第2話 新居に行く
アリシアとパーシヴァルをホテルに送り届け、必要な手配をしたヒューバートが屋敷に戻った頃には深夜を回っていた。
昨日の疲れも残っていたし、今日の元夫人とのやりとりでヒューバートは疲れきっていたが、アリシアたちのためにこれからもできることがあると思うと嬉しかった。
「お帰りなさいませ」
ホールで出迎えてくれたボッシュのいい笑顔に、彼の顔がこんなに活気に満ちているのは久しぶりだとヒューバートは思った。
「旦那様から連絡を受けて直ぐにマリサが侍女二名と下男三名を連れてアパルトマンに向かいました」
ヒューバートは客間二つを整え、ヒューバートの荷物はレイナード邸に移動させるように手配した。
「暮らすなら服や日用品が足りないと思いますが……」
「こちらが準備しても恐縮されてしまうだろう。明日、彼女たちと一緒に街で準備を整えようと思う。護衛の騎士と、荷物を運ぶ人員の手配を頼む」
「畏まりました」
本当にそんな気が利いた案を主が考えたのか疑うボッシュの目に耐えかねて、これはステファンの入れ知恵だとヒューバートは白状した。
「アリシア様はお元気でしたか?」
「元気だったよ。家も店も小さいが綺麗に整えられて、仕事も順調のようだし、二人で幸せにやっていたようだ」
「それは、ようございました。それで我々の罪がなかったことになるわけではありませんが、心の底から本当によかったと思っております」
目尻に涙を滲ませるボッシュの共感の気持ちでヒューバートはその肩を軽く叩いた。
「アリシアは何も言わないだろうから、何か困っているようだと報告を受けたら即時対応してくれ。報告はあとでも構わない、人選も任せる。必要なら新たに雇ってくれ」
「畏まりました……あの、旦那様」
先を続けないボッシュにヒューバートは苦笑が浮かびつつも、昨日のアリシアの苦しむ様子を思い出して首を横に振る。
「アリシアたちと会わせてやることは当分できないと思う……すまない」
***
十時頃に迎えにいくというヒューバートからの連絡をもらい、ゆっくり準備をすませたアリシアたちは、ホテルに迎えにきてくれたヒューバートとアパルトマンに向かった。
「ここ、ですか?」
ヒューバートから「レイナード商会の近くにある」とだけは聞いていたが、実際に来てみれば商業ギルドに近い王都の一等地。
趣のある扉をあければ管理人だという男性が恭しく頭を下げて出迎えるようなアパルトマンだった。聞けば警備員も常時二名待機しているらしい。
(やっぱり侯爵様なのだわ)
部屋に案内されるまでの間に貴族の男性が一人と一組の夫婦がヒューバートに挨拶にきた。
男性は王都に住んでいるがここを別宅として利用し、夫婦は地方の領地から出てきたときにここをタウンハウスとして利用しているという。
(パーシヴァルに帽子をかぶせてくれば……)
夫婦のうち妻のほうがパーシヴァルに向けた目を驚きに丸くしたのをみて、アリシアは辺境にいたときのようにパーシヴァルに帽子をかぶせるなど対策をとらなかったことを一瞬悔やんだが、小さな手に手を握られてハッとする。
(ここで逃げても仕方がないわ。王都で暮らすと決めたとき、パーシヴァルとも話したじゃない)
王都にいれば『レイナードの特徴をした子ども』の話が広まるのは時間の問題だということはアリシアたちにも分かっていたのだ。
「お話の最中に失礼いたします。侯爵様、もしよろしければ私たちは先に部屋に行きますが」
「ああ、すまないな。話は終わったから行こう、それでは失礼」
話の最中であり、明らかにまだ話し足りない夫婦を放り出す形でアリシアたちに微笑を向けるヒューバートは、その態度でアリシアたちが彼の大切な客人であることを示した。
「最上階だから下が多少騒がしくても我慢できないほどではないだろうが、あまりに耳障りでは困る。まあ、この子を可愛がっているステファンが一番煩いと思うのだが」
