第17話 密かに始める
長いです。
「あの痴女の奇行に感謝する日がくるとは」
ヒューバートが立っているここはレイナード家のタウンハウスの裏庭。
厨房の勝手口に近い、隣家ドーソン子爵家の敷地と侯爵家を隔たる壁には大きく穴が開いていた。
「この穴を通ってメリッサ夫人は夜這いを……それにしても穴の塞ぎ方が雑!」
打ち付けた木の板を叩きながらステファンが叫ぶ。
人が通れない程度の間隔で板を打ち付けただけ、その板も風雨に晒されていたため軽く叩くだけでペキペキと乾いた音がする。
「騎士隊の侵攻を防ぐわけじゃないから十分だろ……ドーソンはこの穴をしっかり塞いでおくべきだったな」
笑いながらヒューバートが板を押すと、ベキンッと音を立てて完全に割れた。
「ドーソン邸に侵入する目処は立ったな……なんだ?」
「こっそりと秘密裏に、というのが僕の性格に合わない」
「お前の性格のほうを変えろ」
ドーソン邸にいるものは一人残らず、絶対に周囲に知られずに捕えなければいけない。
『平和』はとても脆く、戦を起こそうとしている者がいると囁かれるだけで平和の土台は簡単に揺らぐからだ。
戦争が起きないようにすることは、戦争を起こすことの何十倍も大変だった。
「ドーソン邸内で情報収集にあたっている間諜たちの給料、もっと出してもいいと思う」
「同感だ。お前から叔父様に言っておけ」
ステファンの叔父である国王は戦争の可能性を報告されてから連日会議に追われ、報告・指示・報告・指示と寝ずに頑張っているとヒューバートは城に送りこんでいる間諜から聞いている。
(うちも今回のことでは彼らに特別手当を出さないとな)
「王太子殿下以外の殿下たちは?」
「体調不良で領地に下がった母の見舞いのために第二王子が国王の名代で、王女たちと一緒にティルズ領地に行ったよ。近衛騎士団二つと第二騎士団が帯同している」
「有事に備えて王位継承者を兵力とともに分散させる必要性は分かるが、社交シーズンだから理由付けには苦労するな」
王都を出たのは王位継承権を持つ者だけではない。
国防に関わる貴族家の当主は理由を作って領地に下がり、領地で指揮をとっている。
皇弟たちが注意を払っている人物の一人、ヴォルカニア帝国と平野で接する土地を治める辺境伯に至っては夜会でダンス中に派手に転び、これは老いたからだと爵位を息子夫婦に譲り妻と共に領地に下がった。
「君、辺境伯のところに無償で水と馬を送ったでしょ。彼、『あの守銭奴の小僧が』って驚いていたよ」
「お前、公爵夫人に体調不良の理由に、『『寄る年波に勝てないでいいんじゃない?』と言ったんだろ。頬、まだかなり赤いぞ」
子育てを間違えたわ、と青筋を立てていたティルズ公爵夫人が持っていた曲がった扇子を思い出す。質の良い頑丈な扇子を入荷しておくことをヒューバートは決めた。
「今夜の決行のために最後の準備をしっかりしないと」
「ステファン、今回は……」
ステファンの顔が真剣なものに変わる。
「アリシア嬢の護衛がケガをしたんだ。君の大事なものは僕にも大事だから『ありがとう』はなしだよ」
(それでも計画を三日早めるのは調整が大変だったはずだ)
「君が彼女の誘いにのれば、アリシア嬢は……いや、なし、ごめん」
「最後まで言っていたらお前の友だちをやめていた」
「やめてよ、君以外に友だちがいないんだから」
***
この夜は細い月が出ていたが、神も味方したのか雲が月を覆って街を影で覆う。
(舞台が整ったな)
華やかな金色の髪を黒い布で覆って隠したステファンが静かに手をあげると一人目が板を割ってドーソン子爵邸に入り、その後をティルズの騎士が続いた。
ドーソン子爵も正門に門番を置いていたが、十年以上前に娘が開けた穴が使われるとは思っていなかったのだろう。
「アッサリし過ぎ~」
将としてレイナード邸の裏庭で待機していたステファンは、『子爵とメリッサを捕縛した』という騎士の報告に口を尖らせた。
