第15話 水を売る
「今回の一連の騒ぎの裏にはヴォルカニアの皇弟がいる。もちろん外交部や諜報部が『戦』と仮定して確かめているから安心して」
そうではなかった場合にパーシヴァルが何らかの責任を負わされるのではと心配していたヒューバートは『国の判断』となったことにホッとした。
「メリッサ夫人が以前君に執着していたから判断が鈍ったな。それとも彼女の目的には君も含まれているのかな」
そんな気はするが、そこはいま重要ではないのでヒューバートは肩を竦めて流した。
「皇弟の目的は皇位簒奪だな。野心のある男だと思ったが」
「帝国の規模を考えると我が国はこの反乱を無視できない」
「イグニス皇帝は弟の反乱に気づいているのか?」
「おそらく。数年前にお会いしたときは弟の良心に期待しているようだったが、今回のことで見限るだろう」
内乱ならまだしも他国の貴族を巻き込んでの反乱では肉親の情で庇うことはできない。
「羨ましくても他人のものを盗らない、三歳児でも知っているというのに」
「君、彼のお隣さんで苦労していたもんね」
ノーザン王国とヴォルカニア帝国の間にはマウラ山脈を始めとする山岳地帯があり、ヒューバートの領地と皇弟が十年ほど前に封じられた領地は山岳地帯を挟んでお隣さんだった。
「戦には金がかかる。気候が厳しく農作物が育たない貧しい地なら金が集まらないと彼を封じた先代皇帝は思ったんだろうね」
「甘い! こういうやつは他人に甘えるんだ」
父親の顔が浮かんだヒューバートは大きな声を出す。
「理解が深いね。それで、皇弟に手を差し出したのがボルダヴィータ・ララ伯爵?」
ステファンが問を向けたのはフィラン・デルーザーがいた。
「彼は『戦』で商売していることが分かりました」
「君のことを俺はなんて呼べば?」
フィランの本当の名前をヒューバートは知らない。パーシヴァルの編入を機にレイナードの商会員として学院に潜ませたいとステファンに頼まれただけ。
協力の対価はパーシヴァルの保護、ヒューバートはそれで十分だった。
「ここにいる私はフィランです」
「そうか。今回のこと、パーシヴァルの仮定が形になるのが異様に早いが?」
「パーシヴァル様よりも点を集めるのが得意なのです、日頃から様々な貴族の子どもたちの声を聞いていますから。公子様、こちらが皇弟に協力していると思われる貴族家です」
「ドーソン家以外にどのくらいあるのかな……へえ」
ステファンは「見る?」とフィランが渡した小さな紙をヒューバートに差し出したが、ヒューバートは首を振って断る。国の政治の深くまで関わることはデメリットしかなかった。
「対価を求めたりしないよ」
「お前はそうだろうが、他は信用できない。うちの水は大事な商品だ、王家にも手出しはさせない」
レイナード商会は『水』で財を築いた。
レイナード領にはマウラ山脈から流れ出る五本の大きな川が流れ、そのうち二本はいくつかの領地を経由したのちに王都の周りをぐるりと流れて海に向かっている。
行商人にくっついて他国をいくつか巡るうちに、水が貴重な国や地域があることをヒューバートは知った。
ノーザン王国は水が潤沢なので、水をそういう目で見たことがなかったから、ヒューバートは水を貴重なものと考えて国内の物事を見るようになった。
当たり前にあるから、なくなると思ったことがない。
まさに灯台下暗し。ヒューバートは自領の水を「安全な飲み水」として売ることを考えた。三つの遊水地が侯爵家の私有地にあり、雨や山の中の水脈など自然に頼る不安はあるが賭けてみる価値はあると思った。
始めたばかりの頃は哂われた。「そこら中に普通にある水を買う馬鹿などいない」と笑われ、ヒューバートから買った水を無価値とばかりに捨てる者もいた。
ヒューバートは三年耐えれば自分の商売の意味が分かってもらえると思っていたが、神様が味方したのかその年に嘔吐と下痢を主症状とする疫病が発生した。
王都では毎年何かしら疫病が発生する。
疫病の症状はいくつかあるが、ヒューバートは嘔吐と下痢を主症状とする疫病が発生した前の年はレイナードが特に農産物がとれない年だと気づいた。
