第8話 毒の種が芽吹く
予想より遥かに早い時間に帰ってきたアリシアに驚くプリムから、パーシヴァルは迎えにきたミロと出かけたと聞いてアリシアはホッと息を吐く。
ヒューバートとミロならパーシヴァルに上手く言ってくれるだろうと思いながら、貧血気味で自分だけ先に帰ってきたのだとプリムに嘘を吐いた。
寝ていれば治ると言ってプリムを帰すと、アリシアはコールドウェル元夫人に手紙を書いた。
彼女とは継母という間柄だったが、こうして手紙を書くのは初めてだった。
その手紙はパーシヴァルと戻ってきたミロに預けた。
レイナードの騎士に使者となってもらいたかったためとはいえ任務外のことをミロに頼むのは気が引けたが、「閣下への報告の手間が省けて助かります」と言ってくれたミロの優しさに甘えた。
返事が届いたのは三日後だった。
手ぶらで来た使者の口頭での返事というだけでも礼儀を欠いているのに、【明朝八時なら会える】というあり得ない時間の指定にアリシアは元夫人の明確な敵意を感じ取った。
「ご指定の時間に行くと伝えてくださいますか?」
「畏まりました」
冷たく笑うアリシアから目をそらしながら、使者は気まずそうに帰っていった。
***
「孫を連れてくるのではなかったの?」
「元夫人が朝早い時間をご希望だったので、あの子は家でお留守番ですわ」
元夫人の顔に苛立ちが上がるが、ことあるごとにパーシヴァルを孫という元夫人に対してアリシアも苛立っていた。
「質素な格好で来たわね。貴族の家を訪ねるのに相応しい格好も知らないとは、こんな母親では孫が学校で笑われてしまうわ。だからね、あの子の養育権を私に渡しなさい」
アリシアを蔑む目は相変わらずで、書類上は彼女の子どもだった頃のアリシアはそれに委縮してしまっていた。
しかし今はもう怖くない。
なぜ異常なほどパーシヴァルに拘るのか、その理由が何となく分かり始めていたアリシアはわざとらしく首をコテンと傾げる。
「レイナード侯爵家といまは縁のない他家のご夫人に任せるわけにはいきませんわ。それにあの子にはレイナード侯爵家にちゃんと祖母がいますもの。侯爵様のお母様で、先代侯爵オリバー様の奥方様のカトレア夫人ですわ」
アリシアが護衛騎士として一緒に来てくれたミロに同意を求めれば、「その通りです」とミロは侯爵家の獅子の紋章を力強く叩いてみせた。
「元夫人、パーシヴァルのことを知ったのはいつですか?」
「突然ね。半年くらい前かしら。いつだったかお友だちの間で『七日間の花嫁』の話になってね、いまどこにいるのかって推理し合ったの。貴婦人の暇潰しよ。それで気になって、昔の使用人名簿を見て、人を雇ってあの街を調べさせたの」
自分としては上手く隠れているつもりだったが、実はかなり昔から元夫人が知っていたことを知ってアリシアはゾッとした。
「なぜ今まで誰にも私の居場所を言わなかったのですか?」
「どうして? あなたがいなくなったのことは正しいことじゃない。私が座るはずだったレイナード侯爵夫人の座に、半分しか貴族じゃないあなたが座るなんて悍まし過ぎるわ」
元夫人はもともと浮世離れした雰囲気があった。
しかしいま目の前にある微笑みは無邪気な少女のようでありながら禍々しい毒婦のようで、アリシアは思わず一歩下がって元夫人と距離をとる。
「元夫人は、オリバー様を慕っていらしたのですね」
「慕って、なんて。私たちは恋人同士だったの。彼との時間は本当に幸せだった」
アリシアはヒューバートから彼の父親について、女性にだらしなくトラブルに事欠かなかったと聞いたことがあった。
まさか関係した女性に元夫人が入っていたとは思わなかったが、ドロリと溶けた目でオリバーを思う元夫人を見てアリシアはようやく理解した。
(だからパーシヴァルだったのね。パーシヴァルがオリバー様の孫だから)
「私が幼い頃からこのマリス伯爵家は財政難に陥っていた。だから両親は私をコールドウェル子爵家に売ったの、格下のあんな男にこの私を」
