第12話 妹が来る
「ミシェルが来た?」
レイナード商会の会長室で書類仕事に追われていたヒューバートはミシェルの突然の訪問に眉を顰めた。
「何かあったのか?」
先触れのない貴族夫人の訪問は大事の先触れと言われている。
アランの顔がもう一段引き締まる。
「用件は、ヒューバート様に直接お話したいとだけ。大変取り乱しておられたので先に特別室にお通ししました。ご夫君のエリック様もご一緒です」
「エリック殿も一緒か」
想像以上に大事らしい。
ヒューバートは仕掛かりの書類にサインを終えると席を立ち、上着を着ながらアランに今日の予定の変更を指示した。
一階の特別室には前室があり、ヒューバートは前室で警備にあたっていたレイナードの騎士に人払いを命じ、アランと共に部屋の扉を開ける。
「アリシア様に何と言ったらいいか」
室内は扉も含めて防音処理をしており、扉を変えた瞬間に聞こえたミシェルの嘆く声と『アリシア』という名前にヒューバートの緊張が増した。
「ミシェル、義兄上がいらっしゃったよ」
ヒューバートの入室に気づいた義弟のエリックに頷くと、俯けていた顔を起こしたミシェルの「お兄様?」と呼ぶ弱弱しい声にヒューバートの庇護欲が膨れる。
エリックの反対側にしゃがみこみ、ミシェルの手をとり宥めるようにその甲をさする。
「ミシェル。どうした、何があった?」
こみ上げてくる不安を押さえて、努めて落ち着いた声を心がけながらミシェルに話しかける。
「お兄様……」
「ん? エリック殿と一緒にきたようだが、子どもたちはどうした?」
できるだけいつも通りにして落ち着かせようと思ったヒューバートだったが、ヒューバートのその言葉にミシェルの顔色が変わった。
「お兄様!」
青かった顔を赤くして怒り始めたミシェルにヒューバートが戸惑うより早く、ミシェルの手が伸びてきて胸倉を掴まれた。
「パーシヴァルはどうなるの!?」
「は? パーシヴァル?」
「アリシア様がこれを知ったら……どうするのです、お兄様!!」
さっぱり分からない。
なぜ怒っているのか。
パーシヴァルやアリシアがどうしたのか。
問いたいことは沢山あるが、胸倉をつかまれて首がもげそうな勢いで揺すぶられたヒューバートがそれを声に出すことはできなかった。
とりあえず、あの母にしてこの妹ありと思った。
「ミシェル、首を締められたら義兄上が答えられないよ」
落ち着いた声で妻の名を呼んだエリックがミシェルの体を後ろから羽交い絞めにして止めてくれた。
抱きしめるのではなく羽交い絞めであったところに妹たちの夫婦喧嘩の片鱗を見た気がした。
「アリシアがどう……ケホッ……どうした? 冷静になって、落ち着いて説明をしろ」
「私は冷静ですわ」
(どこがだ!)
話の先を直ぐに知りたいので、ヒューバートは反論は心の中でおさめた。
この冷静を装った態度がミシェルの何かに障ったらしく、ミシェルの目が吊り上がった。
「何をシレッとしていますの?」
「お前こそ、何でこんなに騒いでいる」
「全てお兄様の所為ではありませんか!」
「……俺が何をしたと?」
ミシェルに聞いても埒が明かない。
ヒューバートはミシェルの隣にいるエリックを見た。
「本日我が家にボルタヴィータ・ララ前伯爵夫人、長いのでメリッサ夫人でいいですか? 彼女がミシェルに会いにきました」
「……ミシェル?」
メリッサがどんな目的でこの国に戻ってきたのかが分からないというのに、一人でメリッサに会うなど危険極まりない。
ヒューバートは思わず低い声が出したが、ミシェルの目を見て一瞬怯む。
「なぜ睨む」
「お兄様を軽蔑しております。お兄様の役に立つ為、あの女に会って目的を探ろうと身を砕いた己を悔いております」
「あ、ああ、そうだったのか。ありがとう。しかし、なぜ軽蔑?」
「お兄様も健康な男性です。女性に求められればふらりといきましょう。アリシア様と離縁した直後で冷静な判断ができなかったのかもしれません。ああ、『全裸のメリッサ嬢を容赦なく廊下にたたき出していた』と言う騎士の報告を鵜呑みにするのではなかった。ああ、なぜ、よりにもよってあの毒虫を選ぶなんて」
「毒虫とは、メリッサ夫人のことか?」
ヒューバートの問いにメリッサの目が吊り上がる。
「お兄様、メリッサの名を出すとはやっぱり心当たりが」
「貴族夫人が胸倉をつかむな。それに、メリッサ夫人のことはさっきエリック殿が言っていただろう」
ヒューバートのことは何一つ信じられないというように、「エリック?」と問いただすミシェルの目は血走っていたが、そんな妻が可愛らしくて堪らないらしくエリックはミシェルをうっとりした目で見ている。
「ふふふ、ミシェルは義兄上のことが相変わらず大好きだね」
「エリック殿、大事なのはそこではない」
