第3話 檻で囲む
明日の約束があるおかげでいつもより寂しさの少ない別れではあったものの、寂しさが全くないわけではなく、ヒューバートはアリシアが置いていった手紙を手に取る。
この手紙はパーシヴァルがヒューバートに宛てたもので、近況が綴られたこの手紙はノーザン王立学院が親元を離れて暮らす初等部の生徒に課した字の練習のための宿題である。
パーシヴァルは最初アリシア宛の手紙しか書いていなかったが、最近になってヒューバート宛の手紙も書いてくれるようになっていた。
この手紙はアリシアが暮らすアパルトマンに届き、それをアリシアが時間のあるときにこうして届けてくれるのだ。ヒューバートがパーシヴァルと会ったときに「屋敷のほうに送りにくいなら商会のほうに送ってくれれば」と言ったときの、失望感に満ちたパーシヴァルの顔をヒューバートは忘れられない。
パーシヴァルの手紙はアリシアに会う機会が減って落ち込んでいるヒューバートへの助け舟だと、後になってステファンから教えられたときは、息子も思わず手を貸してあげたくなるくらい自分は恋愛が下手なんだろうかとヒューバートは真剣に悩むことになった。
パーシヴァルとの関係はこの三年間で少しずつ変わっている。
学院に通い始めたことでパーシヴァルの世界が広がり、学院で様々な『父親』がいることを知ったことが大きいとヒューバートは思っている。
休みで帰ってくれば三人で食事に行くほか、一人でレイナード商会にくることもあって、ヒューバートとしてはパーシヴァルが少しずつ自分を『お父さん』を受けいれているのではないかと期待している。
最近のパーシヴァルはヒューバートの強力な味方だ。両親の恋模様が全く変化せず、亀より遅い歩みに焦れたらしい。
(『フラれるなら、さっさとフラれたいでしょ』と言われたときは反応に困ったが)
このことをステファンに話すと「子どもの成長は早いと聞くけど……初等部の息子に恋愛相談って」と大爆笑された。
笑い過ぎて腹がねじれて痛いとのたうち回るステファンを思い出しながら手紙の封を開けると、中には便箋が一枚だけ。開いてみれば【お礼はバタークッキーがいい】とだけある。分かりやすいおねだりだとヒューバートは口元を緩めた。
「この前のあのバタークッキーを、在庫にあるだけ送っておいてくれ。あと明日の店は魚料理の評判がいいところにしてくれ」
アランにそう言うと、明日は絶対にアリシアとランチに行くのだと思いながらヒューバートは山のように積まれた書類に手を伸ばす。
「またパウエルか」
パウエル商会がレイナード商会ではなく自分たちと取引するように迫ってきていて困っているという取引先からの陳情書だった。
「ヒューバート様は商会長のパウエル伯爵をご存知ですか?」
「先代の父親のほうとは懇意にしていたが、息子のほうは顔を知っている程度だな。それがどうかしたか?」
「彼、アリシア様に最近しつこくつきまとっているそうです」
「あん?」
ヒューバートの口から思わずドスの利いた声が出た。
まるで裏稼業の人間のような反応をしてはアリシアに怖がれてしまうと、ヒューバートは努めて貴族のマナー教育を思い出す。
「伯爵個人の意向か? パウエル家の元老会がうちを敵に回すような判断をするとは思えないのだが……調べてくれ。伯爵個人でなら元老会に奴を躾けるように注意を、元老会も関わっていたならパウエルとの取引はやめる」
「私の勘ですが、伯爵の個人的な恨みだと思いますよ。ヒューバート様、彼の奥さんのお誘いを断ったことがあるでしょう? おそらく彼はそれを知って、それならアリシア様をヒューバート様から奪ってやろうとしているのではないでしょうか」
「伯爵夫人? ……いつ頃のことだ?」
「記憶にも残っていないのも仕方がないですよね。そういうお誘いは多いですし……あの、完全に好奇心なのですが、ヒューバート様ってアリシア様以外との経験はあるのですか?」
「…………黙秘する」
「へえ……意外」
ご令嬢やご婦人の誘いにヒューバートがのったことはなかったが、娼館を利用したことは何度かある。
大きな商談が上手くいった昂りを抑える方法として先輩商人から教わった遊びだが、終わったあとの虚しさのせいで完全には愉しむことはできず、娼館より酒場に行くことのほうが増えて、やがて娼館に行くことはなくなった。
「パウエル伯爵の話に戻りますが、彼の情報を売りたいという商人が数人います」
「有益な情報なら買い取って構わない、そこは任せる」