その記録は以前読んだ祖父の手記に書かれていた。
祖父の手記には伯爵家の権力に逆らえず無理矢理婚約させられたように書かれていたが、どちらも主観でしかなくそれが事実か確かめようがないのでアリシアにとっては些末な情報だった。
まさかそのことが尾を引き、何十年もたって芽吹いたなどアリシアにとっては驚きでしかない。
「屈辱的ではあったけれど、貴族に生まれた者の義務として受け入れた。夫や弟の領地運営の補佐ができるようにと学院に放り込まれたときは恨みもしたけれど、侯爵様に会えたのですもの、いまでは感謝しているわ」
そう言うと悲劇のヒロインのように元夫人は泣き崩れた。
「結婚しても私の心はずっとあの方にあったわ。だからどうでも良かったの、あの男の浮気もあなたの存在も。私はあなたに感謝してさえいたのよ。あなたが生まれて何年もしないうちに、あの男は私を抱かなくなった。子を産めない女と罵られたけれど、オリバー様以外に抱かれるなど苦痛でしかなかったから喜びしかなかったわ。妻の義務から開放され、あとは静かにオリバー様を思い続けていこうと思ったのに……あの男がオリバー様のレイナード家に狙いをつけたの」
元夫人の目に宿った狂気混じりの何かに、アリシアはさらに一歩下がる。
視界の隅に、ミロが剣の柄に手をかけたのが見えた。
「レイナード家のお嫁さんには私がなるはずだった。貴族の両親をもつ純血のこの私が、あんな野蛮な、騎士ごっこに明け暮れる女が座る座ではない。ましてや、半分しか貴族ではない半端者が座るなど決して許さないわ」
(だから彼女は姪を侯爵様の婚約者にしようとしていたのね)
アリシアがヒューバートと式を挙げる直前まで、元夫人は姪のほうがヒューバートに相応しいと子爵に進言し続けていた。
当時は実家のマリス家を思っての行動だと思っていたが、彼女自身の願望のためだったのだろう。兄の娘という彼女の姪は元夫人と同じ色でよく似た顔立ちをしていた。
「男の出入りの激しい女を妻に望むとは思わなかったわ」
元夫人の呟きにアリシアは合点がいった。
ろくに社交をしていないのに不自然なほど広がっていた自分に関する様々な噂も元夫人の策略だったのだ。
「でも侯爵家から直ぐに追い出されたところを見れば、私が仕込んだ毒の種はちゃんと芽吹いたわね。あなたが姿を消した後、私はヒューバート様に姪との再婚をおすすめしたの。頑固な方よね、再婚は受け入れないし、レイナード侯爵家のためにせめてと提案した結婚の無効も受け入れなかったのよ。あれはきっと母親の悪い血の影響だわ」
(昔語りはどうでもいいわ)
「なぜヒューバート様を殺そうとしたのですか?」
アリシアは汗の滲む手をぎゅっと握る。
「私が侯爵様を殺そうとしたなんて、殺そうとしたのはあなたの父親よ」
「実行犯は子爵でしょう。でも子爵は非常に、そして愚かなほど自信家です。自分ならできるという根拠ない自信で、侯爵様を一人で誘い出そうなどとはしないはず。子爵に代わって手紙を出したのは元夫人、そして……侯爵様を誘い出した餌は私」
化粧室であの女性からヒューバートが刺されたときの状況を聞いたときからずっと不思議に思っていた。護衛騎士はどこにいたのか。彼らがいれば子爵が近づいてくることすら防げただろう。
「事実と大きく外れていないと思いますわ。実際に刺された日、侯爵様はお一人でお出かけしたのでしょう、ミロ卿?」
ミロは少し迷いを見せたあと頷いた。
「ずいぶんと姦しいこと、今さらそれを知ってどうするの? 私が主犯だと騒ぐつもり? 無理よ、あなたはそんなことできないわ」
元夫人の言う通りだった。
アリシアはヒューバートがこの事件を『なかったこと』にした理由も理解している。アリシアとパーシヴァルのためだ。
「誰だって我が身が可愛いもの」
アリシアは元夫人の見えないところで拳が白くなるほど強く握り、努めて笑顔を見せる。