そうだったという表情でハッとし、ヒューバートの言っていることは本当だとミシェルを宥めるエリックに思わずため息が出る。
(エリック殿は仕事はできる有能な者だが、ミシェルが好き過ぎるというのが玉に瑕……いや、その点はいいことじゃないか)
妹夫婦が仲睦まじいのは兄として喜ばしいとヒューバートは自分を納得させた。
「ごめんなさい、エリック。お兄様がお父様と同じ腐れ外道と知って取り乱してしまいました」
「誰が腐れ外道だ」
「エリック、やっぱりお兄様を今すぐ殺してアリシア様にお詫びを」
「物騒なことを言いながら俺の首に手をかけようとするな! エリック殿も微笑んでいないでミシェルをとめろ。妻を犯罪者にするつもりか?」
それはいけないという表情でハッとしたエリックはミシェルを宥めるように彼女の肩に手を置いた。
「まずは義兄上の言い訳を聞いてみよう?」
「俺があの女と何かあった前提で話をするな! アラン!」
すっかり存在を忘れていた側近の名をヒューバートは叫ぶように呼んだ。
アランにはとても嫌そうな顔をされた。
「とりあえず落ち着きましょう」
「棒読みだぞ、もっと熱意を見せろ」
「家族の問題は家族で解決してくださいよ」
「もしこの問題がアリシアに害をなすなら、彼女の右腕を自負しているプリム嬢が真っ先にその被害に遭うぞ」
ヒューバートの言葉にアランは顔をキリッと整えた。
「家族の問題は第三者が入ると直ぐに解決するものです。ミシェル様、エリック様、まずは落ち着いて状況を整理しましょう」
他人の目があることでミシェルは貴族夫人であることを思い出し、おすまし顔でソファに座る。
ヒューバートは心底疲れたが、ようやく話ができそうで安堵した。
「お兄様、メリッサがこの国を出てから帰国するまで、彼女からお兄様に連絡はありましたか?」
「ない」
「本当ですか?」
「俺の大事なあらゆるものに誓って、ない」
ジッと見るミシェルの目をヒューバートが黙って見ていると、ミシェルは一息ついたあとさらに真剣な表情になる。
「メリッサは我が家に一人の少年を連れてきました。十歳くらいの、パーシヴァルと同じくらいの年齢です」
ヒューバートがアランを見ると、アランが頷く。
「メリッサ夫人につけている者から少年の報告はあります。申しわけありません。前伯爵と夫人の間に子がないことと、子どもの身なりや様子から小間使いだと判断し、あまり深く調査しませんでした」
アランの報告にヒューバートは頷き、視線をミシェルに戻す。
「メリッサが言うには子どもはお兄様との間にできた子だと」
「あり得ない」
悩む価値もなかったため即答したヒューバートだったが、ミシェルとエリックの煮え切らない態度に眉を顰めた。
言いにくそうにエリックが口を開く。
「その子どもはレイナードの黒髪をしていました。義兄上やミシェルと同じ赤く光る黒髪です」
「それなら父上の子だろう。絶対に俺の子ではない」
「お父様はお兄様に爵位を譲って領地に行きましたわ」
「その前に子を作ったのだろう、あの父上だし」
隣から「異母弟の誕生に全く動じていない」と呆れるアランの声がしたが、ヒューバートは黙っていた。
ヒューバートはオリバーがあまりに人でなしだったから母親側が訴え出ていないだけで、自分の異母弟妹が大量にいると思っている。
「ミシェル、帝国には黒髪が少ないけれどいるよ。君のように光って赤く輝く黒髪は見たことがないけれど、赤い染料を使えばそれなりにできるかも」
(エリック殿は買い付けで帝国に何度も行ったことがあるのだったな……それだったら)
「エリック殿、そう思っていたならミシェルになぜ説明をしなかった?」
「義兄上や義父上の言い訳を聞いてからではないと。もし義兄上の子なら、下手に擁護した僕も怒られますし」
アハハハと悪びれなく笑うエリックに何か言いたくなったが、喉が絞められた影響なのか乾いた咳しかでなかった。
「お兄様、心当たりは本当に、本当に、全くないのですね」
「しつこい、心当たりなど一切ない」
「そうですか……でも、異母弟の可能性はあるわけですよね」
「まあ……その子どもは俺に似ているのか? いや、違う!」
ぐるんと勢いよく顔を向けて『やはり心当たりが?』と問うミシェルに慌てて首を振る。
「ミシェル、異母弟ならば義兄上に似ていてもおかしくないだろう?」
「そうですね、『似ていなくもない』という感じですわ」
(異母弟だと厄介だな。あの父上が相手を覚えているのかも怪しいし……)
「ああ、お兄様」
「何だ?」
「メリッサ夫人がお兄様の子を産んだという話が商人の間で広がり始めていると思います。彼女、それはもう大きな声でお兄様との子だと言っていましたから」
「それを早く言え!」
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