第1話 作戦を決行する
「ロイド、僕のお披露目が決まったんだ」
興奮で頬を染め、いつもより大きな声を出すパーシヴァルに周囲の目が集まる。
「へえ、いつ?」
「お祖母様が主催のお茶会なんだけど、準備があるからちょっと未定。僕も色々学ばなきゃいけないから、来週からレイナードに行ってくる」
パーシヴァルと話ながら、ロイドは周囲に視線を走らせる。ヒューバートの元恋人の子どもの噂でパーシヴァルの立場は一時不安視されたが、『お披露目』となればパーシヴァルは次期侯爵『小侯爵』と言われることになる。
(これでパーシヴァルのことがしばらく騒がれるだろう)
パーシヴァルが小侯爵になるだけではなく、来月半ばから学院を休みレイナードに滞在することも。
「こんなに長く休むのは初めてだよな、俺と離れるのが寂しいだろー?」
「ちょっと心細い、かな」
そう言ってロイドが予定通り揶揄うと、パーシヴァルが眉を下げてみせる。
あははと笑いながら、「情けないよねー」と力なく笑ってみせるパーシヴァルの演技力に感心しながらロイドも負けまいと同情と決意をこめた表情を浮かべる。
「それじゃあ俺も一緒に行ってやるよ」
「いいの?」
「うん、うちは侯爵閣下にお世話になっているし、父上もいいって言ってくれるだろうから……ほら離縁したことでうちもちょっと賑やかだし」
こうしてパーシヴァルとロイドのレイナード滞在は多くの者が知ることになった。
「予定通りだね」
「今頃アリシア様も同じようなことをしているんだよな」
***
「デイム、本日は急だったのに会ってくださって感謝しますわ」
「夫人のためですもの」
『当然です』という顔でアリシアが迎えた夫人はとても口が軽いことで有名だった。だからこそアリシアは彼女を今日の顧客に選んだ。
「休業、ですか?」
「ええ、従業員とその家族で慰安旅行に。侯爵様に勧められてレイナードに行ってきますわ」
「社交シーズンが始まったばかりですのに?」
「なにか裏があるのではない?」と目で聞いてくる夫人にアリシアは微笑み返し、少しだけ夫人に顔を寄せて声も小さくする。
「これはまだ秘密にしてくださいませ」
「もちろんですわ」
好物のクリームを目の前に置いたような、興奮を隠しきれない夫人にアリシアは内心苦笑する。
「レイナードには幻の染料がありますの。侯爵家にただ一つ残されていた情報によれば、とても美しい赤色に染まるのだとか」
「その染料をお探しになるのですね」
繁忙期に人気店を休業させるほどの価値がある幻の染料。夫人の口元が興奮を隠せず震えるのをアリシアは確認し、『もう一押し』と笑みを深くする。
「表向きは休業ですから、社交を疎かにしていると思われてはいけないとカトレア夫人に相談しましたの。そうしましたら夫人が息子のお披露目をしてくださると」
「まああ、ご子息のお披露目」
レイナードでお披露目となればパーシヴァルの次期侯爵内定という意味。好物で満腹になったと満足気な夫人からは、誰かに言いふらしくて堪らないというオーラが吹き出ていた。
「よい旅を」と言って馬車に乗る夫人を見送ったアリシアが店内に戻ると、プリムが『よくできました』と言うように親指を立ててみせた。
「噂は広がるかしら」
「あの人の性格では黙っていられて一日ですよ。三日後には王都中が知る噂になります」
「それなら我慢した甲斐があったわ。噂をばらまくのには便利な人だけれどちょっと苦手」
「うまく手玉に取られていたかと」
「だといいけれど……荷物は運び出せた?」
「はい、先ほど裏口からレイナード家の執事長さんたちがいらっしゃいました。顧客リストと重要な型紙、留守居役の私たちが必ず守ると気合十分でした」
今回ボッシュは王都に残るとアリシアは聞いていた。タウンハウスを守らなければいけないし、アリシアは店を休みにできるがレイナード商会が休むと王都の経済が滞ってしまう。
王都はいつも通りでいなければいけない。
