第9話 息子と話す
「アリシアが倒れたと聞いて、何があった?」
アリシアが今日の朝早くに夫人に会いに行くことは知っていたし、「レイナードの騎士を同行させたい」と聞いたからミロを付けたのにアリシアが倒れた。
「診た医師によると風邪だそうです。処方された解熱剤を飲み、先ほどお休みになりました」
ミロの言葉にヒューバートは大きく息を吐き出して肩の力を抜き、汗ばむ体から熱を抜くためネクタイを緩めた。ヒューバートの傍に誰もいないことに気づいたミロの眉間にしわが寄る。
「アパルトマンまで、お一人でいらしたのですか?」
「急いでいたから……すまん」
今ごろ自分を探しているだろう商会のほうにミロを向かわせると、ヒューバートは表情を固くしたままのソファに座るパーシヴァルの前にしゃがんで目線を合わせる。
「医者はすぐに来たか?」
「うん。ミロさんが侯爵様の名前をだしてくれたから。僕じゃお医者さんをここに呼ぶなんてできなかったから……ありがとう」
貴族ならば医師に往診してもらうことは普通だが、平民の場合は医者に来てもらうどころか診てもらうことも難しい。過去に二人が医者を呼べず苦しんだことがあったのかもしれないと思うとヒューバートは胸が痛かった。
「助けになれたなら、よかった」
(環境の変化でもともと疲れが溜まっていたところに、元夫人とやりとりで限界を迎えたのか)
「……侯爵様」
いろいろなことがヒューバートの頭を巡ったが、パーシヴァルの不安を隠せない声にハッとする。
「パーシヴァルは、体調は大丈夫か? ご飯は……食べていないなら何かを……作る、か?」
(いや、作れるか? しかし、何か買ってくるにしてもこの子を一人にするのは……)
ヒューバートの焦る姿が面白かったのか、パーシヴァルの顔が緩む。
「大丈夫だよ。喉も頭も痛くないし、お腹も痛くない。ご飯はプリムさんが作っておいてくれたやつをミロさんと食べたから」
パーシヴァルの言葉にヒューバートはプリムのことを思い出して首を傾げる。
「プリム嬢はどうした?」
「あまり大勢いるとお母さんが休めないからって帰った……侯爵様、僕は大丈夫だから」
「いや、君を一人にするのは……よければ俺が今夜はここに」
「それならミロさんがいい!」
自分の言葉に被せてきたことにも驚いたが、その大きな声にヒューバートは驚く。
パーシヴァル自身も驚いたようで、目を見開いたあと口を何度か開閉させ、顔を歪める。
「ごめんなさい」
「……謝ることはない。俺が悪かった」
まるで父親のように振舞ってしまったことをヒューバートは反省した。
パーシヴァルがヒューバートに甘えてみせていたのはアリシアがいたからで、アリシアがいないところでは彼はミロやステファンの傍にいることを選んでいた。
「ごめんなさい」
(謝る言葉しか出てこないのは、パーシヴァル自身も俺を拒絶する理由が分からないのだろう。俺だってミロに『確認行動』だと教わるまで気づかなかった)
自分より遥かにパーシヴァルに懐かれているミロに「どうして」と愚痴ったとき、ミロはヒューバートの嫉妬を笑いながら子どもの確認行動について教えてくれた。
ヒューバートの自分への愛情を確かめるため、自分のやることのどこまでをヒューバートが許すのかをパーシヴァルは確認しているのだと。
「謝る必要はない。俺が君たちにした仕打ちを思えば、君が俺に期待できないのは当然だ……無理に踏み込んで悪かったな」
そう言うとパーシヴァルの目に涙が浮かんだ。
それを見せまいとするようにパーシヴァルは両膝を両手で抱えて膝頭に額を押し当てる。
「僕の知っている子たちはみんなお父さんにたくさん我侭を言って、甘えていた。それを狡いと思わなかったって言ったら嘘だけど、お母さんが笑ってくれて、僕のことを好きだって言ってくれるから大丈夫だった。だから、侯爵様が僕のお父さんだって言われても困る。僕にはお母さんがいればよかったから……僕に父親がいることは分かっていたけれど、お父さんなんて……」
たとえば満腹のところに悪意なくさらに料理を出されたらどう思うか。
(そりゃあ戸惑うよな……でも)
戸惑ってくれたことが嬉しい。
どんな理由であっても、どんな感情であっても、パーシヴァルはヒューバートをミロやステファンとは『違う』と認識してくれているのだ。
「なんで笑うの」
こっちは真剣に悩んでいるのにとでも言うように睨んでくる涙の残る萌黄色の瞳に、ヒューバートは反射的に口に手を当てて唇が弧を描いていることに気づいた。
「すまん……いや、泣いている君を笑ったのではなくて、嬉しいというか……」
「……僕は困っているのに」
初めて聞くパーシヴァルの不貞腐れた話し方にヒューバートの顔が緩む。
「本当にすまない……でも、君が俺を父親として真剣に見ていることが分かって嬉しくて。俺なんかが父親なんて嫌だと言われる覚悟もしていたから」
「背が高くてかっこよくて、お金持ちで……『ぷれいぼーい』の、『わる』なのに?」
(んん? 褒めている、のか?)
