第10話 父親と話す
息子との時間が有意義だったため、今日は仕事をする気分ではなくなりヒューバートは早めに帰宅をしたが、馬車のところまで駆けてくるボッシュの姿に嫌な予感がした。
「大旦那様がいらっしゃいました」
「母上は?」
「大旦那様お一人です。何かトラブルが起きたのでしょうか」
父親だがオリバーが起こすトラブルとして考えられることは、まず女性関係が浮かび、次は借金。
どちらかだろうと思いながらヒューバートはボッシュに強い酒を用意するように頼むと、オリバーが待っているという応接室に向かった。
嫌なことはさっさと片づけてしまうに限る。
応接室に入るとオリバーは『のんびり』の具体例のような姿で酒を飲んでいた。ヒューバートが部屋に入ってきても特に気負う様子はなく、ニッコリと微笑みかけてくる。
「久しぶりだね、ヒューバート」
「……お久しぶりです」
ヒューバートはオリバーが父親としても男としても嫌いだ。
好みの女性を見つければ息子の前でも気にせず口説く無神経さ、十人以上の女性と同時に付き合う不誠実さはもはや別の生き物だった。
「鄙びた田舎での生活にとうとう飽きましたか?」
「最愛である妻のカトレアと一緒ならどこでも都だよ」
(よくもまあ、ぬけぬけと)
両親は政略結婚で、王都で女遊び惚ける父と領都で父には無く関心のない母、そんな物理的にも精神的にも離れて暮らす両親を見ながらヒューバートは育った。
だからあの女狂いの父親がいまでは母親にぞっこんのこの状況には違和感と寒気しかない。
「こちらには何の用事で?」
臭い物に蓋をする心境でヒューバートはオリバーの惚気には応えず、一番気になる王都に来た理由を問う。
「何しにきたと思う」
(うわっ、面倒臭っ)
構ってちゃんの父親は息子としては面倒でしかない。
「お金の使い方は覚えていますか?」
「もらった小遣い以上の金額は使わない、ちゃんと守っているよ」
(その当たり前が『ちゃんと』できなかったから我が家は借金漬けだったんだろうが)
ヒューバートが言い聞かせたことを幼子のように発表するオリバーにヒューバートは頭痛がした。
「借金問題でないのなら何です? 母上に何かありましたか?」
「ははは、カトレアは元気に決まっているだろう」
オリバーは笑い飛ばすが、ヒューバートはずっとカトレアは病弱だと思っていた。
ボッシュたちが気を使ってカトレアがオリバーに見切りをつけたと言わずに『療養』と言葉を濁したため、ヒューバートは七年前にカトレアが剣を振り回してオリバーを追いかける場面を見るまでずっと誤解し続けていた。
ヒューバートがカトレアの体調を慮って本当のことを教えなかったため、カトレアもアリシアが好ましくて婚約したというヒューバートの言葉を信じていた。
ヒューバートが人身御供の形で婚約したことをカトレアが知ったのはヒューバートとアリシアが離縁したあとだった。
結婚式で流した感動の涙が乾く間もなく離縁したヒューバートに理由を問ううち、オリバーが資金援助を条件に息子を悪名高いコールドウェル子爵に売り飛ばしたことが発覚。
カトレアは怒った。それはもう怒髪天を衝く勢いで怒って夫を、さらに初夜の翌朝に姿を消した行為をやり逃げと断じたカトレアはヒューバートも殴り飛ばした。淑女らしい平手などではなくきっちり拳を固めて。
オリバーについては殴られて終いとならず、カトレアはいつも腰に差している剣を抜いてオリバーに突きつけた。武家出身のカトレアは領地でも鍛錬を欠かさず、片やオリバーは王都の坊ちゃん育ちで帯剣する習慣もない。
「待って」と喚く父親に切りかかった母親の剣筋は鋭く、あれは夫を本気で殺す気だったとヒューバートは今でも思っている。
建物の壁や柱に剣の切り傷を残しながらカトレアはオリバーを追いかけ回し、最後に足蹴にしている夫の顔の真横に剣を突き刺したカトレアは爵位をヒューバートに譲るように言った。
オリバーは「死亡以外の理由での爵位継承は難しい」とごねたが、「じゃあ死ね」と言ってカトレアの剣が首筋に当てられると『いのちだいじに』と本能が叫んだらしく王宮に申告すると宣言した。
(あんな目にあってどうして……)