今回レイナードの使用人と騎士を多く領地に連れていくため、アリシア・ヒューバート・パーシヴァルは違う馬車で、それぞれに護衛と使用人をつけて移動する理由を触れまわっている。ヒューバートは長期出張の帰りにアリシアたちが領都に行くことを知って、急遽予定を変更して護衛もそのまま領都に行く手筈だ。
(ヒューバート様を追いかけて商会の副会長であるアランさんもレイナードへ)
レイナードとの交渉材料になる者は全員レイナードに集める。
これがヒューバートとアリシアの考えた計画だった。
***
「母さん」
レイナード領の最初の宿場町でアリシアとパーシヴァルは予定通り『偶然会う』を成功させることができた。同じ王都出発でも到着に一日の差があるのは、パーシヴァルが尾行していた馬車を振り切るため大きく迂回することになったからだった。
「ケガはない?」
馬車が襲撃されるかもしれないとアリシアも頭では分かっていたが、パーシヴァルが追われているという報告を受けたときは肝が冷えた。ヒューバートもそれを聞いて、予定では領都で再会する予定をこの宿場町に変えていた。
「うん、大丈夫だよ。交戦にはならなかったから。母さんのほうは?」
「女性の多い団体だもの。親切な紳士がたくさん護衛に名乗り出てくれたわ……全員ヒューバート様が追い払ってしまったけれど」
「父さん……」
呆れた視線を向ける息子から目をそらしたヒューバートは、パーシヴァルの隣にいるロイドに手を差し出した。
「予期せぬ長旅になってしまったな」
「ずっと麦畑を見ているよりいいです。閣下に今回のお礼を伝えてほしいと父から言付かっております」
「ありがとう。伯爵領にもぜひ遊びにいきたいのだが、今回はデイトン伯爵令息に先を越されてしまったな」
「兄嫁になるマーガレット嬢があんなに騎士たちに人気とは思いませんでした」
その可憐さから騎士たち人気のマーガレット・デイトン伯爵令嬢はロイドの兄、ウォルトン伯爵家の長男の婚約者。
今年はウォルトン領地内の貴族と社交することになり、妹を家族は男しかいない伯爵家に一人で滞在させるのは心配だと、第三騎士団のデイトン団長が「一緒に行きたい」と願った部下と一緒にウォルトン領に滞在することになっている。
「出発は明日だ。この宿は貸切っているから今夜は楽しく過ごしてくれ。温泉もそれぞれの部屋と、それとは別に大浴場がある」
「大浴場に行こう」と盛り上がる少年たちに笑ったヒューバートは、騎士たちに子どもたちの荷物を受けとるように指示をする。そしてタオルを二人に差し出したヒューバートをパーシヴァルがジッと見て、ニッと笑った。
「父さんは大浴場に行かないの?」
「ん? 俺は部屋の風呂に入るから」
「母さんと?」
パーシヴァルの言葉のあと、一拍おいてヒューバートの顔が真っ赤になる。アリシアも熱くなった顔を必死に隠しながら「ヴァル!!」と息子を窘める。
「父さん、顔が真っ赤」
「……馬鹿なことを言っていないで早く行ってこい」
呆れた表情をしつつも耳の赤さを隠せないヒューバートにその場の全員がニマニマと笑う。そして店の従業員の一人がアリシアの耳元で、ヒューバートにまで聞こえる声で囁く。
「デイム、旅は開放的にならなければいけません」
「え、義務なの?」
驚くアリシアの肩にヒューバートの手が乗り、振り返るとヒューバートが赤い顔を片手で隠しながら首を横に振っていた。
「そんな義務はない」
「えー、侯爵様ぁ?」
「いい加減なことをアリシアに教えるな」
従業員を叱るヒューバートを見ながらアリシアは考えていた。
(旅の恥はかき捨て、とも言うわよね)
***
馬車を分けてきたのは王都から大勢の騎士や使用人を連れて出すためで、レイナードに入ればもうその偽装は必要ないため宿場町から領都まではヒューバートとアリシア、そしてパーシヴァルとロイドが一台の馬車に乗った。
レイナードの領地は西にそびえる山脈に沿って南北に長く、王都方面から来てレイナードに入れば領都までは緩やかな上り坂で一日もかからない。
林道を抜けてレイナードの領地をひと目見た瞬間にアリシアに浮かんだのは「凄い」の一言だった。