「君は、俺が父親で嫌なのか?」
「違うよ、嫌じゃない。それは本当。でも……お母さんと結婚して僕のお父さんになるのは、ちょっと嫌だ。お母さんは僕のことが好きだから、いつも僕のために頑張っちゃうから、僕の父親だからってお母さんが結婚するのは嫌だ」
ヒューバートは初めてパーシヴァルの本音を聞いた気がして、息子の父親であることを盾にアリシアに結婚を迫ると思われていたのはショックだったが、パーシヴァルが初めて自分に甘えてくれたことが嬉しかった。
「話したから喉が渇いたな。君はミルクをたっぷりいれたコーヒーが好きだと聞いている。キッチンを借りるぞ」
「……怒ってないの?」
(これも確認行動なのか?)
愛情を確認されていると思うと、ヒューバートは心がくすぐったく感じた。
「ここで俺が怒るのはおかしいだろ? 俺がやるべきは君の不安を解消することだから、君には自由に何でも言ってほしい」
「う……ん」
(悩ませてしまったかな……)
気兼ねなくパーシヴァルに悩んでもらうため、ヒューバートは探し出したコーヒー豆をゆっくりミルで粉にする。ドリッパーをセットして、沸かした湯をゆっくり注ぎながら濃いコーヒーを入れる。途中からパーシヴァルの視線を感じたがヒューバートは何も言わなかった。
「僕、あの街が嫌いだった」
緊張感はあるが、居心地は悪くない雰囲気の中でパーシヴァルが呟いた。
「みんな僕たちのことが嫌いだったから。お母さんは仕方がないって言うけど、嫌われるのは嫌だよ。だって僕たちは何も悪いことをしていないのに、ただお父さんがいないだけなのに」
貧乏侯爵家に生まれて周りにいろいろ言われたことがあるからヒューバートにはパーシヴァルの気持ちが分かる。
しかもこれは他の人と接して初めて分かる。産まれてからしばらくはそれが普通だと思っているから、突然「あなたは普通じゃない」と言われても納得がいかず戸惑いしかないのだ。
「僕たちが嫌われるのは『お父さん』がいないからで、だから『お父さん』がいれば僕たちはもう嫌われないかなって、嫌われなくなればお母さんが喜ぶかと思った。でもね、お母さんも同じことを考えていたって分かったとき、僕のために『お父さん』を作っても全然嬉しくないって思った」
アリシアが他の男をパーシヴァルの『お父さん』にしようとしていたと知って、ヒューバートの胸の内が千々に乱れたが、哀しそうなパーシヴァルの顔に必死にヒューバートは熱く煮えたぎる嫉妬心を呑み込む。
「侯爵様、怒っているの?」
「怒っているわけじゃなくって、嫉妬と言っていいのかな? 誰かが君の『お父さん』になるところを想像して苛立ちがわくが、その資格もないと分かっているから複雑で……いや、気にしないでくれ」
幼い息子に自分は何を言っているのかとヒューバートは内心ため息を吐いた。
案の定、パーシヴァルは何を言っているのか分からないと言うように首を傾げている。
「俺がただ嫌で、なんでとかなくて……うん、ただの俺の我侭だ」
「大人なのに我侭なの?」
「我侭に大人も子どももないさ。アリシアなら子どものときだって我侭なんて言わなかったと思うぞ」
「小さなお母さん」と言って真剣に想像するパーシヴァルにヒューバートは笑う。
「僕が我侭なのは侯爵様に似たのか」
しみじみというパーシヴァルに、ヒューバートは目の奥に走る痛みを必死に堪えた。
「それじゃあミロを呼んでこよう。俺が部屋から出たらすぐに鍵を閉めて、ミロ以外が来ても絶対に開けないように」
「うん……あの、さ」
「ん?」
ヒューバートが首を傾げながら応えると、パーシヴァルはもじもじしながら小さな声で「ありがとう」と言った。
「子どもが変な気を使うな」
パーシヴァルの素直な礼がくすぐったくて、照れ臭さを隠すようにヒューバートは自分とよく似た黒髪をわしゃわしゃと撫でて乱した。
「ちょっとっ!」
「じゃあな、おやすみ」
初めてパーシヴァルと本音で話せたこの日を死ぬまで忘れない、ヒューバートはそう思った。
『プレイボーイ』と『悪』はパーシヴァルにとっては褒め言葉です(詳しくは第1章・第15話「王都に戻る」で説明しています)、
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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