そこに国内のあちこちで生活排水を川に流していること、丘陵地に囲まれた王都は平野で迂回した川の流れはゆっくりで部分的に水が溜まりやすいことを併せて、「嘔吐と下痢がみられる疫病は飲み水が原因かもしれない」とティルズ公爵に話した。
ティルズ公爵は損を嫌うことを知っていたので、いくつかの候補地を調査してこの仮定が正しければ自分の水を売る商売で王都の水を安全なものにできると請け負った。
疫病に悩んでいた公爵はその話に乗り、ヒューバートの仮定が正しいことを確認。生活排水が混じった水が原因で疫病が流行することが国王の名で発表された。
この瞬間、水は「普通にあるもの」ではなくなり、レイナードで湧き出る生活排水が混じらない安全な水に価値がついた。
商人たちはこぞってヒューバートに交渉し、『安全な水』の定期購入を契約した。
領地をもつ貴族たちも自領で疫病が流行ったときの保険として、レイナード領内の水に関する施設や、水を運ぶための街道整備への投資を惜しまなくなった。
こうしてヒューバート家は膨大な資産を手に入れた、しかも周辺の街道が整備されるというオマケ付きで。
***
「君、皇弟の領地に間諜の十人や二十人を送りこんでいるだろ? 何か情報はない?」
「……ないことは、ない」
「そういう出し惜しみするところ、商人のよくないところだと思う。僕は伯父上の前でヴァル君を守ったよ、ただ大事という理由だけで」
パーシヴァルを守ってくれたことの感謝への対価としてヒューバートは手札を切った。
「皇弟領の水はもう飲めない」
ヒューバートはマウラ山脈が生み出す『水』に目を付けたが、皇弟はマウラ山脈に埋まっている鉱物に目を付けて積極的に採掘した。
皇弟領は山の恩恵で雨や雪が多い。大部分の人がそうだったようにいつも川に流れている水が飲めなくなるということを彼は考えなかった。
「飲めないって、どうして?」
「水が鉱物毒で汚染された。飲んだら命に関わる」
もともと皇弟領から流れ出る川に面したいくつかの街で住民が原因不明で亡くなる事件が相次いでいるはヒューバートも聞いていた。
事件の発生件数が二桁になったところでヒューバートは調査団を買収し、手に入れた情報から鉱物毒ではないかと推測し、その情報をイグニス皇帝に送った。それを元に皇帝が調査団を派遣し、その報告書の内容をヒューバートが手に入れたのだった。
「帝国の帝都といくつかの領はいま水は輸入に頼っている。俺の試算だが今後の帝都の水の自給率は七割ほどまで落ちるだろう。皇弟領に至っては一割以下か」
「いまもそのほとんどをレイナードから輸入しているんだろう?」
「この十年で立派な取水施設がいくつもできたからな」
「関税だのなんだの付けてかなり高値で売っているよね、君?」
「皇弟が嫌っている人間の上位十人に入る自信がある。反乱が成功して彼が皇帝になったら、戦好きのあの男はレイナードを戦場とするだろうな」
「そこまで恨まれているのか……まあ、それが今回のことに君が協力しなければいけない理由となることを喜ぼう」
反乱を起こさせないことが今後の目標となったが、問題は手段である。
現段階で皇弟をどうにかしては内政干渉になってしまうのだ。
「イグニス皇帝にこのことを伝えるか? 彼は戦争など好まない穏やかな性格だし、国力の差がないノーザン王国相手に戦争したいなど普通は思わないだろう」
「国境越えが問題だな……ほかの方法にしても何をしたらよいか」
「思いついた端から実行して、相手の悪巧みを一つずつ潰していくしかあるまい。そのうちどれかが致命傷になればいいじゃないか」
「君って計算高いんだか、大雑把なのか分からないよね」
結局この日は解決策が出ず、次回の会議へと持ち越しになった。
ヒューバートは馬車に乗ってレイナード邸へ向かうように指示を出したが、途中で方向を変えさせた。
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