第7話 逆鱗に触れる
(どうしてこんなことに……急用だろうが何だろうが、ブランドンなど放っておくべきだった)
ブランドン商会はレイナード商会に敵わないものの王都でも有数の大商会で、その会長が自ら来たということでヒューバートが急遽対応しなければいけなかった。
のらくらと重要でもない話をする男にヒューバートが焦れていると、アランが来て娘のエミリーが建物内で行方知れずであること、おそらくアリシアの噂を聞いて会長室に殴りこむのではないかと報告してきた。
父親は「侯爵様を深く愛しているゆえの行動で」などと言っていたが、そんなことよりもアリシアのほうが重要だった。
急いで四階に行くと警備員が化粧室のほうを指さして、エミリーがアリシアに言いがかりをつけているようだと報告をしてきた。
扉は厚く、中からはエミリーが何やら喚いている声しか聞こえない。
「よりにもよって、なぜ女子トイレに……女性の職員、誰か頼りになりそうな人を呼んできます」
そう言ってアランは階段を下りていき、なすすべなくヒューバートが警備員と化粧室の前で突っ立っていると突然扉が開いてアリシアが出てきた。
「アリ……」
「待ちなさいよ!」
ヒューバートの声に被さるエミリーの大きな声。ヒューバートの目にアリシアの肩に食い込む赤い爪が飛び込んでくる。
頭にカッと血が昇ったヒューバートはエミリーの手を引きはがし、自由になったアリシアの肩を抱き寄せる。
「侯爵様!」
エミリーが驚きとも喜びとも判断がつかない声をあげたが、ヒューバートはエミリーに顔すら向けずに俯いたままのアリシアを部屋に連れていく。
後ろでエミリーが何か騒いでいたがヒューバートは一切興味がなかった。
「アリシア、大丈夫か? 顔色が……一体何が……」
「いいえ……その、なにも……私は大丈夫ですわ」
何もないというのは白々しいとアリシアも分かっているようだったが、俯いたまま顔をあげないアリシアを見て何も言ってはくれないとヒューバートは察した。
「アリシア……」
せめて顔を見たい。
そう思って顔をのぞき込もうとヒューバートが腰をかがめたとき、肩を押されてバランスを崩してしまい尻もちをつく。
「……アリシア?」
「何もありません」
「わざわざそう言うということは、何かあったな。何があった? 何を、言われた?」
「いまは……」
喉から絞り出すような、蚊の鳴くようなアリシアの声にヒューバートは耳を澄ませる。
「今日はこれで失礼します。どうしてそんなことをしたのか聞かなくては……それが分かればきっと……きっと」
弱弱しいのに強い意志を感じさせるアリシアに、ヒューバートは自分の勘を信じて手を離すことにした。
「馬車と護衛の手配をする……今の君を一人で外に出すわけにはいかない。すまないが、これは譲れない」
「はい……よろしくお願いいたします」
***
「さて、話を聞こうか」
アリシアから何があったか聞けなくても、情報源はもう一人いる。
なすすべなくアリシアを見送るしかできなかった虚しさが冷たい怒りとなってヒューバートの腹の奥に溜まり、どす黒い感情を吹き出るままにヒューバートはエミリーに尋ねた。
「あの女はどうしました?」
アリシアのことを『あの女』というエミリーに怒りが抑えられそうになったとき、アランにタイミングよく名前を呼ばれて頭が冷める。
(まずはアリシアに何をしたかを聞く……分かっている……)
呪文のようにそう自分に言い聞かせながら「彼女は気分が悪くなって帰った」と言うと、エミリーの態度が一変した。気が狂ったように高い声で笑うエミリーにアランは顔を顰め、護衛騎士たちが構える。
「勝ったわ! 『七日間の花嫁』に勝った! ヒューバート様の妻になるのは私、未来のレイナード侯爵夫人は私よ!」
「頭がいかれたか? 話にならん、父親を呼べ」
アランについて部屋に入ってきたブランドン商会長は、部屋中に響く娘の笑い声と静かにこちらを見据えるヒューバートの素顔に真っ青になった。
「レ、レイナード侯爵様……このたびは……いや、娘の不敬を……申しわけありません!!」
