第9話 レイナード家に仕える
「お兄様、お久しぶりです」
「……久しぶりだな」
何ごともなかったように振舞うミシェルにヒューバートは呆れ、盗み聞きなどはしたない真似をしたミシェルを咎めた。
「お兄様が悪いのですわ」
「俺が何を?」
「アラン殿と二人きりで部屋に籠るから」
「いかがわしい表現にするな!」
まさか毎回そんな風に思われていたのか。そんな疑問を目に込めてミシェルを見ると、ニッコリ笑って頷かれた。
「屋敷中の『ラブボイボイ』たちが悦んでいましたわよ」
「屋敷中の『ラブボイボイ』……」
ミシェルは愉快だと笑っているが、ヒューバートはショックだった。
ヒューバートも『ラブボイボイ』は知っている。男性同士の恋愛を楽しむ女性たちによる集まりで、同じ趣旨の集まりの中でも入会条件は緩く、本人の性的思考や結婚歴など問われないため貴族夫人も多く所属しているということも。
「ミシェル、お前もか……」
「同好の士とはよいものですよ。派閥に関係なく様々な家の事情を知ることができますし」
「……うちにお前のスパイがいたのか」
「特に問題はないですよね、たった一人の兄妹ではありませんか」
「その大事な兄の恋愛事情を面白おかしく話すな」
ホホホとミシェルが笑う。笑って誤魔化されたとヒューバートは項垂れたくなった。
「使用人の趣味に目くじら立てないでくださいまし。お兄様の平穏に影響はないでしょう?」
「まあ、そうだが……」
身は守られても心が汚された気がしたため、言葉を濁してヒューバートが目をそらすと控えていた侍女と目が合った。意図したことではなかったが、タイミングが悪かったのだろう。
「私は『駆けこ民』から『ラブボイボイ』に移籍しました」
「『駆けこ民』? いや、やはり説明しなくていい」
「あ、俺は聞いておきたいです」
聞いてはいけない気がするから制したのに、裏切り者がいた。ヒューバートはアランを睨んだが、知らないと後で困るかもしれないと説得されてしまった。
「『駆けこ民』とはレイナード邸に行儀見習いできている令嬢たちの集まりです。私はデイトン伯爵家の長女ビオラでございます」
「デイトン家の長女、マーガレット嬢の姉君ですよね?」
マーガレットがウォルトン伯爵家の嫁になるということでヒューバートもデイトン家について調べ、彼女の姉がレイナード邸にいることは知っていた。
(二十二歳……未婚でも別におかしい年齢ではないが)
「お兄様、ビオラがお気に召したのですか?」
「趣味の悪い冗談を言うな。ただ……気になる経歴だと思っただけだ」
結婚は女性にとってデリケートな問題なので言葉を選んだが、
「いい年して未婚、それなのに社交もせずに侍女と働いていることですよね」
「ズバッと言うな」
「そこをカトレア様に評価していただき侍女として採用されました」
「そ、そうか。納得してのことなら良かった、何か困ったことはないか?」
「何も。嫁にいけ、いい加減嫁にいけ、嫁にいってくださいと言われ続けた実家での暮らしに比べればここは天国です」
デイトン伯爵が長女の結婚に骨を折っていることをヒューバートは知った。
「大変だったのだな」
「おかげで私が『レイナード侯爵閣下を誘惑してくる』と言ったときは父母共に喜んで、レイナードへの旅費も奮発してくれたので快適な旅となりました」
「ちょっと待て、『誘惑』って何だ?」
「『駆けこ民』たちはみんなそう言って実家を出てきているのです」
「……俺は誘惑なんてされたことはないぞ?」
「お兄様、まさか残念なのですか? アリシア様一筋だと言った舌の根も乾いていないというのに?」
それが就職動機ならば採用されるわけがない。そんな怪訝な気持ちが思わず顔に出てしまったが、それをミシェルに『不満』と誤解されたらしい。
「そんなわけないだろう、馬鹿者。おい、アリシアには言うなよ」
「貸しですわよ? あと誘惑は『駆けこ民』たちの嘘、結婚したくないからお兄様とのことで実家を煙にまこうという彼女たちの作戦です」
なるほどと思ってビオラのほうを見ると、ビオラも力強く頷いていた。そんなに結婚が嫌なら好きなだけレイナードを利用していいと思った。
「私のような者がアリシア様、ティルズ公子様、そしてアラン様に勝てるわけがございません」
「二人余計だ、この『ラブボイボイ』」
* **
ヒューバートからミシェルをアリシアのところに案内されるように言われたビオラは、侍女仲間にアリシアの場所を聞いてミシェルと共に庭に向かう。ちなみに尋ねた侍女は『ラブボイボイ』仲間で、ヒューバートとアランが二人きりになったことに悦んでいた。
(いいネタを提供できたわ)
「お兄様も迂闊よね。仕事の話だから仕方ないとしても、またアラン殿と二人きりになって」
「おかげさまで彼女の制作意欲を煽ることができました。新作が楽しみです」
「私の分もよろしくね」
どうやらミシェルは兄がそのように扱われても気にしないらしい。ミシェルの後ろにいる専属侍女パトラが困った顔をしているので、言っても聞かないに違いないとビオラは思った。
「アリシア様」
庭で休憩していたアリシアがミシェルを見て顔を綻ばせる。先輩侍女からミシェルとアリシアの関係についてビオラも聞いているが、ビオラの目には仲の良い友人同士にしか見えなかった。
「ご無事でよかったです。ヒューバート様にはもうお会いに?」
「ええ、先ほど挨拶してきましたわ」
「ミシェル様が到着されてヒューバート様も安心なさったでしょうね。お二人は滅多に会えないのですし、ヒューバート様もお呼びして一緒にお茶を……」
「まあ、それはやめてくださいな」
(はい、やめてください。彼女の創作意欲が……)
『ラブボイボイ』ではないアリシアはミシェルが遠慮していると思ったようで「大丈夫」と請け負っていたが、ミシェルが『ラヴァンティーヌ』としてアンティークドレスの話をしたいと言ったらヒューバートを呼び出すことをやめた。
愛しい婚約者よりも同好の者だけでの趣味トークを取ったアリシアの気持ちがビオラにはよく分かった。
「アリシア様とこうしてお喋りを楽しめることは嬉しいですが、素直に喜べませんわ。実際に護衛が負傷しましたし」
貴族夫人にとって社交は義務で、理由を隠したまま招待を断り続けることは難しい。そのためミシェルは『領地の母を見舞う』と言ってレイナードに来たが、まだ幼い子に長距離かつ襲撃される可能性のある移動は難しいため子どもたちは子爵家にいる。
母親として子どもたちと離れることに不安はあるだろうに、何でもない振りをして微笑むミシェルはやはり貴族夫人なのだとビオラは認識を改めたのだった。




