第12話 貴婦人は駆ける
大浴場でアリシアとミシェルの傍についていたパトラの下にパーシヴァルたちが行方不明という報告が入ったのは、浴室から出た二人の身支度を侍女たちが整え出したところだった。
蒼白な顔をして今にも駆けていきそうなアリシアをパトラは扉の前に立ちはだかって止め、そして今に至る。
「終わりました」
侍女の言葉にアリシアは「ありがとう」と言って立ち上がり、同じタイミングで身支度を終えたミシェルも立ち上がって二人は廊下に出た。片付けは浴室担当の侍女たちに任せ、アリシアとミシェルの後をパトラが先頭になって数人の侍女で追う。パトラはミシェルの専属侍女として嫁ぎ先についていくとき、カトレアから簡単にであるが対人警護の訓練を受けていた。
(あのときの自分を褒めてあげたい)
三分で身支度を整えてみせると約束したことで落ち着きを取り戻したアリシアを裏切るわけにはいかない。しかし、三分間では身支度にも限界がある。
結果、妥協に妥協を重ねて異性の前に出てもおかしくない程度に仕上げはしたが、
(仕事をしなさい、仕事を!)
廊下ですれ違う騎士たちがぼうっとした表情でアリシアを見送る姿にパトラは、貴族夫人付きの侍女としてあるまじき態度だが舌を打ちたくなった。
「パトラ様、落ち着いてくださいまし。あれは仕方がないことかと」
「うちの騎士様たちはアリシア様を見慣れていませんし」
カトレアとミシェルは美人ではあるが勝気な性格を表したような強そうな顔立ちで、風が吹けば儚くなりそうな淑やかな美人にレイナードの騎士たちは免疫がない。そこに加えてヒューバートが囲って騎士たちの目にアリシアを晒さないようにしているから、アリシアを見たことがない騎士も多い。
「それに、あれですし」
「湯上りで火照った頬」
「まだ湿り気の残る髪」
「目の猛毒ですわ……足、速っ」
パトラが視線だけ後ろに向けると、侍女が三名脱落していた。
(いつもより随分と早足だわ)
パトラも少し息苦しさを感じながら、脱落してかなり後ろにいる侍女たちに後から来るように指示を出した。
「アリシア様、騎士団長がいましたわ。状況を確認しましょう」
「そうですね」
(急な失速、からの方向転換!)
ヒューバートの執務室を目指していた二人が、廊下の先に騎士団長を見つけて進む方向を変える。
夜会に行くのではないためヒールの低い靴だが、自分たちよりも遥かに歩きにくい靴でよくあんな動きができるなとパトラは感心した。後ろの侍女二人はかろうじて付いてきてはいるが、言葉も出ないようだ。
「アリシア様は歩くのがとてもお速いですね」
「あ、申し訳ありません」
ミシェルの言葉にアリシアが謝罪して速度を緩めようとしたが、
「いえ、大丈夫ですわ。ただ感心してしまって。日頃から何か運動を?」
「はい、運動着の試着を兼ねて公園を散歩したり。馬車を使わずに、できるだけ歩くことにしています。今は庭を散歩したり」
(『ミセス・クロース』の運動着……)
前を歩くミシェルがチラッと後ろを振り返り、パトラと目が合うと小さく頷く。
(あとで予約……できたら二人分)
『ミセス・クロース』の運動着は人気商品で予約は長蛇の列。最新情報では短くても半年は待たないといけないものだが、先を歩くアリシアのスタイルの良さを見ると『買わなければ』という意欲しか湧かなかった。
「王都と違ってこの屋敷の庭は花が少なくてつまらないのでは?」
「花はなくても見るものは沢山ありますわ。中央にある噴水など時間を忘れて見入ってしまうほど美しいですし」
(それにしても、よくお喋りしながら歩けるわね)
高速で足を動かし続ける二人に、パトラは貴族女性の底力を見た思いだった。
貴族女性といえば『カトラリーより重いものを持てない』なんて言いそうだが、実際は持たないだけで体力も筋力もある。何しろ幼い頃から姿勢の維持やダンスで体幹を鍛え、コルセットで体を絞めつけながら重いドレスを着て何時間も立ち話、ダンスさえ踊るのだから柔なわけがない。
「う、うちの、カ、カトレア様が、規格外、かと」
「わ、私もそう、思っていました、わ」
侍女二人の言葉に頷きながら、パトラが纏めた。
「貴族女性は総じて逞しいのよ」
騎士団長にヒューバートの居場所を聞いたことは正解だった。
なぜかヒューバートは彼が滅多に立ち寄らない騎士団の訓練場にいた。
(前言撤回。やっぱりカトレア様は規格外だわ)
訓練場の中央では真っ赤な鎧を着たカトレアがずらりと騎士たちを並べて説教していた。
「不審人物を見かけたからといって門を開けたままそれを追う者があるか!」
「申しわけありません!」
「ミスリードに引っかかって不審者の邸内侵入を許すとは弛んでいる!」
「申しわけありません!」
「全員重鎧を着用! 訓練場を……で鍛え直してこい!」
「は、はい!」
(アリシア様がここにいなければ、重鎧着用して訓練場を五十周かしら)
カトレアがハッとして言葉を区切り、アリシアのほうを見たことからパトラは推察した。
(ヒューバート様、お疲れだわ)
パーシヴァルの行方不明による心労だけとは思えない疲労感はカトレアのせいに違いないと思いながら、パトラはパーシヴァルに駆け寄るアリシアを見た。
「母さん」
青い顔をしたパーシヴァルと、同じく青い顔をしてパーシヴァルの両側に立つロイドとタピオ。三人の少年たちをアリシアはじっくりと確認する。
「母さん、僕たちは大丈夫だよ」
「顔色が悪いわ。怖い思いをしたのね」
「う、うん……それは……」
(カトレア様が怖がらせたに違いないわ)
パーシヴァルの視線がカトレアに向かい、カトレアがパッと反らしたことからパトラは察した。
「まあ、ケガはしていないし。パーシヴァルは……母上が直ぐに見つけたから」
(ヒューバート様、言葉を選んでいらっしゃるわ)
「カトレア様、本当にありがとうございます」
「たいしたことではない」
(そしてカトレア様は遠慮をなさらない)
* **
(よかった)
パーシヴァルの無事を自分の目で確認したことでようやく落ち着き始めた心臓の上に手を置いてアリシアが息を吐くと、
「ヴァル……シータ?」
聞き覚えのない子どもの声にアリシアがそちらを見ると、騎士たちに挟まれるように膝をついた子どもがいた。背丈から判断して高等部の学生くらいか、青年とは言えない子どもは驚いた顔でアリシアを見ていた。
「ばるしーた?」
「『ヴァル・シータ』、帝国の民が信仰しているシータ教の主神のことだな」
ヒューバートが説明してくれたが、その神がどうしたのか。アリシアが首を傾げると少年の唇が動いた。
[あんた……いや、あなたはヴァル・シータ様ですか?]
(帝国語……)
[いいえ、私の名前はアリシアです。ここにいるパーシヴァル……子どもの母です]
[言葉! 言葉が分かる、いや、分かりますか?]
少年の質問にアリシアは頷いて肯定する。
『ミセス・クロース』にはリザのように帝国出身の従業員がいて、アリシアは彼女たちから言葉を習っていた。
「話した……ずっと黙ったままだったのに」
(勉強しておいてよかったわ)




