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【書籍化】七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。  作者: 酔夫人
第4章

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第18話 本音で話す

 時は少し遡り、ティルズの騎士が壁の穴を塞ぐ木を割る十分ほど前のこと。

 「問題が起きた」と執事補佐の息子メルデスから報告を受けて玄関ホールに急いだボッシュは、ホール中央に立つアリシアに目を見開いた。


「旦那様に報告しますか?」


 メルデスの言葉にボッシュは首を横に振る。


「旦那様にお知らせするかはアリシア様の話次第にする」


 ボッシュは襟を正し、正面ホールに向かう。


 門を守っているはずの門番がボッシュに気づき、「ある程度ご存知のようです」と声に出さず門番は唇の動きで伝えてきた。



 いま侯爵邸で起きていることは『秘密』で、通りから見える侯爵邸はいつも通りになっている。

 門番はいつもと同じ三名、二階の部屋の窓はいつも通り明るい。


 庭にはちらほらティルズの騎士がいるが、月が細くて暗い夜に一階の灯りも最低限なので、彼らがレイナードの騎士ではないことなどまず気づかないはずだ。


「先触れもなく来てしまってすみません」

「いいえ、アリシア様とパーシヴァル様ならいつでも大歓迎です」


 その言葉は嘘ではない。


 だから門番たちはアリシアにお帰り願えなかったのだとボッシュは彼らの苦悩を理解していた。

 それに儚げな美女の懇願を断れる男はそういない。


「裏庭には近づきませんし、この先は必ず執事長の確認をとります」


(しっかりバレてますな)

「よく今夜だとお分かりでしたね」


「ヒューバート様が何度も『この日の夜だけは来ないでほしい』というのですもの、何かあるに違いないと悪戯心を擽られましたの」


(旦那様、嘘つくのが下手過ぎますぞ)


 今も昔もヒューバートはアリシアに対してだけはポンコツだとボッシュは思った。


「応接室へどうぞ」

「お医者様はどちらにいらっしゃるの?」


 ボッシュはアリシアの問いにボッシュは答えられなかった。


 このあとヒューバートは例の子どもを探し、屋敷に連れてきて保護することになっている。

 しかし、メリッサが彼に暴力をふるっていたことを考えれば手遅れの可能性もあるし、そうでなくても深い傷を負った子どもを見てアリシアがショックを受ける可能性は高い。


「アリシア様、子どものことは旦那様にお任せをして」

「万が一のとき私がショックを受けるかもしれない。ヒューバート様はそうお考えなのでしょう?」


 そう言うとアリシアは微笑む。

 その微笑みは『仕方のない人』とヒューバートを慈しむようなものでもあり、初めて会ったときは緊張で震えていた少女が大人の女性、そして一人の母親になったことをボッシュは実感した。


「執事長。先日暴漢に襲われたときにケガをした騎士の方にお見舞いを持ってきたのですが、渡していただけますか?」


 話題が変わったことにホッとして、ボッシュは『もちろんです』とアリシアが持っていた鞄から出した包みを受けとった。

 手に触れた感じからハンカチ。ケガした女性騎士には申し訳ないが、男がアリシアからハンカチを贈られたと聞いたら嫉妬するであろう狭量な主に「彼女でよかった」と思ってしまった。


「お願いついでにもう一つありまして、私もあのときにケガをしてしまったみたいなのです。お医者さんに診ていただきたいのだけれど、今すぐに」


(終わってなかったか……そして断れない方法を……)


