第1話 子どもたちは笑う
前話から約一年後の王都から《最終章》は始まります。
「ケイ兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、気をつけろよ」
ケイが部屋の扉を開けると、隣に住む小さな双子が廊下を走っていった。
仲良く手を繋ぎ、テンポよく階段を下りていく姿を眺めながらケイは思い切り息を吸う。
(まだ木のいい匂いがする)
半年前、ケイはアリシアたちと王都に来て、不在の間に建築していたミセス・クロースの従業員寮、通称『クローゼット』に住んでいる。
住人が当番制で掃除しているため建物はいつも清潔で、ここをみんなが大事にしていることが分かる。
ケイも廊下の掃除に気合を入れ過ぎ、ニスが剥がれるほど床を磨いて叱られた。
「おはよう」
ケイが一階に降りると、入口の脇にいた男二人が気さくに声をかけてきた。
彼らは引退した元騎士で、小遣い稼ぎで寮の警備員になったらしい。
「新しい警備服も派手っすね」
「俺たちはマネキンだからな」
彼らは笑ってムキッと上腕二頭筋をケイに見せつける。
筋肉愛好会の『筋肉ラヴァーズ』がぜひ広告塔にと彼らを推す理由を理解した。
最近では警備員の採用基準に容姿、主に顔があるという噂だ。
「しっかり飯を食ってから行けよ」
「食っているシ。俺、ちゃんと太ったゾ」
「まだまだ。その三倍は大きくなれ。卵を食え」
そう言って二人は『筋肉ラヴァーズ』に高得点をつけられた筋肉を見せびらかす。
それはケイから見ても見事な筋肉で、それを有効活用する同僚にケイは改めて感心した。
ちなみに最高得点を叩き出した筋肉の持ち主は、警備員の花形かつ従業員の活力剤として店舗前の警備を任されている。
入口と反対側の扉を開けると、『クローゼット』に隣接している建物の一階にある大衆食堂『ソウ』の店内になる。
この店はレイナード商会が運営する店で、福利厚生の一環で『ミセス・クロース』の従業員とその家族は格安で食事ができる。
ケイは基本的に朝と夕はここで食事をしている。
アリシアは自分のシングルマザーの経験を活かし、従業員の働く環境を整えている。
これはヒューバートにも影響を与え、同じような食堂が最近レイナード商会の近くにできて人気を博している。
「リュシカ、目玉焼き、頂戴」
「おはよう、ケイ。ハハッ、腹の虫も元気だ」
パンの焼ける匂いに刺激されてケイの腹の虫が鳴くと、この店の店主兼料理人のリュシカが笑い声をあげる。
「いつもより、パンが美味ソうだから」
「お目が高い! 今日はウォルトンの小麦で作ったのさ。デイムの分もあるから持っていっておくれ」
ウォルトン領産の小麦といえば高品質で有名。
アリシアはこの小麦で作られたパンが好きで、リュシカはいつも誰かにパンを届けさせる。
(『テランのメイド』を辞めて店にきたのも、デイムがウォルトンの小麦で料理を作ってくれる料理人の派遣を依頼したのがキッカケだっけ)
数年前に事故で娘を亡くし、夫もすでに病死しているリュシカは一人に耐えかねて発作的に死を選ぼうとした。
それをアリシアが止めて店の料理担当者として雇ったとケイは聞いている。
人の縁はどこに結ばれているか分からない。
そう思いながらケイがトレーに作りたての目玉焼きを乗せると、料理を運んでいた少女がケイに気づいた。
[おはよう、ケイ」
[おはよう、ライラ。足はどうだ?」
ライラはケイと同じ組織の奴隷で、仕事中に負ったケガが原因で今もまだ上手に歩けない。
[前みたいに歩けないけど、筋肉がついてきたから立ってはいられる]
そう言って微笑むライラ。
微笑むライラを見るたび、ケイはこの一年を振り返ってしまう。
組織は情報共有が上手くいってなかったのか、毎回似たような方法で子どもにヒューバートを襲わせ、子どもたちは捕えられたあと『オリヴァ・シータ』によって説得されてこちらに寝返った。
ケイを含めて十人の子どもは三ヶ月足らずで全員ヒューバートの保護されたが、そのあと作戦が終了となるまでに半年以上の時間を要したのは、組織が捨てた子どもを保護するためだった。
ライラもそんな、組織が捨てた子どもの一人だった。
ライラは容姿が整っていたため娼館に売られ、そこでライラがどんな扱いを受けていたのかをケイは詳しく知らされていないが、救い出されたライラが感情のない人形のようだったことからある程度察している。
(リュシカやみんなのおかげだな)
リュシカは亡くした娘にライラを重ねたらしい。
彼女は献身的にライラに接し、ライラが自分に心を開いてきたと感じるとヒューバートにライラを養女として引き取りたいと願い出た。
そうしてリュシカの養女になったライラは『ミセス・クロース』の従業員と接しながら少しずつ笑顔を取り戻していっている。
[飲み物は?]