この事態に適切な謝罪の言葉も出てこなかったのだろう。
床に穴をあけるような勢いで土下座をしたが、ヒューバートの心には何も響かなかった。
「私は貴殿に再三の注意をした、娘をどうにかしろと。貴殿らは言葉を解せないのかな? 彼女には『迷惑だから傍にくるな』という言葉が求婚に聞こえたらしい。言葉足らずである女性を傷つけたことを反省し、私は誤解だけはされないように言動には注意してきたのだがなあ」
理解できないと首を傾げたヒューバートは顔を上げないブランドン商会長に尋ねた。
「貴殿の娘は『アリシア』を知っていた。二人は面識がないはずだが、なぜ分かった?」
「『七日間の花嫁』……様、が金髪に緑の目の女性だというのは有名だったので」
「それだけで分かるものか?」
ヒューバートが「不思議だな」と呟くと、ブランドン商会長が上ずった声をあげる。今度はどんな言い訳が出てくるのかヒューバートは面白くなる。
「絵姿を……新聞に載った絵姿を見たのだと思います。な、なあ、エミリー、そうだろう?」
「お父様ったら何をおっしゃっているの? お父様が調査を依頼した探偵からあの女の絵姿をもらったじゃない。この女を父親の罪を教えて責め立てろと。お父様、私やりましたわ。あの女、真っ青な顔をしていましたわ。当然ですわ、あの女はヒューバート様を殺しかけた罪人の娘なのですもの」
(ああ……そういうこと、か)
ヒューバートは思わず腹部にある大きな古傷に手を当てる。
「彼女は……知ってしまったのだな」
子爵がヒューバートを刺したことは公にはなっておらず、新聞にも載っていないし、ヒューバートも金と力で多くの人の口を塞いだ。
問題は子爵がヒューバートを刺したことをアリシアが知ったことではない。
ヒューバートがそのことを大事にしなかった理由にアリシアが気づいて罪悪感を抱いて欲しくなかったのだ。
子爵が犯した罪は殺人未遂だが、ヒューバートのように国の経済を左右する力のある大貴族を殺害しようとしたことで「国益を損ねようとした」と判断された場合は国家転覆罪となる可能性が高い。
そして国家転覆罪となった場合、主犯は厳しい取り調べの後に斬首刑、そして彼らの家族も罪に問われ前後三代は毒杯を仰ぐこともある。
子爵のことはどうでもよかったが、ヒューバートは彼の罪がアリシアや彼女が産んだ我が子にまで及ぶなど可能性でさえも許せず、そのため子爵の罪を『なかったこと』にしたのだ。
(アリシアは勘がいい。俺があの日に護衛を連れていなかった理由に気づけば自分を責めるに違いない……くそっ、いつまでも過去が付き纏う)
「こ、侯爵様」
媚を売るようなブランドン商会長の声にヒューバートはいまの状況を思い出し、ため息をひとつ吐いてブランドン商会関係者がレイナード商会とレイナード侯爵家に出入りすることを禁止した。
男はそれを軽い罰と判断したようで、安堵した表情を隠さず発狂する娘を引きずるようにして建物を出ていった。
「おめでたい脳みそだな。先代は鷹の目をした頭の切れる方だったが」
ヒューバートの呟きにアランは同意する。
「鷹から鳶が生まれましたね。先が読めないあの方ではブランドン商会に先はなかったでしょう、少し早まっただけです。」
今ごろ「ブランドン商会長とその娘がヒューバートの怒りを買ったらしい」という噂が広がり始めただろう。そして噂は「レイナード商会がブランドン商会から手を引く」となり、泥船に用はないと多くの商会がブランドン商会から離れていくだろう。
「アラン、ブランドン商会長が謝罪にくるだろうが、一切の慈悲はいらない。道路で土下座しようが、死んで詫びると自殺を図ろうが放っておけ」
「畏まりました。それで、何カ月もつと思いますか?」
楽し気なアランの口調に、ヒューバートはようやく口許を緩めた。
「もって半年というところだろう。能力のある商会員がいたら今のうちに引き抜いておけ」
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