ヒューバートと取引している商人は儲け話に鼻が利き、損得勘定で物事を計る。
その結果、彼らはパウエル商会の話に乗ったふりをして情報を集め、その情報をレイナード商会に高く売りつけようとしているのだ。
「アリシアたちに危険がないようにしろよ。パーシヴァルのほうも……安全はもちろんだが、虐めなどないだろうか」
ヒューバートは『ハズレ』と呼ばれて屈辱的な学生生活を送ったため、パーシヴァルに自分のせいで瑕疵がつくことを怖れたヒューバートは学院に講師として何人か送りこんでいる(彼らとレイナードとの関係は公にしているので、パーシヴァルの成績などの不正を疑われる心配はない)。
「パーシヴァル様の周辺に注意するように伝えてありますが、『レイナード侯爵家の公然の秘密』扱いされているパーシヴァル様が虐められる可能性はほぼないと思います。好んで虎の尾を踏みにいく者はいないでしょう」
アランの言葉に、ヒューバートの眉間にしわが寄る。
「そもそも『公然の秘密』というのがおかしい。あの子は秘密でもなんでもない。あの子はアリシアが俺の妻だったときに宿った子なのだから俺の嫡出子だ。仮に庶子でも親のせいであって子どものせいなんてあり得ないだろう、パーシヴァルが庶子扱いされたら俺が悪い」
「……ヒューバート様のそういうところ好きですよ」
(そう言えば、アランはカールセル伯爵家の庶子だったな。父親が平民の女性と浮気してできた子だと蔑まれていたと聞いたが)
「全く、どこの父親にも困ったものだな……さて、パーシヴァルに困った様子はないなら、アリシアと店に付ける者を増やすか。店の隣はどうなっている?」
「花屋にあれ以上の店員を増えるのは不自然ですね。道を渡った向かいの飲食店ならあと二人くらいは……顔も覚えられてきたので、店長以外の交代に合わせて二名追加しておきます」
侯爵という高位貴族で外出時には護衛騎士が付くヒューバートに比べて、女性で店を営むアリシアのほうが近づきやすいため二人に関わる悪意も好奇心もアリシアに向かいがちである。
そのためヒューバートはアリシアに護衛を付けており、それはアリシアも了承している。
(でも一人か二人、アリシア様もこんなに自分に護衛が付いているとは思っていないだろうな)
「他人の恋路に首を突っ込んで楽しいのか?」
「楽しいから恋愛小説はいつの世でも売れるのですよ」
アランの指摘に『なるほど』とヒューバートは肩を竦める。
「まあ、邪魔さえしなければいい。アリシアやパーシヴァルを利用しようと目論む者は徹底的に排除しろ。見せしめで何人か……とりあえずはパウエル伯爵だな」
***
職務遂行のためにアランが去り、一人になった部屋の中でヒューバートは大きく伸びをするとソファに仰向けに転がる。
「アリシア」
三年前にアリシアからもらった手紙に従い、ヒューバートはアリシアを引き寄せようとしていた腕の力を緩めたが、パーシヴァルの父親であることを理由に、アリシアに向けて腕を伸ばし続けている。
今は互いに確認行動を繰り返し、相手がどこまで許してくれるかを確かめている状態。
本当ならヒューバートはアリシアとパーシヴァルを真綿で包み込むように守りたかった。外からの煩わしい風に一切あてず、いっそのこと屋敷の奥に隠してしまいたいと。いまの自分ならそれも可能だから。
(それは過保護を通り越して狂気だ)
少し距離を置いたことで、アリシアとパーシヴァルのことだけでなく、ヒューバートは自分の異常にも気づいた。
再会できたと喜んだ分、ヒューバートは彼らと再び離れることが怖かった。どうにかしたい、どうすればいい。そんな思いに焦りがブレンドされて、三年前、ヒューバートが追い詰めたことでアリシアは倒れた。
あのときのことは後悔もあるが、アリシアが倒れたのは自分との将来を、自分と共にある未来をアリシアが考えてくれていたからだと思うと喜びもある。
(大切にする方法を間違えてはいけない)
アリシアもパーシヴァルも自分で自分の世界を拡げている。
大切な二人の楽しそうな、幸せそうな姿こそが大事で、これこそが守るべきものだといまのヒューバートには分かっている。
(檻に入れて完璧に守りたい気持ちは変わらない。それならば、俺はあの二人が窮屈に感じないほど、巨大で快適な真綿の檻を作ればいいんだ)
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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