性根を叩き直すと言ってカトレアがオリバーを領地に連れ帰ったところまでしかヒューバートは見ていないため話で聞いただけだが、領地に着いた馬車から降りたオリバーはカトレアに駆け寄り熱烈に愛を囁いたらしい。その理由がまた変わっている。
鄙びた田舎に行くくらいなら死んだほうがいいと言ったオリバーに、やっぱり「それなら死ね」と返したカトレアは一行の向かう先を野生の狼が大量に出没する森に変え、森の中で馬車から馬を外してオリバーを置き去りにしたという。
(もはや箱の馬車の四隅に夕食用の鶏肉を塊のままぶら下げたらしいから、本気で死なせる気だったに違いない)
狼に襲わせる気満々のおぜん立てはしっかりと効果をあげ、カトレアたちが去るとすぐに血に飢えた狼たちが集まったという。狼たちの体当たりにミシミシと揺れる馬車の壁、窓を割って狼が入ってくるのではないかという恐怖にまみれた一夜を過ごしたオリバーはここで正常な判断力を失ったとヒューバートは思っている。
(何しろ「なんだ、生きていたか」と舌打ちした母上の姿に惚れ込んだというから、いかれている)
「母上はいまどこに?」
カトレアに夢中なオリバーのこと、王都にきた理由を答えないならカトレアの居場所を聞けばいいとヒューバートは判断した。
「お前が二人に貸しているアパルトマンに行ったよ」
「アリシアは会える状態ではない、【待ってくれ】と手紙に書きましたよね?」
「多少強引に進めたほうが上手くいくこともあるじゃないか」
無神経なオリバーの言葉にヒューバートは頭に血が上ったが、カトレアとよく似た自分に父親が目を蕩けさせる姿に怒りが萎える。
何を言っても通じないのは昔から、怒るのは無駄で、ヒューバートは無駄が嫌いだった。
「僕はお前の許可が出るまで待つよ」
「殊勝な物言いですが、興味がないだけでしょう?」
「そんなことないよ、今回のことは僕の所為だしね……聞き分けの良い女性だったから、一夜の恋で満足してくれると思ったんだけどなあ」
下種の極みのような発言だが、ヒューバートが気になったところはオリバーが元夫人を覚えていたことだった。
「彼女のこと、覚えていたのですか?」
「貴族の女性は努めて覚えるようにしていたから、ぼんやりとね。貴族社会は狭いからどこで再会するか分からないし」
「どうして忘れた振りを?」
「ああいうタイプにはそれが一番の復讐になるからさ。『一番不幸なのは忘れられた女』ってやつ、聞いたことはないか?」
恋愛の技術は経験値に比例するとステファンから聞いているので、自分では父親の足下に及ばないだろうとヒューバートは反論しなかった。
「ヒューバート」
「……なんです?」
父子であるが関係が薄くて、名前を呼ばれたことに違和感を覚えながらヒューバートは父親の呼びかけに答えた。
「アリシア嬢の手紙の件……本当にすまなかった」
(……謝った)
ろくに働かず家族に貧しい生活をさせても、遊興に耽って子どもに寂しい思いをさせても、売るように勝手に婚約を決めても決して謝らなかったオリバーの謝罪にヒューバートは驚いた。
だからだろうか。ずっと気にしないようにいていた理由、なぜオリバーがアリシアからの手紙にあんな返事を出したのか理由を聞きたくなった。
「なぜあんな返事を?」
「今さらだと言われるだろうが、お前を守ろうと思ったんだ。アリシア嬢は男の出入りが激しくて、すでに誰とも知れない男の子どもを宿していると聞いたから……妊娠に気づいたというのも早かったから嘘だと、噂を信じてしまった」
「それを父上に吹き込んだのは元夫人ですか?」
「ああ……僕の覚えているあの子は、ただ僕を好きだと言ってくれる可愛い子だったんだ」
「……本当に『いまさら』ですね」
「すまない……その、孫は男の子だったよな。お前に似ているのか?」
不器用に歩み寄ろうとするオリバーの姿に、ヒューバートは自分の姿が重なった。
(パーシヴァルからすると俺も似たようなものなのかもしれない)
そう思うとこれ以上オリバーに恨み辛みを言う気分にはなれなかった。
「髪にレイナードの特徴が出ていますが、アリシアに似て優しい顔立ちに淡い緑色の瞳なので、俺よりも父上に似ている気がします」
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