隣にいたヒューバートに「真面目にやれ」と言われて文句を言おうと彼のほうを見たら、ヒューバートは穴を潜ろうとしていた。
「どこに行くの?」
「子どものところ」
「メリッサ夫人は?」
「興味ない。そっちは任せる」
そう言うとヒューバートはさっさと一人の小柄な男のあとについて行ってしまった。
「今日のヒューバート君は僕の部下って形でここにいるのに、偉そうで自由過ぎない?」
「……黙秘いたします」
ヒューバートの案内役を務めていた男にステファンは覚えがない。ヒューバートが送りこんでいた手の者だと察してステファンは苦笑する。
「いつからそのつもりだったのか。子どもの様子は?」
「生きてはおりました。骨の浮いた全身は傷だらけで、かろうじてですが」
「児童虐待、罪がどんどん積み重なるね」
ステファンは女性騎士二人に抱えられた状態で現れたメリッサに驚かされた。
「捕縛……なぜ簀巻きにしているの?」
「夫人が着ていた衣服の布面積が極端に小さい上に薄く、人前に出るのは不健全と判断して簀巻きにしました」
「あ、うん、気遣いありがとう」
(別にそれでどうなるほど子どもじゃないけれど……ま、いいか)
ステファンはしゃがんで顔を床に近くし、芋虫のようになった女性と話すなんて初めてのことに新鮮さを覚えながら「こんばんは」とメリッサに挨拶した。
「ティルズ公子様?」
「君にちょっと聞きたいことがあるんだけれど」
「え、ええ、何でしょう」
あまりに非現実なことが起きると脳が正常に機能しない、まさにその図が目の前の光景だった。
就寝中に襲撃されて簀巻きにされているのに、メリッサは貴族令嬢らしく上位のステファンの言葉に素直に従った。
「レイナード侯爵夫人になったら君は何をすることになっていたの?」
「え? まずはドレスや宝石を買って、お茶会を開こうかと」
普通ですよね、と言うようにメリッサは首を傾げた。
簀巻き状態で器用だと思ったが、ステファンの知りたいことはこれではない。
「レイナード侯爵夫人になれるなんて、誰に唆さ……いや、応援されたの?」
ステファンはメリッサの様子から咄嗟に『応援』という言葉を使った。
それは当たりだったようで、メリッサの瞳がギラリと光りステファンは口の端を上げる。
「ボルダヴィータ・ララ伯爵令息、いえ、あれがいま伯爵でしたわね。当然ですわ、あれの父に尽くしてやったのですから。まあ、あれは分を弁えていますからね。旅の手配やお金も、それなりに満足できましたわ」
「あなたは寛大な女性だよね、その褒美として何を約束したの?」
「ちょっとしたお願いですわ。レイナード家の使用人や商会の職員として何人か雇ってほしいと」
「目的は?」
「出稼ぎでしょう。理由なんて必要ですか?」
(想像以上に脳内お花畑だった……まあ、彼女を使ってレイナードを手に入れようとしていたのは分かった)
「もういいや、あとはお前に預ける、可能な限り情報を搾り取って」
ステファンは隣に立つ、いまはフィランと呼ばれる男に指示をした。
「スカスカなので徒労に終わる可能性がありますが……畏まりましたと言わなければいけませんよねえ」
「仮初でも部下は上司に似るのかな、ヒューバート君みたいに太々しくなって」
「この『私』が私は気に入っております」
フィランの言葉にステファンは驚いたが、何も言わないことにした。
「メリッサ夫人は『失踪』になる。アリシア嬢にぞっこんと有名なレイナード侯爵に付きまとっていたと知られているから、理由も失恋で問題ないだろう」
フィランは素直にうなずいてメリッサを抱え上げたが、その顔は渋々と命令に従っていることを隠さなかった。
(いずれ彼は『フィラン』になってレイナード君に取られちゃうかもなあ)
「ちょっと、何をするの? ちょっと、どこに連れていくのよ! 公子様、助けてください!」
(助けてって……僕が彼に指示を出していたのを聞いていなかったのかな?)