[……コーヒーで]
ケイの返事にライラは呆れた目をしてカップにコーヒー注ぐ。
[あとで砂糖と牛乳をたっぷり持っていくわ。仕事が増えるから見栄を張って侯爵様の真似をしないでほしいのに]
[うるさいな!]
ライラの回復を喜ぶべきだが、ライラに口で勝てないケイとしては素直に喜べないところもあった。
***
食事を終えたケイは『ミセス・クロース』に向かう。
(少し遅くなったな)
今日のコーヒーは底のほうだった。
いつもより苦くて用意された分では砂糖が足りず、追加で砂糖を頼むとライラにブチブチと文句を言われた。
誰に言われたわけでもないが、ケイは毎朝一番に出勤して店に異常がないかを確認することを自分の仕事の一つにしている。
今朝も店の周囲に異常がないことを確認し、入口の鍵を開けようとしたらすでに鍵は開いていた。
誰も徹夜で作業していないはずだし、誰かが早くに出勤するとも聞いていない。
不審者と判断したケイは常に携帯している短剣を取り出し――。
「馬鹿野郎」
真後ろから聞こえた声にケイは反射的に『気をつけ』の姿勢になる。
「馬鹿なの? 馬鹿だよね。突っ込む前に『まず気配を探ること』って教えたよね。何度も言ったよね?」
棒状に丸めた新聞でポコッと叩かれて見上げれば、アリシアを影から守る護衛のフィランが眠そうな顔で立っていた。
「おはようごザいまス、師匠」
学者のような見た目だがフィランはケイが今までに会った誰よりも強く、ケイにとっては人を守りながら戦う方法を教えてくれる師匠である。
「おはようさん、中にいるのは奥様。気配を探ってみようね。さん、はい」
彼は本来パーシヴァルの護衛になる予定だったが「美人がいい」とアリシアの護衛をヒューバートに直談判した猛者だとケイは聞いている。
ヒューバートはその希望を却下したらしいが、ステファンが仲介したようでアリシアを『奥様』と呼ぶことを条件に許可したらしい。
「いつも思うのだけれど『奥様』って響き……背徳的で、いいよね」
(侯爵様、やはり選択をお間違えです)
ケイはフィランの強さは尊敬しているが、人間性は軽蔑していた。
「ほらほら、子どもは笑顔。飴ちゃんやるから機嫌を直せ」
拒否してもどうせ押しつけられる。
ケイがあきらめの境地で出した手の上で飴が転がったとき、もうそこにはフィランはいなかった。
「おはようごザいまス」
「おはよう、ケイ。今日も早いわね、いつもありがとう」
朝日が射しこんで明るい店内。
光の中心に立つアリシアにケイは息を飲む。
何度も見ている光景なのにまだ慣れず、この瞬間も『ヴァル・シータ様』とアリシアの足元に跪きそうになってしまう。
「デイム、早いでスね」
「レイナード領からの『ルージュナード』が届く日だもの」
レイナードで作られる『ルージュナード』は国産の赤い布として注目され、「レイナードでしか見ることができない」と貴族や上流階級の平民で評判になっている。
その深みのある赤に魅せられた女性たちは『ルージュナード』を仕入れよう躍起になったが、ヒューバートは決して応じなかった。
レイナードを活気づけると同時に『ルージュナード』の希少性を高めるため、「金持ちが喉から両手を伸ばすくらい焦らしてやる」と言うヒューバートは悪い顔をしていた。
その『ルージュナード』が初めて卸された。
卸し先はもちろんヒューバートが溺愛するアリシアが営む『ミセス・クロース』である。
予約はすでに十を超え、「需要があるのだから見積りは強気に、かなり高くしましょう」と言ったアリシアの顔はヒューバートによく似ていた。
(噂をすれば影……だっけ?)
ウキウキ感を隠せないアリシアをケイが微笑ましく思っていると、慌てた様子でヒューバートが駆け込んできた。




