第2話 恋が熟成される
「アラン」
(まだ約束の三十分も前なんだけど!?)
そうは思ったもののアランは黙って立ち上がる。
「アリシア嬢をお迎えにあがります」
「ああ、頼んだ」
四階から一階まで、階段を使ったって五分もかからない。
二十分以上何をして待つかと考えながら廊下に出ようとしたら、呼び止められた。流石に早過ぎることに気づいたかとアランがホッとするのも束の間だった。
「この服装、どう思う?」
「乙女ですか、あなたは」
ここに常備しているのは冠婚葬祭用の礼服だけ。まだ早いと言っても屋敷に帰るほど時間に余裕がない。ここで「変だ」と言われたらヒューバートはどうするのだろうかとアランは思った。
「アラン……」
「はいはい、お似合いですよ。憎たらしいくらいイケメンです」
「顔は変えられないから関係ない」
変えられないのは服もだとアランは思ったが、実りのない会話になりそうだからヒューバートは放っておくことにした。
「アランさん」
暇つぶしにゆっくり数えていた羊が四百匹を超えたところでアリシアが現れた。約束の五分前、それだけでアランとしてはアリシアに好感が持てる。
「デイム・アリシア」
貴族女性のドレスに健康を憂慮して改革を起こした功績からアリシアは半年前に一代限りの准爵の位を叙爵し、自力で貴族に戻ったアリシアをアランは心の底から尊敬していた。
「今日のお召し物もお似合いですね」
「お褒めの言葉をありがとうございます。アランさんもいつもより淡い紺色のスーツがとてもお似合いですわ」
褒め言葉を自然に受け入れるアリシアを見るたび、彼女は変わったとアランは感じる。
つい最近まで褒められても「そんなことはない」「みんなのおかげ」と謙遜していたのに、いまのアリシアは堂々と己の実績として受けいれるようになった。
「新進気鋭の服飾師にお褒めの言葉をいただけるとは、生地選びに何時間もかけた甲斐があります。会長が首を長くしてお待ちです。どうぞお入りください」
自他ともにヒューバートの右腕と認められているアランがこうして出迎えるのは、ヒューバートの特別な客のみ。
(それを知って素知らぬ振りをしているのか、それとも本当に知らないのか)
エスコートをしてエレベータに乗り、ヒューバートのいる部屋に案内する。扉をあければ「よく来たな」とか「今日はお時間取っていただきありがとうございます」といった挨拶が交わされるのだが、醸し出される空気は実に甘い。
『邪魔するな』とばかりに襲いかかる甘いそれを躱しながら、茶の準備を口実にアランは逃げ出す。
会長室の隣にある給湯室はヒューバート専用で、彼の身の安全のために鍵はヒューバートとアランしか持っていない。
国の政治に介入できる侯爵という地位にあり、この国一番の商会の長であるヒューバートには敵が多く、その身は常に危険にさらされている。だから外出時には必ず護衛騎士がつくし、こうやってヒューバートが口に入れるものは厳しく管理されている。
「どれにするか」
ヒューバートと、彼の大事なアリシアに紅茶を淹れることができるのは自分だけ。その事実に自尊心をくすぐられながら、紅茶好きのアリシアのためにヒューバートが揃えた数十種類茶葉の中から一つ選んで蓋を開けると芳醇な香りが漂った。
今回はいつもより濃厚な香りの熟成された茶葉を選んだ。
「熟成、か」
アランにはヒューバートがこの三年間をどう思っていかは分からないが、この時間がアリシアに必要だったことは彼女の変化から分かる。
(当然それはヒューバート様も気づいているから何も仰らないのだろうな)
アリシアに初めて会った日、アランは彼女をエスコートするヒューバートの姿に彼女が彼の『特別』だとすぐに理解した。そのくらい緊張する彼は普段と違い過ぎた。
ヒューバートはアランがドン引きするくらい基本的に他人に気を使わない。徹底して無表情、無関心、無頓着を貫く。
ガラの悪い男に絡まれても無表情、妖艶な美女にしな垂れかかれても無関心。あまりに女性に見向きもしないことから男色を疑われたが彼は一切気にせず、皮肉も嫌味も完全に無視していた。
そんなヒューバートがアリシアに見せる姿は「あなた誰ですか?」と思うほど普段と違い、柔らかい微笑みを向けてアリシアの一挙手一投足に集中している。