 油断していたところを突かれたことに思わずボッシュの喉から「くう」という音が漏れたが、アリシアは微笑んでいるだけだった。


「ご案内します」


 精神的に疲労したため、ボッシュはうっかりしていた。


「……あ」


 アリシアの小さな戸惑いの声を聞いてハッとし、玄関ホールの正面にある大階段の一段目に乗せていた足を急いで下ろす。


「申しわけありません、気が急いてしまって。医師を呼んでまいります、アリシア様はこちらでお待ちください」

「……いえ、大丈夫です」


 アリシアは何度も深呼吸をしたあと、ボッシュのあとに続いて階段を上り始めた。



 貴族の邸宅は一階で来客の対応、二階が家族の生活空間になっている。

 玄関ホールの大階段を上がって二階に行けるのは家族か親しい客人だけ。使用人さえも二階には許可を得た者しか入れないようになっている。


 王都に戻ったアリシアを「パーシヴァルと一緒に」とレイナード邸に招いたのはカトレアだった。

 ヒューバートは折を見て招く予定だったらしいが、「ヘタレていては何も進まない」とカトレアは計画を押し進めた。


 そのおかげでボッシュやマリサはアリシアに謝る機会を得られた。

 アリシアも謝罪を受けいれてくれて、ボッシュはやや強引に事を進めたほうがいいかもしれないと思ったが、異変が起きた。


 それはヒューバートがアリシアとパーシヴァルを屋敷に招き入れ、二階の応接間に行こうとしたときのこと。


 大きな階段に喜び弾む足取りで昇るパーシヴァルの手を引いていたアリシアの歩調が乱れた。


 それに気づいたヒューバートがアリシアを呼び止め、その顔色の悪さにヒューバートは顔を顰めてボッシュにパーシヴァルを連れて先に行くように指示した。


 あのときのアリシアの真っ青な顔、荒い呼吸音をボッシュは忘れられない。



「アリシア様……大丈夫ですか?」


 踊り場で一息吐き、二階を見上げるアリシアにボッシュは話しかける。

 薄っすら汗をかいているアリシアは困ったように笑う。


「大丈夫ですわ、もう。私なりに家族の形を見つけましたから」

「……さようですか」


 グッと絞められた喉から何とか言葉を発する。


「ヒューバート坊ちゃまをよろしくお願いいたします」


 ボッシュの言葉にアリシアは珍しく声を出して、少女のように笑った。


 ***


「あとは一人で大丈夫です」


 いつでも呼んでくださいと言って侍女が去ると、部屋の中は静かになった。

 医者は隣の客室で例の子どもを受けいれる準備をしているらしい。


(静かだわ……)


 いま隣の屋敷ではティルズの騎士たちがメリッサたちを捕縛しようとしていると聞いたが、あまりに静かでアリシアには非現実的だった。


(メリッサ様……)


 アリシアはメリッサのことをよく覚えている。


 ティルズ公爵家の夜会で遠目に見ただけだが変わらないと思った、容姿も熱い目線をヒューバートに向けるところも。


 結婚式の披露宴で、メリッサはヒューバートの花嫁が自分であるように自信に満ちた表情で振舞っていた。

 今ではミシェルの真意を知っているが、当時のアリシアにはミシェルが親しく接しているメリッサはレイナード家に家族として受け入れられているように見えて羨ましかった。


 レイナード邸を出るとき、玄関前で立ち止まって振り返ったアリシアの目に入ったのは正面の大階段。

 この大階段がアリシアを家族として受け入れられないというレイナードの拒絶の象徴に思えた。


 心の奥についた傷。

 アリシア本人さえに気づいていなかった小さな傷。

 

「もう大丈夫。私はアリシア・クロース。デイムの爵位をもつ貴族、ヒューバート様の隣に立ってパーシヴァルと共に『家族』だって言える」


 邸内がバタバタ騒がしくなってきた。

 アリシアは深呼吸すると、両頬を軽く叩いて気合を入れた。



「……アリシア」

「ヒューバート様、お帰りなさいませ」


「この屋敷で君に『おかえりなさい』と言われることは夢だったが、希望を言えるなら今じゃなかったな」


 事前に執事長に聞いていたのだろう。

 驚きは一瞬で、直ぐに諦観を露わにヒューバートは苦笑してアリシアの眼の前に立つ。


「私を除け者にしないでください」

「……辛いぞ」


 アリシアの視界を自分の体で塞いだヒューバートの体に手を伸ばす。


「分かっております」


 アリシアの覚悟を読み取ったのか、ヒューバートは脇に一歩ずれる。

 白いスーツが敷かれたベッドの上に横たわる少年の姿にアリシアは唇を噛み、歩み寄るとそのこけた頬に触れる。


(大丈夫、生きている)