下手に騒いだらレイナード侯爵家が容赦しないし、おそらくティルズ公爵家も黙っていないだろう。そんな意味が存分に込められた言葉に好奇心を隠せなかった夫人の顔が青くなった。
「わあっ」
ヒューバートの借りているペントハウスには大きなベランダがあり、歓声をあげたパーシヴァルが走り回る姿にアリシアの口がほころぶ。
「あの子はミロに任せて、中を簡単に案内したいのだが」
「お願いします。私たちのために準備もしてくれたみたいで、ありがとうございます」
ヒューバートが使っている部屋と聞いていたのにリビングにはヒューバートの私物が全くないため、侯爵家の使用人がアリシアたちのために片づけてくれたのだと察した。
「俺の荷物は主寝室に放り込んだが、必要な物は全て屋敷に運んだから取りにくることはないと思う。主寝室以外はほとんど使っていなかったから、どこの部屋でも好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「内装や調度品に不都合があったら遠慮なく言ってくれ」
「そんなご迷惑を……」
「君たちのことで迷惑なことなどはないことは君も分かっているはずだぞ」
ヒューバートの瞳に灯る好意、いや、好意と呼ぶには熱のある視線からアリシアは反射的に目を逸らす。
「そのことは……」
「この前みたいに君を追いこむような真似はしないと決めたが、だからと言ってあの言葉を撤回するつもりはない」
遠回しに「好きだ」という言葉をぶつけられ、少し喉が絞まった気がした。
元夫人の蔑む目や、先程あった夫人の好奇心に満ちた目が頭に浮かぶ。
(どうしたらいいか分からない……でも、顔が熱いわ)
心の中で茂るアイビーの緑の葉が、ヒューバートの熱が巻き起こす風でわさわさと揺れる。
「焦らせて、すまない。まずは家の話だな、それで部屋に何か不都合は?」
「あ……」
ヒューバートが少し距離をとってくれて、アリシアは肩の力を抜ける。
卑怯だと分かっているが、今はそのことは考えないようにしようとアリシアは決め、ヒューバートが出してくれた助け船に乗り込む。
「不都合などありませんわ、落ち着いていて素敵です。キッチンも使ってよろしいのでしょうか」
ヒューバートによると商会が大きくなり始めた頃に買った部屋だというが、キッチンは整然としていて、コンロには焦げ跡ひとつない。
避ける口実には使ったが、汚すことに気が引けてしまったのも事実ではあった。
「料理をする腕と機会がないから綺麗なだけだ、気にせず好きに使ってくれ。問題がなければ使う部屋を決めて欲しい、うちの者が荷物を運びこむ。運んでいる間に必要なもの、食料品や日用品を買ってこよう」
「そのくらいは自分たちで……」
「君だってそれなりの量になるのは分かっているだろう? ほら、君の顔に『荷物持ちができてラッキー』と書かれ始めたぞ」
ヒューバートの揶揄う言葉に「そんなこと思っていません」と言いながら、アリシアは棚上げした問題をこれ以上追及されないことに安堵する。
ヒューバートの気遣いに合わせてアリシアは軽く睨んでみせたが、こんな気安い掛け合いは初めてで、可笑しさを耐えきれずにクスクスと笑う声が出てしまった。
「……笑った」
「え?」
呆然としているヒューバートにアリシアは首を傾げたが、パーシヴァルがベランダから戻ったので迎えに行く。
「ヴァル、侯爵様のものがあるあのお部屋以外は好きに使って良いのですって。どの部屋にする?」
「東向きの部屋にする」
まだ部屋を見ていないのに悩まずに即答したパーシヴァルにアリシアは首を傾げる。
「僕、朝早く起きるのが苦手だから。明るくなれば朝だってすぐに分かるし、そうすれば学校にも遅刻しないでしょ?」
「……学校?」
「うん。僕、あの何とかってお婆さんが言っていたノーザン王立学院に行ってみたい」
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
ブログもやっています
https://tudurucoto.info/