「あなただけを愛しているという台詞はよく聞くけれど、それが元妻というのは単純というか、複雑というか」
自薦他薦の縁談を無視してアリシアだけを思い続けたヒューバートを傍で見てきた身としてはヒューバートを応援している。しかし公共の場でアリシアへの溺愛を隠さないヒューバートを見ると、かつて彼に抱いた尊敬の念がちょっと薄れる。
(そんな部下の複雑な心境を理解してくれる方ではないですけれど)
どうやらヒューバートの恋愛感情は一か零からしい。
甘さはアリシアに全振りして、他の女性には塩対応。周囲がドン引きするほどの甘さは鉄壁の防御陣でもあるようで、今までヒューバートの塩対応にめげず求愛していた女性たちも「あれでは勝ち目なし」と尻尾巻いて去っていっている。
「今では自力で叙爵したアリシア様を軽んじる輩もいないからめでたし、めでたし……いやいや、日和ってはいけない。なぜかお二人は『友だち』だ」
脳内に『完』の文字が流れそうになるのをアランは慌てて止める。
周囲に「あれ、彼らに結婚のお祝いを言ったか?」と慌てさせるほど、すでに夫婦のような雰囲気の二人だが再婚はしていない。
それどころか恋人ですらなく、二人は誰かに関係を問われると『友だち』と答えている。
「どうしてそこに帰結したの? なんで『友だち』なんだよ!」
三年前、アランは二人がすぐに再婚すると思っていたから『できる秘書』を自負する彼は先回りをして色々準備した。
再び彼らが夫婦になる公的な手続き、二人を認めさせるお披露目の場もしっかり準備していた。
しかし、三年前にアリシアがヒューバートに宛てた手紙には【今後のことは時間をかけてゆっくり考えたい。その間にヒューバートが心変わりしても受け入れる ※但し、パーシヴァルに関することは除く】とあったという。
その手紙のあと二人がどんなやり取りをしていまの『友だち』に落ち着いたのかはアランには分からない。
そんなお願いをしたアリシアをアランは残酷だと思いつつも、あれから上手く周りに頼りながら自力で何かを成そうとするアリシアに好奇心がわいた。
そしてそんなアリシアに『友だち』の範囲内で手を貸すヒューバートも楽しそうだったから、二人のことは時間が解決してくれるだろうとアランは思っていた。
(そして自力で叙爵された……しかも俺が絶対に失敗すると思った事業を成功させて)
アリシアの店の話を聞いたとき、アランは元とはいえ貴族令嬢の道楽だと思った。
美に執着している貴族女性が『楽なドレス』を求めるわけがないと思っていた。
しかし事業は大成功、アランは儲けを嗅ぎわける才能があると思っていた驕った鼻を景気よく折られた。
視野の狭さを反省しつつも、女ではない自分には思いつかないだけだという言い訳を大事に抱え込んでいたが、『楽なドレス』のために病院や救護院に足しげく通ってアリシアが努力する姿にアランは頭を垂れた。
この瞬間に、アランはかつてヒューバートにそうしたようにアリシアにも心酔したのである。
(お二人はよく似ている)
アリシアの知識や技術を求める姿は貪欲で、常に飢えている様子を隠さないところがヒューバートに重なった。
紅茶を持ってアランが部屋に戻ると、一人からは不機嫌さを隠さず「遅い」と文句を言う対応を受け、もう一人からは「ありがとう」と言って笑顔を向けられた。
(こういうところは似ていないよな。ぜひヒューバート様にはアリシア様を見習ってほしい)
アリシアの爪の垢をヒューバートの紅茶に混ぜたいとアランは真剣に思った。
「まあ、このような深みのある香りのする紅茶は初めてですわ」
「気に入ってくれてよかった。アランは茶をいれるのが上手いから、いつでも気軽にきてほしい」
会う口実にされてはいるが間接的に自分の技術を褒めてくれたので、アランは爪の垢入り紅茶はやめることにした。
(『ミセス・クロース』に事務員が雇われてからアリシア様に会える機会が激減したからな)
お針子の雇用を優先して事務仕事はヒューバートに相談しつつアリシアがなんとか行っていたが、店の人気が高まるにつれて事務仕事に時間を割かれてはもったいないとヒューバートはアリシアに事務員を雇うことを勧めた。