「父の代で領地民が激減し、ここは領都とは名ばかりの貧しい街で人口も少なかった。まずは破落戸から街を守るために住民を屋敷周辺に移住させて、最低限の生活区域全体を囲む壁を作った」
民に住み慣れた思い出のある家を捨てさせる。現状を打破するためとはいえ、そのような選択ができる領主は類まれだとアリシアは思った。
「まるで湖に浮かぶ大きな島のようですね」
「湧き出た水をそのまま下流に流すのはもったいないと思って堀を作った。これは貯水槽も兼ねていて、雨が少ない年は水を多めに放出させている。川の水が少ないと流れが滞って疫病が流行るから」
(ヒューバート様は『作った』と簡単におっしゃるけれど……)
たった十年でここまでのものを作るには膨大な資金と、やり遂げようとする情熱がいる。それを想像するとアリシアはこの景色により圧倒された。
「壁のあちこちから出ている水は飲むこともできる。誰かが使ったり土などで汚れりした水や温泉は別のところから出して、施設でろ過してからこの堀に流している」
ヒューバートの解説にロイドも目を輝かせる。何度かここに来ているパーシヴァルから話を聞いたと言っていたが、自分と一緒で聞くと見るでは大きく違うのだろうとアリシアは思った。
「王都を流れている用水路にこの堀の水が流れているのですね」
「あれの水源は別だ。『安全な水』として国に売っているから、湧き出た水を手つかずの状態で王都まで流している。興味があるなら見に行くか?」
「秘密ではないのですか?」
王都を流れる用水は『レイナードの金蔵』と言われている。その心臓部を気さくに公開するヒューバートにロイドは驚いた。
「水の技術は人の命を左右する。俺だけではそんなに大勢の命を守れないから、ウォルトンでもどこでも真似してくれて構わないさ」
そう言って笑うヒューバートを、貴族として国民を守るために私欲を捨てられるヒューバートをアリシアは尊敬した。
「ロイド、レイナードの屋敷はあの一番高いところにある建物だよ」
パーシヴァルがロイドに説明する隣で、アリシアもヒューバートから説明を受ける。
「君の部屋は本邸に用意してあるが、警備の都合でプリム嬢たちには別邸を用意した。作業場としても別邸は好きに使ってくれ」
本邸と別邸の間は歩いて十分程度、間には騎士団の詰め所があるから安全だとヒューバートは説明する。
「染め物をやると聞いたから、別邸の裏に広い水場も用意した……ああ、門に着いたか」
身分証の提示を求める声が馬車の外からして、カーテンを引いて顔を見せたヒューバートに門番が嬉しそうに笑う。ヒューバートが彼らに領主として慕われていることがアリシアには分かった。
「壁の中は意外と普通ですね。あ、もちろんウォルトンより遥かに洗練されていますが」
「ありがとう。壁の中でも落ち着いて暮らせるように『普通』を目指したから嬉しいよ」
そう言うとヒューバートは悪戯っ子のような顔をする。
「この街の中なら保護者なしで貴族でも子どもたちだけで街歩きができるぞ。もちろん門限は作るがな」
王都の場合は成人するまで貴族の街歩きは保護者がいたほうがいいと言われるので、ここの治安は王都よりも上なのだとアリシアは察した。
そして治安の良さは街の解放感にもつながるようで、観光客や行商の商人たちも気を楽にして街歩きを楽しんでいる。
そんな街の風景をアリシアが目を細めて見ていると、見慣れない建物が目に留まった。
(手前には小屋、奥にある建物は壁があるのに屋根がない?)
「あれは公衆浴場だ」
アリシアの様子に気づいたのか、ヒューバートが不思議な建物の説明をする。
「手前の小屋が受付で、あそこで金を払えば誰でもあの奥にある温泉に入れる。宿の大浴場とは比べものにならない大きな風呂があるぞ。そしてあれと同じ公衆浴場が領都内のあちこちにある。『湯札』があれば金を払わずどこでも好きに入れるから、あとで全員に渡すようにしよう。少しずつ趣も変えてあるから、湯巡りも楽しいぞ」
温泉リゾートの本領発揮である。同じ説明を受けた従業員たちの興奮する様子を思い浮かべたアリシアの口元が緩んだ。