「その通りですね、私はパーシヴァルを守るためならいくらでも知らない振りをしますわ。それにしても、元夫人がオリバー様に捧げる無償の愛には感服いたしました」
アリシアの言葉に夫人は陶然とした微笑みを向ける。
「当然だわ。あの方は私の永遠の恋人ですもの。貴族の義務で侯爵様もあの女と結婚したけれど、ときおり夜会で私に向けたあの方の視線にはいつも変わらず愛があったわ。その一瞬があったから、私も貴族の義務を果たそうとあの男の妻を演じたわ。愛していない男に圧し掛かられる嫌悪感にも堪えられた。それなのに、あの男は私からその一瞬の幸せを奪った。爵位を奪うという屈辱感をあの方に与えただけではなく、あの方を遠い領地に幽閉してしまったの。愛しい方と視線を交わし合うことすらできなくなることが、どんなに苦しいことかあなたに分かる」
愛しい人を見ることも叶わなくなる苦しみはアリシアにも分かる気がしたが、悲劇のヒロインのように嘆く元夫人に感じるものは呆れと虚しさだった。
元夫人の言う通り、オリバーと彼女が恋人同士だったかなど真実は分からないが、アリシアが知っているだけでもオリバーにはたくさんの恋人と女友だちがいた。
その事実だけでも、過去の恋人と結ばれなかった哀しみを、遠くから視線を交わす一瞬だけで耐え忍びながら貴族の義務を果たすようなタイプの人間とは思えない。
(なんてはた迷惑なの)
アリシアの白けた視線に気づかないまま、夫人の声はどんどん熱を増していく。
「でも神様は私たちを見守っていてくださったのよ。私の孫があの方に瓜二つなんて。こんな素敵なこと、あの方に手紙を出して二ヶ月たったわ。あの方はもうすぐあの性悪な女から逃げ出して私のもとに来てくださるわ、そして私はあの方にパーシヴァルを私たちの孫だと紹介するの。ふふふ、あの男にあなたの居場所を教えてあげてよかった。ふふふ、あの男があのとき死ななくて本当によかった。そこの者、あの方がいつ来られるか連絡をうけているのでしょう?」
夫人の目がミロに向き、夫人から目を背けてこちらに目を向けたミロにアリシアが頷き返した。
「失礼ですが、夫人のお名前はイザベル・マリス伯爵令嬢でよろしいのでしょうか」
「そうよ。ほら、やっぱりあの方は私にお会いしたいって……」
ミロが恭しく差し出した未開封の手紙に元夫人の目が見開かれる。
「愛する妻に誤解されたくないから、知らない女性からの手紙は受け取らないことにしている。前侯爵閣下からのご伝言です」
「…………知らない、女性?」
信じられないことを聞いたと言わんばかりに、元夫人の口から堅い声が出る。その声はさっきの発言を撤回しろとミロに迫るようだったが、ミロは気づかない振りをして続けた。
「前公爵閣下は奥様に『誠意は見せろ、しかし誤解はされるな』というお叱りを受けて以来、女性から手紙をいただいた際にはお断りの手紙を出されております。しかし二ヶ月ほど前に領主館に届いたこの手紙の送り主、イザベル・マリス伯爵令嬢に心当たりがなかったようでヒューバート様を介して我々にこのご令嬢について調べるよう指示がありました。しかしマリス伯爵にはご令息が三名いらっしゃるがご令嬢はおられず、我々も困っていたところなのですよ」
困った顔をしてみせるミロにアリシアは「もう帰りましょう」と告げる。
「さようなら、一度も母ではなかった方。もう二度とお会いすることはないでしょう」
元夫人の言葉は正しい、毒の種は簡単に芽吹く。
ミロの言葉に含まれた毒は元夫人を侵し、すでに瞼すら動かなくなった元夫人に別れの挨拶をすると、アリシアは彼女の返事を待たずに庭から出た。
「アリシア様!?」
後ろから聞こえた元夫人の甲高い悲鳴、そして陶器の割れる音を聞いた直後にアリシアは気を失った。
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