事業のコンサルタントとしては間違っていないが、恋愛感情は一緒に過ごす時間の長さに比例すると思っているアランとしては失策だったと思っている。
案の定、アリシアからの相談は激減し、仕事が忙しいこともあって二人が会う時間は大幅に減った。
そのためヒューバートはいま口実作りに必死で、異国の茶菓子だとか、アリシアが関心のあるものを集めるヒューバートの手伝いでアランも忙しいのだ。
(俺の得にもなるから最近は率先しているところもあるけれど)
アリシアの関心あることをヒューバートが即時かつ的確に知ることができるのは、アリシアの右腕であるプリムがヒューバートのスパイだからだ。
プリムの部屋の隣人で飲み仲間の女性騎士と、アランの部屋の隣人で飲み仲間であるレイナード商会の顧問弁護士の男が恋仲になったのをきっかけに四人で飲む機会が増え、最初から策略めいたものを感じていたもののプリムの人柄に惹かれ、アランはいまプリムに恋をしているのだ。
「いい香りですね」
「熟成した香りとまろやかな甘みが特徴の秋摘みのダージリンです。収穫量が少ないので希少性はありますが、春や夏の茶葉に比べると安いのですよ。お土産も用意したのでお店の皆さんと飲んでください」
「アラン様がご用意してくださったことはプリムにしっかりと伝えておきますね」
アリシアの言葉に、自分がプリムに惚れていることがバレていることが分かってアランは照れ臭くなった。
「頂いてばかりでは申しわけないので、よろしければアランさんにもネクタイを贈らせていただけませんか? プリムの手を借りればすぐにお渡しできるので」
いつだったか「お礼をしたい」というアリシアにヒューバートが願ったのは手作りのネクタイで、今回は自分にもと聞いてアランは嬉しくなる。
もちろんプリムが作ってくれるというところが一番の喜びだが、『ミセス・クロース』は基本的に紳士物を扱っていないため希少性が高く、ヒューバートやステファンが身につけている『ミセス・クロース』製のネクタイには王都の紳士たちが羨望の眼差しを向けている。
「アランにも、か?」
「ええ、アランさんにはいつもお世話になっているではありませんか」
(この言い方……プリム嬢がヒューバート様の情報源だと分かっていてアリシア様は何も言わないんだな……しかし、恋する元夫は実に余裕がないな)
「今日はありがとうございました」
「このあと予定がなければ、食事でもどうだろう」
ヒューバートの誘いに「でも」とアリシアが困った素振りをしたため、部屋の温度がヒュウッと下がるのをアランは感じた。
ヒューバートの気持ちを分かっているアリシアがヒューバートに不快な思いをさせるようなことをわざということはないので、約束といっても店の従業員や顧客という可能性が高い。従業員ならいいのだが、顧客となると厄介が起きる可能性がある。
事前にその思惑はヒューバートが潰したためアリシアは知らないが、以前ある伯爵夫人がアリシアの顧客の男爵夫人に自分とアリシアを合わせてもらおうとしたことがある。その伯爵夫人の目的が自分の息子の結婚相手とするためと知ったヒューバートは、自らその伯爵夫人に釘を刺したもののしばらく機嫌が悪かった。
「いいえ、お疲れのようでしたから早めにお暇しようと」
(だから昨夜は早く帰って休むように言ったのに……まあ、決算期な上にトラブル続きだったからなあ)
心配はありがたいが、もう少し話をしたい。そう顔に描いてあるヒューバートにアランはため息を吐いて、プリムからアリシアが仕事に夢中になると昼食も食べないと愚痴っていたことを思い出す。
(本当に似た者同士だなあ)
「仕事が忙しいからって昼食を抜くからですよ。食事は元気の源、そうですよね?」
「……もちろんですわ」
返事に間があったのはアリシアも後ろめたい思いをしているのだろうとアランは思う。
「よろしければ明日、プリム嬢も誘って四人でランチをしませんか?」
チャンスは逃さないのが『できる秘書』の条件なのである。
誤字報告ありがとうございました。
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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