「先生、手伝えることはありますか?」

「しかし……」

「大丈夫です、救護院でお手伝いをした経験があります」


 アリシアは自信があるように聞こえるような声を出す。

 救護院の手伝いといっても軽い傷に消毒液をつける程度、ここまで酷い外傷の患者の治療を手伝ったことなどない。


「それでは衣類を脱がせ、私が傷口を縫合しますので清潔を保てるよう消毒して軟膏を塗ってください」


「分かりました」

「俺も手伝おう」


 ヒューバートの言葉に医者が目を見開き、薄汚れた子どもとヒューバートを何度も見比べる。


「手先は器用なほうだし、子ども一人が暴れても抑え込む力くらいあるぞ?」


 医師の懸念はそこではない。

 侯爵位にある貴族が浮浪児の治療に手を貸すことに驚いているのだ。


「ヒューバート様、お湯をお願いします。固まった血で肌にくっついているのでふやかさないと」


 分かったと言ってヒューバートは部屋を出ていき、一分もたたずに適温の湯を持ってくる。

 アリシアはその間に鋏で服を切っており、この手際なら安心だと医師の信頼を勝ち取っていた。


「次は?」

「汚れた布はポイ……」

「……ポイ」


 子どもに触れて思わずパーシヴァルを相手にするような言い方になってしまったとアリシアは頬を染めた。


 チラッとヒューバートを見て、その優しい顔に熱が一気に集まる。


「そんな顔をしないでください」

「母親のときの君はそんな可愛らしい言い方をするのだな」


 ヒューバートの言葉に熱くなる顔を隠しながらアリシアは少年の服を脱がせ、医師に場所を譲る。


 脈をとられる腕は細い枯れ木のようで、むき出しになった全身は痣だらけ。

 目を背けそうになったことに気づいたのだろう、肩を抱くヒューバートに身を寄せる。


「傷だらけで痛々しいですが内臓や骨には異常はなさそうです。あちこちで炎症を起こしているので体温が高め、これから熱が出るでしょう。熱冷ましを処方します」


「分かりました」

「熱って、大丈夫なのか?」


 しっかりうなずいたアリシアと戸惑うヒューバート。

 二人を見比べた医者は「体の自然な反応です」と応えた。


「アリシア、落ち着いているな」

「子どもには何が起きるか分からないので」


 感心するヒューバートの耳元で「こうして肝っ玉母さんが誕生するのです」と医師が囁き、アリシアは聞かなかったことにした。



 翌朝、少年は目を覚ました。

 まだ熱があるため目は潤んでいたが、少しなら話をしても大丈夫だと医師が判断した。


[ここは?]


 少年の口から出たのは帝国語。

 予想できていたらしいヒューバートが帝国語で少年に彼が保護されたことを教える。


 少年はその後いくつかヒューバートの質問に答えると、疲れたのか目が焦点を失い始める。

 それを見てヒューバートは質問をやめて、少年の肩まで掛布をしっかりかけた。


 ***


「これで一安心だな」


 医師からはしばらく安静だが、もう大丈夫だろうとのこと。

 再び眠った少年にヒューバートはホッと一息つき、アリシアに名前を呼ばれて振り返ると貴族女性の微笑が目に入る。


 にっこりと美しい微笑みだが、目は一切笑っていない。

 ヒューバートの背筋がゾクッと冷える。


「ヒューバート様、女性は守るものという考えを否定しません。その恩恵を享受することも多いので。しかし今回は私の意志を軽んじているように感じます」


 ヒューバートは反射的に反論しかけたが、アリシアがそう感じたのなら自分のせいだと反省する。

 言わなきゃ通じないということを離縁で学んだのではなかったのかとヒューバートは自問する。


「私に何も教えず黙って片を付けようとするところ、ヒューバート様の一番嫌いなところです」


 正面きって『嫌い』と言われてヒューバートはショックを受ける。

 ちなみに、扉の外にいてこのやりとりを聞いたボッシュは静かに拍手し、マリサは頷きながら目元に浮かんだ涙をエプロンで拭っていた。


 我らの坊ちゃまは大丈夫。

 そう思いながら彼らが助け船を出さずに去っていったことをヒューバートは後に知る。


「時がきたら言ういうつもりだった」

「そのタイミングが問題なのです、どうせ今みたいに全ての見通しがついてからなのでしょう?」


 その通りだったため、アリシアの目を真っすぐ見返すことができずに目を逸らす。

 拗ねた子どものような態度だとヒューバートが思ったとき、ムギュウッっと音がしそうなほど両頬に強く押しつけられたアリシアの両手の力で、ヒューバートは目を合わさせられる。


「こっちを見なさい!」

「……俺は十歳の子どもじゃないぞ」

「目を逸らして私の怒りが消えるのを待つなんて悪足掻き、パーシヴァルは三歳で卒業しましたわ」


「君たちを守りたいんだ」

「誤解しないでください、守ってくださることには本当に感謝しています。でも、ちゃんと話してください。話せる範囲で構いません。いま何が起きているかも分からず、ただ守られるだけなのは嫌です」


「アリシア……」

「やられたらやり返す、二人でやれば倍返しですわ」


 アリシアの言葉にヒューバートは目を見開き、大きな声で笑った。

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