「君がこれから行く場所は国王と王の影しか知らない秘密の場所だよ」
「ヒューバート様は? ヒューバート様は私を助けてくださるのですよね?」
「えっと、どうしてレイナード侯爵が君を助けると思うの?」
ステファンの言葉にメリッサがきょとんとした顔をする。
「助けますわよね」
「えー……なに、その『普通』。君、よほどご両親に甘やかされて育ったんだねえ」
ステファンの言葉にメリッサはハッとし父親を呼んだ。ここにきてやっと脳が正常に働き出したらしい。
「お父様」と叫びながら暴れるメリッサをフィランと呼ばれる男は眉を顰めて抱え直す。
「お父様がこんなことを許しませんわ!」
「その言葉だけで君たちがいつも使用人たちにどう接していたか分かるなあ」
「あいつらは私たちのおかげで生きていけるのです、それに感謝すべきなのですわ」
「君たちは金で彼らの労働力を買っているだけ、君たちと彼らは対等だ」
ステファンの言葉をメリッサは鼻で笑い飛ばした。
不敬な行為だが、こちらもメリッサを貴族令嬢と扱っていないのでステファンは咎めなかった。
「私は貴族です、庶民とは違いますわ。貴族は青い血を持つ高貴な存在です」
(父親が父親なら、娘も娘だなあ)
「これ以上は時間の無駄だ、連れていって」
ステファンの言葉にメリッサは逃げようと足掻き始め、抱え直すのも面倒になったのかフィランと呼ばれる男は床に下ろした。
疲れるのを待とうと言う判断のようだがメリッサは意外に体力があり、少し緩まったシーツのすき間から『目の毒』として隠された夜着が見え隠れする。
「うーん、性格の破綻を知らなければ目の保養といって楽しめるのに」
「不謹慎ですよ」
ステファンの言葉を後ろに控えていた騎士がたしなめる。
彼はティルズの騎士たちの中では超がつく真面目な男なのだが、彼のような男は少数派だった。
「積極的な女性は好きですが、中身が獣ではそそられませんな」
「そもそも自分は積極的な女性を好みません。可憐で、永遠に少女のような女性が好みです」
ティルズの騎士たちの自由奔放さは有名だった。
「甘えてくる女性がいい」
「自分はスレンダーな女性が好みです」
押収物を入れた木箱をリレーしながら、騎士たちは好みの女性について話し、やがて女性の実名が出始める。
「香り立つような色気の女性といえば、ローズアンナ男爵夫人だろう」
「デイトン家のマーガレット嬢の可憐さには敵いません」
(蠱惑的と清純、あの二人の争いに決着はつかないだろうなあ)
「トスカ家のロゼッタ嬢だな。小柄な彼女の上目遣いに男なら絶対に落ちる」
「自分は優しい女性が好きなので、デイム・アリシアがとても素敵だと思います」
(おお、アリシア嬢の名前が出てきた。ヒューバート君がここにいなくて本当によかった)
「先ほどお会いしましたが……」
(え?)
「騎士の一人でしかない私に『頑張ってください』と励ましの言葉を下さり……」
「ちょっと待って、デイム・アリシア?」
「はい。『頑張ってください』と励ましの言葉を……」
「いや、それは聞いたから。デイム・アリシアに会ったの? どこで?」
焦っているステファンに彼は不思議そうに首を傾げる。
「レイナード邸でお会いしましたよ? レイナード侯爵をお探しでしたが、作戦が始まる時間だとお伝えしたら屋敷でお待ちになると。それで『頑張ってください』と励ましの言葉を……」
「いや、もうそれはいいから」
なんで作戦を知らないはずのアリシアがここにいるのか。
アリシアを危険に晒す可能性が万に一つでもある以上、ヒューバートがアリシアに教えたとは思えない。
(女性の勘は侮れないな)
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