかった。
首飾りの中央でひときわ輝くルビーに目が眩んでいたのなら仕方がないかもしれないが。
「職人たちの腕が良かったのですわ」
「そういうことにしておこう。それでももっと平民との距離が近ければ分かったと思うがな」
レイナードの平民たちはガーネットが安全な水を作っていることを知っているため、守り石としてガーネットを使った装飾品を好んで身に着けている。
領主であるヒューバートへの畏敬の念も込められていると言うから、ヒューバートとしてはありがたい気持ちだった。
需要があれば技術が伸びる。
レイナードには加工が難しいガーネットを上手に加工する職人が多く、アリシアは今回彼らに目をつけたのだった。
「何もわからず『貴いルビー』と褒め称えるのだからな」
「すでにいくつか注文が来ていますわ、『ルビーを全体にあしらったドレス』という内容で。しかも、金に糸目をつけないという大らかな見積りで」
ルビーは隣の帝国からの輸入品で関税率が高く、小指の先ほどの大きさでも高額になる。
「本質は見ただけでは分からないということを、身をもってて学んでいただきますわ」
いま世間ではアリシアの婚約指輪の石について騒いでおり、宝石に造詣が深いと自負している者たちが「あのルビーは」と産地や価格について語っている。
「真偽を確認してから騒げばよいのに」
「噂とは本当にいい加減ですわね。せめて新聞記者は来ると思ったのですが」
「ルビーじゃなくてガーネットだといつ明かす?」
「嘘を吐いておりませんが、『これにまつわる思い出を話すのが恥ずかくて黙っていた』という言い訳にも限界がありますわ。十分稼ぎましたし、いま注文を受けている分のルビーの発注がすんだらティルズ公爵夫人に婚約指輪をしっかり褒めていただこうと思います」
ルビーは帝国との外交に使われる輸入品であるので、誰が何のためにどのくらい購入するかを公にしなければいけない。
貴族たちはそれを分かっているし、注文はアリシアからだがドレスになったあとは個人の財産となるので国から購入の事実確認が行く。
「それでは『なかったこと』にできないな」
「『ミセス・クロース』が輸入したルビーで出た分の利益は元皇弟領の領民の支援のために使うとイグニス皇帝が約束してくださいましたからね。お金は使いたい人から集めれば効率がいいですから」
そう笑うアリシアにヒューバートは心強さを感じた。
アリシアは婚約指輪を贈ったのがヒューバートだから貴族がルビーだと勘違いしたと言っているが、アリシアが身に着けているからこそルビーのように高貴に輝いて見えたに違いないとヒューバートは思っている。
「この石もようやく日の目を見られたな、喜んでいるだろう」
「私の宝石箱からあの腕輪をパーシヴァルが勝手に持っていったときは焦りましたが、終わりよければすべてよしですね」
アリシアに贈った婚約指輪についているのは、かつてヒューバートが祭りの土産としてアリシアに渡した安い腕輪についていたガーネットだった。
「二束三文の価値にもならなかったから残しておいた」とアリシアは言っていたが、傷一つない腕輪はとても大切にしまわれていたとヒューバートは思っている。
「ふふふ、『ハズレ』をあれほど嘲笑っていた方々の見る目のなさを存分に笑ってさし上げなければ」
ただアリシアの性格が少々母カトレアに似てきたような気がして、ヒューバートは毎日「気のせいだ」と自分に言い聞かせていた。




